第14話 プランB
衝撃、というよりは、何か巨大な力に空間ごとねじ曲げられた感じで平衡感覚がなくなる。上下左右が一周わからなくなった感覚だ。以前、操船実習中の事故で、ワープアウトゾーンに入り込んだ時に食らった重力波の何十倍も激しい揺さぶりだ。これでも、機内環境システムの補正がかかっているわけで、もし、それがなければ良くて失神、悪ければ命を落としているかもしれない。
「被害報告を」
先生が叫ぶ。
「機内環境システムがオーバーロード、重力制御を失います。緊急用シートホールドを作動」
「フライトコンピュータ停止、自動再起動中」
「主反応炉、緊急停止。予備パワー接続」
「ヘラクレス3とのリンク切断。現在、再接続中」
「メディカルシステム停止。バイタルモニターできません。皆さん大丈夫ですか」
「慌てるな。体調が悪い者は申告しろ。動ける者は緊急事対処手順に従って復旧を急げ」
「パワー系診断プログラム開始。各自律系エラーリセットを実行。主反応炉安全停止を確認、再起動手順を実行。再起動まで5分20秒」
「機内環境システム自動停止を確認、自己診断開始。エラーリセットして再起動」
「フライトコンピュータ起動完了、各自律系自己診断及びエラーリセット実行」
まだ少し目が回っているが、そんなことを言ってはいられない。急いで復旧しなければ、このあと何か起きた時に対処ができなくなる。皆は大丈夫だろうか。周囲を見回すと、とりあえず全員動けてはいるようだ。
「ヘラクレス3との接続復旧します。音声及びデータリンク回復。通信が入っています」
「映像と音声を出してくれ」
「了解。映像出ます」
正面にモニターパネルが開いて、ヘラクレス3のミッションルームの映像が映し出された。
「よかった。通信が回復したな。そっちは大丈夫か」
「こっちは大騒ぎだよ。あの衝撃は小舟にはきついな。一応、大きな被害はなさそうだ。短時間で復旧出来そうだよ。そっちはどうだ」
「ああ、どうにかな。反則級の重力波だったが、とりあえず想定内だ。痩せても枯れても恒星間航路の船だ。これくらいならなんとかなる。シールド発生機や支援船も今のところ問題なし・・・・いや、ちょっと待ってくれ。これは・・・まずいかもしれんな」
「どうした」
「シールド発生機の制御システム負荷がかなり上がっている。想定した以上に変動が大きいようだ。重力的な結合が突然に切れた影響で、褐色矮星が不安定化しているな。不規則な振動で制御が追いついていない」
「シミュレーションが間に合わないのか」
「いや、演算能力はセンターコンピュータのバックアップもあって、どうにかなっているんだが、制御に必要なパワーが足りていないようだ。予備の発生機を追加配備したほうがよさそうだな。すまんが対処のために一旦切るぞ。音声は繋いでおくから、何かあったら声をかけてくれ」
「了解した。そちらこそ、必要なことがあれば声をかけてくれ。健闘を祈る」
ヘラクレス3の映像が切れる。状況はかなり厳しそうだ。先生も表情が硬い。予備機を配備するには、ヘラクレス3が危険領域ぎりぎりまで接近する必要がある。ブラックホール近傍は重力場の勾配が極端に大きい。ほんの数メーターの距離でも重力の強さが大きく変化するため、大型船ほど、その構造にかかる力は大きくなる。ヘラクレス3級の船になれば、船体に非常に大きな負荷がかかってしまうのである。
「エドワーズ、アカデミーとの直接リンクを再接続できるか」
「可能です。接続しますか」
「たのむ」
「アカデミーとの接続を試行、接続しました」
「ユイ、聞こえているか」
「・・・・はい、聞こえています。現在、演算ユニットの大部分をシミュレーションに優先使用しているため、通常よりレスポンスが遅れる可能性がありますが、ご容赦ください」
「現時点で、プランBの可能性はどのくらいある」
「現在シミュレーションが進行中なので、まだ幅が大きいですが、48パーセントプラスマイナス25パーセント程度と推定されます。ただ、現在、プランA前提の対応が既に開始されているため、シミュレーション結果をリアルタイムにフィードバックしながら補正する必要があり、プランBへの移行猶予はあまり残されていません」
