第75話:ありがとう

「あいたたたたた、もう、ひどいよ、勇者様っ!」


 気を失ったと言っても、ほんの一瞬だったと思う。

 勇者様にぶん殴られて倒れたあたしはすぐに立ち上がると、めいっぱい抗議した。

 

 うう、今のはホントに痛かった。きっとひどいたんこぶが出来ているに違いない。

 あたしは手探りでたんこぶの様子を確認しつつ、勇者様に大声で……って、あれ、なんだ、勇者様、どうしてあたしの方を見ないんだ?

 

 勇者様はあたしのことなんか無視して、ひたすら地面に横たわっている誰かに声を掛けている。


 くそー、あんな酷いことをしておきながら、あたしなんてどーでもいいんですか!?

 ああ、もう、さっき勇者様の苛めを許すって言ったけど、あれは取り消しだ!

 全部終わったら冒険者ギルドに訴えて、賠償金たんまり搾り取ってやる!


 と、怒って勇者様の肩に手を掛けようとしたあたしの視界に、ちらっと横たわった人の姿が入った。


「え? あ、あれ?」


 ん? なんぞこれ?

 なんであたしが横たわってるし?

 

 見れば気を失って横になっているのは、まごうことなくあたしだった。

 情けないことに、いかにもぎゃふんって感じの表情で倒れている。

 スカートは……ほっ、ちゃんと降ろされてる、よかったよかった。

 

 いや、ちっともよくないヨ!

 なんだこれ、どういうことだ。あたしはここにいるのに、どうしてあたしが倒れているんだ?


『なんてことだ、貴様、よくもやってくれたなぁぁぁぁぁ!』

「うわっ、人魂!?」


 声をかけられて振り返ると、青白い炎が宙に浮いていた。


『まさかあんなつまらないことで我が死んでしまうとはっ!? 許さぬ! 許さんぞぉぉぉぉぉ!』


 なんだか大変お怒りの様子だけど、その口調、もしかして……


「あれ、あんた、魔王魂?」

『ふざけるな、他に誰がいるんだ!?』

「え? えーと、あんたが死んだってことは、あれ、じゃああたしも……」


 ようやく事態が飲み込めてきたあたしに、ダメ出しするように声が聞こえてきた。




《勇者ハヅキが、魔王キィ・ハレスプールを倒しました! おめでとうございます! 世界は救われました!》




 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!


 世界そのものを揺るがすような大歓声が聞こえてきた。

 しかも、どんどん大きくなるのは倒れた冒険者たちが戦闘終了と共に復帰し、歓喜の輪に次々と入ってくるからだろう。

 おまけにあたしたちの耳には世界中の人の喜ぶ声も聞こえてきた。

 最寄のソニコンの街はもちろん、ニーデンドディエスも、もっと大きな街から小さな集落まで、みんな魔王討伐の報に色めき立っている。


 ただ、その中にあって。

 

「キィ! おい、冗談はやめろ! 目を覚ませ、キィ!」


 当の魔王を倒した勇者様は、あたしの体を揺さぶりながら名前を叫び続けていた。


「ハヅキ、よくやった。そして、すまなかった。僕の立てた作戦が甘かったばかりに、こんなことになってしまうとは……」


 コウエさんの声がどこか震えていた。

 ニトロさんも口には出さないものの、ふるふると拳を握り締めて何かを堪えるような表情を浮かべている。


「よくやったとか俺にそんな言葉を言うな! それよりもキィをなんとかしないと! そ、そうだ、俺に使った復活のクリスタル、もう一個ぐらい持ってねぇのか!?」


 淡い期待を抱いてコウエさんを見上げる勇者様の顔が、でも、すぐに曇った。

 コウエさんが力なく顔を横に振ったからだ。


「そうだ、今すぐ嬢ちゃんに誰かが乗り移ったらいいんじゃねーか? そうすれば命は」

「ダメだよ、ニトロさん。キィちゃんはハヅキ君のお供登録だもん。プレイヤーが乗り移れないようロックされているはずだよ? それに仮に乗り移れたとしても、これまでハヅキ君と冒険した記憶が一切無くなっちゃう。そんなのキィちゃんじゃないよ」


