36 四道の結論
四道にアドバイスされた方法で目の腫れを取り除き、三好が落ち着いた頃合いを見計らって四道の部屋へ誘った時、既に時刻は夕方を回り込んでいた。外はもう殆ど夜だ。
窓のそばをエオリアが舞い、ウィカチャがシュリの足元で丸くなり寝の体勢に入る。
藍色と茜色が混在する空に薄っすらと色を添える二つの月を遠く眺めていると、四道はカーテンを閉め、《ポータル》で部屋の明かりを灯した。
「ごめん、二人が来たから続きはあとで。また連絡するよ」
シュリ達を一瞥した四道が、据え置きタイプのネット
〔心得ておる。ではまたの〕
少し金属がかった声は口調が堅く、深い慈愛を讃えている。聞き覚えのある声だった。そういえば、最近あまり話をしていない相手。
「今の、マム?」
「うん、研究の手伝い……っていうか、いろいろ教えて貰ってるんだ。さすがにいろいろ詳しいからね」
最近の四道はつてを頼ってあちこちに師事を申し込んでいると聞いたことがあったが、まさかガーディアンの長たるビッグ・マムにまで及んでいるとは思わなかった。
異世界から来たシュリたちは、決して人との縁が多いわけではない。もっとも、〈ノウア〉の女王や作戦責任者と顔見知りな分、普通の人よりもよっぽど強いコネクションを持っていると言えるかもしれないが。
「座って」
四道に視線でベッドを示された。
この寮の部屋はすべてが同じ作りなので基本的な構造はシュリの部屋と変わりない。部屋に入って右か左かにユニットバスがあり、奥に進むとクローゼット、机、ベッドがある。それ以外の物は自分で用意しなければならない。
シュリの部屋には服以外ろくな物はないが、三好の部屋にはサンドバッグがぶら下がっていたし、二の宮の部屋は女の子らしくメイク道具やアクセサリーの類が見られた。四道の部屋の場合、大半を占めているのは大量のノートだ。おそらく彼の研究成果が書き込まれているのであろうそれらは、床はおろか、枕の左右にまで散乱して、所せましと言った表現がぴったりだった。
〈ノウア〉ではすべての情報がグローバルネットワーク上で管理されるので、ノートの存在すらも珍しいのだが、四道は「見て聴いて書いたほうがちゃんと記憶に残る」という持論のもと、しつこく紙とペンを愛用している。意外に古臭い一面を持つ男だということは、つい最近知ったばかりだ。
ベッドの上の邪魔なノートだけを必要最小限に避けつつ腰を下ろすと、四道は机とセットになっているイスに座り、シュリ、三好の顔を順番に確認した。
「結論から言うと」
真剣なまなざしだった。
「僕達はこれ以上、〈ノウア〉に関わらないほうがいい。可能なら一刻も早く日本に帰るべきだ」
「…………」
しばし言葉が出て来なかったのは、どうしてその結論に至ったのか、まるで想像もつかなかったからだ。
第二の故郷のように親しんできたこの世界に――関わってはいけない。なぜ?