「ということは、我々はプランBを前提に動いた方がいい、ということだな」
「同意します」
「わかった。エイブラムス、さっきの打ち合わせ通りに行くぞ。準備しろ」
「よし、全員聞いてくれ」
プランB?何の話だろう。俺がそう思っていると、先生が言った。
「現在の状況は分かっていると思うが、予備のシールド発生機の稼働には制御システムとの通信確保が必要だ。現時点ではヘラクレス3が通信可能範囲まで移動して接続を確保する予定だが、ヘラクレス3は大型船だ。潮汐効果による船体への影響が大きいため、接近には限界がある。通信維持にギリギリの距離までした近づくことが出来ず、予備機の展開範囲も限られる。万一問題が生じた場合に対応が難しい。そこでだ。小型機で潮汐の影響が少ない我々が、通信を中継することで、予備機の展開範囲を広げ、不足の自体に対処するのが最善だと考えた。今まで黙っていたのは申し訳ないが、エイブラムスとユイには事情を話して準備をしてもらっていた。改めて全員の了解を得たいと思うのだが、どうだろうか」
そう言うことか。まぁ、答えは言うまでもないだろうが、少なくとも附属校の生徒ならば、ここでやらないという選択肢はないだろう。
「危険は無いのでしょうか」
マリナが言う。
「危険が無いとは言わない。当然、この船も潮汐の影響は受けるし、場合によっては限界ギリギリまで接近しなければいけなくなるかもしれない。ただ、これは決して無茶な試みではない。エイブラムスとユイがシミュレーションしてくれた結果によれば、今回接近限界として設定する位置で船体が損傷を受ける可能性は1パーセント未満だ。もちろんゼロではないが・・・」
「そうするしかないんだったら、いいんじゃないの」
美月が言う。
「そうよね。ちょっと怖いのは確かだけど、命がけの事態なら、これまでも何度もあったからね」
と、ケイ。
「俺も異論はありません。先生」
「そうか。ありがとう。それでは、ブリーフィングだ。エイブラムス、たのむ」
「了解です。ユイ、チャートを出して」
ジョージがそう言うと、正面に3Dで作戦図が表示される。
「これがブラックホールと褐色矮星に対する各船及びシールド発生機の現在位置です。これに予備機の展開位置と最終的なヘラクレス3の位置を重ねると、このようになります。この黄色で表示されている面は、ヘラクレス3の接近限界面、そしてヘラクレス3を囲んでいるグリーンの面が、ヘラクレス3からの通信可能範囲となります」
チャートを見る限り、予備機の展開位置はヘラクレス3の通信範囲内にかろうじて入っているように見える。これならば問題はなさそうだが・・・
「計画通りならばこれで問題は無いはずですが、褐色矮星の不規則変動が想定を超えてしまう可能性を考慮した予備機の展開位置を推定すると・・・」
チャートに点で表示されていた予備機が、それぞれ大きさを持った閉曲面に変わった。
「予備機の配備位置にはこれだけの変動が生じ得ることになります。変動がある程度大きくなると、予備機の一部は通信可能範囲の外に出てしまいます。ヘラクレス3のみで対処しようとすれば、危険領域にかなり入り込む必要があり、ヘラクレス3の船体が破損する可能性は30パーセントを越えると思われます」
30パーセントか、デイブさんなら、躊躇しないだろう。ただ、それでは乗員全員の生命が危険にさらされてしまう。危険な賭けだ。
「そこでだ、我々の出番となる。ユイ、我々の予定位置と通信可能範囲を出してくれ」
先生がそう言うと、表示が変わる。たしかに、ヘラクレス3と俺たちの通信可能範囲を重ねれば、予備機は完全に通信範囲に収まって、なお余裕ができるようだ。
「見ての通りだ。我々が通信を中継できれば、さらに余裕が稼げる」
「先生、通信を中継することでの遅延は問題にならないんですか」
ケイが言う。
「それは私から説明します」
ユイの声だ。
