せきれい剣士

似而非

第1話

 多摩川は下流にすすむに連れ、その果ては江戸の内海(東京湾)に注ぐ。甲州街道はその沿岸をさかのぼり、江戸(日本橋)から内藤新宿、布田、府中に延びたのち、〝日野の渡し〟を渡って、対岸に移る。

 日野宿は甲州街道の第五宿である。起点である江戸からは十里ほど離れ、東西九町あまりにわたって町並みを形成した。

 しかし、東へ二里に府中宿、西へ一里半には八王子宿というように、大きな宿場に挟まれているため、通り過ぎる旅人も多い。あいにく宿泊客には恵まれないようだ。

 いっぽう、日野の渡しの管理に当たることで、経済的に恵まれた宿場ではある。そのため、しいて盛り場が設置されることもなく、歓楽色がうすい。周辺の住人は、おもに野良仕事に従事し、のどやかな景観には、草の香り、土の匂いが濃密に漂っていた。


 秋の陽気の下、沖田惣次郎がひとり座り込んでいる場所は、多摩川の堤防となっている高台であった。

 定例の出稽古からの帰路である。稽古道具一式を結わえた瑠璃るり色の刀剣袋が、いかにも若侍らしく初々しい。

 眼下には河畔、さらに川筋と、人為的な高低差をのぞむことが出来た。幾たびかの川欠け(増水による災害)を経て、大規模に開削・築堤され、先年、ようやく治水が実現した。この多摩川の護岸工事が容易に進展しなかったあたりに、幕府の台所事情の厳しさが窺えないでもない。

 惣次郎は、江戸の市ヶ谷にある、天然理心流道場〝試衛館〟に住み込みの内弟子であり、塾頭でもある。若齢にして、十五歳。

 すなわち、この年に元服を迎える。が、その儀を未だに済ましていない。だからという訳でもないだろうが、見目に子供こどもとした感が一向に抜けないでいる。多分に幼気を残した青年だが、理心流の屈強な門人たちには、存外に苛烈な稽古をつけることでおそれられていた。

 多摩は百姓農民にいたるまで武芸の盛んな気風だから、市ヶ谷の試衛館には来ないまでも、出稽古の度に多くの門人が集まる。このときも、日野宿の名主にして、理心流の門人でもある、佐藤彦五郎の邸宅に隣接する道場で、激しい出張教授を終えたばかりであった。

 平時の帰り道と大きく異なるのは、その傍らに巨大な風呂敷包みが鎮座ましましていることである。

 先生も、シでェよなぁ……

 先生とは、試衛館の剣術師範であり、理心流の跡取り息子、近藤勝太(後の勇)のことであった。今年で、二十八歳。惣次郎が試衛館に住み着いたのは九歳の時分であるが、以来、勝太からは「そうじ」という愛称で呼び慣わされていた。頑強な肉体、鬼瓦のように四角ばった顔面が、とかく印象的な男である。

 ところで、多摩地域ではいざ知らず、大道場がひしめく江戸府内において、試衛館はあまり流行らぬ町道場に属する。当月の入門者の数が振るわないなど、なにかのきっかけで収入が細ったとして、なお物入りは尽きず、したがって金子がないという状況もざらであった。

 まさにそんなさなか、惣次郎は勝太より重大な使命を帯び、傍らの大風呂敷と、懐中には書状を預かっていた。行く先は、勝太の親類にあたる人の邸宅である。勝太いわく、

 お前が行くほうが、ウケがいいから…… とか、なんとか言ってさ……

 大風呂敷の中身と言えば、それは女物の振袖であり、色も鮮やかな着物の類であった。これがけっこう重かったりする。何より、かさ張った。

 小柄な惣次郎が背負うと、ある意味で「身に余る」という形容が相応しい。しかし、本人には栄誉でもなんでもない。だいたい、着物は〝かた〟であり、しょせん人手に渡るものなのだ。

 すなわち、惣次郎の帯びた使命とは、借金の遣いであった。その甲州街道を辿る、足取りの重さたるや…… それだから、くったく気な惣次郎のため息には、無心におもむく自身の心苦しさに加え、兄弟子に対する意趣がちょっぴり含まれていた。

 惣次郎のくらい心境にかかわりなく、眼下に多摩川の清らかな水の流れが聞こえ、野鳥がここかしこに啼いていた。静かで、涼風が吹き渡ってくる。なにごともなければ、憩うのにこんな良いところはないと思った。

