第39話 無知を恥じ入ることはないそうです
ごきげんいかがですか?
えー、前話を不幸にも読まれてしまわれた皆さんにおかれては、意味が全く理解できない極度のギャグおよびコミュニケーションツールと言う言語の基本機能を完全に無視した、単に語感のみを揃えた全く無意味な文章の羅列、日本語の文法をわざと遵守していないので、全くもって美しくない文章など、端的に言えば「キチガイにより書かれた狂気に満ちた言語の塊」に恐怖を感じたり、背筋に冷たいものが走ったりしたかもしれないと思い、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、ご理解いただきたいのは、アレはわたし流の精神をフラットに戻すための少々荒療治的な「ガス抜き」であったということです。アレを書くことにより、ダッチロール状態だったわたしの思考がフラットな位置にやや強引ではありますが、戻せました。今後もわたしが方向性を見失った時に、ピエーロ・滝口ノ武士くんが顔を出すでしょう。逮捕起訴されていなければですが……
さて、今回のテーマのキモはわたしオリジナルの考えではなく、ネットニュースで見て、たいへん感銘を受けた、とある東大教授の言葉の引用もしくは盗用です。しかし、ぜひ皆さんにご紹介したいものであり、なおかつ、わたしの文章は営利目的でも権威付けのための論文でもないので無断で用いさせていただくことにしました。ご了承くださいませ。
その教授は学生の時日本史を学ばれていて、いわゆる一次史料を読み込むゼミに所属していたそうです。それで、ある史料を読み込んでいる時、とある単語の読み方が、一般的な読み方でなく、違う読み方であることを発見して、有頂天になり、ゼミでの発表で自慢げに話したのだそうです。教授はその恩師からお褒めの言葉が出てくると信じて疑っていなかったのですが、豈図らんや恩師は「きみねえ、そんなことはどうでもいいことなんだよ」と叱責を受けてしまったのです。恩師は続けて「史料を読み込むということは、きみのように、自分が得た枝葉末節な知識を賢しらげにひけらかす事ではなく、そこに書かれている文章の意味の正確な意味を追求していくことが重要なんだ。言葉の読み方など、多少間違っていてもいいんだ」と言い「自分の知識量を誇るより、たとえ無知であってもそれを恥じ入らず、知らないことを虚心坦懐に表明して、他者に教えを請えばいい。一番恥ずるべきことは自己の無知を隠し、わからないままでいることなんだ」と話され、教授はたいへんに反省したそうなのです。
翻って、わたしを顧みますに、やはりおのれの単なる雑学程度の知識を、さも「自分はこんなことも知ってるんだぜ」的なスタンスで他者に話していることは認めざるを得ません。大反省です。大極を見極めず、局地戦のみにこだわってしまっていました。どうりで、将棋や対戦型シミュレーションゲームに弱いはずですよ。そのくせ、自分を「諸葛孔明の生まれ変わり」だと思っていたのですから救いようがありません。
わたしがいまのような境遇にあるのも、人生を冷静に俯瞰して、計画的に生きず、その場限りの浅知恵でやり過ごし、真摯に生きてこなかったからだと思いいたり、猛省しています。
残念ながら、人生はやり直しや巻き戻し機能はありませんので、どうすることも出来ないのですが、せめて残り少ない余生くらいはできる限り真剣に全力に楽しみたいと思っています。まあ、心身の爆弾のためにフルスロットルとは行きませんけどね。できる範囲内でですね。読者は少ないですが、書くことはとても楽しいですし、読書もずっと、楽しい。いま、小説ではない方の「勉強本」を音読する楽しさを発見しました。理解度が増しますし、ストレス発散になります。「勉強本」は黙読だと理解しづらかったので、「音読」は結構大きな収穫です。孤雲庵の周囲は騒音バカどもばかりですので、わたしが多少大声を出したって、万が一にもクレームなんかつけてきたら、それこそ返り討ちにしてやりますよ。ただ、さすがにハルヒは音読が出来ませんよね。ライトノベルだから露骨な性表現はないですけど、ちょっと、みくるさんの台詞をわたしのような老いぼれが喋るのを想像するだに、いやあ、かなりホラーッチックにグロテスクですわなあ……
まあ、そういうことです。
ではごきげんよう。また勉強して来ます。
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