第1章 第3話 龍二VS誘拐犯 その4

「さて」

 割れた窓ガラスを完全に破壊し、少女は保健室に足を踏み入れる。

 最初に龍二の誘拐を実行し、移送中に逃走したあの夜の少女だ。

 ガラスの破片をブーツで踏み潰し、床に転がった箱の残骸を回収する。

 窓の外には少女の他に、覆面をした二人の男が待機していた。

 一人に周囲を警戒するよう指示し、もう一人を保健室に呼ぶ。

 倒れたベッドの裏側を覗き込むようにして、取り出した拳銃を向ける。

 そこには気絶した龍二とくのりが倒れていた。

 見たところ外傷はなく、ただ眠っているようにすら見える。

「どんな玩具か知らないけど、見事なものね」

 あの閃光にどのような効果があったのか、少女は知らない。

 結果として対象を傷つける事無く気絶させたという一点が重要だった。

「どこで手に入れたんだか……ま、どうでもいいか。ほら、急いで」

 二メートルに届きそうな体格の男に、龍二とくのりの両方を担ぐよう指示する。

 男は少女の言葉に従い、軽々と二人を担ぎ上げ、壊れた窓から外へ出る。

 少女もその後に続き、回収した箱とは別の物を保健室に放り投げる。

「待ちなさい」

「さすがに早いわね」

 保健室から離れようとする三人の背後に降り立ったのは、深月だった。

 文字通り、科学室から壁やパイプを利用し、数階分の高さを一瞬で降りて来た。

 誘拐犯を呼び止めたその手には、あらかじめ各所に隠しておいた銃が握られていた。

 実弾を発射するものではなく、電極を飛ばして対象に電撃を浴びせる非致死性の銃だ。

 深月がすぐ駆け付けるのは想定内だったのだろう。少女は特に驚くでもなく振り返る。

 二人を抱えた男は少女の後方に下がり、もう一人の男は銃を手にしていた。こちらの銃は実弾が装填された拳銃だ。

「二人を解放しなさい」

「無駄だとわかってて言うのって、馬鹿らしくならない?」

 自身の優位を確信している少女は、挑発とも取れる笑みを浮かべる。

 最初の夜、一瞬で仲間を制圧した深月の戦闘能力は知っているだろうが、龍二の身柄を確保している今ならば、恐れる必要はない。

 ここにうてながいればまた違ってくるが、応援には来ないと知っているかのように余裕を見せる。

 深月もその事に気づいているのか、迂闊に動こうとはしない。

 手持ちの電気銃だけでは、この状況と打開できないと判断していた。

 戦闘用のスーツといくらかの装備があれば一人でも打開できるのに、と小さく舌打ちをする。

 通常通りであれば、あと数分程度で休息を終えたうてなが近隣のビルから監視し始める時間になる。

 気まぐれで数分早く配置につく事もあるが、どうやら今日はその日ではないらしい。

 この状況になっても連絡をよこさず、事態に介入もしてこないとなると援護は期待できない。

 あと数分、相手をこの場に足止めするのも困難だろう。

 そもそも、うてなの身に何かが起きている可能性もある。深月にとって困難な問題であっても、うてななら難なく突破するだろうが、それでもいくらかの時間はかかる。

 そのいくらかの時間が、今は重要だ。

 動くのなら、最悪を想定しなくてはならない。

「言っておくけど、そこから動かない事ね。爆弾があといくつ設置してあるか、確かめたいとは思わないでしょ?」

 勝ち誇る少女の手に握られているのは、起爆スイッチだ。

 深月にも見えるよう、ひらひらと掲げて見せる。

 電気銃で撃ち落としてやろうという考えを、理性で押し殺す。

 誤作動で起爆されては困るし、予備のスイッチがないとも限らない。そもそも、あれが本物の起爆スイッチかどうかもわからないのだ。

「こっちだってね、無駄にちょっかいかけてたわけじゃないの。無関係な人間を巻き込むのは、そっちも望んではいないでしょ? なら大人しく、私たちを見逃しなさい」

 誘拐犯の少女はそう言って、背後の男に行けと合図を送る。

