第16話

 ――ついに当日。

夜の十九時。汚い空に三日月が輝く。俺達は既に芦ノ湖を周遊する観光用海賊船『ロワイヤルII』に乗り込んでいた。

「髪キレイですねえ。どんなシャンプーを使われてるんですか?」

「ウミガメにあるやつ」

 エミリのノンキな声。なんだかこれから勝負をするっていう雰囲気じゃあない。

「こんな格好、気合がそがれるなあ」

 銀色のタキシードを着せられ、髪の毛をオールバックにした俺は憮然としてソファーにふんぞりかえる。そして赤ワインに口をつける。

「大変お似合いですよ。お客さんスタイルがいいですから、シルバーが似合いますねえ」

「ちっ、お世辞ばかり言いやがって」

 選手控え室には、大きな鏡が乗った鏡台机があった。その上には様々の化粧道具が並ぶ。エミリはイスに座りヘアメイクをして貰っている。冷蔵庫には客に出すのであろうドリンクがたくさん入っている。さっきからバンバン勝手に飲んでいる。

「あとどれくらいかかるの?」

 スタイリストのどうみても元ヤンキーという風情の女に尋ねる。

「このあと、フェイスメイクもあって、そのあと着替えですので四十分ぐらいですかね」

「……その辺ブラブラしてくるわ」


 この巨大な甲板上で今日の勝負は行われる。中央にはプロレスで使うようなでっかいリングが持ち込まれ、そこに麻雀卓が置かれている。リングを囲むように、すり鉢状に観客席が配置されている。たぶん二百席以上ある。

「はははは! おめーなんだよその格好!」

「テメーには言われたくねえよ! バカ殿!」

 船は港に停泊している。今船上にいるのは関係者だけ。

 庵田も立合人ということで乗船している。勝負に不正がないか、賭け金の支払いがしっかり行われるか、ということの監査を行う。観客の目もあるとは言え、有力者でないと務まらない。俺が依頼したのだが、大丈夫かなあ?

「いえ大変お似合いだと思います」

 箱根大黒社長の小泉。このあいだと同じ、スカしたスーツ姿だ。

黒づくめのボディガードを三人も連れている。

「社長よお、勘弁してくれよこんな格好」

「申し訳御座いません。なにぶんお客様にお見せするエンターテインメントですので……。ご理解いただければと存じます」

 さつきが座るイスのすぐ後ろには、閻魔大王のイスみたいなのが二つ用意されている。ここにこいつら二人がエラソーに座るのだろう。

「殿。おまえはどっちに賭けるんだ?」

「そりゃあお前だよ。俺は常に大穴狙いだからな」

「ちっ俺が勝つとおまえがトクするのか。やる気なくなるワァ」

「お二人は非常に仲が宜しいのですね。存じ上げておりませんでした」

 小泉は全く感情のこもらない微笑みをたたえている。

 開始時間は二十一時。まだ二時間ぐらいある。


 エミリは髪をアップにし、大きな赤のチェック柄のリボンをしている。赤い口紅なんか塗っちゃって、いつもよりは少し大人っぽい。

「これはやりましたわ! 私のスタイリスト人生でも最高傑作! それもこれも素材が最高だからですよ! ありがとうございます!」

 スタイリストがエミリの手を握る。ドレスの色も赤。パフスリーブというのだったか、半袖の袖の部分が膨らんだワンピースだ。ラメが入りキラキラと輝いている。

「健太郎、おかしくない?」

「あ、ああ。おかしくはない」

「ダメですよ! ちゃんと可愛いって言ってあげないと!」

 うるせえなあ。仕方がないので俺はエミリに耳打ちしてやった。

「あ、ありがとう」

 そういいながらアバラに強烈なパンチをお見舞いしてくれた。

「へへへ。二人共可愛いですね」

 ――開始時間まであと五分。


 芦ノ湖の中央で船が停泊する。いよいよだ。

「赤コーナーより『レッドアンドシルバーデビル』星月健太郎、エミリ桜庭の入場です!」

 入場テーマソングが流れる。なるほどこういうプロレス的演出は嫌いじゃない。

右手には例の大会で手に入れた寄木細工麻雀牌。左手にエミリの手を握る。

二人で控室を出る。――ドオオオオという大歓声に耳がしびれる。

麻雀卓が置かれたステージはライトアップされ、緑色に輝いている。

観客席のさつきが座る側には、おそらく箱根大黒の連中。

そして俺たち側には見たことがある連中がたくさん。

――健太郎―!

――エミリちゃーん!

――頼むぞ! レッドアンドシルバーデビル! 俺たちの希望!

最前列には霊柩屋の姿。好敵手の永鳥や、この間の女の子たちの姿もある。

 博打なんかやっていて、人に嫌われることはあっても。こんな風に人に必要とされるなんて夢にも思わなかった。それだけひどい時代。ということなのかもしれない。

 さつきの奴はもう入場し、雀卓に座っている。――そこに奇襲攻撃を仕掛ける!