疑問ばかりが降り注ぎ、なにも見いだせない。
それは隣に座る三好も同じようだった。シュリ以上に瞠目し、「なぜ」という言葉を喉元まで出しかかっていた。
それより早く、四道が続ける。
「ジンにも分かるように説明するから、ちゃんと聞いておけよ」
そう前置きし、四道は深呼吸一つ分の間を空け、滔々と語り始めた。
「まずはこれを見てくれ」
四道が《CND》を操作すると、空中に画面が現れた。何らかの数値が入力された棒グラフと折れ線グラフを複合したグラフが映し出されている。縦軸のには数字が入力され、横軸には聞いたことのない名称が三十種類ほどずらりと並べられており、棒は実値、折れ線は予測値となっている。
「……なんだよ?」
「ブライアンから貰った、今までのレーゼンメーテルの実験結果を平均化したものだよ。問題はここ」
四道が指したそれは、棒グラフの中でも突出して数値が小さく、赤い折れ線よりも棒が大幅に下回っている箇所だった。それが異常であることは、他の棒が全て折れ線よりも同等か、あるいは上に伸びていることを見れば火を見るよりも明らかだ。
「レーゼンメーテルの重力子を観測したものだけど、赤い予測値よりも大幅に減っているだろ。どうしてだと思う?」
「知るかよ」
投げやりな三好の答えに間髪いれず、四道は続けた。
「どこかにエネルギーが漏れているんだ。しかも量子レベルでね」
「はぁ?」
「正確には、レーゼンメーテルが使用された場から、重力子が消えたって言うべきかな。勿論、周辺に拡散したという観測もされていない。つまり考えうる可能性としては、消滅したか、観測不可能な別の場所に移動したか、主にこの二つになる。僕達が地球からここに――〈ノウア〉に来たときのように」
確信と不安と疑念が綯い交ぜになってシュリの心を泡立てる。
四道の解説にまるで理解が追いつかない三好も、最後の言葉には何か察するところがあったのだろう。はっと顔を強張らせ、四道を凝視して次の言葉を待ち続けた。
「レーゼンメーテルの開発者達が重視しているのは兵器の威力を増加させることだ。重力子がどこに消えているかなんて、誰も気にかけていないから誰も調べない。――けど僕らは……僕達だけは、知ってるだろ」
どくん。
心臓が跳ねた。
シュリ達だけが知る、消えた量子の行き先――。
――それは……。
「一九九〇年代に高次元時空の概念を取り入れた様々な宇宙モデルが盛んに発表されている。ブレーンワールドといって、それによると僕達が知る三次元の宇宙は、この薄っぺらい紙のようなもので――」
机の上に散らかされたままのメモ用紙を取り、ぺらぺらと煽いで見せ、四道は続ける。
「――漫画の主人公が紙の中から出られないように、僕達三次元の人間も宇宙からは出ることは不可能なんだそうだ。そしてこの紙の外には五次元の世界があり、隣り合った場所には別のブレーン――別の世界があるという。つまり」
四道は感情を押し殺した目をこちらに向けた。
「パラレルワールドだよ」
「………………………………は?」
たっぷりの間を空け、素っ頓狂な声を呟いたのは隣に座る三好だった。
予想外の四道の言葉に、思考が追いついていないらしい彼は、狼狽も顕わに声を震わせた。
「え、ちょちょっと待てよ。イミわかんねーよ!!」
「何故だ? 君が得意なゲームじゃ、使い古されたネタだろう」
「そりゃそーだけどよ! いきなりンなこと言われて、ハイそーですかって言えるかっ」
「ブレーンワールド説では、これら次元の壁を越えられるのは「弱い力」に分類される重力子だけだ」
「ムシかよ」
「つまり二つの宇宙は、何らかの形で繋がっているんだ。しかも一方通行じゃない、相互関係で。だから極めて厳しい条件さえ整えば、行き来することが可能だ。……僕達はその流れに乗って、こちら側の宇宙に来たんだよ」
しばし言葉を忘れ、シュリは、四道が語る壮大な世界に呑み込まれてしまった。
考えてみれば、二つの宇宙が繋がっているというのは当たり前の話なのだ。シュリ達は確かに地球で育ち、今は〈ノウア〉にいる。この紛れもない事実が、二つの宇宙の存在と、それらの「接続」を証明しているのだ。
しかしそれを四道の口から改めて聞くと、何か別の、壮大な宇宙史を聞いているような気がしてならなかった。宇宙を移動したのはシュリ達であり、つまり当事者なのだが、四道の理数的な証明の上で展開されると、まるで《デジペ》を音読しているみたいだ。デジタル表示された言葉の羅列、あるいは成績を評価する為だけの材料のような、そんな薄っぺらいものに思えてしまう。
