第8話 ジェナ

 風が吹き、アイラの髪をなびかせる。ざわめく葉擦れの音に草を踏みしめるジェナの足音が重なる。息を切らせ、瞳を輝かせたジェナはアイラを見上げると開口一番弾んだ声で叫んだ。

「見て見て!ザイロがね、かっこいい石見つけたんだ!」

 突き出してきた両手には、十字の星のような形をした真っ黒な石が大事そうに握られている。光を含んで濡れたように輝く石はずしりと存在感を放っていた。

「ほんとだ、かっこいい……」

 アイラの呟きに、ジェナは誇らしげにふんすと鼻を鳴らす。その隣でザイロが同じく瞳を煌めかせて言った。

『あの森のずっと奥の方、川があってね、そこで見つけたんだ!』

 きゃっきゃっと子供のようにはしゃぐザイロはとても百年の時を生きたように見えない。トロンが困った子だ、とでも言いたげにゆるゆると首を振る。その仕種が歳の離れた弟を見る兄のようで、アイラは思わずジェナに向かって手をのばすと頭を撫でた。

「わ!なに、どうしたの?」

 ジェナは驚いたように肩を震わせ、半歩ほど距離を取って見上げてくる。焦げ茶の瞳がゆらゆらと揺れている。アイラは名残を惜しみながら手を離し、その手を後ろで組んでにっこりと微笑んだ。

「ううん。ジェナ、弟みたいだなって思って」

「……おとうと」

 アイラの言葉に、ジェナは噛み締めるように呟く。しばらくそうして意味を咀嚼するように黙りこんだあと、ジェナはおずおずと尋ねた。

「アイラ、弟ほしかったの?」

「え」

 思いがけない質問に、アイラはぐっと言葉に詰まる。不思議そうな、そしてどこか遠慮がちなジェナの様子からその真意は読み取れない。なんということもない質問だというのに、やけに鼓動が速くなる。

(なんで……。なんて答えたらいいの……?)

 答えに詰まって唸るうちに、ジェナの瞳にふっと陰が差した。何かを諦めたような、暗く濁った眼差し。絶望を煮詰めたようなその色に、アイラは慌てて声をあげた。

「っ、違うの……!ただね、何かに例えるなら弟かなって思っただけで……。別に弟がいたとか欲しかったとか、そんなんじゃなくて……!」

  ――だから、もう一度笑って。

 願いは口に出せないまま、祈るようにジェナを見つめる。淀んだ焦げ茶の瞳がアイラを試すようにすうっと細められる。冷たい風がどっと吹き付ける。どこかで鴉が鳴いた。アイラは震えを押さえつけるように手を握りしめてジェナの視線を受け止める。

 そして。

「……そっか」

 ジェナは、一言そう呟くとぱちりと瞬きした。一瞬でいつもの澄んだ瞳が帰ってくる。ふにゃりとあどけない笑みを浮かべて、ジェナは屈託なく地図を指差した。

「もう行こうよ!次の浄化までに全部片付けないといけないもんね」

 豹変。そこに先程のような負の感情は欠片も見えない。あるのは一人の無邪気な少年の面影だけ。

「……そうだね。行こうか」

 あの絶望はなんだったのか。「弟」という言葉にどんな意味があるのか。もし答えを間違っていたら、ジェナは……そしてアイラは、どうなってしまっていたのか。答えの出ない問いかけが泡のように浮かんでくる。

 ――でも、オルフェ様は悪いものじゃないって言ってた。それに、ナイラ様もジェナと一緒にいていいって……。

 沸き上がる疑問に蓋をして、アイラはゆっくり足を踏み出した。トロンがちらりと心配そうな視線を送ってくる。そういえばトロンは最初からジェナを警戒していた。この不安定さが、読めていたのだろうか。アイラの考えを読んだかのようにトロンが一瞬警戒音を鳴らす。

(一緒にいたいのなら、覚悟を決めなきゃ)

 追放されたから、境遇が似ているから。それだけで一緒に居続けるには無理がある。手放すつもりがないならまずは受け止める覚悟をしなければ。そしてそれは、それでもジェナと友達になりたいアイラの責任だ。


「大丈夫。必ずやり遂げてみせるよ」


 それは誰でもない自分への誓い。それほど大きな声で言ったつもりもなかったのに、ジェナが振り返って頷いた。その隣でザイロも真剣な目をして頷く。

『ずっと、そばにいるから』

 進みだした反逆の道。最初の扉はオルフェの下を離れたあの時に開けた。今、アイラの目の前には二つ目の扉がある。開けてしまえば二度と引き返せない、罪の扉。そこに手をかけ一気に引くように、アイラはミョーに足を踏み入れた。



 大河に潤された村。絶えず潮風に晒されるヴァイと違って、ミョーには豊かな田園風景が広がっている。命の実りは彼らが主神アンジューの恵み。光と喜びにあふれたその村で、一人の女性が三日月の笑みを浮かべた。

「今度こそ、逃がさないわ」

 その手には、水色に輝くクリスタルがしっかりと握られていた――。

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