 エミリに目で合図を送った。コクリと頷いた。

次の瞬間。二人同時に駆け出し、スポットライトの当たったリングに滑り込んだ! まずは司会者兼審判の、マイクを握ってシマウマみたいな服を着た奴に二人同時に飛び蹴りを食らわせ、リングの外にほおり出す! そして麻雀卓の上に二人同時に飛び乗った! そして口に含んでおいた赤ワインを二人同時に、霧状にさつきに吹きかける! 所謂毒霧攻撃だ。そして二人して机上でウンコ座りの体勢。そのままさつきに対して親指を下に向ける。

観客席のさつき側、箱根大黒サイドからはものすごいブーイング。そして反対側の温泉狂サイドからは大歓声。よし! とりあえず会場の雰囲気は俺たちのものにした。

「動揺させようという作戦ですか? あまり効果はなかったかと。ちょっとびっくりはしましたけど」

「ちょっとびっくりさせられたなら十分だ」

 さつきはまったく感情のこもらない笑顔を見せながら顔を拭いている。

「そのドレスかわいいね」

 エミリが黒いドレス姿のさつきを指さす。

「エミリちゃんもすっごく可愛い! アレ? 胸おおきくなった?」

「……ただの衣装のアレだよ。ねえ。全身見たいから立って立って」

 ふわっと立ち上がる。腰がキュッとしまっており、サイドに大きなリボンがあしらわれている。肩の出たミニスカートのワンピースだ。色はもちろん黒。

「うわあ。いいねえ。カワイイ。結構スカートのタケ短いんだね」

「そうなんです。私足太いからあんまり出したくないんですけど……」

「でも若々しくていいと思うぞ」

「うんうん」

「え~っと……」

 司会者は困惑し、マイクを握り立ち尽くしている。俺たちは卓の上から降りた。

「健太郎。お姉ちゃん。私もう迷わないよ。逃げないよ。勝ってお姉ちゃんを箱根大黒から助け出すんだ」

「頼もしい勇者様だ……ね」

 さつきと目を見合わせて苦笑した。


 ちょうど旧ルールの正方形の麻雀卓を、ふたつ繋ぎ合わせたくらいの大きさの長方形の卓。短い辺の片側にさつき、もう片方に俺とエミリが座る。エミリが左、俺が右。

 寄木細工麻雀牌をザラザラっと机に広げる。卓のサイドのコントローラ部分にある『OPEN』ボタンを押すと、卓が落とし穴が開くようにパカっと開く。

その中に牌を流し込む。そして『SET』ボタンを押す。すると寄木細工牌が横一列、十四牌ずつ、長方形の卓のさつき側にせり上がってくる。

さつきの方でも同様の操作を行う。俺たちの側にさつきが用意した真っ黒な象牙の牌がせり上がってくる。麻雀牌は全部で一三六牌なので九列プラス余った十二牌が並ぶ。

さつき側に並んだ九列の中から配牌を選択する必要がある。エミリに『赤』が含まれる牌を教えてもらい(どうせさつきにはバレてるし、めんどうなのでサインなどではなく耳打ちして教えてもらっている)俺が判断する。卓の端には『1』~『9』までの数字が書かれ、配牌に『1番』~『9番』までの数字がふられる形となっている。

よし『9番』にするか。手元の『9番』のボタンを押すと、十四個の牌が卓上をすべるようにわれわれの手元にススーっと移動してくる。

 そしてさつきが『6番』のボタンを押すと、黒い麻雀牌がさつきの手元に移動した。

これは二十一世紀半ばから急激に普及した新しい麻雀だ。

今では単に麻雀といえばこのルールのこと示す。

「それでは。『壁』の建築を開始してください!」

 司会者が試合の開始を告げる。俺とさつきはバケモノのような脅威の手つきで、牌を高く積み上げて、目の前に麻雀牌の壁を構築する。さつきの側には寄木牌の壁が、俺たちの側には黒い牌の壁が築かれる。観客席からはオオオというどよめき。

「さすがですね。ちょっと見たことがないスピードです」

「おまえも大したもんだ。やっぱなんでもできるんだなァ」

この新ルール麻雀。普及し始めた頃は『ウォール麻雀』などと呼ばれていたらしい。

壁の積み方には、壁の『厚さ』は一列でなければいけないという以外の制約は一切ない。しかし、自動で壁が崩れてしまった場合は一万点という厳しいペナルティーが課されるためあまり高く積むのは得策ではない。

 さてこの壁をどうするか。――旧ルールの麻雀しか知らない人が聞いたらひっくり返るかもしれない。

今回、先攻はさつき。奴はイスを右にずらし、十四枚の黒い牌の中から不要な牌を卓の右端に置いた。そしてそれの前で右手の人差し指をしならせ構えを取る。

「さあ! 箱根大黒代表、湯舟選手! 第一打を放ちます!」

さつきはグググっと力を込めてデコピンをするように牌を弾いた。(これを『シュートする』という)牌は俺の山に真っすぐむかってくる。そして壁の一番下の牌が弾き飛ばされる。弾き飛ばされた牌は卓の端に滑っていく。

卓の四辺は旧タイプの麻雀の卓と同様に、牌の半分くらいの高さの木製のバリケードのようなもので囲まれている。弾き飛ばされた牌はそれにカチンと当たった。

「パイサクシード!」

 司会兼審判が判定を行う。成功の判定だ。観客から歓声が上がる。

このように壁を崩さないように、狙いの一牌のみを壁から引っぺがし、卓の端っこに当てることが出来れば、その牌を引くことができる。失敗した場合はシュートした牌が手元に戻され、牌を引くことはできない。

さつきが『GETPAIボタン』を押すと、俺たちの側の卓の手前、真ん中辺りがパカっと開く。そこに弾かれた牌を落とす。するとさつき側の卓の中央がパカっと開き、そこからその牌がポーンと浮き上がってくる。奴はそいつをパシっとキャッチした。

「やるじゃねえか」

「今日に備えて必死で練習しましたので」

 そしてさつきがシュートしてきた牌を卓の中央の捨て牌置き場に置く。旧ルールの麻雀とは逆に対戦相手の捨て牌が手元にあるという形になる。

 さつきは卓の左端の『NEXT』と書かれて白く縁どられたコーナーに牌を置く。これは次にシュートする牌を示す。これでさつきの手牌は十三枚。もし俺が次にシュートした牌がアガリ牌であればロンをしてアガることができる。