 咄嗟に踏み出そうとする深月に、起爆スイッチを再度掲げる。

 踏み止まった深月は、電気銃を向けたまま歯軋りし、少女を睨みつける。

「怖い顔しないで。大丈夫よ、起爆できる距離は限られてるから、心配せず見逃して」

 つまり、安全圏まで逃げ切れば、校内の爆弾を起爆する事はできないという事だ。

 その限られている距離がどれほどなのか、今は少女にしかわからない。

 龍二が連れ去られるのを見逃せば、少なくとも校内に残っている生徒や教師の安全は保障される。

 いくら龍二を守るのが任務とは言え、危険に晒される人数が釣り合わない。

 本部もそれを良しとはしないだろう。

 今は見逃し、後から龍二を救出するのが最善だ。

 恐らく、この条件を聞けば龍二も賛同するだろう。

 周囲の人間が傷つく事を、彼は嫌がっていた。

 ならば、選択肢は一つだった。

「そうそう。しばらくはそのままジッとしてなさい」

 深月が電気銃を下ろすのを見た少女は、満足げに頷いて遠ざかっていく。

「あ、言い忘れてた。この男が家族ごっこしてるあの一家が大切なら、あと一時間はそこに突っ立ってる事ね」

 嘲りの言葉を残し、少女の姿が見えなくなる。

 安藤家の人々に監視をつけているという事だろう。自身の安全が確保されるまでの保険というわけだ。

 深月は拳を握り締め、歯を食いしばる。

 失態を悔やんでいる場合ではない。

 深月はその場に膝をつき、呼吸を整える。

 まだ万全とは言えないが、幸いにも動くなと言われている。

 この時間を無駄にしないよう、龍二を取り戻す算段を巡らせる。

 が、次の瞬間、保健室の中から爆発音と共に衝撃波が襲い掛かって来た。

 少女が龍二を確保した際、護衛の深月が来るのを見越して用意しておいた爆弾だ。

 動くなと指示をしておいて、ある程度離れたところで起爆したのだ。

 完全な不意打ちに深月はなすすべなく、爆風に吹き飛ばされる。

 硬い地面に受け身も取れずに転がり、深月は気を失った。

 その身体を打つように、鉛色の空から雨がぽつりぽつりと降り始めた。


 次に深月が目を覚ました場所は、バンタイプの車の中だった。

 強烈な刺激臭を振り払うように、深月は頭を振って身体を起こす。

「気分はどう?」

「最悪よ」

 ぶっきらぼうに深月は答え、差し出されたペットボトルを受け取り、一気に半分ほど飲み干す。

 身体の調子を確かめるように動かしながら、対面に座っているうてなを見る。

「状況はなんとなくわかってるけど、一応確認。さらわれたのはあいつだけ?」

「いえ、逢沢くのりも一緒に連れて行かれたわ」

「人質ありって事か。手間が増えるなぁ」

 愚痴のようにこぼしつつも、うてなに不安や緊張は見られない。人質がいようとなんとかできるという自信があるからだ。

「油断して怪我、しないでね」

 無駄と知りつつも釘を刺すが、うてなは自信満々に笑みを浮かべて見せるだけだ。

 その絶対の自信と、それを裏付ける確かな力を持つうてなを、深月は少し羨ましく思っていた。

 間違っても本人に伝えるつもりはないが。

「状況の説明をお願い」

 車の後部に設置された箱から薬を取り出し、口に含んで水で流し込む。

 保健室で使用した薬の効果が時間をおいて十分に発揮され、大分いつも通りの調子を取り戻せているが、一刻を争う今は、可能な限り万全を期しておきたい。

 短時間に摂取しすぎるのは良くないとわかっているが、深月はリスクを負った。

 理由はどうあれ、結果的に龍二を拘束されてしまったのは、深月のミスだ。

 彼を無事救出する事だけが、そのミスを取り戻す手段だと考えていた。

「私が到着したのはたぶん、久良屋が吹っ飛ばされてから数分後だと思う。学校から煙が上がってるのは確認できてたから、そっちに連絡入れたんだけど繋がらなくて。本部に応援を要請して、駆け付けたら外で久良屋が気絶してたってわけ」

