第7話 文化祭

 朝早かった。

 いつもは時間ギリギリに登校する連中ですら、門が開く七時半には校門前にいた。それには、教師が苦笑いを浮かべていたが、それだけ楽しみなのだろうと笑顔で開けてくれた。

 その日は少し肌寒かった。雨はかろうじて降っていなかったが、降りそうな灰色の空をしていた。

 各自売り場となる場所に走って散らばる。生徒の声があっという間に寝ていた校舎に息を吹き込み、学校が学校である姿を見せた。

 いろいろな業者が荷物を配達してくれたり、親がその配達をしてくれたり、とにかくいろんな人が出入りするので、どうしてもテンションが上がってしまう。

 太郎や畠山のような、モテるグループでもなく、根暗グループでもなく、平均的なグループの男子でさえもちょっと浮かれる。

「三組な、喫茶店だって、女子がミニスカート履くんだって」

 などと言う。今ではそれほど過激だと思えないような恰好も、その当時はかなり過激だった。ほとんどの女子のスカートがまだ長いころだったので、膝上スカートなんてドキッとするようなものだった。それでも、膝小僧が出るくらいが精いっぱいの当時だった。

 そんな恰好でも、ドキドキしたし、階段下に居たら下着が覗けるのじゃないかと真剣に思ったほどだ。

 太郎は畠山とそんなことを言いながら階段を上がったり、降りたりした。


 文化祭が始まると、更にいろんな人が流れ込んできた。

 中学生は受験を考えている子たちだろうし、その保護者もいる。受験に無縁の大人は近所の人と、学生の保護者。あとは、卒業生と中学時代の他校へ行った同級生が来ている。

「いやぁ、モテてるやつは中学時代の同級生も山ほどいますなぁ」

「まったくだ」

 松山の周りには私服の子が集まり、久しぶりだと会話している。

 太郎は梓のほうを横目で見た。梓はちらりと松山のほうを見たが気にしていないようなふりで、自分たちの店の準備をしていた。

 太郎たちのホットドックとジュースのセットは軽食にはうってつけで、あと、梓や深雪の売り子に売り上げが思っている以上によかった。

「タロちゃん、お皿とって」

 と言われ、皿を深雪に渡しに行く。深雪の笑顔は子供や女性に向けるほうが多い。男には不愛想にするからなのか、

「少し胸が大きいからって、愛想がないんじゃ」

 という声が聞こえた。

「ここは高校の文化祭です。大人な世界ではありません」

 と言ったのは、普段堅物で、口うるさい生活指導の先生(男)だった。ラグビーをしていた体躯のいい先生に言われ、口をとがらせて出ていく人が数名いた。


 昼をまたいだ11:30から13:30までは体育館で、ダンスパフォーマンスや、合唱などがあったので客が減ったが、それでも、ウィンナーをボイルし続けた。

 太郎は家庭科室の冷蔵庫と売り場を往復し、

「これラスト」

 と言って、最後のケースを持ってきたのは、体育館のショーが終わる前だった。この分では二時にはすべて完売しそうだった、だけど、そこからが売れなかった。

 客のほとんどが一度は食べて、もう一度買う気が起こらないようだった。予想完売時間の二時を過ぎてもまだケースの半分は残っていた。ジュースに至っては、少し肌寒さが災いし、だいぶ残っている。

「値引きする?」

 という案が出てきた。それも仕方ないこと。と、いくらの値引きにするか? とかそういう会話をしているさなか、

「これ以上はウィンナー温めないで」

 と深雪が言い出し、冷たいままのウィンナーをパンにはさみ、ラップに包み、

「明日の朝食にいかがですか?」

 と声を出した。

 もう帰ろうとしていた人の数名が立ち止まった。

「ウィンナーは冷たいままです。ケチャップもつけていません。パンとウィンナーのみです。レタスがいる方ははさみます」

 深雪の言葉に、在庫が、今までのまとめ買い以上の量で消費していった。そして、十分足らずで完売した。

「ジュースは正直この寒さだもの無理だから、あとで、皆でお疲れ様会用に残しておこうよ」

 ではなく、わざわざ自分たちが楽しむために残そうと言った深雪の案は、在庫を抱えてしまったと暗い気持ちになっていたクラスメイトたちの気持ちを少し明るくし、

「確かに、あとで、皆で乾杯だな」

「あ、じゃぁ、ホットドック残しとけばよかったね、少しお腹すいたんだよね」

 という声に代わっていった。


 太郎たちのクラスが一番早く店じまいを始めた。それでも、五分、十分後にはほかのクラスも片づけを始めて、客も帰り、残っているのは、保護者で、車を止めている場所で待っているとか何とか声が聞こえる。