 復活のクリスタルも在庫切れ。

 さらに、死にそうな人間に勇者様たちの世界の誰かが乗り移って命を救うって方法も出来ないみたいだった。

 

「くっ。余があの時注意していれば……」


 魔王様も後悔の言葉を口にする。

 似合わないなと思うのと同時に、そんな似合わないセリフを言わさせてしまったことをちょっと申し訳なく思った。


「うるせぇ! 後悔なんて後でも出来るだろうがっ! そんなことよりも、今はこいつを救う方法をなんか考えてくれよっ!」


 勇者様が泣きながら、あたしの抜け殻を抱きしめる。

 心が痛かった。

 勇者様、もういいんだよ。

 あたし、ちゃんと最後にしっかり冒険者らしいことが出来たし満足だよ。

 そりゃあなんか酷い終わり方だったけれど、結果として世界も救って、魔王様も助けて、勇者様たちも待望の賞金ゲットできるじゃん。

 大成功だよ!

 それに勇者様の本当の気持ちも最後に分かったし、もう何も思い残すことなんてない。

 だからお願いだから、勇者様……

 

「ハヅキ君、自分を責めちゃダメだよ?」


 あたしの代わりに、ミズハさんが勇者様の体を後ろからそっと抱きしめて言ってくれた。


「キィちゃんはみんなを助ける為に、自らを犠牲にして魔王魂を倒そうと考えたんだよ。ハヅキ君ならきっとやってくれると信じて」


 うん、そうそう。

 あたし、勇者様を信じてたよ。


「キィちゃんだって、ハヅキ君がどれほど辛い気持ちになるかは分かっての行動だと思う。だけど、絶対立ち直ってくれると信じてくれたんだよ」


 あ、ごめん。そこはあんまりっていうか、ちっとも考えてなかったデス。

 勇者様のことだから、あっさりばっさりやるもんだとばかり……。


「だからハヅキ君も信じてあげなきゃ。キィちゃんはきっとこうなって後悔なんてしてないって。大好きなみんなを助けて、満足して死ぬことができたって。いつまでもそんなふうに悲しんでいたら、きっと今頃キィちゃん、困ってるよ?」


 後悔してないかというと、ウソになる。

 やっぱりもっと生きていたかったし、あと、あの終わり方にもとても不満いっぱいだ。

 もっと格好良く死んでいくつもりだったのに、あれではまるであたしが痴女みたいじゃないかっ!

 

 それでも辿り着いた結果には、ミズハさんの言うように満足していた。


「ミズハ……でも、俺……俺が……キィを!」

「違うよ、ハヅキ君。私たちがキィちゃんに助けられたの! キィちゃんへ捧げる気持ちは懺悔なんかじゃない。感謝じゃないとダメなんだよ!」


 ミズハさんの言葉に、勇者様は顔を上げる。

 瞳から涙がとめどなく溢れかえっていた。


「だからね、言おうよ? キィちゃん、ありがとうって。ほら、みんなも、ね?」


 ……え?

 いや、ちょっとミズハさん、それ、とても恥ずかしいんでやめて欲しいんですけど……


「キィちゃん、ありがとー!」


 うわぁ、叫ばないでぇ!

 恥ずかしくて死ぬ、死んじゃうってマジで。


「キィ、しもべとしては些かでしゃばった真似をしてくれたが、お前の犠牲で余は生き長らえることが出来た。感謝する」

「面白い嬢ちゃん、あんがとよ! あんたのおかげで、俺っちたち、またこの世界で冒険が出来るぜ!」

「……救えなくてすまなかった。本当にありがとう、礼を言う」

「キィさーん、ありがとーーーーーーーーーおぉぉぉぉぉん!」


 蘇ったばかりのイサミさんもやってきて、何故か夕陽に向かって叫んだ。

 でも、一番嬉しかったのはこのイサミさんの言葉だ。

 ホント、変な雰囲気を独特のノリで壊してくれたおかげで、あたし、悶え死なずにすみましたヨ、こちらこそありがとうイサミさん。


「さぁ、ハヅキ君も」


 って、それで終わりでいいじゃん。なんで勇者様に言わせるんだよ、ミズハさん!


