第1章 第3話 龍二VS誘拐犯 その6

 龍二の背後にあった壁が、爆発するように弾けた。

 砕けた壁の破片と粉塵が、今まさにトリガーを引こうとしていた少女に襲い掛かる。

 そして間を置く事なく、一陣の風が壁の穴から飛び出してきた。

 暴風さながらに疾走する影に粉塵が乱れ、龍二の視界を塞ぐ。

 視界を塞がれたのは少女も同様で、壁から離れるように飛び退りながら銃口を向け、迷わず発砲する。

 その音は三度、鳴り響いた。

 身の竦むような音の中、龍二はくのりの名を叫ぼうとして咳込む。粉塵が目に入り、まともに開くこともできなくなっていた。

 無力感に打ちひしがれる龍二は、唯一頼れる聴覚で状況を把握しようとする。

 聞こえてきたのは、風を切る音だ。

 龍二を救出するために突入してきた影は、神無城うてな。

 ドアの前にいた見張りを音もなく昏倒させたうてなは、そのまま突入する事はせず、隣の部屋から壁をぶち破って突入する事を選んだ。

 龍二が考えていた通り、腕時計から得られる情報を頼りに、端末の人工知能を使って内部の状況を推測し、龍二とくのりに危険が及ばない場所とタイミングを計っていた。

 力を込めた拳の一撃で壁をぶち抜いたうてなは、一気にトップスピードまで加速し、少女に襲い掛かった。

 うてなの襲撃に対する少女の反応は早かった。

 まるで気配を察知できなかった事に驚いたのはほんの一瞬で、咄嗟に飛び退きながら銃撃してきたのは、称賛に値するものだった。

 だが、相手がうてなでは足りない。

 視界不良の中、予測だけでほぼ正確にうてながいる空間へと銃弾は放たれた。

 しかし三発の銃弾はいずれも空を穿ち、隣の部屋の壁に吸い込まれていった。

 龍二に当たる可能性を危惧し、ほぼ水平に三発撃ったがゆえに、地を這うような姿勢で疾走するうてなの身体を捉える事はなかったのだ。

 だが、仮にうてなの身体をポイントしていたとしても、結果は変わらなかっただろう。

 うてなの身体能力は、それほどまでに絶大だ。

 下から掬い上げるうてなの拳は、少女が銃を持つ手を狙っている。

 最初の夜と同様に、まずは銃を奪う事を最優先にうてなは動いた。

 それは少女も織り込み済みだ。

 狙われるとわかっていた右腕を半身ごと引き、うてなの一撃をかわすと同時に、左手で腰から引き抜いたナイフを横に薙ぐ。

 振り切ったうてなの腕を狙った反撃だった。

 が、それは空を切る。

 少女の視界からうてなが消えていた。

 粉塵が舞い、視界が悪いとは言え、この至近距離だ。通常ならば見失うはずなどない。

 どれだけ素早く動こうと、どこにどう動いたのかはわかる。

 少女はそう考えていた。

 だがうてなは、非常識的な戦闘能力を有する少女の常識を軽々と凌駕する。

 一瞬にして背後に回っていたうてなは、少女の心臓を背中側から肘で打つ。

 背中から貫くような衝撃を受けた少女は、瞬間的に心臓が止まったように感じた。あまりの衝撃に、呼吸すらできない。

 衝撃を和らげるスーツとジャケットを着こんでいるにも関わらず、だ。

 化け物、という言葉で埋め尽くされる思考を、少女は激しい怒りで奮い立たせ、遮二無二ナイフを振るう。

 うてなはその切っ先を、半歩身を引く事でかわす。

 激情にかられる少女と、静かながらも強い意志を宿すうてなの視線が交差する。

 うてなの瞳は、揺るぎない強さを持ちながらも、澄んでいた。

 それが一層、少女を赫怒させる。後ろへ飛び退りながら、少女はナイフを投擲した。

 うてなはそれを手で弾き飛ばし、距離を詰める。

 そこへ少女は、再度銃弾を浴びせた。

 ――いや、浴びせようとした。

 トリガーを引き絞るより早く、うてなの爪先が銃を握る腕ごと蹴り上げていた。

 加減を誤ったうてなの蹴りを受けた少女の右腕が、へし折れる。

 苦鳴を上げた少女の手から、拳銃がこぼれ落ちた。

 床に落ちて跳ねる拳銃を、うてなは部屋の隅へと蹴り飛ばす。

 今度は加減を間違えなかったのか、拳銃は暴発する事なく床を滑っていった。

 折れた腕を押さえる少女は、うてなに罵声を浴びせようと口を開く。