「現在この船には私の追加演算ユニットが大量に搭載されていて、シミュレーションに使用されています。役割はヘラクレス3及びアカデミー側の演算のバックアップですが、現在ヘラクレス3とアカデミーで行っているシールド発生機の制御演算の一部を、こちらに移し、直接発生機とリンクさせることで、遅延を回避することができます。こちらはアカデミーとヘラクレス3の双方と通信できますから、状況に応じて発生機の制御を動的に移行できます」
なるほど、それも考慮済みというわけか。
「それなら、非常時と言わず、最初からこのフォーメーションで動いた方がいいわね」
「そのとおりだ、星野。実際、非常事態が発生してからフォーメーションを組み直していたのでは間に合わない可能性がある。だから、現時点で我々も動くことにする。よし、他に質問がなければ、行動を開始するぞ。各自、もう一度システムをチェックしてくれ」
「了解、各ステーション、航行前チェックと報告を」
「主反応炉再起動完了、異状なし、出力10パーセントで安定、主機関異状なし、アイドル状態」
「フライトコンピュータ及び各制御系自己診断、異状なし」
「ナビゲーションシステム異状なし」
「操縦システム、機長席異状なし」
「操縦システム、副操縦士席異状なし」
「通信システム異状なし」
「メディカルシステム復旧を確認、クルー全員のバイタル安定」
「先生、準備完了しました」
「ヘラクレス3から通信です」
「出してくれ」
正面のパネルにデイブさん。
「今、ユイから提案を受けた。そっちはいけるのか?」
「ああ、これが最善の策だと思うよ。互いに危険を回避出来るからな」
「すまんな。ひよっこども、また巻き込んでしまうが悪く思わないでくれ」
「問題ありません。ここまで来たら一蓮托生ですから」
「恩に着る」
「それじゃ、ユイ、ブリーフィングをたのめるか」
「承知しました。フランクさん。では、チャートを出します」
ユイがそう言うと、正面に3Dのチャートが表示される。これは先に見たものとが、今回は、我々の船と、こちらで通信を担当する範囲が表示されている。
「オリジナルの作戦に対して、ここに表示されているように、ST2Aを配置し、シールド発生機のグループHからグループN、予備機のグループAからFについて、こちらが通信を担当します。ST2Aが、これらのグループと通信可能になるのが、作戦開始後15分32秒、定位置到着が22分12秒後の予想です。こちらが通信可能領域の入った時点から、通信の切り替えを開始し、定位置到着までの間にチェックを含めて完了することができます」
「デイブ、これで問題無ければ、開始したいが、どうだ」
「ああ、問題無い。予備機の展開は開始している。今のところ、こちらから制御できる状態だが、通信切り替えの準備に入ろう」
「了解した。それでは、作戦開始だ。中井、指揮はお前が執れ。私がバックアップする」
「了解。ケイ、座標の確認を。サムは、通信中継の準備だ」
「了解、座標の入力と確認完了」
「ヘラクレス3、アカデミーともに通信は確立しています。演算ユニットの準備ができ次第、中継可能になります」
「制御プログラムのインストールは完了しています。現在、ヘラクレス3との間で、処理移行のための準備作業を実施中、5分23秒で最初のグループに関する準備ができます。全グループの準備完了は18分43秒後と推定。演算ユニットのステータスと通信の状況はユイがモニターしています」
「よし、主機関始動。設定座標に向けて航行を開始する。オートパイロット起動」
「オートパイロット起動、確認。航行開始」
航行のために必要なパラメータは既にユイがセットしてくれている。実際、航路のモニターもユイがサポートしてくれているので、俺たちはあまりすることがない。だが、何か問題が生じれば、すぐに操縦しないといけないから、油断は出来ないのである。そもそも、こんなミッションは、これまで誰もやったことがない。何が起きても不思議ではないと考えると、自然と手が汗ばんでくる。美月を見ると、彼女もいつになく厳しい表情になっている。
