第二話
「そうか、カーラ女史は辞めたのか」
外のベンチに向かい合わせに座ってランチのサンドウィッチを食べながら、ダベンポートはトーマスに訊ねた。
今日はオーソドックスにハムアンドチーズ、それにオイルサーディンのサンドウィッチだ。料理が好きだとは言え、朝食の準備をしながらランチも作るリリィの手際の良さには感心する。
「ああ、最近の事だよ」
トーマスがもぐもぐとサンドウィッチを頬張りながらダベンポートに答える。
見たところ、サンドウィッチにはオリヴィエサラダ(註:北の皇国風ポテトサラダ)と何かが二段に挟まっているらしい。ダベンポートの上品なサンドウィッチに比べて彼のサンドウィッチは優に三倍くらいの厚みがある。
「しかし、魔法院が自由意志で辞められるとは知らなかった」
ダベンポートはトーマスに言った。
「うん、僕もさ」
トーマスが頷く。
「魔法院ってのは称号みたいなもので、辞めるとかそういうものじゃないと思ってたんだけどね。どうやら辞められるみたいだ」
「ふーん。隠居じゃなくてかい?」
「違うみたいだ」
トーマスは二つ目のサンドウィッチの包み紙を剥がしながらダベンポートに言った。
「ともかく、急に辞めたんだよな。もう魔法院には関わりたくないらしいよ、聞いたところによると」
「へえ」
「ほら、彼女
溢れたマヨネーズソースがついた親指を舐めながら言葉を継ぐ。
「ああ、そう言えば……」
カーラ女史のことはあまりよく知らないし、覚えてもいない。顔を見れば思い出す程度だ。
だが、言われてみれば確かに、肩に猫のような耳をした灰色の生き物が乗っていたような気がする。
「あのサルが死んだとかでね、ひどく気落ちしてそのまま退官してしまったんだ」
「そうだったのか」
「サルの寿命って二十年くらいだと思うから、事故でもあったのかなあ。でもダベンポートはなんで急にカーラ女史のことを思い出したの?」
トーマスは食べ終わってしまったサンドウィッチの包み紙を丸めながらダベンポートに訊ねた。
「ほら、君の言っていた『歌う猫』の事、彼女に聞けば何かわかるかも知れないと思ったんだ。僕のところのハウスメイドが強い興味を持っていてね。あの話にはどうにも魔法の匂いがする」
カーラ女史の専門は動物学だ。ただ、動物学とは言っても一般的な動物学とは異なり、魔法院の場合は主に動物を使役する方法の探求を目的としている。ダベンポートの記憶が確かなら、カーラ女史は動物の知能、およびその向上を研究テーマとしていたはずだ。それなら、あるいは歌う猫の事も何か判るかも知れない。
「なるほど」
トーマスは頷いた。
「残念だな、退官する前なら良かったんだけどね。……いや、待てよ。彼女も確か院内居住だからまだ近くに住んでいるかも知れないよ。調べてあげようか?」
+ + +
帰り道、ダベンポートは少し遠回りをしてトーマスが調べてくれた住所を訪ねてみた。
カーラ女史の元自宅は魔法院の反対側、東側の一角にあった。独身者用の小さな家だ。ダベンポートの家とサイズは大して変わらない。
残念ながら、カーラ女史はすでに家を引き払った後だった。かつては家を暖かく飾ってあったであろう内装も全て運び出されている。残されていたのは大量の観葉植物のみ。カーラ女史はどうやら家の中をジャングルのようにして暮らしていたようだ。
帰り道に人事部に立ち寄り、カーラ女史の転居先を訊ねてみる。
あいにく、彼女の消息は不明だった。彼女の残していった新しい転居先の住所は全くのデタラメでどこかの橋の住所だったらしい。
「困るんですよね、変わった人が多くて」
窓口の女性は嘆息した。
「一応魔法院としても追跡はしないといけないのでちょっと困っているんです」
まあ、色々な機密事項にも触れているわけだ。それぐらいのペナルティは仕方がない。
(手がかりなし、か)
ちょっとした思いつきで知恵を拝借しようとしていただけだから、さしたる痛手ではない。しかし、なぜ急に姿を消したのか? そちらは少し気になる。
(まあ、大した話でもなかろう)
ダベンポートは考え直すと、リリィの待つ自宅へと急いだ。
(ところで、物理的に猫は歌えるものなのだろうか?)
魔法院の中の散策路を歩きながらダベンポートは考えていた。
(トーマスによればその猫の音域は広かったようだが……ミャオやらナオやら言うだけの猫にそんな音域ってあるのかな?)
確かに低い声の猫もいれば高い声の猫もいる。
ダベンポートは自分の知っている猫の声を思い出した。しゃがれた声の猫、澄んだ声の猫。いつも人を脅すように唸っている猫もいれば、いつも甘えたように猫なで声で鳴いている猫もいる。
しかし、高い音域から低い音域までを自在に操る猫にはまだお目にかかったことがなかった。ましてや『楽器のような』声の猫なんて見たことがない。
(やはり魔法なんだろうか? しかし不思議な話だ……)
それにもう一つ。猫の動機がどうにもわからない。
猫がおひねりを入れるための袋を首から下げている以上、猫には飼い主がいるのだろう。その飼い主が金を稼ぐために猫を歌わせているのであれば、それは大いに頷ける。
(自分の猫が歌うことに気づいた誰かが小遣い稼ぎをしているのかな? しかし、そもそも猫がそんな勤勉に働くものかね? 少なくとも僕の知っている猫はいつも日向か暖炉の前で寝ているばっかりだった……)
『歌う猫』の話は夕食を食べたのちリビングでお茶を飲んでいる時も、結局ダベンポートの脳裏から離れることはなかった。
もともとダベンポートは一度考え始めるとそれがちゃんと決着するまでは考えることをやめられない
いつの間にか、ダベンポートは一心に歌う猫について考え込んでいた。
「♪〜」
階下のキッチンからリリィの歌声がする。
「リリィ?」
しばらくの後、ダベンポートはリビングへリリィを呼んだ。
「はい、旦那様」
すぐにリリィが階段を登ってくる。
思い切って、ダベンポートは週末にリリィを外出に誘うことにした。
「リリィが言っていた『歌う猫』なんだがね、今度の週末に見に行ってみないかい? 僕も少々興味が湧いてきたよ。ここは一つ、一緒に出かけて正体を見極めてみようじゃないか。リリィも会ってみたいだろう? その『歌う猫』にさ」
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