 だが、言葉を紡ぐことはできなかった。

 踏み込んだうてなの拳が少女の腹部にめり込んだからだ。

 そしてくのりは、あの夜と同様、その首筋に筒状の道具を押し当て、中の薬剤を注入する。

 一瞬で意識を奪われた少女は膝から崩れ落ち、床に突っ伏した。

「制圧完了、と」

 敵を倒した感慨もなく、涼しい顔でそう言ったうてなは、気絶している少女の腕を後ろに回し、拘束する。そのまま両足も縛り上げてしまう。

 ほんの十秒程度の出来事だった。

「こっちは終わり。そっちはどう?」

 耳に装着した通信機に手を当て、報告をしながら龍二のもとへと移動する。

「無事かどうかは、今から確認するところ。いやいや、大丈夫だって。巻き込まないようにちゃんと配慮しました」

 通信している相手は、もちろん深月だ。

 事態が急を要したため、多少のリスクを覚悟の上で、うてなは制圧前のビルに先行して潜入し、別行動を取っていた深月は、周囲に散開している敵を一ヵ所ずつ制圧していた。

「さて、生きてるかー?」

「い、生きてる……おかげさまで」

 舞っていた粉塵がようやく落ち着き、龍二は咳込みながらもどうにか答える。

「だってさ。どれ、ちょっと待ってな」

 通信機で聞いている深月にそう言い、うてなは龍二の拘束を素手で引きちぎる。

 改めて見せつけられるうてなの非常識さに、龍二は感嘆の息を漏らす。

「ありがとう。本当に助かったよ」

「これが仕事だから。ほら、あっちはあんたがやってきな。ポイントの稼ぎ時だよ」

 うてなが指差したのは、状況を理解できずに呆然としているくのりだ。

 龍二は頷き、くのりの側に駆け寄る。

 手首のすり傷が多少痛むが、そんなものは気にならなかった。

「りゅう、じ……」

「あぁ、すぐ助けるから……って、くそ、素手じゃ無理か」

 くのりの拘束を解くための道具を探し、壁際に落ちていたナイフを見つける。

 先ほどの戦闘中に、誘拐犯の少女が投擲したナイフだった。

 少しだけ悩んだ末、龍二はそれを手に取ってくのりの側に戻る。

「ジッとしてて」

 龍二はそう言って、先に手を、次に足の拘束を解く。

 不要になったナイフは、すぐに捨てた。

 ようやく自由になったくのりは、縛られていた手首を擦りながら上半身を起こす。

「怪我はない? どこか痛いところとか……」

「……平気。あり、がとう」

 静かに首を振るくのりの声に、先ほどまでの気丈さや強さはない。

 事態を把握できていなくとも、差し迫った危険がなくなったという事だけはわかっているのだろう。

 安堵と共に張り詰めていた感情が溢れそうになっていた。

「ごめん、本当にごめん……こんな事に巻き込んで、僕のせいで……でも、良かった」

 くのりと向かい合うようにして床に座り込み、龍二はうな垂れた。

 とにもかくにも、くのりは無事だった。それが龍二の緊張の糸を解いた。

「なん、だったの……?」

「えっと、説明する。ちゃんと説明はするから。とにかく、もう大丈夫。怖い事は、もうないから」

「……助かったの?」

「あぁ。彼女たちが来てくれたから。もう心配いらないよ」

 どうにか元気を振り絞り、未だ不安げなくのりに笑って見せた。

 それを見たくのりは、小さく頷いて口元を綻ばせる。

 粉塵や埃で少なからず汚れていたが、その微笑は龍二をどきりとさせた。

「あ、それじゃああの、少し休んでて。彼女と話してくるから」

「うん」

 くのりを壁際に移動させ、龍二は部屋の入口付近で連絡を取り合っているうてなのもとに向かう。

 途中、壊れた壁の破片に躓きそうになり、赤面する。

 背後でくのりが笑ったような気配を感じたが、振り返る勇気はなかった。

「うん、了解。あとはこっちでやっとく」

 深月との打ち合わせが終わったうてなが振り返る。

 丁度その瞬間だった。

 龍二が部屋の中央を横切ろうとしたタイミングで、拘束されていた少女が動いた。

 縛られた両足で床を蹴り、龍二に体当たりをするようにして、その首元を狙う。

 完全に不意をつかれた龍二は、反応できない。