「航路正常。通信可能領域まで推定10分プラスマイナス3秒。重力変動の影響で、当初推定から現在5秒遅れていますが、補正可能です」
ユイの声。ブラックホールや褐色矮星などという怪物たちの間に割って入ろうというのだから、こんな偏差なんてかわいいものかもしれない。このまま行ってくれることを祈るのみだ。
「ヘラクレス3から呼び出しです」
「出してくれ」
正面のパネルにデイブさん。周囲の様子はなにやら騒然としている。
「フランク、ちょっと困ったことになった。変動が大きくて予想よりも早くシールド発生機のパワーが足りなくなった。対処するために予備機の展開パターンを少しいじる必要がある。今、急いでシミュレーションをやり直しているが、場合によっては、さらにブラックホールに近づける必要が出てきそうだ。結果が出次第連携するので、今のコースのまま待機してくれ」
「了解した。我々は、今のコースを維持する。中井、聞いてのとおりだ。現状のコースを維持しつつ、次の指示に備えろ」
「了解」
「ユイ、むこうのシミュレーションの情報は取れるか」
「はい、アカデミー側での情報は常時モニターできます」
「よし、こちらもチャートにも出してくれ」
「表示します。まだ計算途中なので、変動があります」
チャートの上に、新たな予備機の展開パターンが表示され、それが少しずつ変化していくのがわかる。一部の予備機は本体のシールド発生機のさらに内側に深く入り込む形になっている。
「なるほど、小型の予備機は、大きな本体の発生機に比べて潮汐の影響を受けにくい。だから、よりシールドの効果が出やすい位置に送り込もうというわけだな。ただ、この位置だともうヘラクレス3から制御はできないな。あとは、我々がどこまで近づけるかということか」
「はい。対応するこちらの位置を表示します」
チャート上に、我々の船の目標座標が表示される。当初の位置よりもだいぶ内側だ。
「これは、接近限界面です」
チャート上に赤い曲面が表示される。大きく歪んだ曲面だが、どうやらこれを越えると、我々の船も無事ではすまないようだ。
「まだ少し余裕があるように見えるが」
「これはまだ途中結果ですから、最終的にどの程度余裕が持てるのかは、確定していません。計算にはあと7分23秒を要します。現状での推定誤差を表示します」
チャート上の我々の船を囲むように、少し歪んだ球面が表示される。その一部が接近限界面と交差している。
「なるほど、まだ限界範囲内であるとは確定できないというわけか。だが・・・」
「先生、いまのうちに少しコース修正をしてはどうでしょう」
「そうだな、中井。現時点での推定位置に向けてコースを変更しよう」
「了解。目標を変更します」
「目標変更を確認。コースは正常よ。速度はポイント12cで安定しているわ」
「針路上10光秒以内に障害なし」
「ユイ、シミュレーションから、シールド発生機との通信可能位置は推定できるか」
「できます。最初に通信が可能になるのは予備機グループFで、6分18秒後ですが、シミュレーションの状況によっては、再度通信できなくなる可能性もあり安定しません。最初に安定した状態で通信が可能になるのは予備機グループBで、6分35秒後です。以下、本隊も含めて安定通信可能位置はこのようになります」
チャートに表示された我々の針路上に、通信可能位置と対象が表示される。いくつかの表示は点滅している。
「点滅している対象は、まだ現時点で通信可能位置が確定できないものです。確定までにはあと6分41秒を要します」
「まだ予備機の一部が確定しないわけか。つまり、最終的な展開位置がまだ決まらないということだな。そうなると、重力制御の計算もギリギリか」
「そうなります。計算完了から制御開始までの猶予時間は10秒以下と推定されます」
これは、かなり際どい話になってきた。少なくとも制御はすべて自動で行われるから、10秒という時間は十分すぎる余裕だろう。ただ、それは、きちんと通信ができての話だ。通信の確立に手間どれば、10秒なんてあっという間に過ぎてしまう。