 同時に、ここで二の足を踏んでも仕様がないと意を決する。

 不承不承ながらも、惣次郎は立ち上がった。なんせ、大荷物である。背中にまわした風呂敷包みに、ひと揺すりくれてやったあたり、はたして青年の強い気構え、と言えるかどうか……

 ふいに、思いがけず川べりを走り出した河原雀かわらすずめが、惣次郎の目にとまった。

 この鳥は水辺に生息し、町のすずめ・・・より大形であり、鶺鴒せきれいともいう。長い尾を上下に振りつつ、速足でヒョコヒョコと歩くさまは、得も言われぬ愛嬌があって、惣次郎も嫌いでなかった。

 それも、今しがたのは大小一対である。父子おやこかもしれない。兄弟、あるいは親分と子分かもわからない。

 さらに付け加えるならば、小さいほうが大きいほうを先導し、懸命に趾足しそくをばたつかせている。それがいじらしく、いまの惣次郎の心にうったえるものがあった。

 まもなく、そろって二羽が茫々ぼうぼうとした草叢くさむらへ、姿を眩ませる。そのとき、

 「おい!」

 「へ?」

 足下から忽然と呼びかけられた。つまり声の主は、堤を下った河畔にいることになる。

 そして、じっさい居た。相手も一人である。高低を隔てつつ、指呼の間にある。一見したところ、憶えのない人相であった。 

 「立ち去るなら、早く立ち去れよ」

 姿かたちは、まるきり少年である。年端こそ、自分とそう変わらないはずだ。しかし、こいつのほうが、ずっと子供っぽい。何故か、そんなふうなことを考えた。 

 「お前、聞いてンのか?」

 総体、色白で細身である。ばさら髪が、やけに鮮烈であった。が、なにより、そこから見え隠れするとび色の、それが野良犬のように眼光炯々けいけいとし、その一点のみ、およそ少年らしくもない。ともすれば、世間擦れした気ぶりさえ滲ませていた。

 どういうわけか、右手に木剣を携えている。少年が何か言うたび、芥子からし色の筒袖が川風になびいた。

 「なんだァ? ボーっとしやがって」

 剣を、つかうのかな?

 惣次郎の関心は、少年の外面的な風姿のみならず、なぜか木剣に注がれた。見憶えがない以上、少なくとも理心流の門人とは思えなかったからでもある。

 「おい! お前、無視するなよ!」

 「いつから?」

 「あ?」

 「いつから、そこに?」

 「いつからだってぇ? そんなもん、ずっといたぜ!」

 その言を事実とするなら、よっぽど迂闊と思わねばなるまい。これでも惣次郎は、一剣士を自負しているのだから。ここのところのひっぱくした暮らし向きによって、やや足取りを鈍された彼であったが、心まで千々に乱れていたのであろうか。

 「お前のマヌケな独り言も、ぜんぶ筒抜けよ!」

 ……やはり、迂闊。

 それにしても、木で鼻をくくったような少年だった。愛想と言うべきものが、これっぽちもないのだ。それどころか、やけにとげとげしい。ほとんど悪態といってもいい。この際、どちらでもよいが、惣次郎にはいわれのないことである。

 ゆえに、その口を突いて出た言葉は、

 「……つむじ曲り」

 「あ、お前! いま、おれの悪口――」

 「こっちだ、周り込めっ……」

 そのとき、まったく別人の声音が重なった。そして数人の足音が、皮一枚で保たれていた河畔の寂寞じゃくまくを、ことごとくかき乱した。 

 「うげ!」 

 つむじ曲がりの少年は、とっさに駆け出す姿勢をみせた。が、それはしょせん無駄なあがき、というものであろう。現に、その進行方向へ立ち塞がった新手を見て取って、じりじりと後退り、すっかり元の位置に収まってしまった。

 どうやら、この突然の闖入者ちんにゅうしゃたちは、かねてより狙いを定めつつ、包囲の輪を狭めていたらしい。頃合いを計っていちどきに現れるあたり、なかなか狡猾なやり口といえる。

 「ああ! おまえのせいで……」

 たちまち、いくつかの人影がつむじ曲がり・・・・・・をとり囲んでしまった。背水にして、前方は堤防が壁のように拡がっている。どだい逃げおおせることは難しいのではないか。

