五章

第49話 境の神 一

 竜宮から帰って二日後のこと。

 あまり鳴らない祖父母宅の電話が鳴った。


「しばらく日中忙しいぃ? じゃあなにか、不参加ゆうことか、おい」


 廊下の電話口で声を張る尋巳を、夏子、孝介、晴真に直の四人は、居間から覗き見ていた。

 電話の相手は、終業式以来姿を見ない嶋である。



 なんや、また缶詰か? …………はぁ? 飯は食いにくる? おーおー、ええ度胸やないか、ああん?



 受話器に喧嘩腰ですごむ尋巳をほったらかし、直たちは居間に引っ込んだ。

 それぞれ座卓の茶請けに手を伸ばして、もぐもぐと喋り出す。


「先生忙しいんやなぁ。 折角夏休みなんに、大変やね」

「夏休みやから忙しいんちゃう? 休み入っても、尋巳みたいに授業もあるんやし」

「あの先生なら、授業終わりも研究で忙しいんやろうしね」

「先生なんか好きなことして生きてると思うてたけど、やっぱり『社会人』って大変なんやなぁ~」


 好き勝手に言い合っていると、廊下から受話器を置く音がして、どたどたと足音が戻ってくる。


「いかん、足が無くのうなったわ。 嶋の奴、急な仕事が入ったとかぬかしよった」


 どかっと座り込み、菓子に手を伸ばしながら尋巳がぼやく。

 今度の調査地は、今までで一番遠い。

 未成年の直たちにとっては、移動するのも難しい距離だ。

 しかし、ここまで来て行かないという選択肢があるわけがない。


「じゃあ、どうする? ウチらだけで行く?」

「それしかないやろ。 次んとこは向こうの市内から近いし、電車で行ったらバスでもタクシーでも、なんでもあるやろ」

「じゃあ、時間と乗り換え調べとかんとやね」


 早速スマホを操作して、夏子は電車について調べだす。

 その横で、直は尋巳に話を振った。


「でも、夏ちゃんは部活やし、尋兄はしばらく夏期補習やろ? 朝から行かんと、向こうで探す時間無いと思うし…… ウチだけで行ってこようか?」


 直の学校では、受験生は夏休みの頭と最後に補習が一週間ずつ課せられる。

 補習は一日三限で午前中には終了するが、それから出発したのでは紋様を探すのに十分な時間は取れないだろう。

 直の提案を聞いて、尋巳はふむと頬杖をつく。


「電車で行くんなら、僕一緒に行くん無理? お金かかる?」

「ううん、そうなぁ……」


 座卓に身を乗り出して聞いてくる孝介に、直は難しい顔をして頭を掻く。

 移動距離を考えると、ちょっとした小旅行になるだろう。

 となると、孝介を連れて歩くのに、簡単にうんとは言いづらい。

 連れていけないこともないだろうが、車と比べると面倒事だと思うのも確かだ。

 それを言うのはあんまりだろうかと、直が腕組みして唸っていると、


「夏子さん、洗濯もの、畳み終わりました」

「え? わ! ごめんなさい、全部やってくれたんですか」

「大丈夫ですよ。 仕舞うのはよく分かりませんので、あとは、お願いします」 


 座卓のそばで黙々と洗濯物を畳んでいた文都甲が、美しいほほえみと共に夏子に整頓された布の束を差し出した。

 慌てた夏子は、スマホを放り出してそれを受け取ろうとする。


「ありがとうございます、助かりました」

「いえ、日頃お世話になっているのです。 これくらいやりますとも」


 穏やかに言い合う二人。

 何気ない一幕だったが――――手渡そうとした布の下で、双方の指先が一瞬触れあう。

 そのとき、




 ――――キンッ


「きゃっ」

「わっ」




 突然、金属のぶつかり合うような高い音と共に、夏子の胸元から鋭い光が弾けた。

 あまりの眩しさに、近づいていた二人は目を覆ってぱっと離れる。

 その動きに合わせて、夏子の服のすそから何かがころころと転がり落ちた。


「え? え?」

「何? なんなん?」


 眩しい光に目を瞬かせる直と孝介。

 同じく目をかばっていた晴真が、「夏姉ちゃん、何か落ちたよ」と座卓の下を覗き込んだ。


「あ、」


 短く声を漏らして、晴真は『何か』に手を伸ばした。

 天板の下に屈みこんでいた体を起こすと、握っていた掌を開く。


「「「「「 あ、 」」」」」


 小さい手に、全員が注目する。

 そこに乗っていたのは、月のように白く輝く、大粒の真珠だった。


「考と一緒の……」

「家一軒分の……」

「……『月の真珠』です」


 晴真が真珠の乗った手を、夏子に差し出す。

 パチパチと瞬きした夏子は、そっとそれを指先で摘んだ。

 真珠は照明に照らされ、七色に輝いている。


「これってつまり…… あたしと文都甲さんは、術が落ち着いたゆう事よね? もう距離の制約も、ハンデも、ない?」

「はい、その証明がこれですから」


 術の成熟をもって変化する、荒渦の玉。

 半欠けの石は満ちるとともに、満月のような真珠へと姿を変える。

 夏子は自分の月を目の前で眺め、ほうと息を吐いた。


「うーん、そっか、」

「? どうかしたん、夏ちゃん?」

「あ、いや、なんとなく…… これって、喜んでいいええことなんかどうか、分からんくてね」


 寂しそうな顔で笑う夏子に、晴真と孝介は首を傾げている。

 直は従姉あねの意図するところを察して、自分の勾玉を服の上から押さえた。

 術が成熟を迎えるということは、それが解ける刻限が迫っているということだ。

 

