第二十一話
沙耶は雪に足を取られながら病院までの道を急いでいた。テレビでニュースを見ていたら、研究所にマスコミが集まっていたのだ。
とにかく父に話を聞かないといけない。昨日言っていた話の意味を正確に伝えて貰いたい、その一心だった。
病室へ入ると、遠藤が彼女を出迎えた。父は奥でワイシャツに着替えていた。
「お父さん、どうしたのその恰好」
「ああ、外出許可を貰ってね」
「そんなことは見ればわかるよ、そうじゃなくて、どこへ行く気なの?」
「もちろん研究所だよ」
――今、このタイミングで研究所?
「何しに行くの? まさかと思うけど、お父さんが会見するんじゃないよね?」
「状況次第かな」
沙耶の心配をよそに、大豆生田は動かせる右手だけで器用にワイシャツのボタンを留めて行く。
「バカなこと言わないで! 遠藤さんもなんとか言ってよ、お父さんがそんなことできる体じゃないことは遠藤さんだって知ってるでしょ?」
「無理はさせません。会見を早く終わらせるためにも博士は必要です」
「そんな!」
「怪我人が会見やってたら記者もある程度遠慮するだろうし、早く切り上げることもできるだろう? だから私が行った方がいいんだよ」
つまり、所長命令で遠藤は大豆生田を迎えに来たということらしい。
要は組織ぐるみなのだ。彼女が意見を述べたところで、その決定が変わるものではない。
こんな時、子供は全く無力なのだ。いや、それは遠藤や大豆生田も同じだろう。
「ねえ、SNSで騒がれていることはほんとなの?」
「SNS? どんなことだい?」
「国立遺伝学研究所で生物兵器を作ってるって」
「そんなわけないだろう? お父さんが兵器を作ると思うかい?」
「だよね、じゃあ何も心配する事は無いんだよね?」
「もちろんだよ。沙耶はお家に帰りなさい」
なおも食い下がろうとする沙耶に、遠藤が宥めるような口調で割って入った。
「ここからは私が責任持って博士を研究所にお連れして、終わり次第こちらに送り届けますから。戻ったらちゃんと沙耶ちゃんに連絡入れますから心配しないで。沙耶ちゃんはご自宅に戻ってください」
「あたしも行きます。ソイに会いたい」
「今は我慢してください」
「ソイは無事なの?」
「今のところ」
今のところとはどういう意味なのだろうか。
「ねえ、お願い、遠藤さん。あたしも連れてってください。どうしてもソイに会いたいの」
「ダメです、危険すぎます」
「大丈夫、マスコミには近づかない、自分の身は自分で守るから」
「危険なのはマスコミじゃないんです」
「じゃあ何が危険なのよ」
「研究所が危険なんです。沙耶ちゃんを連れて行くわけにはいきません」
「じゃあなおさら行かなくちゃ。そんな危険なところにソイを置いておけない。ソイを連れ出さなくちゃ」
「危険なのは、ソイ本人なんです!」
遠藤の言葉に、沙耶の思考は完全停止した。大豆生田は遠藤を制止して父の顔に戻った。
「沙耶、ソイはもう沙耶の知っているソイではないんだよ。わかったらこのまま家に帰りなさい。お父さんのことは心配いらないから。病院に戻ったら連絡するからね。家から出てはいけないよ」
――ソイ本人が危険……もう自分の知っているソイではない、どういうことなのか、意味がわからない。
「まさか、ソイも暴走してしまうの? ケニャンのように?」
呆然としたままボソリと言った言葉は、二人の研究者の顔色を一瞬にして青ざめさせるだけの効果があった。
「ソイも発作的に暴走して、誰かに危害を加えるの? ソイも殺処分になるの? ソイも薬で安楽死させられ――」
「沙耶! それ以上はお父さんが許さない」
遠藤が俯いて唇を嚙む。
「なんでよ。ケニャンはそうして死んでしまったんでしょ? そうでしょ遠藤さん?」
「沙耶、黙りなさい」
「遠藤さん、なんとか言って! ケニャンに薬を注射したのは遠藤さんなんでしょう!」
ぴしゃりと頬を打たれ、沙耶は病室の床に倒れ伏した。遠藤がすかさず沙耶を抱き起こす。
「博士、いけません。沙耶ちゃんの言っていることは間違っていない」
「沙耶、言っていい事といけない事がある。遠藤君に謝りなさい」
遠藤の腕を振りほどいて、彼女は立ち上がった。
「遠藤さんはお父さんの代わりにその役を引き受けたんでしょう? お父さん、遠藤さんにその役をやらせてしまったのは事実なんでしょう? それなら学者としてきちんと受け止めるべきだよ! あたしにはその覚悟がある、もしもソイにそれが必要になったら、あたしがその薬を注射する覚悟がある!」
「沙耶ちゃん」
「だからちゃんと話してよ、あたしはケニャンの遺書を見たの、誤魔化せないよ。ソイにそんな思いをさせるくらいなら、あたしがソイに薬を打って、あたしも一緒に死ぬ!」
一気に捲し立てた彼女に、二人の科学者は言葉を失った。
「沙耶ちゃん、もしかして君は……」
呆然と言葉を発する遠藤に、大豆生田が何かを察して「遠藤君」と制止する。が、遠藤は止まらない。
「君は、研究者としてではなく、一人の人間として……」
「ダメだ、遠藤君、聞いてはいけない」
「君は、ソイ君の事が好きなのかい?」
「やめろ、やめろ、やめろ」
「好きなんだね?」
沙耶は顔を上げてきっぱりと言った。
「ソイのことが好きだよ。誰よりも。ソイのためなら悪魔にだってなれる」
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