 ときに、惣次郎を恨めし気な視線でとらえるあたりが、せきの山である。

 ちょっと、心外だけどね……

 しかし、この状況をまねいた要因の一つに、自身がまったく係わりないとは、あながち言い切れない。

 というのも、惣次郎はつむじ曲がり・・・・・・を取り籠めようとする一団の動きに、いち早く気付いていた。なにも気配を察したとか、そういうことでなくて、ただ高台に突っ立っているぶん、低地の様子が手に取るように分かるのだ。

 伝えるべきか。それとも、秘するべきか。

 逡巡しゅんじゅんしているさなか、事態が思わず進展し、どうものっぴきならない状況下へと推移していったに過ぎない。

 だいたい、この高低差がよろしくないのではないか。高台と河畔で、なにやら現実世界を別つような趣がある。〝此岸〟と〝彼岸〟と言い換えてもいい。

 さしづめ、河畔が彼岸に属するのではないか。その証拠に、妙に現実感がない。しょせん非日常の事柄であり、他人事なのかもしれない。冷淡なようだが、そこに緊迫感など生まれよう筈がなかった。

 そもそも、何故につむじ曲がり・・・・・・は、こうも追い立てられているのか。それを見定めたい思惑もあった。

 高台下での睨み合いは、いまなお継続している。

 さて、つむじ曲がりの得物は、右手に握られた木刀である。携行している以上は、多少なりとも心得があると思われた。それにしても、双眸から放たれる耀気ようきが心もち、くすぶったのではないか……

 それを取り巻く、一団は七人ばかり。無腰であった。しかし、その風貌は博徒か無宿人の類である。匕首あいくちぐらいは隠し持っていると思わねばなるまい。

 連中は惣次郎の存在を、はなから眼中に置いていない。

 さらに、人垣を割りつつ、正面中央へと歩み寄った男がいた。一本差し、見目は痩せぎすで、薄汚れた浪人風である。

 これは、どうも剣呑だな……

 それは浪人風の男の、どこか倫理観をかなぐり捨てたような臭気を、惣次郎が看破したからにほかならない。こういった臭いは子供じみていたほうが、かえって鋭敏に嗅ぎ分けるきらいがある。

 ややもすると、つむじ曲がりを包囲せしめた企ては、この痩せぎすの発案なのではないか。なにが可笑しいのか、男は含み笑いを含みきれていない。それは小細工を弄し、的中させた人間の醜悪な窃笑せっしょうだった。 

 正視に耐えない。かといって見て見ぬ振りは出来ないはずだ。けだし、惣次郎のように、本来、くったくなく、短気者の若者に到っては。

 惣次郎をまったく蚊帳かやの外において、足下では口争が繰り広げられていた。あるいは事の仔細を推量することも出来たろう。

 「やくたいもない、か……」

 おもむろに、惣次郎は刀剣袋から木剣を抜き放った。

 そして、空の袋を一団の頭上に向け、いとも簡単に投げ入れた。おりからの川風にひるがえり、それが鳥の翼羽のように宙を舞う。午後の光線に、思いがけず瑠璃色が映えた。

 ときを同じく、つむじ曲がりが一丁前に覚悟を決めた様子で、木剣を下段に構えた。異なことに剣尖が小刻みに上下している。

 笑止とばかりに、痩せぎすが鯉口を切った。右手が柄に伸びる。だが、男は視界の端に、ひらひらとするものを捉えた。

 瞬間、つむじ曲がりの木剣が跳ね上がった――鳶色のひとみが一転、淡い光明を宿した。ばさらの髪まで、さんざめくようだった。

 せつな、惣次郎の身は此岸から、一触即発の彼岸めがけ、一跳ひとっとびしていた。

 川風にのり、刀剣袋が舞い落ちる。ひらめく色彩は、野辺に咲いた竜胆りんどう花弁はなびらのようだ。

 追い駆けるように木剣を振り抜く、つむじ曲がりの面持ちも、血気に染まって小凄い。切っ先は跳ね上がったまま、はかなく空を切り、いきおい天をちゅうするようである。

 このとき、痩せぎすは鞘口から刀身を半ばまで滑らせていた。しかし、いささか虚を衝かれた。せいぜい、相手の間合いから外れるほかない。すると男の目算は、布切れ一枚を前に崩れたこととなる。