「よし。じゃあ俺も行くか」

 俺は颯爽と構えを取った。

「へえ。『雪崩式』ですか。シブいですね。なんだか健太郎さんらしいです」

 牌のシュートの仕方には様々な種類があるが、代表的なものは二通り。一つ目は先ほどさつきがやった、卓の端に牌を置いて自分の壁に当たらないようにして相手の壁に向かって斜めに放っていく『サイドワインダー』。シュート自体はやりやすいので初心者にもとっつきやすい方法であると言える。

俺がやっているのは『雪崩式』というシュートスタイルだ。自陣の壁の上にシュートする牌を乗せてその上から打つ。力加減が難しく上級者向けだが、壁に対して垂直に打っていくことができるため、狙った牌のみに自分の牌を当てることが容易で、慣れればパイサクシードの確率を上げることが出来る。

このどちらかで打たなければいけないというルールはない。昔はよく弟といろんな面白い打ち方を研究したものだ。

「いくぜ!」

 さつき側の観客から大ブーイングが送られる。俺は右手の人さし指を引き絞り、強烈に牌をシュートした。牌は卓に落下し、壁に向かってまっすぐに滑り、一番下の牌を弾き飛ばした。しかし。

「パ、パイフォールト!」

 寄木細工牌の壁は牌が当たるとボロっと倒壊してしまった。観客席がザワつく。さつき側からは歓声、後ろからはアーッ! などという落胆の声が聞こえる。

「船、停まっているとはいえ多少揺れますからね。こんなに軽い牌は向かないんじゃないですか?」

「ほんの少し力加減を間違えただけだ。即修正する。なんの問題もない」

『GETPAI』ボタンを押して、今シュートした牌を回収する。それをNEXTコーナーに置いた。

 ――再びさつきの番。奴は正確に先ほどと同じ位置に牌をヒットさせた。

「パイサクシード!」

「驚いた。こんなに上手いとは思わなかった」

「ありがとうございます」

「おねえちゃんすごい! コレめちゃくちゃ難しいのに!」

 少々まずい。今全く同じ所の牌を二つ取られてしまったため、ダルマ落とし式に下から三番目に積んでいた牌が一番下に落ちてきてしまっている。

 奴の『コクトウガン』で見ることの出来る牌は、三十四種類中、恐らく二十二種類。(どの程度の色まで『黒』として見えるのかは不明だが、これまでの闘いを回想するに、筒子の群青色は見えるが、索子の緑色は見えない……ハズ)。

当然『見えない』十二種類の方を『壁』の下の方に積んでいる。だがこうしてダルマ落とし式に上の方に積んである『見える』牌を発掘されてしまうとなるとヤッコさんのアガリはとてつもなく早い。良い配牌を選ぶこともかなりの正確さで行うことができてしまうのだから、テンパイ(あとひとつでアガリの状態)まで常に五巡以内。アガリまで常に十巡以内。そう覚悟しなくてはならない。

さて俺の番だ。正直今回は配牌がよろしくない。とても奴のスピードにはついていけそうもない。まだ様子見でいいだろう。

奴の『壁』がどうなっているかをエミリに確認する。やはり当然のようにむこうも下の方の段には赤色がない牌を置いてきている。エミリがセキトウガンで見ることのできる牌は三十四種類中、二十種類。これだけ聞くとさつきに大きくは劣ってないように聞こえるが、その内一意に識別することが出来る牌はわずかに七牌。さつきは全ての牌を一意に識別することができる。圧倒的な差である。もし『シュート』の腕が互角であれば殆ど勝ち目はないと言っていい。

(本当に……互角ならな……!)

 俺は「グッドジョブ!」と言うときに親指を立てる要領で、親指で牌を弾いた。ゆっくりと壁に向かった寄木細工はコツンと壁に当たり、狙った牌だけを正確に押し出した。

「パ、パイサクシード!」

 俺のドヤ顔。観客からは歓声とブーイング。『GETPAI』ボタンを押し、さつき側の卓をオープンさせる。さつきは苦笑しながら牌をそこに落とす。

 牌がふわっと浮き上がって出てきたのでキャッチする。

 ちっ全然いらない牌じゃないか。俺はその牌をそのままNEXTコーナーに置いた。

「さすがですね」

 さつきはそう言いながらシュートする牌を卓の右端に置いた。

 再び完璧なコントロールでさっきと全く同じ位置に牌を当てた。

「パイサクシード!」

 今取られた牌は『五萬』さつきが見通すことができる牌だ。もちろんこれで手が進んだだろう。さつきはNEXTコーナーに牌を乗せると。

「リーチ!」

 もうテンパイ。五巡以内は覚悟していたがこんなに早いか……。

 ――しまった! 『NEXT』コーナーにさっき置いた牌は『二筒』。さつきが見通すことができる牌だ。しかしもうこれを打つしかない。親指で『二筒』をシュートする。

「パイサクシード!」

 シュートは成功した。だが。さつきが俺が放った牌を裏返して確認する。

「ごめんなさい。これでロンです。リーチイッパツイッツー。八〇〇〇点ですね」

――先制点を許す形となってしまった。

 一万点棒を投げて渡す。さつきは千点棒二本でおつりを返す。

「なんでこれだけは手動なんだよ」

 卓がでかいので体を伸びあがらせないと渡すことが出来ない。

「コミュニケーションのためですよ」

「機械作るのめんどくなったんでしょ」

「そうともいいます」

 憎たらしい笑顔。アガった奴の顔は常に憎たらしいのが麻雀というものである。

 勝負は全部で二十回戦行う。(新ルールの麻雀では、親や子、連荘、東場南場などという概念はなく、十回、または二十回勝負で純粋にアガリ点を競うのが通例だ)一回戦目を取られたくらいで焦る必要はどこにもないが。