「すべての計算が相互に影響し合っているからな、推定される誤差を最小にするパラメータの組み合わせを見つけるシミュレーションは簡単じゃない。とりあえず、経過を見ながら、その時々で打てる手を打っていくしかなさそうだ。わかっていると思うが、全員気を抜くなよ」
「はい」
そんな会話をしている間も、表示は刻々と変化している。その変化も一定ではなく、不規則に揺れているような感じだ。我々の船の最終位置も、接近限界面ギリギリになったり離れたりと安定しない。見ているだけで不安が募る。
「ヘラクレス3から通信。デイブさんです」
「出してくれ」
通信パネルにデイブさんの姿。周囲はあいかわらず騒然としているようだ。
「フランク、そっちのコースが変わったようだな。先手を打ってもらえると助かる。現在、使えるだけの演算パワーをすべて使ってシミュレーションを進めているが、想定以上に重力変動が大きくて、結果がなかなか安定しない。タイミング的にもかなり際どいことになりそうだ」
「ああ、こちらでもモニターしている。状況みながら臨機応変に動くつもりだ。正直なところどうなんだ。間に合いそうなのか」
「ひよっこたちの前であまりこういうことは言いたくないのだが、五分五分といったところか。アカデミー側でも、アルゴリズムの微調整とか色々と手は尽くしているが、あまりいい状況ではないな。そこで、遅れを最小限にすべく、一部の予備機を計算確定前に稼働させようと考えている。詰めの計算を進めながら、大雑把に決まったパラメータを使って、先にある程度制御をかけておき、その誤差の修正のために、残りの予備機を段階的に投入しながら、本体側の調整も行う形だ」
「やりたいことはわかるが、計算がさらに複雑化しないか。それにオペレーションにも余裕がなくなるぞ」
「それは承知している。だが、今のところ他に手がない」
「ユイはデイブさんの作戦を支持します。現状のままで成功する確率は50パーセントを切っていると推定されますが、修正により80パーセントまで向上できます。残りの20パーセントは計算精度により変化しますが、現在ST2Aで稼働している予備の演算ユニットには余力があるので、計算をバックアップすることが可能です」
「なるほど。だが、通信の切り替えタイミングがかなりシビアになるな。実行中の補正を含めて、演算をこちらに引き継ぐことになるが」
「はい、その点は大丈夫です。事前にこちら側でも同じ計算を並行して開始しておくことで、切り替えのタイムラグをなくすことができると考えます」
「そうすると、あとはこちら側の位置取りだが」
「それが現状で唯一の懸念点だと思われます。計画変更により、約35パーセントの確率で、最終位置が接近限界ラインを越える可能性があります」
「お前さんたちにそれを強いる権限は俺にはないが・・・」
「そうだな。こいつらは俺たちの生徒で、俺たちは教師だからな・・」
デイブさんと先生はちょっと黙り込む。
「私はかまわないわ。ここまで来て逃げるわけにはいかないわよね」
美月が叫ぶ。
「俺もそう思うが、リーダーとしては皆に無理強いはできない。反対ならそう言ってくれ」
「僕はかまわないよ。こんな一世一代の大作戦に技術者の端くれとしてでも参加できるんだしね」
「私も同意する。それが最善の決断」
「まぁ、ここまで来たら・・・かな。私も異論は無いよ」
「私もです。ただ、皆さん、何が何でも無事に帰りましょう」
「そうだな。皆、ありがとう。先生、俺たちはかまいません。やりましょう」
「本当に心苦しいが、お前たちがそう言ってくれるなら・・・。私もできる限りのサポートをしよう」
「ひよっこのくせに、いい面構えしやがって。いや、この言い方は失礼だな。許してくれ。この作戦の責任者として感謝する。それでは、この作戦をただちに開始する。間もなく、最初の予備機グループとそちらの通信可能範囲に入るはずだ。準備してくれ。以上だ」
通信が切れる。さて、またしてもこのチームは危険な橋を渡ることになってしまったわけだ。マリナの言うとおり、皆が無事で帰れるように頑張るしかない。