 それは、潮守たちとの別れを意味する。


「(もうすぐか……)」


 もうすぐ自分の石も、変化する時がくる。

 それを過ぎれば、次は――――


 直はぎゅっと空色の石を握る。

 その手の下で、一つの臓器が微かに震えたような気がした。




***




「――――っああ! しんどッ」


 全身に汗をかきながら、直は稽古場の床に大の字で倒れこんだ。

 風通りの少ない屋内はひどく暑いし、手足はじんじん、関節はぎしぎしと悲鳴を上げている。

 熱くなった体を冷やすには、床板では物足りない。


「今日はもう終いか? 一週間切っとんぞ。 寝っ転がっとっていいええんか」


 夕食後の稽古場で自身も汗を流しながら、尋巳が仁王立ちで直を見下ろす。

 海での練習が功を奏して、最近になって直も一通り神楽を踊りきれるようになった。

 今は尋巳と二人、本番通りの演技を練習している。

 しかしこれがまた難しく、上手くタイミングを合わせたり、舞としての美しい所作に気を付けたりと、乗り越えねばならない課題はまだまだあった。

 直は体を起こし、立膝をついて息を整える。


「中盤の交差、まだ下手したらぶつかりそうやわ。 も一回そこ、やらしてくれん?」

「それと最後のやつ、タイミング合わせんと見栄えが悪い。 そこもやるぞ」


 じっと見合って、それから二人、ふっと笑った。

 立ち上がった直は滴る汗をぐいと拭い、ぐっぐっと屈伸をする。

 大丈夫、まだやれる。

 ケガだけはしないよう、自制もある。

 脱いでいた半面を結び直し、尋巳と二人、向かい合って最初の構えをとる。


「じゃあ、ええかいの?」


 準備をした二人に向かって、壁際で鼓を持った浮子星が合図を送る。

 それに無言で頷いて、拍子を取る音を待った。

 


 ――――ポーン、ポーン、



 浮子星の手の中で、リズムが始まる。

 尋巳を真似て鼓を打ちながら、隣の八景に、浮子星は心配そうに呟いた。

 

「……じゃが、心配なわ。  時間がないとはいえ、二人共打ち込みすぎだ。 もう少し、休み休みやっても良かろうに」


 海での練習という突破口が開けてからというもの、二人は完成目指して一心不乱に練習している。

 最後まで届きそうだという確信に満ちた顔つきは心強く思うが、一方で無理をし過ぎていないかと心配になるのだ。

 傍で見ている身としては、どうしても後者が心を占める。

 案じる顔つきの浮子星を横で見ていた八景は、ハンと鼻を鳴らすと、腕組みをして正面を見据えた。


「お前は心配し過ぎだ。 そう案じたところで、得るものなど何もないぞ」

「だがのぅ……」

「ケガして困るのはあいつら自身だ。 そこは奴らだって重々承知しているだろうよ。 好きにやらせておけ、あいつらの成すべきことだ」


 それは突き放したようでいて、深く信頼を寄せているような口ぶりだった。

 すっきりとした弟分の横顔に、浮子星はぱちりと瞬きする。


「なんじゃあ…… 随分信を寄せとるのう、八景」

「! べ、別に、そんなんじゃない。 単純に、見ていてそう思っただけだ」


 無垢な驚きを乗せた浮子星の視線に、八景はぴしゃりと言ってそっぽを向いた。

 よく見ると、耳の先がほんのりと赤い。

 弟分の初めてみる姿に、浮子星は純粋に驚いて見入った。

 それからゆるゆると笑みを深め、バチを持った手でわしゃわしゃと八景の髪をかきまぜる。


「ぅわ、なんだ!」

「いやぁ? 何でもないわい」


 愉快だと思ったのだ。

 自分と文都甲の他に心赦せる者の無かったお前が、そんなふうに思えるようになって。

 そんなふうに言える相手ができて。


「おい、浮子星! 太鼓止まってんぞ!」

「わはは、スマンスマン! 堪忍してくれぃ」


 尋巳の文句が飛んできても、浮子星は一人大笑する。

 何や? 急に。

 不思議そうに視線を寄こす直と尋巳へ、浮子星は謝りながら太鼓を掲げてみせた。

 「本番の演技が楽しみだと思っただけだよ」と、そう言って。

 そうして再び始まった太鼓の拍子と共に、夏の湿った夜は、静かに更けていくのだった。

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