「レーゼンメーテルから重力子が消えた理由も、それなら説明がつく。それからもう一つ、僕が気付いたことがある」
淡々と理論を詰め、四道が手を動かす。《DNC》のホロキーボードに触れ手早い操作でグラフを消去すると、代わりに別の立体映像を表示させた。
青と緑で色付けされた球体が、何らかの惑星であると直ぐに察知出来たのは、立体映像の表面に山岳と思われる凹凸や悠々と流れる大河を見つけたからだ。
「これは僕達が今いる〈ノウアスフィア〉を再現したものだ。縮尺はだいたい一千三百万分の一くらいかな」
海と陸もある。赤土に覆われた南部のどこかには、先日戦闘を繰り広げたソルフェリノもあるはずだ。
「で、こっちが僕が記憶の限りを尽くして再現したもの」
何を、とは明言せず、四道は再び《ポータル》を操作した。
現れたのは、〈ノウア〉のホログラフ映像とまるで同じ大きさの球体――星だった。〈ノウア〉よりも凹凸が浅く見えるのは、そこに海と陸の境界がないからだろう。全体が赤茶けた色で塗られ、〈ノウア〉よりも遥かに埃っぽい。細く長く線引いた部分は河の痕跡と思われる。
「火星?」
シュリの声に、四道が頷いた。
「そう。二つともよく似てるだろ」
「そう……かあ?」
「まあ、見た目はね。〈ノウア〉はガーディアンのテラフォーミングによって海や緑があるからかなり違うけど……。でも、星の直径、相対質量、重力……どれをとっても〈ノウア〉は火星とまるで同じだ。双子なんてものじゃない、まったく同じ存在なんだよ」
小さく息を呑み、シュリは二つの星を見た。
「さらに」
四道の手が動き、更に惑星が二つ追加される。部屋の上部が手狭になり、エオリアが少々飛び辛そうだった。
今度の星はどちらとも〈ノウア〉と同じく海や陸があったが、大きさは共に倍ほどあり、そのうちの一つは火星と同じく見覚えのある惑星だった。
母なる故郷――地球。
そしてもう一つは……地球とよく似ているが、どこか違う。大陸の配置は同じでも、海岸線の形は小さなところで異なっているし、緑に覆われた部分が圧倒的に地球よりも多い。
「こっちは地球だろ。そっちは?」
「〈バイオスフィア〉」
抑揚を意図的に抑えた声で四道が独白のように呟き、彼の音声は小さな衝撃となってシュリの体を貫いた。
「地球と〈バイオ〉が……同じ……」
掠れた声で呟く。
「同じ、という表現は正確ではないよ。厳密には違う。あくまでも地球は地球、〈バイオ〉は〈バイオ〉だ。ただこの二つはまったく同じ物理的条件を備えているってだけで」
圧倒されたように押し黙る三好の隣で、シュリは思い出していた。
あの時――〈ノウア〉に到着したばかりの戦艦ストラトスの甲板で、ヴィクスと四道が言葉を交わし、エオリアに三好達が襲撃され、ガーディアンの存在を知った時。『オレ達の世界にガーディアンはいない』と言った三好に、ヴィクスは言った。『ガーディアンがいないなんて、〈バイオ〉みたいだな』
〈バイオ〉を離れ、戦艦ストラトスの展望室から〈バイオ〉を見た二の宮は〈バイオ〉を見下ろし『地球みたい』だと呟いた。
あれらの言葉は、重要な鍵だったのだ。
「まさかと思って、〈ノウア〉や〈バイオ〉周辺の星とか彗星とかいろいろ調べてみたけど、全部同じ結果だったよ。どれもこれも、地球側の宇宙と一緒だった。
もちろん、僕が覚えている範囲のことだけど、ここまで一致するともう偶然とはいえない。これはつまり――二つの宇宙は物理的に同等だと証明されたも同然だ」
三好や四道とともに、シュリはしばし四つの星に魅入られる。
奇妙な因果、あるいは物理的な法則によって繋がれた、四つのスフィア。
シュリ達もまたこれらを繋ぐ細い紐のように、四つの星を知っている。
星と、シュリ達と、全てを覆い全てを繋いでいるのは、一体何なのだろうか。ブレーンワールドと呼ばれる宇宙モデルなのか、あるいは人間やガーディアンを超越した存在だとでもいうのだろうか……。
「……ただ、問題があって」
蚊の鳴くような小さな声で、四道が感慨に水を差した。
顔を仰ぐと、申し訳なさそうな、言い辛そうな表情がそこにあった。彼にしては珍しい顔だ。いつもはもっと堂々と、自尊心たっぷりなのに。