 やや遅れて、刀剣袋が両者の中間域にあたる地平に落ち着いた。

 そのとき到来した、しじま。それは常ならぬ一瞬を切り取ったように、あるいは三者三様の絵草紙みたいに思われた。

 しかし間髪を容れず、尨大ぼうだいな鞠のように、ころがり落ちて来る変異があった。後背にかけて、こんもりと膨れ上がった大風呂敷が見る者の視界をかすめる。たまらなく場違いで、滑稽なことこの上なかった。

 なにせ唐突なことで、たちどころに一団から喚声かんせいが上がる。同時に狭まっていた包囲の輪が、石を投げた川面のように、わっと拡がった。

 他方、降って湧いたような影を、つむじ曲がりは咄嗟に呑み込みかねていた。ただただ、しゃちほこばってしまっている。けれども、パチクリさせた双眼には、少年に相応の負けん気がきざしていた。 

 これ、置いてくりゃ、良かったな……

 当の惣次郎は、背負い込んだ重荷を仰仰しく安全圏に据え置いていた。まるで決まらない。しかし、勝太から預かった大事なかた・・であるから、なおざりにも出来ないのである。

 束の間、自身が降ったばかりの傾斜を見上げていた。いっぷう変わった余韻だった。当然ながら、堤はものを云わずそそり立つのみである。取って返し、急勾配を駆け上がろうとするなら、それはそれでちょっと骨が折れそうだった。

 特段これといった理由もなく、惣次郎はいざこざに首を突っ込むこととなった。あるいは常日頃の鬱憤が青年を駆り立てたのか。

 しかし、どこか吹っ切れ、思い定めている。

 自分は何故に理屈をこね、先刻まで身の処しようを決めかねていたのだろう。そんなものは邪魔っけでしかないのに。

 「むろん、関わりありませんし」

 ただ、ひとりの青年が思惟するに過ぎないのだ。善悪にかかわらず、たとえ謂われなくとも、ひとっ働きせねばならぬとき、それを看過すれば、人の道にもとるのではあるまいか、と。

 とまれ、惣次郎の胸は河畔を鳥瞰ちょうかんしていたときより、いくぶん晴れやかな心地だった。それは〝此岸〟と〝彼岸〟の端境はざかいを、一足飛びにしてみせた充足なのかもしれない。

 「ことの仔細も承知しませんが」

 ひょいと、つむじ曲がりの少年をかばうようにして進み出た。海のものとも山のものとも分からぬものを見るように、少年から向けられる視線がこそばゆい。その反面、いつになく心気が昂っていることを自覚できた。

 「――大勢でもってなぶるような所業は、捨ておけません」

 「邪魔立てすると、要らぬ傷を負うぞ」

 惣次郎は言うべきことを、ただ漠然と言い終えたような節がある。痩せぎすの台詞を、ろくに聞いてもいない。

 もはや言葉は要らざるものだった。すらりと木剣を脇構え――いわゆる〝しゃ〟に取った。それが回答とも言えないような回答である。

 ああ!

 だしぬけに、つむじ曲がりが高声を張り上げた。大口をあけ、人差し指を一点に示していた。

 まさにその方角である。はしなくも躍り上がるものがあった。とりまきの博徒らのうち、ひとりが勢い込んで向かってきた。前方に突き出され、陽光のなかで鈍い光をたたえる匕首。痩せぎすが口辺を歪めた。笑ったのだ。おおかた機先を制したつもりかもしれない。

 が、それも惣次郎が、かすかな体の捌きでかわしたのを見ると、たちまち笑いが失せた。

 さらに、くぐもったうめき、鈍った音の響きが周囲に伝わった。

 かと言って、これは惣次郎の意図によるものではない。彼を襲った博徒を、こなたの少年がちゃっかり打ち据えていたのである。目敏いというか、如才がない。その太刀筋も、なかなか精錬されているようである。

 「おお」

 もっけの幸い、とばかりに惣次郎が感嘆したとき、 

 「小僧っ……」

 邪気とともに、中段からの斬りつけが惣次郎に襲いかかった。情け容赦ない害意を含んだ、言わば嗜虐しぎゃくの剣だった。痩せぎすの振るうがまま、粘り気を帯びたように不快な刃風が空間をよぎる。

 呼応して、くるりと惣次郎の木剣が回旋した。大気を撹拌かくはんしながら、双方ともに刀剣の軌道が交錯する。

 このとき、惣次郎は痩せぎすの眼をしっかと見た。捨て鉢で、すさんだ眼だった。それは身を持ち崩した男の、怨嗟えんさの球体でしかなかった。

 そして、自分自身の選択が間違っていないことを惣次郎は確信した。

 ふたたび、間合いをはかる。惣次郎が左の肩を引きつつ、右足を前にして半身を開く。理心流の〝平晴眼〟――小躯を補って余りある、堂々たる構え。同時に、相手の喉元に向けるべき切っ先が、僅かに右方向へと流れる。これは、惣次郎に特有の癖だった。

