第三十話
「彼は、ニグと呼ばれていました。愛称だと思っていただければ結構です」
「それで、発見者にニグと名乗ったという事でしょうか」
「そうだと思います」
「どこから来たのかという問いに、ムワイ・ンゲンギさんは『博士のところから来た』と答えたそうですが、この『博士』とは大豆生田博士のことでしょうか」
「恐らくそうだと思います」
「SNSではこちらの研究所で生物兵器を作っているという噂が流れていますが、それについてはどうですか」
すかさず小豆澤が割り込んだ。これ以上大豆生田に話させるのは危険だと判断したのだろう。
「それは無いですね、そんなものは作っていません」
「今は大豆生田博士にお尋ねしています。博士、お願いします」
苦虫を噛み潰したような顔で小豆澤が椅子の背もたれに体を預けると、大豆生田が一呼吸おいてから口を開いた。
「生物兵器などという物騒なものは頼まれても作りません。私が拒否します」
「それをムワイ・ンゲンギ氏が作っていて心を病んだという事はありませんか」
「彼はそんなものは作らない。そもそもこの研究所ではそんなものは作れと言われても断固拒否します。我々のもとにその話が下りてくる前に、所長が拒否するはずです」
「では、博士は普段は何を研究されているんですか」
「単なるクローン技術と遺伝子組み換え技術を使った研究です」
「その技術で主に何を作っているのですか」
「それは所長の私がお答えします」
「今は大豆生田博士に質問しているんです!」
大豆生田に話をさせたい人間と、彼に口を開かせたくない人間の凄まじいぶつかりあいに、宇佐美は気圧された。
相変わらずピリピリとしている遠藤と、静かに反撃のチャンスを伺っている小豆澤の間で、ひょろりとした風貌の大豆生田は何もかもがゆっくりだ。口を開くのにも熟考の後に声を出し、顔を上げるにも老人のように時間をかける。言葉を発する前に必ず一呼吸置く。
これは普段からそういう人なのか、それともここでマズいことを言ってしまわないためにそうしているのか。
「ホームページはご覧になりましたか。私は遺伝子組み換えが専門なので、花粉の少ない杉などの他に、ウィルスに強いニワトリなどの開発を行っています」
「深海魚を浅海で養殖するための技術は遺伝子組み換えによるものですか」
「はい、そうです」
「具体的には?」
「キンメダイと、主にスズキ目の魚の遺伝子を掛け合わせていますが、イサキ科などに比べ、ニベ科やフエダイ科の方が数百メートル級の深海までの広い行動範囲を持つ種が多いので注目度は高いですね」
それまで慎重だった大豆生田が滑らかに喋り始めた。根っからの学者なのだろう。絶対に悪人になれないタイプだな、と宇佐美は彼を少し不憫に思った。
「キンメダイとフエダイですか」
「はい」
小豆澤が不安気に大豆生田を横目で見上げる。恐らく大豆生田が喋りすぎたのだろう。遠藤の方も眉間に皺を寄せたまま微動だにしない。
「全く似ても似つかない魚ですが、上手く交配できるものなのですか」
「物理的な交尾によるものではありませんから。そこは遺伝子の組み換えですから、ある意味どんな種であっても可能です」
遠藤が「博士」と小さく声をかけた。致命的なミスを犯した瞬間だった。
「つまり、ライガーのような生き物を、直接的な交尾無しで作ることができる、そういう事ですね」
「そうです」
「その気になれば哺乳類同士でなくても?」
「理論上は可能です」
「実験としてやってみたことは?」
「あります」
「大豆生田君――」
「成功した個体はありますか」
「あります」
「大豆生田君!」
小豆澤の二度目の制止で、大豆生田はやっと我に返った。
「所長にお尋ねしますが、何故この技術が成功していることを公になさらなかったのですか」
「成功と言っても厳密に成功とは言い切れないからですね」
「どういう意味で?」
「まだその危険性が確認されていないので人前に出せるものではありません」
「危険なんですか?」
「ですから、それはまだわかりません」
「大豆生田博士に同じ質問を。その個体は危険ですか?」
本当に聞きたいことは大豆生田に問う。マスコミは崩しどころを心得ている。
「一部に……危険なものもあります」
マスコミが一様にざわついた。フラッシュが一斉に焚かれ、大豆生田の顔が立て続けに明るく光る。宇佐美は無意識に半分浮きかかった腰を静かに戻した。
「今までそれが原因で事故などは起こらなかったのですか」
「大きな事故はとくにありません」
「博士の怪我はその時のものでは?」
すかさず遠藤が体を前のめりにして記者たちを睨む。
「そういった個人的なご質問は博士の個人情報になりますのでお控えください」
「博士にお聞きしています。大豆生田博士、お答え願います」
「博士の体に障りますので、そろそろ私と小豆澤所長だけでお答えしたいのですが」
「大豆生田博士に話させたくない理由でもおありですか」
「病人に無理をさせるのがマスコミのやり方ですか」
「隠しておきたいことがあると受け取ってよろしいですか」
えげつないやり方だ。だが、こうでもしないと上手く丸め込まれてしまうのは目に見えている。遠藤はきっぱりと拒絶するし、小豆澤は言葉巧みに躱してくる。
この二人を落とすのはマスコミには無理だ。
「大豆生田博士、その怪我は何が原因ですか」
「実験用器材が倒れて、その下敷きになりました」
「何故機材が倒れたのですか。ここ最近、地震もありませんでしたし、安全基準が満たされていない機材だったという事ですか」
「ヒトがぶつかりまして」
「人がぶつかった程度で倒れるというのは、安全基準を満たしていないのでは? どちらのメーカーの機械ですか」
「ぶつかったのは人間ではありません。ヒトです」
「会見を終了します!」
遠藤が問答無用で遮った。
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