「やっぱり、深雪ちゃんてすごいよね」

 ウィンナーの箱をつぶしていた太郎の横に来て、縛り上げるための紐を用意しながら梓が言った。

「もう、値引きして、赤字覚悟って、なんか嫌な気分だったのに、ジュースは後で皆で乾杯しようとかって、そういう発想はないもの。私には」

 梓はそういって太郎に首をすくめる。

「まぁ、あいつは、変わり者だから」

 太郎の言葉に梓は微笑み、

「いいね。そういう関係。別にいいのよ……本当に好きなものを知らなくても、そのうち知っていけばいいのだし、気にしてほしいところはそういうことじゃないのだし、」

「野原?」

 梓の言っていることが分からず聞き返す。

「ごめん、こっちのこと」

 梓は首を振る。


 段ボールを十枚一組で縛り上げる。

 紙コップや、いろんなごみを回収する係りも集まり、

「大盛況で終わりたいと思います」

 と梓の声のあと、残っていたジュース、意外にも、クラス全員分がギリギリ呑めるほどの量だった。それを分け合い、乾杯して終えた。その時のオレンジジュースの味がほろ苦くて、のどに引っかかるのを覚えた。


 太郎は一人で段ボールを回収するらしい北舎裏手にある場所に持って行った。普段来ない北舎は、天気のせいもあって薄暗くて、鬱々としていた。少し広い場所に資源ごみ置き場があって、初めてこういう場所があるのを知った。

 段ボールをそこに放り、振り返ればほかの生徒も続々来ている。校舎の角が北側を外壁のフェンスと接近し、人一人分ほどしかなくて、そこを段ボールを持って歩いているあの波を逆走するのは、雨が降り出した中悪いなぁと、だから、まだ広い、だけど、校舎入り口からだいぶ遠いし、人が本当に通らないから、見た限りで苔むしていそうな方へと歩いていった。

 見事なまでの苔の道。辛うじて、校舎側のアスファルトは雨に濡れているだけで、そこを踏み外せば、滑りそうだと判るような道だった。

 太郎のあとを誰も追いかけてこないので、やはり遠回りはしたくないのだろう。

 気を抜くと、人一人分の道を外れて苔に足を取られそうで、内心ビビりながら歩く。

「なんで?」

 太郎が立ち止まって振り返る。

 ―野原の声がしたよな? いないんですけど? 俺、どこまで野原が好きなんだか―

 とちょっと赤面して正面を見る。

「私が好きなのは、○○君だよ? なんでわからないの?」

 太郎はちゃんと止まり、振り返ったり、辺りを見回した。だが、声の主である梓の姿は見えない。

「ねぇ、ちゃんと私を見て? なんでわからないの? 私は○○君にだけ見ていてもらいたいの」

 ○○君は松山の下の名前だろうが、あまりにも覚えにくく、というか、松山の下の名前を思い出せないので、聞き取れない分、そこが埋まらない。

 太郎が辺りを見回して、やっと、上を見た。

 開いている窓があった。

 たしかあそこは、……生徒会室だったはずだ。と気づいた時、変なところを通ったと後悔した。

 梓の声は泣いているような声だった。そして、痴話げんかをしているのだろうと判った。

「山辺君と、深雪ちゃんみたいに、」

「またそれ? あいつらは幼馴染で、だからあんなに一緒にいるんであって、そもそも、学校で付き合っているって解ったら嫌だって言ったの梓の方だろ?」

「だからって、いろんな女子と仲良くして何て言って無い」

「そんなのしょうがないじゃないか、」

「山辺君はそんなことしないわよ」

「山辺、山辺って、じゃぁ、山辺と付き合えよ」

 太郎は目が飛び出そうになり、慌ててそこを離れた。あのまま聞いておくわけにもいかないし、かといって、あの後どういう話になるかなど解らないが、とにかく、あのまま居ることはできなかった。

 ―なんて、運のない場面に遭遇するんだろうか―

 あわよくば、梓は松山の言葉に売り言葉に買い言葉で、太郎に告白してきたとして―俺、付き合うか?―と考えたが、あの喧嘩を聞いてしまった以上は無理だ。だって、梓は松山が好きで、それはゆるぎなくて、付き合ってと告白してきたのは松山への当てつけだ。