「ツモ! ハネ満ですね。一二〇〇〇点」

「ロン! 五二〇〇点ですね」

「ツモ! に、二〇〇〇点だ!」

「ツモ! リーチ一発ツモイーペーコー! マンガン八〇〇〇点ですね」

 一向に流れに乗ることができないまま、五回戦まで終了。

「健太郎頑張ってよー」

「うるせえなあ。こう配牌が悪くちゃあどうにもならんよ」

「健太郎ってここってときにいつもついてないよね」

「おま! 俺の博打人生全否定じゃねえか!」

 エミリにカラテチョップを喰らわせようと思ったが。その手を空中で停止する。

「……待てよ。おまえさ、配牌選んでみろ」

「ええっ⁉ 私、配牌がいいとか悪いとかあんまりわからないかも……」

「そんなのいいんだよ。おまえの強運に乗らせろ。そもそも一番最初。俺はそのためにおめえとコンビ組んだんだ。それを忘れてたよ」

「なるほど! オッケー!」

 ニカっと笑ってVサイン。エミリがよくやる顔とポーズだ。それほどキライじゃない。頭にポンと手を置いてやる。イヌコロみたいに目を細める。

「あのーそろそろ八〇〇〇点頂きたいのですが……。なんだかなー。ウラヤマシイってゆうか、寂しいってゆうか。ちょっと帰りたくなってきました」

 ――六回戦。

 エミリがずらーっと並べられた配牌を見つめる。そして7番のボタンを押した。

(頼むぞ!)

 配牌を祈るような思いで見る。

(……イーシャンテン!)

 あと一枚でテンパイする好配牌だ! そして欲しい牌は『一筒』と『九索』いずれもエミリの目で見通すことができる牌だ。エミリとグータッチを行う。好配牌なのがバレバレだが大した問題じゃあない。

「さーて切り札を出させて頂きますか」

 さつきを睨みつけながら言った。

「あら今まで隠してたんですか? なんのために?」

「おまえが一番動揺する場面で使ってやろうと思ってな」

「はあ。動揺なんかしますかね私」

「するんじゃないの? おまえ、博打のときは意外と感情的だからな」

「そうかなーでもちょっとやそっとのことじゃ大丈夫だと思いますけど」

「それがチョットヤソットじゃないんだよ」

 シュートする牌を壁の上に乗せる。そして左右の人差し指を同時にデコピンに構えた。

「あれ? フォームがかわりましたね」

「よおく見てろ! 乳デカ女!」

 俺の鋼の両指がムチのようにしなり、牌のケツをひっぱたく。ひっぱたかれた牌は瞬間最高速度マッハ二(ぐらい)で吹き飛んだ。そんな速度で飛び出せば、もちろん卓に落下などしない! 俺が放った牌は水平に飛行し、下から四段目に積まれた『一筒』を捉えた。『一筒』は壁からスポーンと抜け、卓の端に叩きつけられた。

「これが『ファイヤーバードスプラッシュ』。俺の必殺技だ。覚えておけ」

――観客席は静まり返った。そしてさつきだけではなく、庵田や箱根大黒社長の小泉も唖然とした顔。長い沈黙のあと。観客席から大歓声が送られた。。

 新宿時代に開発した大技だ。通常の場合でも、大概において良い牌は上の方に積まれ、下の方に使いづらい牌が置かれる。従って壁の上側を狙えるということは強力な武器だ。そして。エミリのセキトウガンと組み合わせることで無敵の超必殺技となる。

 あの初日の夜。布団の中。俺がエミリとコンビを組みたいと思った最大の理由。

(これだよ! これがやりたかったんだよ!)

 GETPAIボタンをバチーンと押す。手に入った牌は『一筒』。これでテンパイだ。

「リーチ!」

 ――そして二巡目。再び不死鳥が飛翔した。

(よし! 完璧だ!)

通常の麻雀牌の半分ぐらいの重さのこの牌はこのワザを使うには最高だ。わざわざ自分で用意した牌を使うというルールをネジこんだ甲斐があった。

「ツモ! リーチ一発ツモジュンチャンサンショク! 一六〇〇〇だ!」

 温泉狂側観客席から大歓声が上がる。

「こんな切り札があるなんて……」

「まあそりゃあなんかはないと逆におかしいだろ。でなけりゃ麻雀なんてセキトウガンよりコクトウガンが圧倒的に有利な競技で挑むわけないだろう」

「そう……ですね」

「あんまり美味しすぎる条件を出してくる奴は疑ってかからないとな。おまえまだまだ勝負経験が足りねえよ」

「そういうことは。……勝ってからホザいて下さいよ」

 さつきが俺を睨み付ける。

「漸く、対決ムードになってきたな」

 とはいえ。引いてくる牌はともかく、配牌選択ではエミリの強運を考慮してもなお相当に不利である。油断はできない。

 ――七回戦、八回戦、九回戦、十回戦と試合は進んでいく。

「ツモ! リーヅモチートイツドラドラ! 一二〇〇〇だ!」

「ロン。 リーチのみ一三〇〇点です」

「ツモ! リーチピンフツモ! 二七〇〇!」

 さつきもかなりのスピードでアガりにかけてくるため、なかなか大物手をアガりきることが出来ていない。ちょこちょことアガりも拾われていることもあり、点差はまださつきが僅かにリードだ。

