第48話 破壊と創造のフィナーレ

 一発、一発の拳に全力を出す。

 もう何度、この顔に拳をぶつけたのだろう。

 もう何度、顔を殴られたのだろう。

 意識は途切れては覚醒をし、また闇の中に沈んでは光に戻る。

 拳が奴の体に直撃する度に、目の前の男はセンセイという得体のしれない存在から人間に戻っているような気がした。

 殴るとセンセイだった男は一喜一憂し、血を吐き、拳を握り、その目に怒りや憎しみや喜色を滲ませる。

 世界の破壊を画策する存在と同じ位置に立った訳ではなく、奴はただの男である俺の前にただの男として拳を構え足を突き出しているのだ。


 「――!」


 声は出ることはなく、短い息だけが漏れた。

 はて、と思った。俺の拳が空を切っていた。

 腫れあがった瞼で自然を下に向けるだけで、傷口に塩を塗られるような酷い痛みが走る。

 視界の狭くなった眼下の辺りで男が膝を付き、ぜぇはぁと掠れた呼吸を何度も繰り返している。両足は小刻みに震え、立ち上がることも難しいといった状態だった。


 「お、俺の……勝ち――ぐぅ!?」


 前のめりに倒れこむように男の拳は俺の腹に突き刺さる。もう何度殴られたのか数えきれない、痛覚もとっくに感じなくなり、腹にのしかかる拳の熱だけが何とか分かるぐらいだ。


 「私は……僕が、勝つんだ……!」


 よろめく俺に男は追撃を試みる。


 「僕が勝って、そして、世界を平和にするんだ! 平和になれば、父上も母上もお喜びになる! そうすれば、二人は――!」


 あまりに大振りな男の右フックを体を反らして回避する。

 端正な顔や上質な繊維のような金髪は血で汚れいるが、その表情は今まで見た中で一番人間らしい表情をしていた。


 「――もう死んだ人間は帰ってこないんだ!」


 反らした体勢から反動をつけて背中を伸ばす。自然と男の顔面に吸い込まれるようにして、頭突きが直撃した。

 鼻血が舞い上がれば、何から何まで男は人間らしく思えた。


 「がはっ――」


 追い打ちをかけるのは、今度はこっちの番だった。

 歯を食いしばり、ふらつく男が二度と立ち上がれぬように何度も力を込めた右の拳を握りしめる。


 「もういい、お前の戦いは終わった! これ以上、何も背負う必要はない!」


 「何……を……僕は……ボク?」


 「お前はずっとセンセイとしての自分を作り上げ、その役割を果たそうとしていた! 今の俺ならお前のことが分かる! 俺は全てを失った日から勝手にヒメカを殺さなければいけないと自分に役割を作っていた! 悲劇を背負った者には、相応の責任と義務があるんだと語り掛けることで生きることができた! 生きる目標や意味を見出そうとしていた!」


 でも、と言葉を続けた。


 「俺は自分で生み出した身勝手な思い込みだって気付くことができた! そりゃそうだ、亡者の背中を追い続ける限り、本当の意味で笑えることなんてできなくなる!」


 瞳に輝きが蘇った男は、内側から抉るような右のアッパーを繰り出す。しかし、冷静に対処すれば目で追えないことはない。

 難なくアッパーを左手で受け流した。


 「お前に……僕の何が分かるというのだ! 父上と母上は、この世界でも特別な存在だった! 神話にも伝説にもなって良い二人だった! 僕は二人の子供として産まれたからには、彼らの責任を背負って戦わなければいけない! 僕の行いは、崇高な儀式だ!」


 「お前の顔を見ていれば分かるさ! 何年も憎しみに囚われた人間は、そんな仮面みたいな顔になるんだと分かったよ!」


 そのまま左足を一歩踏み込めば、男の懐に飛び込む。その時、哀れな男の目は明後日の方向を見ていた。


 「気付いてないのか、お前は……。お前のやったことは、全てが第二、第三のセンセイという存在を作り出しているに過ぎないんだ。長生きし過ぎたのさ……やり方を間違えたんだよ……」