 では、あの会話を聞いていないで、付き合えれるか? ―付き合うかなぁ―と思った目の前に、深雪が立っていた。

 玄関の軒先に立って段ボール組が帰ってくるほうを見ていた。

「何してんだ?」

「って、どっから出てくるのよタロちゃん」

「いや、向こう、混んでたから」

「そうなんだ。遅いから見に来た。迷子になってるかと思って」

 と笑った。

 階段を上がる。深雪はどこか楽しそうで。と言ってもいつものことだ、鼻歌を歌っている。何の曲かは解らない。だけど、それがすごく楽しそうで太郎は好きだった。

「なぁ、」

「ん?」

 先に踊り場に上がった深雪が振り返る。

「例えば、好きな相手が、誰かれ構わず、あー、異性に話しかけたり、優しいとやっぱり嫌なもんか? 女子って」

 太郎の言葉に深雪は少し考えてから、

「そうねぇ。嫌か、好ましいかで言えば嫌よ。でもね、それ、いろいろとあるのよ」

 と言って、踊り場の壁にもたれて立つ。

「彼女。たぶん、彼女」

 深雪は誰のことを言っているのか解っているようだった。

「彼女が彼のどこを好きか。という答えにもよる」

「と、言うと?」

「彼の、誰にでも分け隔てなく優しいところが好き。とか、かっこいい。とか、面白い。は、絶対短所になる」

「はぁ? 何を根拠に?」

「優しいって、一見すごくいいことでしょ?」

「いや、一見しなくても、それは好条件の筆頭では?」

「馬鹿ねぇ。だから、タロちゃん、女にもてないのよ」

 深雪は笑いながら、首をすくめ、

「優しいというのは、反面返せば、甘いってことでしょ? まぁ、聞け。いい?

 誰彼優しい。つまり、いろんな女子が困っていると手を差し伸べる。そこが好きになったきっかけだとして、付き合うようになったのに、まだ他の子に優しいのはいかがなもんかとなる。私にだけ優しくしていればいいと思うのよ。

 でも、私にだけ優しくなった彼を、周りが、あの女と付き合うようになってから優しくなくなった。と評判が立つのは嫌。だから、ほどほどに優しくして。という」

「ほどほどの優しさって、どんなんだよ」

「そこよ。ほどほどの優しさは優しさなのか? 重いものを持って、入り口開けれない子に、半分だけ開けて開ける。ほどほど? 廊下で荷物ぶちまけてしまった子の、荷物を足で側に寄せる。ほどほど? あり得ないでしょ? かといって、扉を開けてあげたり、荷物を半分持ってあげたり、しゃがんで拾ってあげるのは、。となる。

 そうなると、彼のほうが息が詰まる」

「確かに」

「優しいから好きっていう単語にはね、他人に対しての優しさと、自分にも優しい。ということがあるのよ。

 自分がテストの点が悪くて赤点補習があるけど、行きたくない。だけど、そこはちゃんと受けて来いよと言われる。彼女が欲しい優しさは、一緒に遊びに行こう。と言って欲しかった。とか、

 まぁ、学生だから無いと思うけど、ギャンブル依存症とか、アルコール依存症とか、そういうときにも、優しく。人が、優しい人。

 だけど、本当に優しい人は、彼女のことを考えて、いま彼女に必要なこと、赤点補習も、ギャンブルを止めさせることも、全ては彼女のことを思ってのことであって、すごい優しさでしょ? だけど、彼女にとっては茨の要求だから、彼は優しくなくなったという。

 あとの、かっこいいとか、面白いも同じ。

 かっこよくなくなったら嫌いになるのか? 毎日毎日面白い人なんかいないでしょ? 面白くなくなったら、嫌いになるのか?

 だから思うのよ、長所って、短所になりうるって。特に形容詞の長所は。

 優しい。かっこいい、面白い。ね?

 だから、私は、動詞の長所を見つけるの。一緒にいて楽しいとか、面白いと思った相手に対して、話が合う。趣味嗜好が合う。波長が合う。とかね。

 そりゃ、長所と短所は紙一重だから、話が合わなくなる時だってあるだろうし、趣味嗜好も違うようになってくるかもしれない。でもそれは、長年一緒にいて成長しているから出てくるものであって、相手に対してのみ押し付けるものじゃないと思うのよね。

 優しさも、かっこよさも、面白さも、相手がどうということでしょ? でも、話が合うのは、私とあなたがいる。趣味が合うのも、波長が合うのも。一緒にいることで得られる長所と、個人の長所は違うと思うのよね。

 だからね、個別にたろちゃんのどこが好きかと聞かれても、別に、かっこいいわけじゃないし、すごく優しいわけじゃない。優しいよ、ケンカしないし、争いごと嫌いだものね。それに、面白いって、最近じゃぁ、親父ギャグしか言わなくなって、相手するの疲れるけども、でもそれもタロちゃんであって、そのタロちゃんは、あたしと一緒に成長してくれている。と思うから、どこが好きかと言われても困るのよね」

「……、いや、聞いてないけど。てか、俺、親父ギャグなんか言って無いし、そもそも、なんで俺がおまえと付き合っている前提なんだよ」

 太郎の声に深雪が「キャー、ぶたれるぅ―」と頭を押さえて駆け上がっていった。

 太郎の体がほんのり熱くなっている。―かっこよくないけど、って、褒めてねぇし―


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