 男が縦横に斬りかかる。しだいに迫る、刀刃。

 眉目に、鈍い閃きが散った。振りほどくように、二歩、三歩、するすると惣次郎がつけ入った。何とはなし、強靭な意志を有した剣尖が、ひとりの青年に融即し、一様に歩み寄るようだった。  

 急場において静観するのも堪え切れず、血気にはやった少年が駆け寄る――その矢先だった。

 直立した影が折り重なるほどの間合いである。瞬刻、何かが触れ合った。

 鳶色の眸が、いっぱいに見開かれた。

 同期して痩せぎすは、うっと低く叫びながら不格好に身をよじらせた。たちどころに膝をがくりと地に折り敷いたと見るや、虫のような息を詰め始めている。

 遠巻きに青い顔をした男たちが、みな硬直したように立ちすくんでいた。理解の追いつかない一齣ひとこまに直面して、肝をつぶしたような顔だった。

 「さあ、どこへなりと去って下さい。 ……このひと連れて」

 惣次郎の繰り出した剣尖は、刀刃の軌道をかいくぐり、単衣ひとえによって覆われた男の鳩尾みぞおちを、あやまたず抉っていた。

 水際立った交錯――その過程を、余すことなく把握したのは、傍らの少年だけである。その眸には、そよ吹く川風のように、青年の立ち姿も飄々ひょうひょうとして見えた。

 端然と立ちつくす惣次郎の袴の裾が、縦に一寸ばかり切れている。本人は気付いてもいないようだったが……


 博徒風の連中は昏倒した男らを、おっかなびっくり回収し、これをまた曳き摺るように、大慌てで遁走とんそうしてしまった。

 闘争が一過した河畔に、いとけない二人の若者だけ置き去られたようである。ときに少年の視線は、惣次郎へ向け、じいっと据えられている。なにか物言いたげなのだった。

 「――だ…」

 「な、なに…?」

 「なんで、だ」

 「エ。なんで手出ししたかって、それは――」

 「違う。そンなことじゃない」

 そ、そんなことって……!?

 多少なりとも骨を折ったにもかかわらず、つむじ曲がりの態度は、現れたときと少しも変わっていない。あまりに素っ気なく、どこか塩っ辛い。しかし、もとよりわれたわけでなし、ましてや見返りをうものではない。

 「なんで、みすみす逃した。奴らは人さらいだぜ」

 「エ。そうなの?」

 「…たぶん」

 むろん初耳である。よくよく耳を傾ければ、

 ――奴らといったら徒党を組んで、あたりの商家を窺い、めぼしい豪農の垣内を探るような挙動を見せていた。怪しいことこの上ない。これは下見にほかならず、さしづめ夜の闇に乗じ、しのび入る魂胆であろう。せんじ詰めれば盗賊の類、そうでなければ人さらいである。たぶん、そうである。そうに決まった……

 ざっと少年の弁は、このようなものであった。ちょっぴり呆れさせてくれる。しかし、その実、さもありなんと思わせないこともない。 

 多摩郡における悪漢の流入については、もはや論をまたない。ここいらは「天領」と呼称されるほどだから、無法者を取り締まる強固な警備力が配されていそうなものである。

 しかしながら、実体はまったく逆であった。江戸から近いだけに、幕府領、旗本領、大名領などが錯綜する土地柄である。藩体制の外にあるため、領内で悪事を働いた者がいると、そいつが他領へ逃げ込むのを役人はいたずらに待つしかない。当然のように、悪人・罪人の類がはびこる運びとなる。

 考えてみれば、酷ェ話だよなァ……

 いっぽう、住人らは自衛の必要性に迫られるなか、こういった無法者に対抗するため、武装して剣術を学ぶこととなる。

 例に漏れず、大胆不敵にして不逞の輩が、白昼に蠢動しゅんどうを始めたとして、そのあたりの含みを目の前の少年、ただひとりに看破されたとすれば、よっぽど迂闊であり、杜撰ずさんはかりごとというほかなかった。

