第42話 フィオナの婚約者

ジークヴァルトによる経済学の授業は、俺にとっても非常にタメになるものだった。

アルバート達と一緒にいた頃に読んだ本は古びたものばかりで、あまり参考になるようなデータは無かったが、この授業では今現在の経済状況を把握することができた。


が、フィオナには苦痛でしかないようだ。




「ん〜〜〜〜‼︎難しい‼︎こんなの分かりっこないわ‼︎先生、もっと優しいところを教えてくださらないかしら?」




艶やかなウェーブのかかった髪を撫でながら、トントンと指先で教本を突いてジークヴァルトに文句を言うフィオナ。


ジークヴァルトは、そんな彼女に気持ち悪いほどの笑みを浮かべて対応する。




「授業を延長なさるのであれば、基礎の基礎からお教えいたしますよ。そうですね、明日の梟が鳴く頃には終わるでしょうか……」



「先生の意地悪っ‼︎もう無理だわ‼︎休憩‼︎さ、行きましょう、ルカ」




彼の言葉に悲鳴をあげたフィオナは、不貞腐れてしまったのか 俺の手を引いて部屋を出て行く。


おい、俺は授業を受けたいんだが。




正直 彼女と逃避行をする気は無かったが、連れて行かれるままに歩く。

なぜならば、彼女が可愛いからだ。


なんなんだよ、この美少女!


いや、美少女というには少し年は上かもしれないが、この純粋無垢で穢れのない感じはまさしく美少女というにふさわしい。




「びっくりしちゃうわ!あーんなつまんない授業、お姉様ったら真面目にじーっと聞いているんだもの。私、10秒だって耐えられないのに!経済学なんて習って一体何の役に立つのかわからないわ。私は将来、”運命の彼”と結ばれて、大きなお屋敷に幸せに暮らすのですもの。数学も経済学も天文学もなーんにもいらないのよ!」




そんなことを言いながら庭に到着すると、薔薇の咲き誇る区画、いわゆる薔薇園に2人で入る。


うわぁ、こんなメルヘンチックな場所があるのか……。

あちこちに棘のない薔薇が咲き誇り、害の与える気の無い茎がうねうねと絡み合っている。




「ねぇ、ルカ ここ素敵でしょう?私の一番お気に入りの場所なのよ!ここでお話ししましょうよ」



「えぇ、よろしいですけれど……本当に授業を抜け出してしまってよろしかったのですか?あれでは、先生はお怒りですよ。早く戻ったほうが……」



「まぁ!ルカまでそんなことを言うの?」




あ、やべ。

俺は急いで訂正する。




「い、いや、そんなつもりは‼︎」



「みーんな、そうやって私に勉強するようにいうけれど、なんで勉強しなくちゃいけないんだろう。お姉様のようにじっと椅子に座って教本とにらめっこするのが、私には到底耐えきれないの。ねぇ、ルカは勉強が楽しい?」




フィオナの言葉に、俺は詰まる。



勉強が楽しいか、か。


前世の俺ならば、きっと自信を持ってノーと言える。勉強なんて大っ嫌いだったし、学校ではいつも最下位争いをしていた。欠点も取りまくって、それでも勉強しようという気は起きなかった。


勉強をしよう、ではなく、勉強をしなければ。


その気持ちだけがいつもあった。



だが、いつからだろうか。

自らしだしたのは。

やっぱり、このルカとしての人生を始めた頃からか。


世界征服の為に、勉強が必要だと思った。

何かの目的を持って、初めて能動的に勉強ができた。夜が更けるまで本を読み漁り、家中の紙がなくなる勢いでメモを取った。


自分で必要だと理解していたから、頑張れた。




「僕は……僕は、勉強が楽しいとは思いません。でも、僕の夢を叶える為には勉強が必要だと理解しています。だから、辛くっても頑張れるんです」



「夢、か。ルカの夢は何?」



「え、あ、その、な、内緒です」



「えぇ〜?教えてくれたっていいじゃない。でも、そっか……夢か。私の夢はね、運命の人と結婚して幸せに暮らすことなの」




なんだ、その抽象的な夢は。

19歳の夢とは思えない。

なんだ、アレか?白馬の王子的なアレか?




「お父様のご友人でね、とっても素敵な人なのよ。会ったことは一度も無いのだけれど、もう何度も文通を交わしていて、あの方とずっと一緒にいるみたい……」



「えっと……それはつまり、婚約者ということですか?」



「ええ、そうよ」




なんだ、フィオナには婚約者がいたのか。


あれ、そんなの資料にあったかな?

ジークヴァルトから貰ったのに書いてあったっけか?見た記憶がない。いや、だけど、ジークヴァルトは把握していそうだったし。




「どんな方なんです?」



「赦鶯(シャオウ)様っておっしゃって、確か洞穴地方に住んでいらっしゃるの。お父様とはお仕事仲間で、古い付き合いだって聞いたわ。お手紙は、いつも知的で文才に溢れていて 本当に素晴らしいの。字も力強くって惚れ惚れしてしまうわ‼︎この間なんて、『沈む夕日にあなたを重ねて、いつか聞いた薔薇園の紅を想いながら手紙を書いています』だなんてっ‼︎素敵だわ‼︎」



「そ、そう、ですね……」




おいおい……。


興奮気味に身を乗り出しながら喋るフィオナに、若干引きつつ笑みを浮かべる。


彼女の話を聞く限り、運命の人 改め 赦鶯という男とフィオナは顔も知らなければ話したこともないらしい。

それでこれだけ夢中になるなんてな。


その赦鶯は一体何者なのだろう。

フィオナの婚約者ということは、出身は怪しいところではないだろう。ルシアンとも古い付き合いというのなら、同じ貿易関係者か。

いや、だが、よく考えれば、彼は洞穴地方の人間だそうだ。となれば、老虎のメンバーである可能性も考えられる。


これは……面白くなってきた。

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