1983年8月

 その男に、華やかな光は似合わなかった。

 "上"で試合をしたのは数えるほどだ。誰にも注目されていない影…"前座"こそが、自分の居場所だと思っていた。


  スターになりたいわけではない


 人相も悪く、生来の吃音のためうまく喋ることさえ出来ない。それでも、時折やってくる道場破りや未知の選手とのスパーリングの際には、必ず声が掛かった。いざという時に"あの人"の盾になり守る。そのために"神様"といわれる外国人レスラーにも自ら志願して指導を受けた。


  ただ強くなりたかった…


 レスラー仲間からさえも変人扱いされるほど、ひたすら練習に打ち込んだ。それがプロレスラーとしての矜持であり、存在意義であった。


ーーーーー


 スーパーヒーローと言われたマスクマンが突然引退を発表した。


 "会社"にいやな空気が漂いはじめたのはその頃からだった。だが、一介の前座レスラーに"会社"の事情など知る由もなく、また興味もなかった。いつものように、やはりプロレスの"神様"を崇拝し、慕ってくる若手の二人…前田や高田と道場で汗まみれになるまで練習する毎日だった。


「やってもらいたい仕事がある…」


 友人でもあるレフリーの高橋がそう声を掛けてきたのは、そんな嫌な空気の中で始まったシリーズが、しばらく経った頃だった。


「あいつ…やっちゃってくれないか」


 このシリーズには、ディック・マードック、バッドニュース・アレンなどおなじみの常連以外、これといった目玉となる外国人レスラーはいなかった。未知の強豪として呼んだ"ヘラクレス・ローンホーク"という黒人レスラーをエース格にしようと期待して、開幕戦のセミファイナルでシングルマッチが組まれたが…これがとんでもない一杯喰わせ物だったのだ。


「使えないくせに、エース外国人みたいな顔してやがる」


 シリーズが進むたびに試合順は下になり、それでも本人はエース格のつもりで、外国人レスラーの世話係でもある高橋も手を焼き、ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。


「"社長"は…何て、言ってんだい」


 そんな選手でも"社長"と対戦する前に潰してしまっては、その価値が下がってしまう。


「"社長"は今…それどころじゃない」


 開幕の日、"社長"と顔を合わせるなり怒鳴られたことを思い出した。


  藤原、お前もか! 


 何のことかわからぬまま応えることも出来ず、ただ寂しかった。どうやら"会社"に何かが起きている…それが、ここ最近のいやな空気の正体であることが何となくわかってきた。

 開幕直後の田園コロシアム。惨敗に終わった6・2IWGP決勝戦以来復帰したリングで、"社長"は最後に絶叫した。


  てめぇらいいか

  姑息なマネをするな

  片っ端からかかってこい

  全部相手にしてやる

  俺の首をかっ切ってみろ


 それはただのパフォーマンスなどではなく、心情を吐露した魂の叫びだった。"社長"はあの輝きゆえ誰も寄せ付けず、誰も近付くことさえ出来ないのだろうか。

 

 スーパースターゆえの孤独

 その光と影…


「次のTVマッチ…たまには"上"でやってみないか」

「"報酬"というわけか」

「"社長"が言ったんだ…たまには藤原も使ってやれってな」

「…」

「"社長"を守れるのは、アンタしかいねえ」


 痛い所を突いてきた。高橋は口が上手い。


「最近は国際や維新軍…乱入や乱闘みたいな試合ばかりだ」

「…」

「たまにはお客さんに、レスリングをみせてやってくれよ」


 次回のTVマッチのセミファイナルで、木村・藤原VSマードック・アレンの試合が決まった。マードックとアレン…どちらもレスリングが出来る本物のプロレスラーだ。相手にとって不足はない。唯一、不満があるとすればタッグパートナーだけだった。

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