「まだ何かあンのかよ」
三好に言葉を叩きつけられ、四道はそこで初めて言い淀む姿を見せた。
「一番の問題は、この事実を論理的に実証できないことだ。数字的な証明が、何もない」
「なんでだ? 火星と《ノウア》は同じ星なんだろ? だったらパラレルワールドで間違いねーじゃねぇか」
「でも、それはあくまでも僕達――厳密には僕の記憶に過ぎない。記憶、というのは、確定性の薄い曖昧な、しがないものだ。証明には使えない」
「ふざけんなよ。地球の記憶が――家族とか友達の記憶も、曖昧なモンだってのかよ!?」
「ああ、そうだよ! コンピュータだってちょっといじればデータは改竄出来るんだ! 世界五分前仮説じゃ、記憶は反証にならないって言ってる。学会は裁判じゃない、重要なのは万人を納得させられるだけの数字だよ!」
そこまで言い放ち、ようやく我に返った四道は、息切れしながら気まずそうに顔を逸らし、前髪を掻きあげた。
四道だって、こんなことは言いたくはなかったようだ。顔にそう書いてある。
「……どうしてそんなに」
極めて小さなシュリの呟きに、四道は怒りを潜め、「実証できないのが問題なんだ」と低く唸った。
「レーゼンメーテルのエネルギー漏れが確認されたってのは今話した通りだけど、実は今回が初めてじゃないんだ。その前――〈バイオ〉での出力実験のときも、更に前の試作機実験でも、同様の現象が確認されている。……レーゼンメーテルだけじゃない。レーゼンメーテルと同仕様の……つまり、同タイプの兵器全てで、漏れの量の差異はあるものの、確認されてるんだ」
「どういうこと……?」
四道の言葉の中核が見えず、シュリは首を傾げた。
「欠陥とかじゃなくて、物理原則に基づく漏れ……ということなんだろうな。正直、これに関してはこれ以上分からない。地球でも〈ノウア〉でもこの現象は殆ど立証されていないから。
ただ――消えた重力子は、出力の数パーセントとはいえ質量としては大量だ。何らかの物理的影響を与えておかしくはない。
もし本当に宇宙がブレーンワールドで、地球側の宇宙と〈ノウア〉側の宇宙が対になって存在するのなら……消えた重力子は、〈ノウア〉なら火星に、〈バイオ〉なら地球に向かったと考えるのが自然だ」
それは、つまり……。
「――つまり?」
シュリの胸中を代弁するかのように三好が先を促すと、四道は何かを呑み下し、こちらに視線だけを向けた。
「左側がレーゼンメーテル開発までの年表で、右側が僕が記憶している限りの、地球で起きた主だった災害だ」
「災害」
呻くように繰り返したのはシュリだった。
三好はもう殆ど情報を処理出来ていないようで、目を白黒させている。
「そう。地震だけじゃない、火山の噴火とか、異常気象とか、ヒト物にこだわらず、場所も限定せず、あらゆる被害を出してきた災害の数々だよ。もっとも、さすがの僕でも世界中の災害を全て覚えてはいないから空白が目立つけど……」
そう本人は言うが、実際には画面の右半分は四割近くが埋まっている。
彼の記憶力の幅広さにはもう舌を巻かざるを得ない。褒めちぎっても足りないくらいだ。
「僕達がこの世界に来た時、宏観異常現象――凄い光が見えただろ。あれがずっと気になっててね。宏観異常現象っていうのは原因不明なんだ。未知のエネルギーが働きかけていると言われてた。それで今回、ここに結びついた。――ひとつひとつ思い出すたびに、すごく怖かったよ。どれもこれも、時間も、場所も、ぴったり同じなんだから」
「場所、まで?」
「そう。〈バイオ〉に緯度と経度を入力して現在の地球と対比させたんだ。その結果がこれ」
年表を指す四道の表情は硬かった。顔だけではない。その声も、石のように硬質化してしまっている。
それも無理はなかった。
レーゼンメーテルがエネルギーを取りこぼせば、そのエネルギーは地球へと流れ――
そして、地球では同時刻・同じ場所で、何かしらの災害が発生する。
彼がどんな心地でその事実を突き止めたのか、また、受け止めたのか。
「零れた量子が地球でどんな作用を起こし災害に繋がるのか、まだまだ研究の余地がある。だけどこれだけは断言できる。――レーゼンメーテル、あるいはあれと同じ構造の兵器が使われるたびに、地球では何か災害が起きて……人が死ぬんだ」
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