「……二三〇〇点。おつりお願いします」

 さつきが今アガった二七〇〇点の点棒を支払うのだが。

「おいおい、これ五千点棒じゃなくて、一万点棒だぞ。二三〇〇でいいのか?」

「あっ……七三〇〇です……」

「バカ―黙っておけば良かったのにー」

 エミリがアホーなことをおっしゃる。

「黙っててもすぐ審判が気づくだろ!」

 さつきは明らかに動揺した様子である。心理的には優位に立てているようだ。

「二十分の休憩のあと、後半戦の開始です!」

 点棒の支払いが完了すると、司会が宣言した。

「ちっ。そういえばそんなの紙に書いてあったな。せっかくいい流れなのに」

「控室戻ろう。指疲れたでしょ? 冷やしてあげる」

 さつきは俯いて卓に座ったままだ。


 控室で指を冷やし、甘い物を山ほど補給し、大もした。準備は万端だ。

リングに戻ると、すでにさつきが座っていた。思いつめたような顔で牌を弾いている。

「もしかして控室戻ってないのか?」

「うん……練習してました」

 ゾクっと悪寒が走った。目に生気がない。なのに血管が走って赤くなっている。華やかなドレスを着ていることとあいまって呪いの人形のようだ。

「それでは後半戦を開始致します!」

 俺はなぜか不安になった。さっき大量リードされていたときよりもずっと。

 ――十一回戦。後半戦開始。さつきの闘い方に明らかな変化が起こった。

 奴は壁の上にシュートする牌を乗せた。

「なんだ? 雪崩式にかえンのか?」 

さつきは答えない。そして両手の人さし指を同時にデコピンの体勢に構えた。

(まさか……)

そして両手の人差し指で牌を強く弾いた。

(ファイヤーバードスプラッシュ⁉)

「パ、パイフォールト!」

 しかし牌は空を飛ぶことは出来ず、途中で卓上に落下し、俺の壁にコチンと当たって止まった。箱根大黒側の客席からはアーっという落胆の声。

「ムチャなことやりやがって。ファイヤーバードスプラシュはお前にはムリだ」

「そんなこと……ありませんよ……」

 目の焦点が合っていない。わからないなァ。ヤツにとって決して一方的に不利な状況というではない。なぜこうまで動揺する必要があるのか。

 それだけ負けることが、箱根大黒を解雇されるということが恐ろしいのだろうか。

 勿論。その後も奴の不死鳥が空を飛び獲物を捕らえることはなかった。

「ツモ! 八〇〇〇点!」

 ともかく。こうなってしまえば、簡単なシゴトだ。じっくりと手を作って大物をブチあててやればいい。とりあえずこの八〇〇〇点で逆転に成功。

――そして十四回戦。ついに決定的な手が決まった。

「ロン! リーチショウサンゲンサンアンコーホンロートイトイ! 二四〇〇〇点だ!」

 会場中がものすごいどよめき。これで点差は六〇〇〇〇を超えた。さつきは無言で一万点棒を三本差し出した。目には生気がない。顔色も真っ青になっている。横を見ると、エミリも泣きそうな顔をしている。

「なあ。ファイヤーバードスプラシュはやめろよ。おまえにはできない理由がある」

「なぜ……です……?」

「指、触ってみろ」

 立ち上がって身を乗り出しながら手を差し出す。さつきは人さし指を軽くつまんだ。

「ガキの頃から麻雀牌を打ちまくってな、この通りギタリストみたいにガチガチに固まっている。だからあんな威力で牌が飛ばせる」

「へえ……」

 指を離した。聞いてるんだか、聞いてないんだかわからない。

――そして次の瞬間だ。

 さつきは左手を卓に置いた。そして。

左手の人さし指に右のヒジを振り下ろすように叩きつけた。

鬼のような形相。卓に地震が起こり、お互いの牌の壁が決壊する。

 さらに右手人さし指にも左のヒジを落としていく。それを交互に何度も繰り返す。

エミリの悲鳴。観客席からも地鳴りのようなどよめきと悲鳴。

「な、な、な、なにしてるんだバカ!」

 ガタっと立ち上がり、さつきの後ろに回りこみ両手首を掴んだ。

「だってこんな役立たずの人さし指はこうしてやらないとわからないんですよ」

 溜息をつくしかない。こいつは本当になにをホザき出すか分からない。退屈しない。

「箸が持てなくなっちまってもいいのか? そしたら食いずらいぞ、大好きなおそばが」

「そうですね。ごめんなさい。ありがとうございます。もうしませんから離して下さい」

 手を離して席に戻る。エミリは嗚咽を漏らしながら涙を流して目をこすっている。

「また泣かしやがって」

「またびっくりさせちゃいましたね……。もう冷静になりましたので大丈夫です」

「本当かよ……?」

「とりあえずおつりを下さい」

「あ、ああ」

 おつりは六〇〇〇点。五千点棒と千点棒を一本ずつ卓の点棒入れから取り出す。

「くすくす……これ一万点棒ですよ」

「あっ……!」

「け、健太郎!」

 目を真っ赤にしたエミリが俺の左腕をギュっと掴んだ。

「だ、大丈夫! ちょっと間違えただけだ。動揺なんか全然してない! 多分!」

 さつきはニヤリと笑いながら五千点棒を受け取った。

 ――そして十五回戦。配牌は。あまりよろしくない。

さつきの方は見える限りなかなか整っていそうだが。まだ『ファイヤーバードスプラシュ』に拘るつもりだろうか? それならば問題ないが、もしさっきの大暴れで頭が冷えて、正攻法で来られるとまずいかもしれない。

