第四話 標の光(2)

「一回戦、第八試合」

 審判を務める水使いの実技担当の若い女性教諭が高らかに声を上げる。

「カーマイン・ロードナイト」

「はい」

 名前を呼ばれ、競技場の端から前で出る。

「ロベルト・ロマノ」

 カームの正面で、見知った男子生徒が前に出る。

 自分とソラに向かって炎を放ってきた生徒だ。

 本戦に残っているということは、それなりの実力はあったらしい。

 だが、どこか様子がおかしい。

 あの時の印象から、相対して嫌みの一つや二つ言ってきそうだが、まるで別人のようだ。

 静かで、暗い。

 そして――どこか意思が感じられない。

 女性教諭が試合の説明をする。

 カームにとっては聞き慣れた試合条件。

 【ガーネット】はつまり火使いの戦い。

 よって、熱の遮断は当然となる。

 そう言った相手に火を放っても、直接は燃えない。

 その代わり、衝撃が相手に与えられる。

 これによるノックダウン、もしくは降伏宣言。

 それが勝利条件となる。

 あとは審判役の教諭の判断も含まれる。

 いつも通りにやればいい。

 練習とは違い、左手にも黒い手袋をはめている。

 何度か握っては広げて馴染ませる。マスターの手作りはやはり最高だ。

「それでは……試合開始!」

 女性教諭が宣言と同時に後ろに下がる。

 そしてカームもまた、開始と同時に両手で指を鳴らし、エレメントを励起させた。

 通常ならば、競技場を囲う形で等間隔に置かれた松明の火を使うが、カームには必要ない。

 松明の火を使えば、大量の火を容易に使うことができる。

 だが、それでは自らの力量を示すことも出来ないし、そんなことをせずともカームには自らの力だけで必要な炎を呼び起こすことができる。

 それを証明するかのように、全身から赤いオーラが湧き上がる。

 オレンジ色の髪と相まって、まるでカーム自身が燃え上がっているように傍目には見えるだろう。

 カームは、両手を包むようにして発生した炎を闘技場の床へと落とした。

 二つの炎が、カームを中心に円を描く。

 炎の通った跡が燃え上がり、ひとつの円を完成させる。

 カームのいつもの戦闘スタイル。

 あらゆる方向へ攻撃ができ、また防御もできる。

 準備を終えたカームが、正面に佇む男子生徒を見やる。

「クク……」

 ロマノが唐突に笑う。

「何がおかしいの」

「クク、クハッ、ハハッ」

 必死に抑えていた笑いが堪えられないといった様子で、男子生徒が背中を丸める。

「フッ、ハハッ、ハハハハハハッ!」

 カーム、女性教諭、そして観客さえもざわめきだす。

 やおら笑い声が唐突に止み、緊張感の孕んだ静寂が競技場内を支配する。

「ハァァァァァァ――」

 一変して、低い、獣のような唸り声が響き渡る。

 そして、ゆっくりと顔を上げるロマノに、カームは得体の知れない恐怖を感じた。

「ずっとこの時を待っていた……」

 ロマノのただならぬ雰囲気に、カームは最大限の警戒を己に課した。

 そんなカームの心を表すように、周囲の炎が不規則に揺れる。

「お前を倒す力を俺は手に入れた。ずっと、ずっと辛辣を舐め続けていた。今度は、お前の番だ……」

 ロマノが明確な憎しみを持ってカームを睨み付ける。

「敗北の味を知れ! カーマイン・ロードナイト!」

 瞬間、競技場を覆うように設置された松明の炎が激しく燃え上がると、それがロマノに向かって集まり、呑み込んでいった。

「なっ!」

 カームは驚愕した。

 炎に全身を包まれ、姿が消える。

 それが、どれだけの能力を有していなければできないことが、カームは誰よりも理解しているつもりだ。

 全身を炎で包むと言うことは、遮断の能力も全身に、それも最大限の力を発揮しなければならない。

 しかも、自身が呼吸するための空気も確保しなければならないのだ。

 並大抵の能力ではない。

 それを、目の前の男子がやってのけた。

「くらぇぇぇえええええええっ!」

 炎から手が差し伸ばされる。

 その手から、暴力的な炎が放たれた。

「くっ!」

 カームは右足で力強く地面を踏んだ。

 それに反応するように、前方の炎が爆発するように真上に広がり、カームの前に壁を成した。

 ロマノから放たれた炎が、カームのつくりだした炎の壁に激突し、互いの炎が混じり合う。

「――っ!」

 声にならない声が喉から漏れる。

(私が押されてる!)

