”こっち側”達の邂逅
花粉症の奴にとって、2月~4月が一番きつい時期らしい。俺にとってこの日は、まさしくそういうものなんだろうと朦朧とした頭で考えながら、俺は頭痛・吐き気・めまい・立ちくらみのフルコースと文字通り死ぬ気で闘っていた。
「うぅぅっえぇ…気持ちわりぃ…」
足元のおぼつかない、酔っぱらいの如き千鳥足で俺は校内をブラついていた。何処へ行っても、アレルゲンの声が止まない。教室はワッフルやらクレープやらを売る陽キャの声が響いているし、廊下も最早『ウェーイ』とすら聞き取れない奇声を張り上げているパリピの大群が渋谷のスクランブル交差点かと思うほど溢れ返っている。せめて少しでも静かな場所へと校舎裏へ向かえば濃密なディープ・キッスを交わす眼鏡の男子生徒と三つ編みの女子生徒を目撃し、吐き気を堪えて体育倉庫、図書室、視聴覚室、特別教室に向かったらそれぞれの場所で猿みたいな金髪男と豚みたいな茶髪女が”せっせ”と子作りに励んでいた。ねぇ、ちょっと叫んでいい?
「マジでんっっざけんなよこの万年発情期共が!!!!!!!!!!!!!!!」
誰もいない学校の屋上にて、俺は大空に向けて絶叫していた。
「なんなの!?お前らバカなの!?アホなの!?獣なの!?今日文化祭だよ!?文化の日(?)だよ!?なんでそんな至る所で性行為に及んでいるの!?人間の文化ってもっとこう、理性的なものじゃなかったっけ!?大体よぉ!てめぇら声でかすぎるんだよ!!笑うなら人に迷惑がかからない声量で内輪だけで笑え!頭の悪そうなEDMを大音量で流すな!!ちったぁ落ち着きたい人間の気持ちも考えろってんだよゴミクソ野郎共が!!!!」
声が枯れて喉が痛くなるほどに言いたいことをブチまけると、大分スッキリした。荒い息を整えながら、俺は少しだけ自分がにやついているのを自覚した。え?なんで俺が屋上なんかにいるのかって?んなもん、アレルゲン共から逃げてきたに決まってんだろうが。あ、鍵?ぶっ壊した。全力で体当たりしたのか、何か道具を使ったのか、俺自身にも全く記憶はない。所謂『火事場の馬鹿力』という奴だろう。後でぜってー怒られる気がするが、こちとら比喩でも過言でもなく命の危機が迫っていたのだ、断固世界に対する正当防衛を主張するね俺は。
「ったく…マジでアイツら、全員まとめて死に晒せばいいのによ」
胡坐をかいて座り込み、屋上のフェンスに背中を預けてもたれかかる。上を見上げると青い空が広がっていて、少し爽快な気分になる。
その時だった。
ギィ、という屋上の扉が開く音が聞こえて、俺はそっちを向いた。
(やばっ!見つかったか!?)
教師や事務員なら最悪、それ以外の奴等でも間違いなく面倒臭いことになっていただろう。だが、入ってきた奴を見て、俺は息を呑んだ。
まず目に入ったのは、
その長く、艶やかな黒髪。
潤んだ瞳、整った顔立ち、
雪のように白い肌。
美少女だった、
思わず見惚れてしまうレベルの。
「あ、え、えっと…」
多分、咎められる。慌てて立ち上がって、何と言い訳すればいいかを考えた。だが、こちとらもう十年近く女子となんか話した記憶がない。結局何も言い出せずにしどろもどろになっていると、黒髪の彼女は掠れた声で言った。
「…たす、けて」
「…え?」
その時になって俺は漸く気づいた。瞳が潤んでいたのは、涙目になっていたからだと。肌が雪のように白いのは、顔色が悪いということだと。
彼女の体が傾いた時には、俺はもう駆け出していた。
前方に、つまりは俺の方に倒れる彼女の体を、俺はきちんと抱きとめた。当たり前だ、ここで間に合わず、彼女の顔に傷をつけるようなことがあったら男じゃない。俺のようなボッチが突然こんなに可愛い子に触れたのだから、そりゃ胸の内は色々あったが、それでも勿論、流石に弁えている。
「…今は、ニヤついてる状況じゃねぇよな」
俺はあくまで真顔のまま、彼女を屋上の隅の日陰まで運び、国宝を取り扱うが如く慎重に寝かせた。そして自身のポケットからハンカチを取り出すと、なるべく駆け足で屋上の扉まで向かった。確か、すぐ下に水道があった。濡れたハンカチ程度でも、なんちゃって冷えピタくらいにはなるだろう。扉に手をかけた時、後ろから呻くような声が聞こえた。苦しそうではあったが、さっきほどではない。多分、少し横になっていれば時期に収まる。俺は医者でもないのに、そう断言出来た。何故って?さっきまでの俺と全く一緒だからだ。
「ちょっと待ってろ、今、ハンカチ濡らしてくるから」
さっきは全く喋れなかった癖に、我ながら力強い声で言うことが出来た。彼女は俺の敵ではなく、”こっち側”の人間だとわかったからだ。抱きとめた瞬間に察した。熱中症の季節にはまだ早いし、持病の発作ならば巡回している教員か保健室か、ともかくこんな校舎の隅っこの屋上まで来ることは普通ならば在り得ない。わざわざ人を避けてでも来ない限り、此処へ辿り着くことはない。まして、どんな理由でぶっ倒れるほどの体調不良に陥るにしても、必ず傍に居る”友達”が真っ先に気づき、助けてくれるはずだ。たまたま一人だったなんて可能性はない。今日は文化祭だ、どんな陰キャだって群れて、一緒に行動する。
つまり、彼女は―――
「…安心しろ、此処なら、”アレルゲン”共は来ねぇから」
俺は出せる限りの優しい声で言って、屋上から出て行った。
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