第2章 プロローグ

 一言で表すのならそれは、悪夢だった。


 目を覚ました少女は身体を起こし、陰鬱な表情でため息を吐く。

 静まり返ったビルの屋上で一人眠っていた少女は、生気の感じられない双眸で空を見上げる。

 その濁った瞳に映るのは、白み始めた雲一つない空だ。

 八月の夜明けにしては、まだ涼しい風が吹いていた。それは唯一とも言える、歓迎できる要素だった。

 少女は頭を軽く振り、直前まで見ていた悪夢の残滓を掻き消そうとする。

 だが、脳裏に深く刻まれたそれは薄れる事も、消える事もない。

 落胆する様子もなく、少女は立ち上がる。

 いつもと変わらない。目覚めるたびに繰り返しては、消えない事を確かめる。それはもはや、儀式も同然だった。

 全身に纏わりつく不快感を引きずるような足取りで、少女はビルのフェンスへと近づいていく。

 頭部まで身体を包むように羽織っていた薄汚れた布が、朽ち果てたように滑り落ちた。

 外気にさらされた銀色の髪は、少女の背中を守るように腰まで伸びている。

 神々しさすら感じさせる端正な顔立ちは、年相応の幼さを忘れてしまったかのような冷たさを秘めていた。

 足音もなくフェンスまで歩み寄り、立ち止まる。

 この場所からは、目覚めつつある街並みがよく見える。

 眼下の景色を眺める目に宿るのは、底なしの憎悪だ。

 まだ成人すらしていない少女が宿すにしては、深く暗すぎる感情だった。

 彼女自身、そう思う客観的な理性が僅かに残っている。

 だからと言って、捨てる事などできない。

 もはやそれ以外、残されてはいないのだ。

 フェンスに手をかけ、頭部を預ける。

神無城かむしろ、うてな……」

 容易く風に掻き消されそうな呟きだが、そこに込められた感情は、重い。

 フェンスを掴む指に力が入り、微かに音を立てる。

 暗く濁った瞳は、この街のどこかにいる少女を求めていた。

 神無城うてなという、たった一人の少女を探し、求めてやって来た。

 長らく所在の知れなかったその存在を、ようやく感知する事ができたのがおよそ三週間前。

 震えるほどに強い魔力の波動があった。

 そんな事ができる存在は、この世界において一人しかいない。

 あの瞬間に感じたものは、彼女にとって希望だった。

 生きている意味と、果たすべき事。その二つが彼女の全身を支配し、突き動かした。

 日々薄れていく魔力の残滓と情報を頼りに、ここまで来た。

 ただひとり残された者として、ただひとつの願いを果たすため。

 この可能性に賭け、日々を生きてきた。

 積み重ねた悪夢の淀みを糧として、討ち果たすべき敵と相まみえるためだけに。

 復讐という言葉に支配された少女は、肉体を突き破るほどに滾る魔力に身を震わせる。

 やっと叶うのだと、少女は口元を綻ばせた。

 ――夜が、明ける。

 風に揺れる長い銀色の髪が、朝の光を受けて静かにも神々しく輝いていた。



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