 それにしたって……

 さりとて、直情の赴くまま大の男らに突っかかり、向こう見ずに咎めてみたりした挙句、散々に追い回された少年の軽挙はどうしたものだろう。 

 「なに、思ったより多勢だったもンで、ちょっとばかし手こずったが」

 「……」

 「おれの腕なら、あんな破落戸ごろつきども、いちころ……」

 「……」

 「って、なんなんだよ! いきなり、ボーっとしやがって!?」

 思えば、ひとりで勝手に怒ったり、言い繕って自賛してみたり、すこぶる賑やかで目まぐるしい少年だった。間近で見ていて飽くことがない。

 「聞けよっ! 人の話を!」

 「ああ、はい」

 「だいたい! おれはつむじ曲がり・・・・・・なんかじゃない」

 「ふーん。じゃあ、ホントの名を教えてくださいヨ」

 「おうよ。ただし、一度しか言わないから、よーく聞けよ」

 「うん」  

 ここで少年が、いかめしく咳払いをひとつした。

 「おれの名は! 藤堂、――」

 「――平助」

 「へ?」

 両者とも向かい合い、同一の口吻こうふんを形づくるさまは、少なからず剽軽ひょうけいであったと思う。それにも増して、もったい付けておきながら本懐を遂げ損った、片割れの少年がちょっぴり不憫だった。

 またしても第三者の声音が重複したこととなる。

 言下に推察できたことは、 ――藤堂平助。おそらく、これがつむじ曲がり・・・・・・の本姓であろう。

 問題は少年の名をとみに発した、上方の堤に立つ人物こそ、たれであるか。

  おそらく平助という名の少年は、自身のばつ・・の悪さを払い落とすように、ぶんぶんとかぶりを振るっていた。そうしていると、ほんとうに野良犬のようである。

 それはそれとして、ふいに出来しゅったいした人物は、背負い袋を担い、編笠あみがさを傾けた、浪人風の見立てであった。

 惣次郎は相手の出方を、下方より睥睨へいげいする格好となった。油断ならず、木剣を握る手にも力がこもった。

 一転、影を潜めていた昂奮が、再び顔を覗かせている。あるいは、いまだ闘争の余韻のなかを、たゆたっていたのかもわからない。

 ここで男が、おもむろに笠を取り払った。たぶん、惣次郎も知らず知らず、険悪な視線を向けていたことだろう。 

 そんな矢先、軽い会釈が返って来た。どうやら男は惣次郎に対し、敵意のない気ぶりを示そうとしているらしい。というより、惣次郎から向けられる視線は身に覚えのないことで、こころなし戸惑っているようだ。

 それを受け、ことのほか惣次郎も毒気を抜かれてしまった。いったん、こめた力を体から抜く。そこで改めて、まじまじと目を遣ってみる。

 困惑したような八の字眉の下に、聡明そうな両目が開いていて、顔立ち自体はみやびやかと言えないこともない。そして年の頃と言えば、試衛館の勝太と同じようなあんばいである。

 「ずいぶん探したぞ、平助」

 なんか、おっとりした人だなァ……

 男の長閑のどやかな風姿に、差し迫ったものはこれっぽちもなかった。一瞥いちべつした立ち姿も折り目正しく、無頼の輩と明らかに類を異にしている。男の静かすぎる声音も、あっさりした支子くちなし色の帷子かたびらも、むしろ色白の風采にはふさわしいようだった。

 ごくあっさり、惣次郎の警戒心は薄らいでいた。どこか気負ったような胸の内であったが、ようやっと人心地ついた感すらある。

 だいたい男の言をかんがみるに、目の前のつむじ曲がり・・・・・・…… もとい藤堂平助と、近しい間柄の人物ではないか。もとより疑ってかかること自体、甲斐のない労苦であったと言える。

 「少しばかり、そばを離れたら、いつの間にか居なくなって――」

 「しようがねぇ人だ、アンタは……!」

 にわかに立ち直った平助が、繰り言めいたものを男の言に重複してぶつけていた。先刻の意趣返しにほかならない。しかし、それではあべこべ・・・・というものである。

 「いや、それは私が言おうと思って――」

 「アンタが、どこぞをほっつき歩いているとき、オレは大変だったんだ!」

 「大変? また、なにかやらかしたのか。お前ってやつは……」 

 何やら高低を隔て、ひと悶着起こりそうな気配である。しかしながら気安く、戯れ合いのような、どこか惚けた味わいが双方にあった。惣次郎自身、こういった手合いの応酬を好む質であるから、眺めていて苦にならない。そんなおり、