「予備機グループBがあと30秒で通信可能範囲に入ります。制御計算は開始済み。移行準備は完了しています」
ユイの声だ。さすがに抜かりは無い。
「よし。通信が安定し次第、制御を移行するぞ。そこからは待ったなしだ。気を抜くなよ」
「了解」
全員が声を揃える。
「予備機グループBとの通信を開始。通信状況は良好。制御を移行します」
始まった。ここからすべての予備機と一部の本隊側発生機の制御を受け取り、必要な時間それを維持することが我々の仕事になる。
「続いて予備機グループA及びFが通信可能範囲に入ります。通信安定後、ただちに制御を移行します」
チャート上のシールド発生機群の表示色がグリーンに変わっていく。制御がこちらに移行されたサインである。
「本隊側シールド発生機グループHからJとの通信を確立。制御を移行します。続いて本隊側グループKからNが通信可能範囲に入ります」
本隊側の発生機も予定通り、一部がこちらの制御可に入ったようだ。ここまでは順調のようだが・・・。
「現在位置に注意しろ。接近限界面との距離を常に確認しておけ」
先生が叫ぶ。
「了解。現在接近限界まで3.5光秒、まだ余裕はあります」
こちらの位置をモニターしてくれているのはケイだ。この船の速度は目標座標との相対でポイント12c。まっすぐ境界面に向かったとしても30秒ほどの猶予がある計算である。だが、油断はできない。この船が向かうべき最終座標はまだ確定していないのだ。
「予備機グループEが通信可能範囲に入りました。通信を確立します」
さて、あと予備機のグループがひとつ。チャート上では間もなくだが、まだその表示は点滅中だ。
「最後のひとつがまだ安定しないな。ユイ、状況を教えてくれ」
「このグループが重力変動の影響を最も大きく受けており、また、先行して制御開始した他のグループの制御誤差をすべて引き受けているため、計算が安定しません。計算完了予測も現状では困難です。93.2パーセントの確率で、あと1分で通信可能領域に入りますが、その後安定して通信できる確率は61.9パーセントにとどまります。これは、本船が接近限界面の外側にいることを前提としています」
「接近限界面を越えれば安定通信が可能になるのか。どこまで行けばいい」
「安定通信が可能になる位置をチャートに示します。接近限界面の内側に1.3光秒入った所です」
接近限界面は、潮汐力がこの船の構造に影響を与える可能性を考慮したものだ。これを越えると船の構造破壊をもたらす可能性があり、場合によっては船が破壊されてしまう。流石にそれを越えるのは無謀だろう。だが、限界面の外側に留まって、もし通信が切れてしまえば、その影響はミッション全体の成否、つまりはこの太陽系の命運を左右しかねない。単に論理から考えれば我々がリスクを取るべきだろうが、クルー全員の命をかけることになる以上、安っぽいヒロイズムで決断できることではない。流石に先生も険しい表情で黙り込んでしまった。
「ユイ、接近限界面はどれくらいの安全係数で計算されているのかな」
声を上げたのはジョージだ。
「限界面は、ST2A設計上の構造強度に対して20パーセントの余裕を持たせる形で計算しています」
「そういうことか、エイブラムス。ユイ、余裕を10パーセントまで下げたら限界面はどうなる」
「10パーセントだとこのようになります。目標位置は、依然として、限界面の内側0.1光秒にあります」
「5パーセントではどうだ」
「5パーセントだと、目標位置は、ほぼ限界面と重なります。ですが、重力変動の効果を加味すると、この位置では、小規模な構造破壊が起きる可能性があり、推奨できません。3パーセント未満ですが、航行不能になる可能性があります。」
「その位置にはどれくらい留まる必要がある」
「シールドは、ブラックホールと褐色矮星の軌道が定まるまで約238時間維持される必要があります。但し、双方の距離がある程度離れれば、状況は次第に安定に向かうので、調整の必要は少なくなります。最低限の調整と、その後の自動調整アルゴリズムを決定するために、8時間程度はこの位置に留まる必要があるでしょう」
