第21話
遅めの昼食を終えて、大衆食堂を出ようとする直前に、翠子が「果澄、途中まで送るよ」と言ってきた。
大衆食堂を出た翠子が、果澄を連れて向かったのは、すぐそばにある公園だった。住宅街の
「……考えがしっかりされていて、素敵なご両親だと思う。
そこから先は、言葉にできなかった。――珠季の言う通りにしたほうが、いいのではないか。そう確かに思った自分がいるのに、翠子に喫茶店を諦めさせるような
「……先のことを決めるのって、難しい」
「本当に、難しいよね。あたしのことだから、他人事みたいな言い方をしてる場合じゃないんだけどね」
「翠子でも、そんなふうに思うんだ。……喫茶店を続けたいって気持ちが、はっきりしてるのに?」
「うん。思うよ。あたしだって、大人になっても、子どもの頃みたいにね。何かを決断することって、わくわくすることもあるけど、怖いことでもあるから」
「……喫茶店を立ち上げたときも、怖かったの?」
「そんなときも、あったかもね。働くことって、楽しいことばかりじゃないのは事実だし。でも、怖かった記憶よりも、楽しい記憶を大事にしたいって思ってるよ」
そう言って、翠子は空を
「あたし、
「え?」
唐突な
「実家の両親に『帰っておいで』って言ってもらえること。シングルマザーになるあたしを、手助けしてくれる人がいること。生まれてくる子どもと一緒に、生活していける居場所があること……本当に、ものすごく恵まれてると思うんだ。だから、両親から『波打ち際』を諦めるように言われても、それが最善だよねって、あたし自身も思うんだ。
「それでも、否定されたら悲しくない?」
「平気だよ? んー、でも、あたしが平気な理由は、元旦那が関係してるかもね」
「えっ? ……どうして?」
「果澄も、気づいてたんじゃない? うちの両親、あたしに『元旦那と
「……あ」
――確かに、その通りだ。翠子は、瞳に
「シングルで喫茶店を続けていく生き方には、心配を掛けちゃってるけど、シングルで生きていくこと自体には、反対されなかったことが……あたしにはすごく嬉しかったし、実は心の支えになってるのかもね」
果澄が、掛ける言葉に
「あたし、
話に耳を傾けていた果澄も、微笑を返した。今度は、伝えたい言葉を迷わずに選べたことが、ほんの少しだけ
「翠子が欲張りなのは、今に始まったことじゃないでしょ」
「え、そう?」
「そうよ。欲張りでないと、十三年ぶりに再会したばかりの同級生に、一緒に働いて、なんて言えないでしょ?」
翠子は、きょとんと目を
「あたし、東京のお店を守っていける道を、これからも探すから」
翠子が快活に宣言したとき、遠くから「翠子」と呼び声がした。振り向いた果澄は、こちらに近づいてくる珠季の姿を見つけて、驚いた。手にビニール袋を
「果澄ちゃん。これ、テイクアウト用のアジフライ。お土産にどうぞ」
「わっ……いいんですか?」
ベンチから立ち上がった果澄に、珠季は「いいの、いいの」と応じると、人好きのする笑みで言った。
「翠子がいつもお世話になってるし、さっきは親子のみっともない会話を聞かせちゃったからね。そのお
みっともないという言葉選び一つを取っても、翠子と同じだったから、やはり二人は親子なのだと実感する。「ありがとうございます」と礼を伝えた果澄が、珠季からビニール袋を受け取ると、ほわんとした温もりが手のひらに伝わった。透明なプラスチック容器の中に、二尾の立派なアジフライが見える。容器は二つも入っているので、
「こんなにたくさん……嬉しいです。夕飯に、家族といただきますね」
「どういたしまして。果澄ちゃん、これからもよろしくね」
珠季が、丁寧に頭を下げてきた。驚いた果澄も、慌てて頭を下げ返す。顔を上げた珠季は、何事もなかったかのように笑みを見せると、果澄に「またね」と言い残して、公園の出口へ引き返す。果澄は、翠子を振り返った。
「翠子。送ってくれるのは、ここまでで大丈夫。風が冷たくなってきたし、お母さんと帰って」
「じゃあ、そうさせてもらおうかな。あっ、明日の待ち合わせの時間を決めたいから、今晩にでも電話するね」
「そっか、もう明日……うん。じゃあね」
「じゃあね! 今日は、ありがとう!」
公園の入り口に向かった翠子が、立ち止まっていた珠季に追いついた。振り返って果澄に手を振ってくれた
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