 「それはそうと、平助」

 「なんだよ」

 「そこもとの少年は、お前の知音ちいん、か?」

 「ああ、こいつか。こいつは――」

 このとき平助は、鳶色の眸を二、三回、はっと思い出したようにしばたたかせた。それから舶来の珍獣でも見つけたように、惣次郎へ向き直って、

 「オマエ、誰だっけ?」

 「……」

 「ああ、俺は藤堂平助。江戸で北辰一刀流をってる。オマエは?」

 徐々におかしさがこみ上げてくるようだった。はぐらかされたような滑稽感である。が、惣次郎にとって、これはこれで悪くない感触であった。

 しかし平助は、よほど決まりが悪いと見え、誤魔化すような咳払いまで交えている。それはそれで笑止というものだった。

 「――沖田、惣次郎。 …天然理心流の門人です」

 「ほう、天然理心流」

 惣次郎が流儀を名乗ったとき、上の方で所在なさそうにしていた男が、なぜか得心いったように相槌を打った。比する平助は、いかんせんさっぱりといった具合である。もしかすると、この二人は一刀流の同門なのかもわからない。

 「テンねんリシン流? 聞かない流儀だ」

 江戸で北辰一刀流を学ぶ者ならば、二人は神田お玉ヶ池に門を開く玄武館、もしくはその分室である、桶町の千葉定吉道場の門人ではないかと推察される。

 一口に〝玄武館〟と言っても、三千六百坪の敷地に、三千数百人という門弟が名を連ねる。一道場としては空前絶後の規模であり、まさに日本一の兵法道場であった。

 また千葉定吉は、北辰一刀流の開祖である千葉周作の弟であり、兄とともに玄武館の勃興にも携わった当代一流の剣客である。

 そういった大道場の門人たち、おもに御家人の連中らは、得てして細々とした町道場、ないし泥臭い剣法の流儀には疎い。なかんずく、天然理心流の未洗練な太刀筋、農民たちと一緒に汗を流すさまを揶揄やゆし、「イモ道場の、丸太ん棒剣法」と吹聴する輩も少なからずいた。

 その点に惣次郎が反駁を覚えないわけではないが、ややもすると卑屈な心根になりかねないところを、 外面的には、けろりと微笑んで見せている。

 「いえ、これでも多摩のあたりでは、ひろく知られた流儀なんです」

 「ふーん……」

 「平助。天然理心流は――」

 ここで惣次郎のあとを継ぐように、思いがけず堤の上の男が、ぽつりぽつりと語り始めた。

 「寛政の頃、近藤内蔵助という人によって創始されたらしい。なんでも、神道流の流れを組みつつ、実戦に主眼を置いた剣法。ゆえに、未だ稽古では木太刀を使って打ち合う。とかく、木強にして剛毅と聞くよ。当代は三代目で、近藤周助邦武という御仁が継承している。気息の充実を〝気組み〟と称し、他流に際立って重んじるらしい。そしてその突き詰めた先をたしか…… あ、平助。どうしてお前は、しゃんと人の話を聞けないのか…」

 「はいはい。でもね、アンタの剣術談義は、いい加減に聞き飽きてウンザリなんだ」

 当の平助は、かの男の談ずる理心流の骨子を、ろくすっぽ聞いちゃいなかった。あくまでも自由気ままといった風情で、てくてくと周囲を歩き回っている。

 ちょっといたたまれなくなって、はからずも惣次郎が男の言説を引き受けることとなった。

 「〝士道一息〟のこと、ですか?」

 「うん? ああ、そうです。士道一息…… 良い言葉ですな」

 「しかし、お詳しいですね」

 ちょっと詳しすぎるくらいだ。また言葉少なと思いきや、とうとうとして弁舌に淀みがない。剣術にも〝数寄者すきしゃ〟という言葉が当てはまるかは定かでないが、少なくとも惣次郎にとって、この男はそのように思われた。

 「なに、実は今しがた、近場にある理心流の道場へ伺ったところです」

 「それは……」

 今朝から、いっときほど前まで、惣次郎が稽古を付けていた日野の佐藤道場にほかならないだろう。表立った道場として看板を掲げているわけではないが、ふらりと他流試合を望む者が現れないとも限らない。じじつ物好きな男が、すぐそこにいるではないか……