 放たれた炎が壁をこじ開けようと押す。

 咄嗟に両手を炎の壁に押し当て、エレメントを送り込む。

 まるで自分が押されているかのように、カームは足で踏ん張った。

 両腕から赤いオーラが湧き出て、見る見るうちに濃くなっていく。

「はぁっ!」

 カームは両腕を広げるようにして、放たれた炎を自らの炎の壁と一緒に四散させた。

 消えた炎の壁の向こうで、ロマノの口角が釣り上がるのが見えた。

「おいおい、最高の火使いさまが俺如きに苦戦かぁ?」

「まさか」

 強がりとばかりに笑って見せる。だが、額から汗が滲み出る。

「ここからよ!」

 広げた両手で、相手を挟むように交差させる。

 その動きを追うように、左右の松明から炎がロマノに向かって飛び出した。

 その速度は一瞬で、気づいた時にはぶつかり合った炎が爆発していた。

(やった?)

「クク……」

 ――いや、ダメだ。

 ロマノは立ったまま。

 まるでダメージがない。

(あの全身を覆う炎自身が最大の防御として働いている……)

 炎が炎を相殺し、肉体にまでダメージを届かせることができない。

(だったら――)

 カームは腰を下ろし、構える。

「何をするつもりか知らねぇが、無駄なんだよっ!」

「だったら、受けてみなさい!」

 安い挑発。

 だが、故に相手によっては乗りやすい。

「上等だぜ。俺の炎を破れるなら、破ってみやがれ!」

 相手に見えないくらいに小さな笑みを口元に浮かべる。

「行くわよ」

 右手を握り、拳をつくる。全身に遮断の膜を張り、残るエレメントのすべてをこの拳に集束させる。

 拳から溢れ出る赤いオーラが濃厚になり、そして――握った拳の中で指を擦り合わせた。

(点火!)

 瞬間、赤いオーラがそのまま炎となり、膨大な密度と熱量を拳にまとわせた。

 あまりの熱量に、空気が流れ、カームの制服や髪がなびく。

「受け止めてみなさい! この一撃をっ!」

 勢いよく踏み出し、一直線にロマノに向かう。

 ロマノは余裕なのか、受けて立つとばかりに立ったままだ。

(だったら、遠慮なく行かせてもらうわ!)

 ロマノの手前で最後の一歩を踏み出す。

「はぁぁぁああああああっ!」

 気合いの声と共に全身を使って右拳を繰り出すカーム。

 拳が相手の炎に呑み込まれ、その奥にいるロマノへと叩きつけられた。

「これで終わりか?」

 思っていたほどの手応えがないのか、ロマノが見下す。

「終わり?」

 カームの拳は、ロマノの炎を破るも、遮断の膜で止められていた。

 だが、それでもカームは引かなかった。

「そうね――」

 突き出した拳をほんの少し引くと同時に手を広げ、

「これで終わりよ!」

 手のひらから放たれた膨大な炎が、ロマノを遮断の膜ごと押した。

 並の火使いよりも膨大なエレメント量による、一点集中の攻撃。

 その衝撃は尋常ではなく、人体が耐えられるものではなかった。

「くはっ――」

 ロマノが後方に吹っ飛び、きりもみしながら地面に何度も叩きつけられる。

 そのたびに身に纏っていた炎が剥がれ、その身を露わにし、やおら競技場の端――水路の手前で止まった。

 呆けていた女性教諭が、我に返ったように右手を挙げ、宣言した。

「勝者、カーマイン・ロードナイト!」

 静寂、そして――歓声が響いた。

「ふぅ……」

 カームは息を吐き、吹き飛ばした相手を見据えた。

 気絶しているのか、微動たりしない。

 女性教諭が様子を見ようとロマノに近づく。

 だが、ロマノの変化にいち早く気づいたカームは慌てて声を上げた。

「先生、離れて!」

「えっ?」

 足を止め、カームを振り返る女性教諭。

 その直後、ロマノが立ち上がった。

 女性教諭が驚きの表情を浮かべ、立ちすくむ。

 それが邪魔だと言わんばかりに振るわれたロマノの腕に顔を叩かれ、地面に倒れる。

 気絶してしまったのか、まったく動く気配がない。

(これは、まさか……!)

 ロマノの体から、黒い霧が発生していた。

「ううう――」

 彼の口から、彼のものとは思えないほどに低い、唸り声が轟く。

「うぁぁぁああああああっ!」

 ロマノの絶叫――それに反応するかのように、すべての松明の炎が高く飛び上がり、そして――火球となって観客席に向かって落ちていった。

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