第47話 海の京 三

 部屋を辞した八景は、急いで磐座の本殿を後にし、黒の大門から街に出た。

 辺りの喧騒けんそうが静まると、直は衣のふところから顔を出して八景にたずねた。


「なぁ、『月若』て誰の事? 杜のってことは、もしかして……文都甲さんのこと?」


 八景の父親だという低い声が、最後に言った言葉。

 その物々しい言い方に、直は引っかかりを感じていた。

 目を離すなと言った相手が文都甲なのだとしたら、八景は仲間である彼を見張っていたということになる。

 一体どんな理由があって、そんな事をする必要ができたのだろう。

 都の外を目指している八景は一瞬難しい顔をして、何事か思案するようにしてから口を開いた。


「そうだ。 『月若』は、水緒之杜次代の長である者の別称だ」

「じゃあ、文都甲さんを見張れって? どういうことなん?」

「事情があるんだ。 ――――簡潔に話すが、ここ竜宮では、杜と磐座は海神様に仕える双璧だ。 杜は神事を司り、磐座は政を司る。 互いに補い、あるときは制し合う」


 互いに力を及ぼし合う水緒ノ杜と臣海磐座。

 それは竜宮の成り立ちの為には、重要な均衡だという。

 そんな中、と八景はため息を吐く。


「実は此度の一件は、初め、杜の方が独断で動いていたものに、磐座が横から介入したという経緯があるんだ。 杜は独自に肝の入手に動いていて、それを嗅ぎ取った上役方が独断専行を阻止するため、実行役に俺と浮子星をねじ込んだのだ」


 水緒ノ杜が用意していた荒渦の玉は三つ。

 そこで作戦に一枚噛むために、杜の者に加えて磐座から一人、京の商業連で杜と繋がりのある者を一人、実行役に据えることを磐座は杜に求めた。

 浮子星は市中の者ではあるが、杜の神事で舞を奉納するという縁があり、杜と磐座、どちらかがが多くならないよう選ばれたのである。


「本来海神様、兄媛様に関わる全ては杜と磐座、双方で共有されて然るべきだ。 それをこそこそと隠れて行おうとしていたところに、磐座の諸兄は不信を抱いている。 結局話は全て共有されて、磐座の方も一件に合意したが…… 杜が全てを話しているという確証はなく、完全に信用しているかと言われるとうと、そうとも言い切れないのが実情なんだ」


 そもそも磐座は生き肝の存在など知らず、兄媛の治癒などという現実的な手立てがあるとは考えていなかったらしい。

 媛は眠りについたままの御人。

 それが磐座と京の一般の者たちの認識。

 何故杜は長い年月、神猿との契約を秘匿してきたのか。

 なにか裏があるのではと勘繰るのも仕方がない話なのだと、八景は説明する。





「……術をウチらにかけたんは、肝をちゃんと生かして取り出すためやったんやね」

「…………すまん」

「あ、ちが…… 責めとんとちゃうから。 ちょっと独り言やけん」


 八景たちが陸に適応するのと、直たちを縛ること。

 その二つが目的だと思っていたが、水映しの術を使ったのには、肝を生かしたまま取り出すという目的もあったのだ。

 そこまで慎重になって、事を運ぼうとしていた文都甲。

 花火の日、優しい笑みで杜のことを語っていた横顔が思い浮かぶ。

 

「八景は…… 文都甲さんを疑ってるん?」

「――――正直分からん。 文都甲の意思とは別に、杜の長たちの意図があるのかもしれん」


 このふた月の間、文都甲がおかしな行動を見せることはなかった。

 元々嘘をつけるような男ではないし、もしついていても見破れるだろうと寂しそうな顔をする。


「俺と文都甲は、幼少の頃からの幼馴染なんだ。 アイツが誰かをたばかるような真似ができる奴だとは思っていない。 もし今回のことで隠し事があるなら、杜の長たちの方だと、俺は思っている」


