第二十八話
宇佐美はステアリングを雪にとられながらも必死に話を続けた。
「もしもそうならね、ヴェルって言ったっけ、双子の子、その子も創られた子ということにならないかな?」
「ニグもだと思います」
「ニグ? ムワイ・ンゲンギさん?」
「ムワイ・ンゲンギという人がこの世にいるのなら」
沙耶は大袈裟に溜息をついてみせた。そんな人間は誰かが適当に作ったのだ。
「発見者のお爺ちゃん、ムワイ・ンゲンギさんが異常に毛深くて首までわさわさと毛が生えてたって言ってましたよね? ホモ・エレクトスですらない。アウストラロピテクスのような感じじゃないですか。でもニグの知能は現代のヒトと同レベルでした。つまり、現代のヒトの遺伝子に何かの霊長類を掛け合わせたんじゃないかと思うんです。父にはそれができる」
「なんてこった……俺の空想より現実の方が先に行ってる」
宇佐美は片手で顔を撫で下ろした。掌もそうだが、顔も変な汗をかいていた。
「もしも彼の遺伝子が操作されているのなら、それより後に生まれているヴェル、ソイ、ケニャンは当然何かしらの手が加えられている筈です。メラはそれより前なのでなんとも言えませんけど」
「君は彼らとずっと一緒に居て、何も感じなかったの? 違和感とか」
「あたしがあそこに出入りしていたのは三年生までなので、一番大きいメラですら五年生ってところです。まだ第二次性徴が見られない。ニグだって首に毛なんて生えてなかった。あの頃はみんな普通の黒人と普通のアルビノでした」
日本に住んでいて『普通の黒人』というのも不思議な話だ、増して『普通のアルビノ』というのもどうなのだろうかと宇佐美は首をひねった。
「まあ、黒人三人にアルビノ二人、そこに白人ハーフの沙耶ちゃんだもんな、もはや何が普通なのかわからなくなってきたな。日本なのに黄色人種の子供がいないという……」
「言われてみればそうですね」
「沙耶ちゃんのお母さんはどこの人?」
沙耶はハッとした。そういえば母の出身地を知らない。母のことを聞くと父は決まって悲しげな顔を見せるので、いつしか母のことを聞かなくなったのだ。
「母のことはわかりません」
「お母さん、もしかして科学者だったなんてことは無い?」
「本当に何一つ知らないんです」
宇佐美は最初に沙耶を拾った時から、どこかで見た記憶のある顔だと思っていたのだが、それがふと脳裏に蘇って来たのだ。
「国立遺伝学研究所のホームページ、見たことあるよね?」
「もちろんです」
「ジェニファー・グリーンっていう科学者が載ってるのは知ってる?」
「はい。一度も会ったことが無いので、あたしが物心つく前に辞めた方なんじゃないかな」
「この人、お母さんって事ないよね?」
「はい?」
「いや、このジェニファー・グリーンって人に、沙耶ちゃんがよく似てるなと思ったもんだからさ」
似ている? ジェニファー・グリーンに?
沙耶はスマートフォンを取り出すとホームページにアクセスした。いつものようにスタッフ紹介のところに父が真顔でこちらを見ている。その下で爽やかに微笑んでいるのが遠藤、それよりさらに下で満面の笑顔をこちらに向けている四十代くらいの女性、ジェニファー・グリーン。
「似てますか?」
「さっき君を拾った時、誰かに似てるなと思ってね。今それがジェニファー・グリーンだって気づいたもんだから」
「この写真だと、確かに父と同い年くらいですね。ちょっと待ってください、検索してみます」
車を慎重に操る宇佐美の隣で、沙耶がスマートフォンをタップする。
しばらく格闘していた彼女の口から「ああ、これはない」というよくわからない報告が飛び出した。
「宇佐美さん、ジェニファー・グリーンさんはあたしが生まれる数年前に亡くなってますね。ありえません」
「亡くなってる?」
「父よりも十六歳も年上みたいです。あれは生前の写真ですね」
生きていればもうすぐ還暦といったところか。十六歳も年上の女性と恋に落ちるのは考えにくいが、無いとは言い切れない。だが、沙耶が生まれる数年前に亡くなっている人が大豆生田との間に子供をもうけるのは百パーセント不可能だ。
「まあ日本人から見たらハーフとか黒人とか、みんな同じように見えちゃうからね。お母さんは白人さんだろ?」
「それは間違いないと思います。あたし、こんな顔だし。多分母の遺伝子が強く出たんでしょうね。父に似なくて良かった。あんまりイケてないし」
「むしろお父さんには全然似てないね」
宇佐美の言葉に、沙耶は噴き出した。それまでの緊張感がいっぺんに吹き飛んだ。父には申し訳ないが、彼との距離が急に縮まったように沙耶は感じた。
「見えて来たよ、研究所。これからどうするの?」
「あたしはソイのところへ行きます。宇佐美さんは?」
「俺はマスコミに紛れて様子を見るよ」
駐車場のなるべく隅に車を停めると、沙耶にとって見慣れた正門が迎えてくれているように見える。
門にはエンドウマメの莢にDNAの二重螺旋が収まったマークと共に『国立遺伝学研究所』のロゴが入っている。
「君はどこから入るの?」
「非常階段を使おうかと思ってます。見えますか、建物の右の端、研究棟と管理棟を繋ぐ角。あれ、単なる二重螺旋のオブジェじゃないんですよ、螺旋階段と非常用滑り台がセットになってるんです。あれが対角線の位置にもあって、実験棟と病棟を繋ぐ角にもあるんです。そっちの方まで回って、そこから二階に行って窓を叩けば、ソイが気付いてくれると思います」
「了解、じゃ」
「待って」
沙耶に服を掴まれて、宇佐美は立ち止まった。女の子にこんなふうにされるのも悪くない、などと場違いな感想を持った自分に内心苦笑した。
「連絡先、交換しませんか?」
「それは俺としてもありがたい。今後取材依頼と称してデートできるかな?」
「デートと称して取材依頼なら」
喋りながらも素早くお互いのアドレスを交換した。沙耶のスマートフォンに、父以外の大人の男性が登録されたのは初めてだった。もちろん、宇佐美のそれにも初めて登録される女子中学生だったのだが。
「それじゃ、気を付けてね」
「はい、宇佐美さんも。ありがとうございました。お仕事頑張ってください」
二人は音を立てないように静かに車を降りた。
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