「どうした。早くやれよ」

 さつきを促す。

「見て下さい健太郎さん。人さし指。すっかり腫れちゃいました。麻痺しちゃって痛くもありません」

 ベタなオバケみたいに手を下に向けてヒラヒラさせ、赤く変色し膨れ上がった両手の人さし指を見せつけてくる。

「止めろよ……見てるだけで痛い。もう使うなよ。人さし指」

 エミリは俺の腕をぎゅっと掴んで目を瞑っている。

さつきは両のひとさし指を構えた。『ファイヤーバードスプラシュ』の構えだ。

「もうやめろ。ムリだ」

「私はなにやらせたってできるって言ったのはあなたじゃないですか」

 奴はニヤリと笑いながら両手を構え、牌を弾いた。

「……な、なにいい⁉」

 ――黒いカラスが飛んでいく。

「ウソ……!」

さつきが弾いた牌は空を飛んだ。そして俺の壁にまっすぐ突進した。壁の真ん中辺り、下から四番目に積まれた牌は壁から抜け、卓の端に叩きつけられた。

「パ、パ、パイサクシード!」

――客席も俺たちも茫然とするしかない。

「ひどいマヌケ顔! なにをそんなに驚いてるんですか? これだけ指パンパンに腫れればもう健太郎さんの指と固さにおいて、大差ないでしょう?」

 さつきはまったく人間味のない笑顔。

「それともコントロールに驚いてるんですか? 健太郎さんぐらいに出来ることは、私は当然できますよ。驚くには値しないと思います」

「この野郎……」

 さつきを睨み付ける。

「アレ? 健太郎さん、なんか嬉しそうじゃないですか?」

「このまま終わったら、ツまらねえと思ってたんだ」

「アホですねえ。負けたら無一文なのにそんなこと考えてたんですか?」

「ふん。おまえらと違って、俺は金のためだけに生きてるわけじゃあねえんだよ」

「そうですか。それはかっこいいですねっ」

「とはいえ。勝ちは絶対に譲らねえ。今の俺はな。負けました、スリました、死にましたでは済まねえんだ」

 隣に座る、エミリのツラを見ながら言った。

「健太郎……」

 そしてさつきのほうを向き直した。

「バカ女め……。終わったら病院行けよな」

「優しいんですね。ムカツキます」

 ――十六回戦、十七回戦、十八回戦。

俺は懸命に闘った。変なことを言うようだが。もしコレがスポーツなら。これだけ懸命に闘って報われないなんてことはないってぐらいに。でもこれはギャンブルなのだ。勝つことと、頑張ること、或いは背負っている思いの大きさになんの因果関係もない。

「ごめんなさい。またなんです。ツモ! 一二〇〇〇!」

 ひとつ言えるのは。流れが奴に傾いた。ということだけ。

「ツモ! 一六〇〇〇点!」 

「じゅ、十九回戦終了! つ、ついに! この死闘にも終止符が打たれるときが来た! 第二十回戦! 点差は箱根大黒、湯舟さつきが六二〇〇〇点のリードだ!」

 あまりの死闘に殆ど無言になっていた司会者。最後くらい働こうと思ったのか、いろいろとのたまう。逆転するには、一番高い役。役満しかない。

「ごめんなさい……」

 ――エミリがボロボロと涙を流している。

「健太郎がこんなに頑張ってるのに、私はなにもできない」

 エミリの頭に手を乗せる。

「つまらんことを言うな。俺達レッドアンドシルバーデビルにどっちが頑張ってるもクソもねえだろ。一心同体なんだから。右手は頑張ってるけど左手は頑張ってないとか言うか? 心臓は頑張ってるけど、肺は頑張ってないとか言わんだろう?」

 エミリは一瞬キョトンとした顔をした。そして涙を拭いて笑顔を見せる。

「健太郎の例え話ってヘタだよね!」

「うるせえ! これでも中学ぐらいまでは秀才で……」

「点棒まだかなあ。一六〇〇〇点」

 さつきに一万点棒、五千点棒、千点棒を投げ渡す。

――いよいよ。運命の二十回戦。

「じゃあセットボタン押しますよ。最後なんだから一緒に押しましょうよ」

 さつきが変なことを提案してきた。まァ従ってやるか。ボタンを押した瞬間。二人の場に同時に配牌がセットされた。さつきとエミリは目を皿のようにして配牌を凝視した。

「エミリ。どうだ」

「来たかもしれない……!」

「なに⁉ おい! どんな手だ!」

 エミリが耳打ちをする。

「……この場面で『アレ』か? やっぱおまえってスゲエな」

「でも分からないよ『アレ』かどうかは」

「いや『アレ』に決まってら。きっと神様の野郎に祈りが通じたんだろ」

「ああ! そっか! 祈ったもんね!」

 エミリはポンと手を叩いた。

「それでは! 配牌を選択してください」

 エミリは8番のボタンを押した。その配牌は――

萬子の一一一二三四五六七八八九九、それから『中』。

(来やがった……!)

『中』を捨てて、萬子の九でアガれば役満の九連宝燈だ。エミリが両手を上げてやったーと叫ぶ。おいおい。萬子は『一』などの数字の部分は黒、『萬』という字は赤で彫られているため、エミリには『ほとんど萬子の手』ということしかわからなかったが。