 静かな声を、直は口を噤んで聞いていた。

 意図の読めない水緒ノ杜方のこと。

 晴真と優しく言葉を交わしていた文都甲の横顔。

 去来するものをじっと見つめながら、八景の顔を見上げていた。

 来たときは見るもの全て目新しく、見物にいとまがなかった竜宮京を見回すこともせず、直は懐に抱かれながら物思いにふけった。

 やがて京を抜け、巡邏の潮守たちが屯する出入り口に近づく。

 通行証を出し、外殻の水壁から外に出ると、深海の闇が二人を迎えてくれた。


 外から見る竜宮は、何度見ても圧倒される。

 中心を漂う光を見つめながら、直はふと湧いてきた疑問を口にした。


「なぁ、水緒之杜って、どこにあるん?」

「磐座の中心を挟んで真反対だ。 ほら、あのあたり」


 八景はそう言って、磐座とは砂時計の中心を挟んで反対側を指し示す。

 外側からは分かりづらいが、その辺りに水緒之杜があるのだろう。


「じゃあ、兄媛さんはどこにいらっしゃるん? 磐座の奥におられたん?」


 病に倒れたまま、長らく眠りについているらしい竜宮の媛君。

 今回の騒動の発端である女性は、どのような人なのだろう。

 直の問いに、八景は「それならほら、あそこだ」と、砂時計の中心を指さした。


「あそこに、宮様の御殿がある。 そこで幾年と知れぬ年月、長い眠りについておられるんだ」


 珊瑚の樹に包まれたそこは、外からは淡い光が漏れていることしか分からない。

 一体どんな人なのだろう。

 一度は陸へ嫁ぎ、ついには縁破れ陸を去った、悲しい姫君。


「どんな人か、見た事ある?」

「……御殿へは、余程の事がなければ入れない。 入れるのも、ほとんどが水緒ノ杜所縁の者だ。 一般の者は――――官職につくものでさえ、媛君のお顔すら拝見したことはないんだ」


 そう。

 静かな横顔を見上げて、直はそっと言った。

 それ以上、続けられる言葉もなかった。


「……どうする? このまま帰る?」


 二人は離れていく竜宮を見送りながら、海中に漂う。

 当初の目的は達成した。

 京も出たことだし、長く海に留まる理由も無い。

 しかし、八景はふっと視線を落すと懐から蛍を呼ぶ巻貝を取り出して言った。


「少し寄り道しても構わないか。 行きたいところがある」




***




 移動前、必要だからと言うので潮守姿になった直に、八景は術具だという長い布のついた紐を結んでくれた。

 自分も同じものを身に着ける八景に直が行き先を問うと、「俺の師に会う」とだけ返された。

 そうして精霊の道を通り二人が移動したのは、深く暗い海底の岩地だった。

 ごつごつというよりは、滑らかな岩肌をした周囲の様子に直が見入っていると、

 