 「ひとつ指導を仰ごうと、いえ、立ち会い稽古を許していただけるなら、僥倖ぎょうこうでありましたが」

 「……」

 「残念ながら、出稽古の先生と入れ違いだったようです。しかしながら名主の方直々に、剣流の風儀などの口伝を受けました。望外なことです」

 これは佐藤彦五郎のことだと思われる。おおかた、男の立ち振る舞いが慇懃いんぎんなだけに、素っ気なくあしらうのも悪いと思って、心許りのもてなしで迎え入れたのだろう。実際に見てもいないのに、そんな光景が即座に思い浮かばれた。

 「君も出稽古を受けた帰りですか?」

 「ええ、まぁ」

 「なんだか年の割に、すごく出来そうだ。出稽古の先生は、どなたですかな?」

 「いえ、あの、わたしは市ヶ谷の、甲良屋敷にある道場に籍を置いて修行していますので……」

 ただし、ときとして惣次郎は稽古を授けるほうである。そして佐藤道場において男が訪ね、たったいま問われた〝先生〟というのは、さしずめ惣次郎自身にあたるのではあるまいか……

 だいたい、甲良屋敷の道場に籍を置く青年が、日野で出稽古を受けること自体、回答としてはちぐはぐ・・・・な感を否めない。

 じじつ、面ばゆかった。ちょっぴり顔色まで上気していたかもわからない。

 しかしながら、今ここで自らが塾頭であることを告げたとして、それでどうなるわけでもないはずだ。だいいち、己を無意味に誇示するようで、惣次郎には少なからずはばかられることだった。

 むしろ着眼すべきは、平助と、この男――二人との、少しばかり間の抜けた邂逅によって、借金の遣いであるとか、大道場への劣等意識といったわだかまりが、不思議と胸の内で氷解を始めたことだった。

 もっともそれを、はたしていまの惣次郎じしんが諒解できたかどうか。

 「もう、いいだろう? いつも長くなるんだ。やっとう・・・・の話は」

 やれやれといった態で、平助が割って入った。しかし思いがけず、その手には瑠璃色の刀剣袋と、巨大な風呂敷包みが抱えられている。

 「しっかし、重いな! なにが入ってンだ? まぁ、いいや。これ、上から引っ張ってくれよ!」

 ぶつくさ言いながらも、男の手を借りつつ、風呂敷包みをどうにか堤の上まで持ち上げてくれた。ちょっと意外なほどの、まめまめしさと言うべきだった。

 そのあとで惣次郎の傍へ寄ってきて、自ずから砂埃を払い、まるで借り物でも返すような手つきで刀剣袋を手渡してくれた。

 「これ、惣次郎のだろう? ……助かった」

 それを置き土産とばかり、やおら身をひるがえした。と思えば、勢いよく急勾配を駆け上がっている。そして、次なる瞬間には堤の上方で佇立しているのであった。驚くべき身の軽さと言わねばなるまい。やってのけた当人も、どこか得意気である。

 なぜか対抗意識を煽られた惣次郎が、そのあとに続いた。先達と同じく、一息で登り切ろうとしたようだが、あと一足というところで、ふいに失速してしまった。

 「あ」

 真っ逆さま。そんなおり、急落する視界の真ん中で、支子色の影が揺らめき立った。上方から、ついと男の手が差し伸べられている。惣次郎は待っていたかのように、それを掴みとった。

 握ったその掌は、まず間違いなく剣術によってこしらえたであろう、たこでいっぱいである。心配気に八の字眉を形つくっている顔立ちには、そぐわないほどであった。

 ああ、やっぱり、この人は遣うなぁ……

 「うわ。危なっかしいやつだなァ」

 呆れたような平助の声は心外であった。が、胸の内に秘めておく。そして今は、それが容易に出来る。

 「市ヶ谷の試衛館。宜しければ、覗きに来て下さい。 ――山南やまなみさん。それに、平助も」

 惣次郎は別れ際になって、ようやく〝山南敬助〟と名乗った男に、そんなことを言い含めていた。眸には、沈んだ陰の欠片もない。遠からず、二人とはまた会うことになる気がした。互いに本気の剣を交える機会が巡って来る。そうであれば、自分はもっと強くなれる。武者震いにも似た予感が、惣次郎によぎった。

 他方、去りゆく二人の進む道は、とりもなおさず、多摩川の流れにも通ずる。上空を、大小一対の鶺鴒せきれいが、あさっての方角へ飛び去っていく。

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せきれい剣士 似而非 @esse

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