「私からの要請は届いてなかった?」

「なにも。本部も爆発騒ぎが起きるまで知らなかったみたい」

「こっちのシステムに入り込んでいたという事ね」

「つまり、内部に裏切り者がいるって事?」

「でしょうね。そう思って調べてはいたんだけど……その情報はまた、本部からの連絡待ちね」

 深月は端末を操作し、自身が得た情報と推測を本部に送る。

 誘拐の主犯と思しき少女の正体は、じき判明するだろう。

「追跡は?」

「随分と距離を稼がれたみたいで、まだなんとも。今は近くの駐車場で待機してる感じだね。私はほら、考える担当じゃないから。久良屋を叩き起こすのを優先したの」

「いい判断ね」

 単純な監視任務なら問題はないが、追跡や分析といった類のものはうてなが苦手とする分野だ。

 機械が苦手という事はなく、むしろよく利用していると言ってもいい。暇な時などは、よくゲームに興じているほどだ。

 単純に、複雑な事を考えるのが嫌いなだけだ。

「現場は確認した?」

「そっちは処理班の人たちがやってる。恐らくだけど、あの場で携帯や時計を捨てたって事はなさそう」

「なら、探せるわね」

 深月は早速、車内に搭載されているパソコンを立ち上げる。

 龍二がつけている腕時計の追跡装置が本領を発揮する時だ。

 深月の端末と一定以上の距離が空いた場合、追跡用の電波が携帯電話の基地局へと発信される。

 龍二の携帯電話は破壊されるか、どこかに投棄される可能性が高いが、腕時計にまで気が回らない可能性があった。

 内部に裏切り者がいるとしても、あの腕時計は開発部が試作したばかりの一品物だ。誘拐犯が知らない可能性が高い。

 事実、不正な手順で腕時計を外そうとした形跡はない。破壊された場合も、同様に通知が届く。それがないという事は、腕時計は今も龍二がつけているという証明だった。

 同時に、龍二が生きている証明でもある。

 この数日、相手もこちらを監視して策を練っていたようだが、監視する対象が深月に集中していたのだろう。

 龍二の腕時計が特注品であると気づかず、そのままにしてあると考えられる。

 護衛として目立ちすぎる立ち居振る舞いをしていた効果があったのだ。

 深月が気絶している間に、一時間以上経過している。

 校舎内でさらに爆発する可能性はないと考えていいだろう。処理の方も、専門の班がやってくれる。

「家族の護衛……特に、安藤奏の身柄は?」

「そっちは手を回しておいた。大丈夫」

「そう。母親と父親の方は……」

「父親も無事。母親の方は、出かける時に変なのがいたから、潰しておいた」

 自慢げに拳を握って見せるうてなを、深月は一瞥するだけで、特にコメントはしなかった。

「気付かれていないのなら、そっちの対応は後に回しましょう。無用な心配は、可能な限りさせたくないし」

「さっさと連れ戻せば、ちょっと晩御飯に遅れるだけで済むしねぇ」

 そこまで簡単な話ではないが、それくらいの気持ちが今は必要なのかもしれないと深月は思う。

 うてなほどの絶対的な力はなくとも、強い意志を持つ事はできる。

「えぇ、すぐ救出すれば、何も問題ないわね」

 だからこそ、あえて言葉にした。

「そうそう」

 珍しく同調する深月の発言に気をよくしたうてなが、楽しげに口角を上げる。

「捉えた。ここから車で一時間ってところかしら」

「へぇ、意外と近いんだ」

「相手の事情はどうでもいいわ。すぐに出るわよ」

「わかってるって」

 そう言ってうてなは、当たり前のように運転席に座ってエンジンをかける。

「待ちなさい。運転なら、担当の人がいるでしょう?」

「あぁ、大変そうだったんで、現場の方に行ってもらった」

「そんな勝手な事を……すぐ代わりの運転手を用意してもらうわ」

「時間が勿体ないでしょ。大丈夫、ゲームで鍛えてるから」

「余計不安になる情報ね」

 すでにその気になっているうてなを説得するのは時間の無駄だと、深月は潔く諦める。

 無免許運転だという事にも、目をつむる事にした。

「作戦用のスーツは?」

 深月が制服なのは当然として、くのりもいつもと同じ、動きやすさしか考えていない普段着のままだ。

「いや、持って来てないけど? 取りに行く?」

「……一分一秒が惜しいわ。このまま行きましょう。事故だけは起こさないでね」

「余裕余裕」

 意外にも常識的にシートベルトを締めたうてなは、軽く唇を舌で濡らし、アクセルを踏み込んだ。

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