毒で征する

 レンは、自分が通ってもいない大学の門を通り抜けた。この近辺の住人も散歩コースとして使用するキャンパスの中は人通りが多く、彼一人が紛れ込んでも目立たない。彼は何度かこの場所に足を運んだことがある。なのでさして迷うこともなく目当ての場所にたどり着くことができた。

 今ちょうど、授業がちょうど終わった頃合いだ。レンは講堂の出口からわらわらと出てくる学生の群れの中をじっくりと見つめていたが、約束の相手が一向に出てくる気配はない。工場で稼働しているラインを眺めているような気分になる。はっきり言って、彼にとってはつまらない時間だ。

 ……どれもこれもありふれた顔つきに同じような服装で、面白みがない。個性が埋没した集団を見ても彼の気持ちが高ぶることはなかった。探している相手が見つからない苛立ちも相まって、尚更大学生という存在がつまらないものであるように思えて仕方がない。

「……はぁ」

 集団の波が一段落つき、ふと周囲を見渡すとあまり目立たない小さな出入り口があるのに気がついた。非常口も兼ねて、大きな通りから目立たない奥の方にもう一つ扉がある。

 ――桐緒はそっちにいる。

 レンは直感の赴くがままにそちらに足を運んだ。

「――だから……って」

「――っ、……!」

 二人分、人の声がする。レンのよく知る声と……もう一人知らない男の声だ。あまりよく聞こえないが何やら、穏やかではないやりとりであるのは確かだ。

 面白いからこのままどうなるか、見てみよう。

 レンは自分の好奇心に素直だった。足音を殺して、死角になる位置から彼らのやりとりをじっと眺める。

「お、お前が悪いんだろっ!」

 桐緒が、男に迫られている。

 今すぐ第三者が止めないといけない。普通ならそう考えるだろう。危うい空気である。すぐにでも暴力沙汰に発展しそうなひりつく気配がした。

 ――向こうの男が桐緒によくない気を起こしてしまったから「こう」なっている。レンにはどうしようもないことだ。人の気を変えさせることは難しい。最初のうちは桐緒のやっかいな気質を哀れむ気があったが、今ではただ滑稽な見世物として楽しむだけだ。

 向こうの男も可哀想に。一つ紛れ込んだだけで周囲を腐らせる果実のような、そんな人に魅入られてしまった哀れなやつ。ありふれた修羅場。どこにでもそのような気質の人間は存在する。今こうやって見つめている以外にも、世界のどこかで似たようなことが発生している。レンは幾度となくこのような状況を目撃してきた。お気に入りの映画を何度も再生するように、見慣れた光景が何度もリプレイされているようだった。

 いつのまにか桐緒は壁を背に、名も知らぬ大学生に追い詰められていた。

「桐緒が……、お前がっ、いつもフラフラしてるのが悪いんだろ……! 俺のことだって、ちゃんと見えてるのか、見てないんだか……」

 桐緒が男の背に隠れる形になっていたので、レンからは彼がどんな顔をしているのかはっきり見えなかった。

「やめろ」

 しかし彼の引きつった声は静かになった周囲に響いて聞こえてくる。震えながら静止を求める声は次第に消えていった。

「……」

 ――キスされている。桐緒は抵抗するよりも大人しくしていた方がいいと思ったのか、暴れることもなく静かにそれを受け入れていた。何秒間か、彼らは熱い口付けを交わす。何も知らない者が見れば、恋人同士の情交に見えるかもしれない。第三者がはっきりと目撃しているとも知らず、二人きりの世界に閉じこもって没頭している。

 レンは冷静に彼らの一部始終を見守っていた。――大したことじゃない。たかだかキスの一つで彼は動揺しない。ただ、この後流血沙汰になっては面倒だと思ったし、何より……。

「ねぇ、遅いんだけど。待ち合わせの時間はとっくに過ぎてる」

「……レン!」

「……あ」

 二人が唇を離した瞬間に、レンはその場に登場した。先ほどまで桐緒に夢中でキスしていた男は、冷や水を浴びせられたように固まっていた。

「あれ、お邪魔だった? まあでも……人に見られて困るようなことなら、そもそもこんなトコでやらなきゃいいよね」

「……あなたは桐緒の、何なんだよ。いきなり現れて、のぞき見なんて悪趣味だな」

「うーん、何だと思う? こういう時に現れる相手でベターなのは……愛人とか? あっ、この漢字は日本語だと意味が違うんだっけ?」

「レン、その……これは……」

「えっ、別に怒ってはいないけど? オレが怒ってるっていうかイラっとしたのは、時間に遅刻されたってことだけ」

 レンがゆっくりと歩み寄ると、男は桐緒をかばうように前に出る。しかし、桐緒はそれを意に介さずに飛び出した。

「あっ……」

「ご、ごめん……。本当に、ちょっとその、トラブって」

「ふーん……。じゃあ埋め合わせでもしてもらおうかな」

「え、っと……んっ」

 手を桐緒の後頭部に伸ばすと、真っ直ぐに口づけた。レンの流れるような動きに対して桐緒の抵抗はない。さすがに最初は緊張で身体が強張っていたが、次第のそれも常から味わっている快楽を追いかけるように、素直にレンから与えられるものを受け取っていた。

 横目でこの光景を傍観している男の顔を見つめた。突然現れたレンという存在に、現実に脳が追いついていないのだろう。目を見開いて、唇は苦痛に耐えるように固く結ばれている。

「アハッ。オレと桐緒は……こういう関係だから」

「…………もう帰ろう! 早く!」

 長い口付けの後で、レンは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 その絶望的なまでに完璧な微笑は、人の神経を粉々に打ち砕くほどの威力が籠もっている。

 二人は膝から崩れ落ちそうな男一人を置き去って、出口に向かう人の流れる方へと歩いて行った。


「ねぇ桐緒」

 ふとレンは足を止めた。並んで歩いていた桐緒が一歩先行する形で立ち止まる。二人の間にはわずかな距離があった。

「なんだよ……。今更だろ、終わったことなんだから……仕方ないことだったんだ。あんなの、普通に事故だろ」

 桐緒はまっすぐ見つめてくるレンの目線から逃れるように、分かりやすく目をそらした。

 ――レンの口からどんな言葉が飛び出してくるか、考えるだけで気がおかしくなりそうだ。しかし、彼の杞憂を裏切るようにレンはニッと口角をつり上げて、口を開く。

「あの子気に入っちゃった。紹介してよ」

「絶対嫌だ」

「あーあ、ザンネン。結構面白そうだと思ったんだけどな」

「……アンタの面白そうの基準が、俺には理解できない」

 その言葉を聞いてレンは声を上げて笑った。

 今回の件に限らず、彼について理解できたと確信できる日は一生こないかもしれない……。桐緒はいつの間にか彼を追い越していたレンの背中を見つめながら、漠然とそう思った。 

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罪のアントニム 青木晃 @ooyama01

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