67

 木戸研究所はとても広い。

 もしかしたらこのまま迷子になってしまうのではないか? と思う。

 宇宙の中に、ひとりぼっち。

 それもいいのかもしれない。

 夏の耳にきーん、という小さな耳鳴りが聞こえる。

 温度も幾分、冷たくなった気がする。

 夏の心に不安がよぎる。

 おかしいな。

 覚悟を決めたはずなのにな、と夏は思う。

 夏の思いは揺れている。

 大きく揺れたぶんだけ、その反動も大きくなって返ってくる。

 やがて夏は立ち止まる。

 知らない場所。

 行方不明。

 夏は通路の真ん中で立ち止まっている。

 夏はじっと目の前の暗闇を見つめている。

 そこから、ぺた、ぺた、という懐かしい足音が聞こえてくる。

 しばらくそのままじっとしていると、前方の暗闇の中から、夏のいる丸い照明の世界の中に、真っ白な女の子が姿をあらわした。

 木戸雛。

 雛は夏を見てにっこりと微笑む。

 夏も雛の姿を見てにっこりと微笑んだ。

「こんばんは、夏さん」雛が言う。

「こんばんは。雛ちゃん」夏が言う。

 雛は少し気まずそうな顔をして、もじもじしている。

「どうしたの?」夏が言う。

「……あの、さっきは、お話の途中で勝手にいなくなってごめんなさい」そう言って雛は頭をちょこんと下げた。

「夏さん。私のこと、怒っていますか?」少し顔を上げて、上目遣いで雛が言う。

「ううん。怒ってないよ」夏が言う。

 その言葉は嘘ではない。

「私、また雛ちゃんに会えて、こうしてお話ができて、とても嬉しい」夏は言う。

 その言葉を聞いて雛は笑顔になり、夏に近づいて、夏の体にぎゅっと抱きついた。その冷たくて小さな体を、夏も優しく、包み込むように抱きしめる。

 二人はしばらくの間、そうやってじっとしていた。

 それから雛が体を離して夏を見上げる。

 雛の小さくて綺麗な顔が夏の目の前にある。綺麗な青色の目はまるで宝石のようにきらきらと輝いている。

「私、とぎどき、自分でもどうしようもないくらいに、すごく眠たくなってしまうことがあるんです」

「眠たくなる?」

「はい。とっても眠たくなるんです」

「私もそういうことあるよ」夏が言う。

「私、眠ってしまうと、消えてしまんです」

「消える?」夏は言う。

「はい。消えてしまうんです。なにもかもがなくなってしまうんです」

 なくなる。

 それはとても羨ましい。

「それで私、さっきまでずっと眠ってしまっていたみたいなんです。今も実はまだ、意識がぼんやりとしているくらいなんです。でも、夏さんの匂いがしたから、あ、起きなくちゃって、思ったんです」

「……私の、匂い?」

 夏はくんくんと自分の体の匂いを嗅いでみる。

 なんの匂いも感じない。

 でも、なんとなくだけど、雛の言いたいことはわかった。

「雛ちゃんは私を助けに来てくれたんだね」夏は言う。

「ええ。その通りです」雛は笑顔で、とても嬉しそうに夏の問いかけに答える。

 その笑顔に夏は少しだけ救われたような気がした。

「お散歩に行きましょう。夏さん。私、夏さんと一緒にお散歩がしたいです」雛が言う。

「うん。そうしよう」夏は言う。

 そうして二人は手をつなぎ、通路の中を仲良く並んで歩き始めた。

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