「すごいですよねー! ビックリしましたよー。まさか、またまたこんな場面でそんな手をもってくるなんて!」

 さつきは数字の黒色が見えるので俺たちの配牌のひとつが『あと一手で九連宝燈の手』だということがわかっていたというわけだ。しかし。さつきはニコニコと笑っている。

「おまえってホント変な奴。さっきは別にそんなに落ち込まなくていいときにめちゃくちゃウツになってたり、今みたいに笑ってる場合じゃないときに笑っていたり」

「ええー? 別に笑ってる場合じゃないですかー」

「あの……おしゃべりもいいですがそろそろ『壁』を作って頂けると……」

 司会者のマイクにより二人共『壁』を築き始める。

「だってアガれないじゃないですか。そんな待ちがバレてる手なんて」

「おっと⁉ なんだこの積み方は⁉」

 司会者が叫ぶ。さつきはピラミッドか富士山のように、中央だけバカ高く、そして左右対称になだらかな坂を描くような壁を築いた。中央の高さは十五牌分ぐらいある。

「よっと」

 そして残った二牌を頂上にちょこんと置いた。

「ね、アガレれないでしょう!」

観客席からはどよめき。エミリは青い顔をしている。

「イエーイ! 勝ち確定!」

 さつきはドエラくご機嫌。まるで昔のアイドルのようにウィンクしながら両手でVサインをした。そのザマがあんまり滑稽で――

「……ブッ! ……フヒヒ。 フハハ! ハアアアアーハッハッハッハッハ!」

 ――爆笑。思わず俺の内臓から爆笑がほとばしる。滅多に笑わない男の爆笑だ。

「ど、ど、どうしたんですか?」

「だっておまえホンットバカ! どうしようもない! ふははははは! だっておまえそんな風に積んだらおまえ、へへへへへ、その頂上のが、当たりですって言ってるようなもんじゃん! エミリエミリ! あの頂上にある牌、萬子でしょ⁉ ぷははははは!」

「そ、そうだけど」

「こっちはさ、萬子だってことはわかっても九萬かどうかはわからないんだからさ、適当に散らして置いておけばよかったんだよ!」

「うーんわからないなあ」

 さつきは腕を組みながら首を捻る。

「わかるさ。すぐにな」

「さあいよいよ開始されます! 二十回戦! 先攻は温泉狂代表、星月・エミリ組!」

俺は『中』の牌を右手に取った。

「これから見せるのは『スターダストプレス』。俺の秘密兵器だ。弟が考案した技なんだ。成功率は、高くはねえけどさ。まァ俺のことだ。ここ一番ではキッチリ決めるサ」

『中』の牌を右手の親指で弾いてコイントスのように宙に浮かせ。それをキャッチする。

「秘密兵器ですか? 好きですねえ男の子はそういうの」

 もう一度。今度はさらに高く浮かせ。再びそれをキャッチした。

「一度おまえにも見せてるんだけどなこのワザ。『かまぼこ』で」

「……ま、まさか!」

「おっ。思い出してくれた、かな?」

 もう一度。もっともっと高く! 今度は五メートル以上飛び上がった。

 そして俺は立ち上がった。宙に浮いた『中』は最高点に達するとやがて降下してくる。それを目で捉えた俺は、人さし指のデコピンでダイレクトシュートを放った。『中』は斜め下に飛んでいく。それは山の頂上の牌をツンと押した。山の頂上からこぼれ落ちた『九萬』は卓に落下しカチンと音を立て端っこで止まった。勢い余った『中』はさつきのおでこに直撃した。

 俺は流れるように椅子にケツを降ろし『GETPAI』ボタンをバシっと押した。『九萬』は勝手に穴に落ち、俺たちの側の卓の中央からフワっと浮き上がる。

そいつをキャッチして卓に叩きつける! そして叫んだ!

「ツモ! 九連宝燈! 役満三二〇〇〇点! 逆転だ!」

凄まじいどよめきと大歓声。

――俺は立ち上がった。

言葉にならない咆哮を発しながら両手を十字に組んでガッツポース。

そしてエミリと抱擁した。

「エミリー! てめえと組んでて良かったぞー! おまえは最高だよ!」

「健太郎! 健太郎! 大好き!」

 奴を上にブン投げて、お姫様抱っこに担ぎ直す。

「ちょっと! やめなよ! ムチャするの! 体ヨワイ癖に!」

「うるせえ! メスガキ! 今俺はめちゃくちゃ幸せなんだ! これくらいやらせろ!」

 エミリは馬鹿負けして苦笑し、おとなしく俺に抱かれた。そしてヤツを一人胴上げのように何度も空中にほおり出してはキャッチした。

――そして。何回目の胴上げのときだったか。

エミリは俺の腕に乗りながら首を九十度捻った。

エミリの視線の先。さつきは虚空を見上げている。

「完敗です。どうしようもないくらいに」

 さつきの目からはまっすぐな涙。

「悔しい……!」

 だが。どこか晴れやかな顔に俺には見えた。

「よお。こんだけ闘ったんだ。握手でもしようや」

 エミリを降ろしながら言った。

さつきはにっこりと笑い、立ち上がった。そして卓の横で握手を交した。

 こんなとき俺は右利きでエミリは左利きだから便利だ。

 エミリの目にも涙が浮かぶ。観客からは大きな拍手が送られる。

 これまでの博打人生で。最高の勝利の瞬間を噛み締める。

 ――だがね。人生って奴は最高の瞬間から、落ちるのは一瞬だ。


 ――銃声が鳴り響く。


 観客席がシーンと静まり返る。

 男が銃を構えている。奴は。――箱根大黒社長小泉崋山。

「やってくれましたね。よくもこんなイカサマを」

 低くドスの聞いた声。

「はあ? なに言ってんだ?」

「舐めるんじゃねえぞ! こんな場面で、配牌で役満なんざあるか!」

 胸倉を掴まれる。

「ゲホッ!」

 仰向けに床に叩きつけられる。

「スリカエをやりやがったな! このドチンピラが!」

 足を跳ね上げるようにして素早く立ち上がる。

「けっ、本性を現しやがって。証拠でもあるってのかよ」

 クソ野郎に中指を立てる。

「調べさせて貰うぞ」

「どうする気だ」

「へっ、てめえらド低学歴の手口なんてお見通しなんだよ!」

 卓についている、点棒を収納するヒキダシを乱暴に開いた。

「やっぱりな。こいつはなんだ!」

 引き出しの中に入っていたらしい牌五枚を俺に突き付けてくる。

「隠しておいた萬子をコイツとスリかえたんだろう?」

小泉がボザく。これほどのホザきは聞いたことがない。もはや笑うしかない。

「ハハハハハ! わざわざ寄木牌買って準備してたのか? まあ非売品ってわけでもねえしな! 社長様ともあろうお人が、なかなかマメなことをしてくれるじゃねえか」

 ボディーガード共が俺の顔面や腹を殴る。そして羽交い絞めにする。

「初めっから、負けても払う気なんてなかったんだな。いやそれとも文句のつけようのない完全勝利なら仕方なく払ってたのか?」

 小泉はニヤリと笑うのみ。

「いずれにせよ俺の負けか」

「ああ負けだよ。イカサマをした場合には、即敗北。生命の保証はしかねますって誓約書にも書いてあっただろう」

 俺の上着のポケットから、風呂敷に包んだ全財産が奪われる。

「芦ノ湖のワカサギは絶品だぞ。好きなだけ捕って食えや」

 などとホザく小泉に唾を吐きかけた。

さらに手に握っていた牌をシュートし、右目に食らわせてやった。

「食わねえよそんなもん。俺たちゃ甘党なんだ」

「ちっ! このド底辺が! とっとくたばりやがれ!」

 小泉が俺の腹に蹴りを入れた。一発、二発、三発。口の中に鉄の味が広がる。

 俺は思い出していた。さつきがあのとき。今思えば、少し悲しそうに言ったセリフ。

『あなたは勝てないんです』

こういうことだったのか。なんてバカバカしい。

 四発、五発。蹴りをくれる。やれやれ。観念するしかないか。もう目を開けているのもキツイ。俺は目を閉じた。六発目の蹴りが入る。痛い。次辺りで気を失うだろうか。いっそ早く楽させて欲しい。――そう思ったのだが。

アレ? おかしいな。七発目が来ない。観客たちがザワザワとうるさい。なんだか血なまぐさいような臭いもする。なにが起ってるってんだ。俺はギギギっと目を開いた。目に入って来たのは。小泉のボディーガードが血塗れになって倒れているザマ。そして。

「庵田⁉」

 一気に目が覚めた。いつものようにバカ殿の格好をした庵田。奴ァ日本刀を持って、小泉に切りかかろうとしている。小泉がその手首を掴み、なんとか堪えている。

「お。一瞬寝てただろ。みんなのヒーローの健ちゃんよお」

「庵田あああ! 貴様どういうつもりだ!」

「どうもこうもねえよバカ社長! 俺はこの勝負の立ち合い人だ! 今不正を行いやがったクソ野郎を極刑に処すところだ! なァ健太郎!」

 庵田が俺の目を見た。あごをしゃくる。なにかを『やれ』と言いたげだ。

俺のやるべきことは――。俺は立ち上がり、自分の真後ろ。温泉狂どもが、俺の仲間がいる客席を見た。そして奴らに向かって叫んだ!

「そ、その通りだ! 庵田の言う通り! 今! このクソ野郎は自分で点棒箱に牌を入れやがった! 俺はスリカエなんかやっちゃいねえ!」

 客席から地鳴りのようなざわめき。

「いいか! 良く聞け! 俺たちは、確かに勝ったんだ! しかしこいつらは今! それをフミつぶそうとしている! 権力と暴力で道理もへったくれもなく全てを踏みつぶす! こりゃァこいつらの常套手段だ! こいつらはこれでかつて日本を、いや世界中をめちゃくちゃにした! そして今でもちっとも反省してねえらしい! おい! こんなことがトオっていいのか! 頼む! 温泉狂のクソッタレ野郎ども! みんな! 力をかしてくれ! 降りて来い! 俺と一緒にこいつらと戦えええ!」

 客席から地震。やつらは観客席からステージになだれ込んでくる。

無論箱根大黒側も黙っちゃいない。反対側からも大挙として人間が降りてくる。

 俺は庵田と目くばせをした。その一瞬。小泉が懐から取り出した拳銃。銀色の弾丸が放たれ、庵田の肩あたりに穴を空けた。仰向けに倒れる庵田。

そしてその銃口は俺の方を向いた。奴はトリガーを引き絞る。

――だが。それは拳銃の弾より早かった。床に落ちた麻雀牌が俺の鋼の指から放たれた。そいつは奴の、拳銃を構えた右手に正確にヒットし、弾丸を真上に逸らした。

次の瞬間、俺の肩にズシっと体重がかかる。ちんちくりんの外人娘は俺の肩からジャンプし、小泉に向かって飛んでった。そして奴の顔面に平手を振り下ろした。バチーンというとてつもない音。うわうわ。アレ痛いんだよな。洒落にならんくらい。

「健太郎! 大丈夫⁉」

 エミリが俺の所に駆け寄ってくる。思いっきり抱きしめた。なんだかいい匂いがした。

「しゃ、社長!」

 エミリの肩ごしに、さつきが小泉の所に駆け寄っていくのが見えた。

 ――そしていよいよ。

ものすごい地鳴り、そしてウオオオという唸り声と共に。

両軍の戦士たちがリングになだれこんで来た。戦闘開始のようだ。

「エミリ! 逃げろ!」

「絶対ヤダ!」

「このガキャア! 言うこと聞けやァ!」

「うっさいバカッつら! わたしが健太郎を守るんだ!」

「もういいわ! バカガイジン! じゃあせめて! ソバから離れんな!」

「オゥ!」

その後のことはよく覚えちゃいない。リング上でも、リング外でも乱闘乱闘。

敵味方よく分からんから、身なりの良い奴を敵とみなし、殴った殴った殴った。

怖いとか痛いとかよりも。なんかスカっとしたよ。

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