浪師せんせい、いらっしゃいますか? 八景です! 八景が参りました」


 岩が洞穴のようになった入口へ近づき、八景が声を張り上げた。

 潮守の目を通せば自分の周りくらいは明るく見えるが、辺りは深い闇に包まれている。

 その闇よりも一層暗い内部は、近くに寄らないとまるっきり様子がうかがえなかった。

 直が吸盤付きになった足で八景の隣に寄ると、ようやく中の状態が見えるようになる。


「(うわー…… 雑然としとるなぁ)」


 岩屋の中は何か分からない物が乱雑に溢れ、足の踏み場一つ見当たらない。

 その有様はどこか嶋の居城を思い起こされ、こんな所に住む者があるのかと直が訝った、その時。



「ぅわ?!」



 岩屋の奥の闇が、ごそりと大きく動き、砂埃すなぼこりを立てた。

 ゴポゴポと音を立てて辺りに積み上げられた散乱物の山々が崩れ去り、砂煙に周囲一帯がまかれる。

 その向こうで、直はむくりと起き上がる黒い塊があるのを見た。


「ふむ…… 何やら声が…… はて、こんなあばら家に客人とは……」


 もそもそと喋る声がして、岩屋の暗がりに光るものが二つ。

 八景はそこへ向かって、声をかけた。


「浪師、いらっしゃいましたか。 八景です。 久方ぶりに参りました」

「おお…… 八景、八景か。 よう来た、よう来たのう」


 砂の中から、嬉しそうな声が二人を歓迎する。

 砂の固まりを払い落としながら現れたのは、海老えびのような姿の潮守だった。

 洞穴に群れる岩にも似たその大きな図体に、直は呆気にとられて立ち尽くす。


「浪師、また寝食も取らず書を読んでおられたのですか。 あれほど、重々ご自愛くださいと申しましたのに」


 母親のような口ぶりで師の有様をたしなめる八景に、海老の潮守はほっほっと笑って床の上の物を壁際に寄せる。


「ついつい長考に入ってしもうてのう。 わしの悪い癖じゃ。 勘弁してくれ」


 気の良さそうな潮守は、汚い有様だが良いようにしてくれと客人を招き、――――そうして、離れて立つ直に目を止めた。


「して、あのお嬢さんは、何者かの?」


 急に声をかけられ、直はきょどきょどと八景を見る。

 岩屋を片付けていた八景は、


「話せば長いのですが、浪師……」


と、直との全ての経緯を話し始めた。

 長い話になったが、途中、人間だと証明するために直が人に戻ったりすると、師は鷹揚に頷いて物珍しげに直を見つめた。


「おやおや、陸の御嬢さんとは。 また面白げな客人がいらしたものじゃのう」

「……驚かれないんですか?」


 おずおずと聞けば、「この歳になると、多少の事など驚嘆の他なのじゃよ、御嬢さん」と、茶目っ気たっぷりに返される。

 そうしてふふと愉快そうに笑い、老輩は弟子をきらきらとした目で見た。


「わしはまた、八景が嫁子を連れて挨拶回りにでも来たのかと思ったわい」

「なっ!!! 何を世迷言を申されるのですか、浪師?!」


 慌てふためく八景に、師は「本当じゃぞ?」と目を細める。

 ああ、面白がっているのかと察した直は、茶化すように合いの手を入れた。


「世迷言て、失礼やなぁ……」

「じゃのう、こんに愛らしい御嬢さんじゃゆうに……」

「?!」


 二人に揶揄からかわれ、八景は肌を赤黒くして腕をうねらせる。

 その有様を一頻ひとしきり笑い、そろって冗談だと八景をなだめ終えると、そう言えばと老輩が直に向きなおった。


「まだ名前を名乗っておらなんだのう。 わしは瑚亡こぼう。 この海の底で自由気ままに隠居する年寄りじゃよ」

「隠居は合っているが、ただの年寄りではないぞ。 この御方はかつて竜宮にその者ありと謳われた、当代一の賢哲だ」


 誇らしげな八景の言葉に、直は改めて老輩――瑚亡を見る。

 そんな立派な方が、どうしてこんな海の底の粗末な岩屋に暮らしているのだろう。

 顔に出ていたらしいその疑問を汲み取った瑚亡が、巨体を揺らして言った。

 なんてことはない、人の多いのが好かない性質たちなのだと。

 この岩地は静かで心地よいと、岩屋を眺めてみせる。

 

「しかし八景、お主、どうしてこちらに参ったのだ? 話していた通りなら、まだ陸で用があるのだろう」


 このお嬢さんも、早く家に帰してやらないといけないのではないか。

 不思議そうな瑚亡の問いに、八景は躊躇ためらうように視線を落とした。

 確かに、ここに寄りたいと言った理由は、単に師へ挨拶をしたかっただけではあるまい。

 直と瑚亡がじっと見つめると、八景は声を落とし、「実は、」と話し出した。


「浪師に教えて欲しいことがあるのです。此度の一件、出立前にはこちらへうかがえませんでしたから」


 出せるものは無いが、好きに座ってくれという瑚亡に従って、二人は岩屋に腰を落ち着けた。

 座り込んだ八景はぐっと身を乗り出すと、体を折って待つ瑚亡を真っ直ぐに見つめて話し出した。


「聞きたいのは、水緒ノ杜の者たちがどうして『猿の生き肝』を知り、それを宮様に捧げようとしているのか、ということです。 昔学府の中枢にいた浪師なら、何か知っていることがあるのではありませんか?」


 みやこにおいて、学問は水緒之杜が司る領分なのだという。

 過去に瑚亡は、学者として学府でも高い地位にあった。

 必然、水緒ノ杜の長たちとも交流がある。

 だから外部の者が知らない事情も、知っているのではないか。

 そう、八景は考えたらしい。


「この一件に加担してはいますが、私は磐座の上役方から水緒ノ杜方の動向を探るよう命じられてもいます。 なれど、私は文都甲が何か隠し事をしているとも思えない。 だからもし杜の長たちにたばかりがあるのなら、それを知っておきたいのです」


 弟子の頼みに、瑚亡はじっと黙している。

 八景は思いつめた様子で師の言葉を待った。

 直は二人を交互に見て、息を詰める。


「――――そうじゃのぅ…… これも定めやもしれぬ」


 ゆっくりと呟くと、瑚亡は何かを思い出すように遠くを見た。

 思い起こすのは、遠い過去の記憶か。

 全てではないかもしれないがと前置いて、年老いた潮守は静かに話し出した。


「その昔、第六十八代水緒ノ杜・杜長が御世のことだ。 生き肝の妙薬を、我ら潮守が知ったのは」


 数百年前の古物語。

 全ては水緒ノ杜で口伝されてきた話だと、懐かしむように言う。


「当時の杜長見習いである『月若』は、六蓬子りくほうし甲兆きっちょう。 歴代でも最高の流力使いと謳われておった若者じゃ。 妙薬の存在を調べ出したのは甲兆じゃった。 甲兆はとある理由で、兄媛様の病を治そうとしておったのよ」


 理由。

 直と八景は顔を見合わせる。

 それは何かと八景が問うと、瑚亡はそっと頷き、重々しく言った。

 

「甲兆は恋をしたのじゃ」

「「恋?」」


 二人は同時に聞き返す。

 老輩は優しい声音でそうだと答える。


「そう、恋だ。 眠りについた、竜宮の主・《たつの君》にな」

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