「8時間か、長くいればそれだけ航行不能になるような破壊が起きる可能性が高まるということだな」
先生はまた険しい表情になる。
「先生、僕にちょっと考えがあります」
「言ってみろ、エイブラムス」
「構造に影響するのは調整そのものではなく、その変動です。変動パターンさえ計算できれば、この船の重力エンジンを使って打ち消せないかと思ったのですが。8時間程度であれば、最大出力でもエネルギーには余裕があります。」
「無謀よ。そもそも、こんな大規模なミッションで制御しようって相手の影響をこんな小さな船のエンジンで打ち消せるはずがないわ」
美月に無謀と言われたジョージもかわいそうだが、俺もこれには同意せざるを得ない。
「いや、そうでもないぞ」
先生が割って入る。
「今回のミッションは、ブラックホールと褐色矮星という巨大なものの間に働く重力の制御が目的だ。だが、今問題にしているのはこの船だ。この船が存在する局所的な重力場の制御なら、エンジンでも可能かもしれない。そもそも、重力エンジンだって、制御が狂えばその力でこの船を引きちぎるくらいの力はあるからな。問題は変動パターンのほうだ。ユイはどう思う」
「ユイもその作戦には同意します。変動パターン、特に局所的な変動のパターン推定はたしかに困難ですが、大まかに推定できれば、ある程度影響を軽減することができます。変動パターンに関する情報は、シールドの制御に使用されているものを利用出来ますから、あとは計算能力を確保できれば実現可能です」
「計算能力か。ユイの演算ユニットも、今はシミュレーションにフル稼働しているし、シミュレーションに影響を与えるわけにはいかないから、こちらが問題だな」
「そう言えば、長距離センサーの性能向上に使っていた演算ユニットがありますね。現状、周囲の状況についてはヘラクレス3のセンサーの情報が共有されているので、独自のセンシングの必要性は小さいと思います。まずはそれを回したらどうでしょう」
「それで足りるのか」
「ユイもジョージさんの提案に同意します。能力的には最小限ですが、アルゴリズムを調整すれば、最低限の計算は可能です」
「よし、エイブラムスとユイはすぐに準備にかかってくれ。中井はコース設定を。安全率10パーセントの限界面を越えた時点で、速度は半分に落とせ」
「了解しました。設定します。20秒で20パーセント限界面を越えます。その後10秒で10パーセント限界面に到達。速度をポイント06cまで減速します。目標座標到達まで40秒です」
俺たちの船は、どんどんブラックホールに近づいている。ブラックホールの重力は極端に強い。重力は距離の二乗に比例して弱まるが、逆の言い方をすれば、距離が半分になれば4倍強くなる。既に我々は太陽の表面にも匹敵する重力を受けているが、重力が等しく作用している限りにおいて、破壊は生じない。問題は、重力の大きさではなく勾配である。距離がゼロの特異点に近づくと重力は無限に大きくなる。それに伴って距離に対する重力の勾配も極めて大きくなり、やがては、ほんの数メートルの距離でも、働く重力に大きな差が生まれることになるのである。この重力の差が潮汐効果だ。働く重力が違えば、その差の分だけ引っ張る力が生まれる。その力が構造の強度を超えれば破壊が起きる。それが潮汐破壊である。既に、船体のあちこちからギシギシと嫌な音が聞こえ始めている。まだ破壊には至らないものの、明らかに強い力が働きつつある。今のところ船室の中は重力調整が効いているのでこの影響は受けないが、あまり力が強くなれば、やがて限界が来る。その時は俺たちもバラバラになってしまうだろう。今はそうならないことを祈るのみだ。
俺と美月の宇宙日記(ダイアリィ)3 風見鶏 @kzmdri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。俺と美月の宇宙日記(ダイアリィ)3の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます