第46話 甘すぎる僕のお姉ちゃんと逃げ出した心

 父さんが出て行ってから、僕は人形のようにリビングの椅子に座っていた。


 多分、姉さんは何度か声を掛けてくれたと思う。でも、そんなことは全然耳に入ってこなくて、その代わりに、先ほどまでの父さんとのやりとりが何度も再生される。


 どうして僕は、こんなにも成長をしないのだろうか。


 父さんから言われたことを思いだすたびに、怒りが募っていく。


 いや、もしかしたら、何か期待をしていたのかもしれない。


 僕が姉さんと同じ学校に入ったこと。


 そして、新しいことを見つけて前に進もうとしていたこと。


 それを、父さんが認めてくれるんじゃないかと、ほんの少しでも期待していなかったと、本当に言えるのだろうか?


 残念ながら、答えはノーだ。


りくくん……ご飯、できたよ。温かいうちに、食べようね」


 気が付けば、僕のテーブルの前には、ホワイトシチューとパンが用意されていた。


 僕は姉さんが置いてくれたスプーンを手に取って、無感情に手を動かして口に運んだ。


「いただきます」も言わない僕の態度に、姉さんは何も言わず、僕と対面の席に座って手を合わせた。


 黙々と、食事をする時間だけが続く。


 美味しいはずの姉さんの手料理が、全く味を感じなくなっている。


 そして、僕がスープの半分を飲み込んだくらいに、姉さんは口を開いた。


りくくん……ごめんね」


 姉さんは、震える声で僕に話しかけてきた。


「お姉ちゃん……お義父さんに余計なこと言っちゃったね……」


「……別に、姉さんが悪いわけじゃないよ……」


 僕は、せっかく心配してくれている姉さんにすらも、冷たい態度をとってしまう。


 しかし、姉さんはそんな僕でも不快に思わないのか、優しい目を向けて僕に告げた。


「私、お義父さんにもりくくんが頑張っているのを知ってほしくて……。お義父さんだって、今のりくくんの話を聞いたら……」


 姉さんはきっと、本気で僕のことを想って、こんなことを言ってくれているんだろう。


 それは、姉さんらしい、とても優しい気遣いなんだと思う。



「……本当に、そんなことを思ってるの?」



 だけど、どうしてか、今の僕には、とても不快な言葉に聞こえてしまった。


りく……くん?」


「姉さんはさ、本気で思ってるわけ? 僕が人形演劇部に入って、それで父さんが喜んでくれると思ってるの?」


「ど、どうしたの? りくくん?」


「そうやって、姉さんだってずっと僕を子供扱いして……。僕はもう、子供じゃないって何回言っても、分かってくれないじゃないか……」


 違う。


 僕が姉さんに言いたいことは、こんなことじゃないはずだ。


 それなのに、出てくる言葉は、全部姉さんに向けての八つ当たりだった。


「姉さんはいいよね……周りから認められて、父さんにだって期待されてる。あの人が大事にしているのは、姉さんだけなんだよ」


りく……くん……」


 本当に、どうして僕はこんな奴になってしまったのだろう?


「……りくくん、そんなことないよ。お義父さんだって、りくくんのこと……」


「知った風な口聞かないでよっ! 姉さんは……姉さんは……」


 僕は俯いたまま、言葉を吐き出すように叫ぶ。


 駄目だ。


 これ以上は、僕が惨めになるだけなのに。



「姉さんは、僕の本当のお姉ちゃんなんかじゃないだろっ!!」



 その瞬間、僕の頭が真っ白になった。



 違う。



 違う違う違う違う!



 僕は、姉さんにそんなことを……。



「……ごめん。ねえ……さ……」



 顔をあげて見た、姉さんは……。



「そう……だね。私、りくくんのこと、全然分かってあげてなかったんだね……」



 優しい笑顔を僕に向けながら、涙を流していた。



「ごめんね、りくくん……。私、りくくんのお姉ちゃん、失格だね……」



 ずっとずっと、一緒に過ごしてきたのに、そんな笑い方をする姉さんを、今まで僕は一度も見たことがなかった。


「……ッ!!」


 気が付いたときには、僕は立ち上がって椅子を倒し、姉さんに背中を向けた。


 そして、逃げるようにしてリビングの扉を開き、玄関まで走り出す。


りくくん!?」


 リビングから、姉さんが僕を呼ぶ声が聞こえる。


 だが、僕は振り返ることなく、急いで靴を履いて家から飛び出していた。


 どこか、遠くへ行きたい。


 このまま、僕のことなど誰も知らないところへ、走り去ってしまいたい。


 僕が姉さんと一緒にいたら、姉さんのことまで傷つけてしまう。


 その一心で、マンションの階段を下って、外に出てきてしまった。


 そして、僕を阻むように、空からは大量の雨が落ちてきていることに気付く。


 だが、そんなのはお構いなしに、僕は駆け出す。


 春の温かった気温はどこへ行ってしまったのか、身体に寒気が駆け回った。


 そして、姉さんの悲しい笑顔と、僕を呼ぶ声がずっと頭の中で響いて、僕の心が壊れてしまいそうだった。

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