二章 伝説と予言の青い薔薇、そして殺人鬼2
*
塀をとびおり街路へおりたところで、リンデは人型にもどった。
匂いをたどって、エイリッヒのあとを追ってきたが、どうやら、あの屋敷にエイリッヒはいないようだ。
(エイリッヒはあの小娘を尾行して、ここまで来たみたいだな)
気がかりだ。
断崖の塔を出ていったときのようすが、いつにも増して変だった。
同じ太古の精霊の血をひく生き残りとして、エイリッヒはリンデの数少ない友人だ。やはり、ぶじでいてほしい。
太古、この星を治めていたのは精霊だった。
羽のある精霊の王が、すべての精霊たちをしたがえ、おだやかで争いのない世界をきずいていた。
しかし、人間がこの世に現れてから、精霊の数は減るばかりだ。ことに中世、魔女狩りの時代に、多くの仲間が惨殺された。
獣に姿を変えることのできるリンデ(リンデは猫、狼、カラス、コウモリの四種に変身できる)の一族は、狼男とかヴァンパイアだとか言われて、杭で打たれたり、銀の銃弾で撃ち殺された。
リンデも銃弾に倒れ、あやうく死にかけているところを、エイリッヒに助けられた。それが二百年ほど前。
エイリッヒはリンデの同族ではない。
ただ、リンデと同じように精霊の血をひく何かだということは、匂いでわかった。
はっきりと何の種族かわからないのは、エイリッヒ自身が、自分が何者であったか忘れてしまっているからだろう。
おそらく、エイリッヒは、かつて禁を犯したのだ。
それによって受けた報いが、あんなふうに彼をそこなっているのだ。
薔薇の香りによって一時的に記憶をとりもどすことは、リンデも知っている。
だが、それがエイリッヒにとって、いいことなのかどうか、わからない。かつての記憶をとりもどしているときの彼は、とても、つらそうだから。
(小娘のことが気になってるみたいだったからなぁ。おかしなことになってるんじゃないかと思って来てみれば……おどろいた。まさか、ここにも精霊がいるなんて)
さっきの青い髪の少年。
あれは、あきらかに精霊だ。
それも、花の精。
とてもいい香りがしていた。
甘くてエレガントな薔薇の香り。
花の精はユニセックスなのが多く、みんな美しいと聞いてはいたが、そのとおりだった。あの少年も、男とも女ともとれるような美貌だった。
(エイリッヒに教えてやるべきだろうか? 残り少ない精霊の仲間が、おれたちのほかにもいたって。いや、もしかすると、エイリッヒはそれに気づいてたから、気にしてたのか?)
とにかく、まずは、そのエイリッヒを見つけなければ。
どうせまた、途中で記憶がなくなって、どこかで飲んでいるんだろう。
エイリッヒの匂いをたどるために、リンデはまた猫の姿に変身した。このほうが人型でいるより嗅覚がするどくなる。
ほんとは嗅覚で言うなら狼のほうが、より鋭敏だが、町なかを狼がうろついていれば、人間が大さわぎする。銃を持って追いまわされるハメになるだろう。
猫の姿で鼻をヒクヒクさせると、エイリッヒの匂いは、だいぶ遠くからただよってきた。港あたりだ。
思ったとおり、酔っぱらっているらしい。アルコールの匂いがまざっている。
人間なら、とっくに肝臓を悪くして病気になっている酒量だ。精霊の浄化能力があるからこそ健康でいられるのだ。
(こまったやつだなぁ。いくら精霊だからって、浄化能力には限度があるんだからな)
リンデはそのまま猫の姿で走っていった。
港近くの、にぎやかな場所まで来た。
ならぶ酒場から明かりがもれ、歌声や笑い声が聞こえてくる。
エイリッヒはあの顔だから、どこへ行っても女の世話になって、それなりにうまくやっているらしい。心配はないと思うのだが。
(うん。このへんだな。匂いがする)
リンデは匂いのする店に近づいて、戸口からなかをのぞいてみた。
エイリッヒの姿はない。あるのは、残り香だけだ。
(なんだ。帰ったあとか?)
匂いは裏口のほうへ続いている。
リンデは店内に侵入し、酔っぱらいたちの足元をすりぬけた。
「あ、なんだい。ノラ猫め。しッしッ」
店の女が、さも汚ならしそうに手をふってくる。
バカやろう。おれはノラ猫じゃねえよ。由緒正しい狼族の六十三代めだ。
もっとも、迫害をさけて、このところ狼に化けることは、めったにないが。
酒場の女の攻撃をかわして、裏口から外へかけだした。
細い路地が続いている。
エイリッヒの匂いが強くなった。
しかし、そのときだ。
どこからか、女のうめき声が聞こえた。
同時に濃い血の匂いがした。
リンデは急いだ。
月明かりもとどかない暗い街路。
人影が一つ立っている。エイリッヒだ。
リンデは見た。
エイリッヒの手に、血にぬれたナイフがにぎられているのを。その足元には、女の死体が——
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