 「僕は……間違えたの……?」


 男は戦意を失ったように虚空を眺めていた。男の瞳に映るのは幸福だった頃の思い出か、それとも、理想を叶えた先の絶望か。

 どちらにしても、男の夢はここで終わらせなければいけないものだった。


 「――大丈夫だ、お前の本当の願いは俺達が叶える」


 右の拳を振り上げて、全体重、全魔力を乗せた一撃がセンセイだった男の顔面を強打した。

 数メートル先まで体を水平にして飛んでいきながら、男は満足そうに曇天に光が差しこみ始めた空を仰ぎながら呟いた。


 「……それなら、安心だ」


 地面に落下すると同時に、男の肉体は灰になって消えた。そして、全ての力を出し切った俺は大地に頭から倒れこんだ。

 力を入れ過ぎたせいか硬直した拳からゆっくりと力を抜いていけば、どこか遠くの方から自分を呼ぶ声が聞こえた。

 どうやら、ルキフィアロードの力を喰らったのが魔力だけで済んだようだ。ほっとして力が抜けていくところに、影が差した。みんながやってくるには、声はまだ遠いはずだが。


 「――無事でよかったよ、お兄ちゃん」


 ヒメカの声がした。歩いてここまで来れるということは、彼女も無事で良かった。これからは、俺とヒメカの贖罪の番だ。

 頬に慈しむような温かの手の平が触れた。


 「よく聞いて、お兄ちゃん。私はねマハガドから原初のルキフィアロードとしての役割も同時に喰らったの。……だから、今度は私がこの世界の守護者としての役目を全うする番」


 「なっ――」


 心地よい気持ちで眠りに落ちようとしていた俺からしてみたら、耳を疑うような話だった。

 もう空っぽだったと思っていた手に力を入れて顔を上げた。そこには、切なそうに微笑むヒメカの姿があった。


 「冗談を言うな、俺達はこれからだったはずだろ……。これから、本当の兄妹になる為に……」


 「きついんなら、無理して喋んないでよ。お兄ちゃんなら、分かるんじゃない? 原初の役割を喰らったてことは、私にはルキフィアロードを喰らう力も備わっているんだよ」


 「ま、まさか……やめろ……。これを奪われたら、俺は……」


 「なぁに?」


 悪戯っ子のようにヒメカは俺の髪を撫でながらくすくすと笑う。

 こんな状況で、嘘は言えない。


 「――お前の元へ行けなくなる」


 「それって、どういうことなの?」


 「……この力を強くしたら、守護者になってお前と戦えるかもしれないだろ」


 ああなんてことだ、俺はこんなにもヒメカの事が好きだったんだ。

 ここまできて、こんな風になってから、大切な妹への感情が溢れて来るなんて。


 「ありがと、嬉しい。さっきね、センセイとお兄ちゃんの話を聞いていたよ。だからこそ、言わせてもらうよ……もう私に囚われることなく、自分の未来を生きて」


 「ヒメカッ……俺は……お前の両親へ抱いていた殺意も、憎悪も……全部知っていたつもりだったのに……!」


 「例え催眠術にかけられていたとしても、私のやったことは大罪だよ。その贖罪するには、一度や二度の人生では足りないんだ。……だから私は、未来永劫この世界の守護者として戦い続ける」


 ヒメカの温もりが離れていけば、最後に温かく柔らかな温もりが軽く触れた。その時、ヒメカにキスをされたのだと気づくと同時に、体が一度宙に浮くような身軽になるような感覚に襲われた。


 「私の最初で最後のキスになると思うよ、その相手に選んであげたんだから光栄に思ってね、お兄ちゃん。……今、お兄ちゃんのルキフィアロードの力は完全に消えた。ただのどこにでも居る、普通の人間に戻ったよ。でも、大丈夫。本当に世界がやばい時は、必ず私が駆け付けるよ」


 どっと全身に痛みの波が押し寄せた。体が力を失ったことで、鈍くなっていた痛覚が蘇ってきたらしい。

 激痛にこれでもかと悲鳴を上げる体でじたばたとしながら、少しずつこちらを向いたままで、腰の辺りで両手を組んで後ろ歩きで離れていこうとする。


 「ヒメカッ……姫叶っ――!!!」


 絶叫し手を伸ばす俺の前で、ヒメカが二度と届かない場所へ行こうとしている。

 ヒメカは体が世界の大気に溶けていきながら赤く染まる頬で舌をぺろりと出した。

 赤い頬を隠すように姫叶はいつの間にか盗っていたらしい俺の仮面を顔に装着した。その時の姫叶の姿は、幼い日に見たあの姫叶の姿と一つになる。


 「――ばいばい、お兄ちゃん」


 最後に魔力の粒子となり光に溶けた姫叶の声が、いつまでも耳に残っていた。

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