 少女は獣のように口を開き、龍二の喉元へ噛みつこうとする。

 もはや、依頼などどうでもいい。安心しきっている龍二を殺して、めちゃくちゃにしてやろうとその邪悪な双眸が物語っていた。

「龍二!」

 その叫びは、くのりとうてな、二人のものだった。

 もつれるようにして倒れ込んだ龍二に、少女の牙は辛うじて届いていない。

 あの体勢からでは、満足な跳躍力は得られない。

 とは言え、抱き合うようにして倒れた今は違う。

 唸り声を上げて襲い掛かる少女を、龍二は必死に押し返そうとしていた。

 稼ぐ時間は、一秒もあれば十分だった。

 すぐに駆け付けたうてなが、少女の後頭部を思いきり殴りつける。

 龍二の喉元を狙っていた少女の顔が、うてなの一撃で床に沈む。

 したたかに顔面を打ち付けた少女は、悲鳴を上げる間もなく昏倒した。

「あっぶな」

 制圧したと思って油断していたのは、うてなも同様だった。

 筒状の器具を取り出し、中身が注入されている事を改めて確認する。

「ちゃんと打ててるし。どうなってんだろ?」

 小首を傾げつつ、龍二に覆い被さったままの少女を足でどかす。

「平気?」

「あぁ、なんとか。助かったよ」

 差し出された手を取って立ち上がる。

「ま、今度こそ大丈夫だと思うけど……一応念は入れておくか」

 気絶している少女の手足についた拘束器具を、ロープで結ぶ。

 さすがにこの体勢では、まともに動く事はできないだろう。

「とりあえず、あと五分くらいで久良屋も合流すると思うから、それまで待機って事で」

 そう言って机に寄り掛かるうてなに、龍二は頷く。

 うてなは戦闘態勢を解くように、大きく息を吐いた。

 ふと龍二の顔を見上げ、にやりと口角を上げる。

「やる時はやるもんだね。見直したよ」

「え?」

「ずっと聞こえてた。あっちの子を守ろうと、頑張ってたじゃん」

「あ、あぁ。僕のせいで巻き込んじゃったわけだし」

「それでも、だよ。あんたの必死さ、伝わった。いやぁ、男の子だねぇ」

 晴れやかな笑みを浮かべ、龍二の肩をバシバシと叩く。

「ちょ、恥ずかしいからやめてよ」

「いいじゃん。あの状況であんだけ言えれば、本物だよ」

 そう言われても、龍二としては恥ずかしさが増すばかりだった。

 あの時はただ、必死だったとしか言いようがない。

「君たちが来てくれるって思わなきゃ、あそこまでできなかったよ」

「そうなの?」

「これで聞いてるはずだと思ってたから。少しでも状況が伝わればって」

「うん、いい判断。さすがに三度目ともなると、慣れるもんね」

「ごめん、それ笑えない……」

 この数日で都合三度誘拐された龍二はため息を吐く。

 だが、これで終わったのだと思うと、幾分気が楽になった。

「さて、と」

 そろそろ頃合いと見たうてなは、机から離れて倒れている少女の下に近づく。

 気絶したままなのを確認し、その身体をドアの近くまで引きずっていく。

 その雑な扱いに龍二は苦笑した。

 ――発砲音は、立て続けに四発。

 連続で放たれた四つの弾丸は、うてなの両足に二発ずつ食い込んだ。

 何が起きたのかをすぐには理解できなかった。

 うてなは自身の足を見下ろす。

 左右の太ももと脹脛から血が流れ、次いで痛みと熱が襲ってきた。

 運んでいた少女から手を離し、その場に崩れ落ちて声を上げる。

 どくどくと流れ出す血に意識を失いそうになるが、激しい痛みがそれを許さない。

 感じた事のない痛みに、思考が乱れる。

 その姿を、龍二は呆然と見ていた。

 理解ができない。

 終わったと思っていた。

 だが、違った。

 目の前で、うてなが撃たれた。

 あの勝気で、自信に満ち溢れ、そうするだけの圧倒的戦闘能力を持ったうてなが、悲痛な声を上げて倒れている。

 彼女を襲った銃弾は、龍二の横を掠めていった。

 龍二は振り返る。

 ――そこには、逢沢くのりが立っていた。

 色のない、龍二が初めて見る表情で。

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