「キ、キィ……」


 は、はい? な、なんでしょう?

 涙声で名前を呼ぶ勇者様に、思わず緊張して返事をしてしまうあたし。

 うう、勇者様に聞こえるはずがないのに、なにやってんだ、まったく。


「あ……ありが……とう。お前と冒険が出来て俺……た……のしか……った」


 ゆ、勇者様……。


「なのに……俺……お前を苛めてばっかで……ホント……最後まで……こんな……ごめん」


 勇者様、やめてよ、似合わないよ。そんな、あたし、あたし……。


「ハヅキ君、最後は感謝の言葉で、キィちゃんを見送ろうよ、ね?」


 ミズハさんの言葉に、勇者様が何度もうんうんと頷く。


「キィ……一緒に……冒険してくれて……本当に……嬉しかった……ありがとう」


 あ、あたしも! 

  

 もう限界だった。

 涙を流しながら必死に笑顔を浮かべようとする勇者様に、あたしは届かないと分かっていても叫ばずにはいられなかった。


 あたしも……あたしも楽しかったです!

 色々嫌なこともあったけど、きっとこんなの、お屋敷でメイドやってたら、絶対……絶対経験できないようなことがいっぱいで……あたし、なんの役にも立たなかったのに……それでも、ずっと一緒に冒険に連れて行ってくれて……あんなことやこんなこと、笑ったり泣いたり怒ったりいっぱいあって、大変だったけど、面白かった……本当に冒険者をやって楽しかったよ……勇者様……あたしを冒険者にしてくれて本当に。

 本当に。



 ありがとうございましたっ!

 


 死んでしまってからこういうのもアレなんだけど。

 やっぱりまだ死にたくなかった。

 もっと勇者様たちと冒険したかった。


『我も本当なら様々な世界を征服する魔王になるはずだったのだ! それなのに貴様が全てぶち壊しにしたっ!』


 あー、はいはい、そうっすね、魔王魂さん。

 多分、未練という意味ではあたしなんかよりずっと魔王魂の方があるんだと思う。

 だけど、だからといって復活できるかというとそんなのあるわけもなく。

 どうしようもないんだろうなぁと思いながら、あたしは神様が来るのを待っていた。

 

 これもまたあたしが子供の頃に聞いた寝物語。

 人間は死ぬと神様が現われて、生前のおこないをもとに、様々な処分がくだされるんだそうだ。

 悪いことをしたヤツは、業火で炙られてどろどろに溶かされたり。

 逆にいいことをした人は、神様のお手伝いをすることで第二の人生を送らせてくれたりするらしい。


 うーん、あたしはどっちなんだろうなぁ。

 特別悪いことをした覚えもなければ、かといって何か良いことをしたかと言われれば、正直心当たりがない。

 あ、待てよ。最後に世界を救ったの、アレの査定はきっと大きいよね?

 うんうん、だって、結果的にあたしたちの世界が消滅することなく、継続することになったんだ。

 きっと毎日のお祈り五年分ぐらいの価値はあるに違いない。

 お祈りなんて冒険者になってからはほとんどしてないし、お屋敷で働いていた時だって結構サボってた。でも、今回の活躍はそれらを補ってあまりあるはずだ、きっと、多分。

 

『ふん、甘いな。そもそも世界を救ったのはお前ではなく、勇者になるのではないか?』

「あっ! そうかも!」


 なんてこった。魔王魂に指摘されて気がついた。

 そうだ、あたしは魔王魂をその身に宿して倒されただけに過ぎない。直接的に世界を救ったのはあたしじゃなくて、勇者様だ。

 

「で、でも、あたしは自分の命を捨ててまで世界を救ったんだ! 絶対、そこは神様も理解してくれると思うね!」

『自ら命を捨てる行為を、神は許さないと聞いたことがあるが?』

「はうっ!?」


 あわわ、確かに自殺は最大の親不孝で、神様も厳罰を下すって聞いたことがある……。


『そもそも、お前、死んだ時は「魔王キィ・ハレスプール」と呼ばれておったではないか。そんなヤツが神の国に行けるはずもなかろう』


「それはあんたがあたしの体を乗っ取ったからでしょーがっ!?」

『そうだ。そして我が取り憑いた以上、お前の体は穢れている。神の手元に置かれるわけがない』


 なんという不条理! 神様、どうかお慈悲を!


『というか、我らの世界は、また別の世界の人間が造りしものであった。つまりは創造神とは言え、人間に過ぎぬ。そんな輩に、我らが考える神らしさなんぞ、期待できぬのではないか?』


 あ、そう言えば、そうか。

 昔話で聞かされた神様は偉くて、公平で、絶対的な存在だった。

 でも、実際にこの世界を作った神様と言ったら、自分たちの都合で世界を潰そうとしたり結構シミったれなヤツだった。

 

「って、あれ、そうなると賞金を払わざるを得なくなった状態を作ったあたしって、もしかして……」

『極刑であろう、間違いなく』


 ぎゃー。


『我の野望を挫いた罰を存分に受けるがよいわ』


 そ、そんなぁ。あたし、良いことしたよ?

 魔王を討伐するのが目的の世界で、それが果たされるのを見事サポートしたのに、どうして極刑にされなきゃならんのだ?

 

「ですよね? 神様ぁ!」


 思わず、まだ現れない神様に問いかける。

 すると


<その通りな……ごほん、その通りです!>


『噛んだ』

「噛んだね」


 どこからか聞こえてくる噛み噛みな神様の声に、思わずあたしたちは吹き出しそうになる。


<う、うるさい! 噛んでない!>


『今も少し噛んだではないか?』

 

 魔王魂がぷっとついに吹き出してしまった。


<えーい、うるさいうるさい。魔王魂、あんたはこれから存分にデータ解析しちゃうんだからね。覚悟する……しなさいよ!>


『ん? おおっ!?』


 そして天高くからにょっきと伸びてきた大きな手によって、魔王魂さんは囚われたかと思うと


『離せ! 離せ! 離せわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』


 と言葉だけ残して、その大きな手によって天の彼方へと拉致られてしまった。

 うん、はっきり言って怖い。神の裁き、ハンパない!


<さて、これで魔王魂は片付きました。では、続いて残ったキィ・ハレスプールの処置なのですが……さっき、私が噛んだとか言いました?>


「全然言ってないです!」


 言わない、言わない、あんなの見せられた後で言うわけない。


<嘘つきな、ごほん、嘘つきですね。そんなキィ・ハレスプールには>


 うわわわ、しまった! 墓穴を掘ってしまった!


<まだ回収はせず、新たな試練を与えましょう!>


 回収? 試練?

 なんのこっちゃ? でもなんだかとても嫌な予感がするよ。


 そんな戸惑うあたしの体が突然光り出したのは、その直後の事だった。


<お前はなかなか面白い素材だから、特別にまだ活動をすることを許可するとのことじゃ……ですよ>


 光がますます強くなってきて、もはや眼を開けていられなくなった。

 するとなにやら自分が立っているのやら寝転んでいるのやらも分からなくなってきた。

 不安になって体を抱きしめるように手を回すものの、何故か体に触ることすらも出来ない。

 なんだこれ? なんだこれ? 死ぬってこういうことなのか?

 五感が次々と奪われていく中、ただ聴覚だけが、神様の言葉をしっかりと捉えていた。


<キィよ、世界を頼むのじゃ……ですよ>


 えええええ? 一体どういうこと?

 所詮はぽんこつ冒険メイドなあたしに世界を託されても困る!

 それにあともうひとつ、気になることがあった。

 さっきから懸命に誤魔化している語尾なんだけど、どこかで聞いたような……。


 だけど、結局、あたしはどこで聞いたのか思い出すことが出来なかった。

 なぜならあたしの意識は情けなくも、またまた手元を離れてしまったからだ。

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