第20話 最後の晩餐
「ヨーア? 俺だけど、ちょっといいかな」
「……」
「話したいことがあるんだけど」
「うるさいッ! 早く出てってよ!」
……強い叱責を受けてしまった。
どうやら話すことすら出来なさそうだな。まあ初めから分かっていたことだ。
冒険者になると俺が前に言った時のことを思い出す。あの時は割とすぐに部屋から出てきてくれたけど、今回は微塵もその可能性を感じない。
「ああ、分かってる。明日の朝出ていくよ。そのままでいいから聞いて欲しいことがあるんだ」
「……」
「俺のことは忘れてくれ。その代わり、たくさん友達を作るんだぞ。お前、友達いないだろ? いつも家か、俺と一緒だったからな。そこでなんだけど」
俺は先ほど書いた手書きの地図をドアの下の隙間に差し込んだ。
「今差し込んだのはヨーアと同じ、友達が一人もいない女の子の家の地図だ。いつも家で本ばかり読んでいて、外にも出ない。でも、ほんとは友達が欲しくて寂しがりやな子なんだ。だからその子の家に行って欲しい。名前はアイリス。ヨーアとおんなじくらいの年だ」
「……」
ヨーアからの返事はないが、要件は言った。俺がこの街を旅立ってしまったらアイリスは話し相手がお母さんのみとなってしまう。せめて一人でも友達を作って欲しかった。それはヨーアも同じだ。
「それと、そろそろ晩御飯だからその時になったら呼びに来るよ」
「……」
反応なし、か。
早くこの家から出ないとまずいなこれは。
俺はアハハと気の抜けた苦笑いをし、頭をぽりぽりと掻きながらリビングへ向かった。
⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎
「どうでしたか? ヨーアの様子は」
台所でおたまを片手に持ったユーリさんが問いかけてきた。
「あいも変わらず、ですね。晩御飯も食べてくれるかどうか……。やっぱり俺、今すぐに出て行った方が」
「駄目です」
「はい……」
きっぱりと断られた。
しかし、俺が家にいたらヨーアは部屋から出てこないんじゃないかと真剣に思うのだが。
「晩御飯、もう少しでできますからね」
「はい! あっ、この匂いは……」
この匂いは俺がこの家で始めて食べた料理、クラムチャウダーだ。コル塩が使われているため、クリーミーな香りの中に海の香りが漂う。
「ホープさんに始めて振舞った料理です。おかわりもたくさんしてくれて嬉しかったですよ。ヨーアがほとんど食べてしまいましたが」
ユーリさんは微笑みながらおたまで鍋の中をゆっくりとかき混ぜる。
「とても美味しかったので今でも鮮明に覚えています。あの味は忘れられません」
「ふふっ。大袈裟ですよ」
「大袈裟なんかじゃないです。本当に美味しかったんです。味や香りもそうですけど、なんというか、心が暖かくなるような」
身体に、心に、ぐっと染み込むような、そんな感覚。
「ふふっ。そんなに褒めても味は変わりませんよ」
ユーリさんは満面の笑みでニコリと笑った。その笑みは子どもっぽく、一瞬ヨーアかと思った。
⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎
「すみません。やっぱりヨーアは来ませんでした」
「そうですか……。仕方がありませんね。ちゃんとヨーアの分は取ってありますから。さあ、冷めないうちに食べましょう?」
クラムチャウダーが出来上がったのでヨーアを呼びに行ったのだが、ヨーアからの反応は無かった。食べることが大好きなヨーアなら晩御飯くらい食べに来ると思っていたんだが……。絶対にお腹を空かせているはずだ。
そんなことを思いながら、俺は一口、クラムチャウダーを啜った。瞬間旨味、海の香りが身体を突き抜ける。
そうそうこの味、この香りだよ。そしてこの暖かさ。
俺は終始無言でクラムチャウダーを啜った。気付くと皿は空になり、一杯だけでなんとも言えない満足感に包み込まれた。
けれど、食べたい。もっと食べたい。後引くうまさがこのクラムチャウダーにはある。
「ふふっ、最後のご飯ですからね。今日はたくさん作りました。おかわりいっぱいして下さいね?」
「はい! お言葉に甘えます!」
ユーリさんは俺のお皿を取ると、新しくクラムチャウダーをよそってくれた。
俺は一心不乱に食べた。美味しいからというのもあるが、これが最後の、この家で食べる最後の食事というのもあり、食べずにはいられなかったのだ。
ユーリさんはふふっと微笑みながら俺の食べる姿を見ていて、気恥ずかしもあったが、俺は食べる手を休めなかった。
「……ふぅ。ご馳走様でした。美味しかったです」
「はい。お粗末様でした。たくさん食べましたね」
ユーリさんはどこか嬉しそうで、それでいて、悲しそうでもあった。
「俺、いっぱい食べたと思うんですけど、ヨーアの分は本当に取ってるんですよね?」
「はい。そこの大きなお鍋にありますよ」
「鍋? ……え、これ全部!?」
台所を覗くと、俺とユーリさんが食べたクラムチャウダーの入った鍋の隣に、その鍋より一回り大きい鍋があった。
「あの子、たくさん食べますからね」
「ははは……そうですね」
いくらなんでも量が多すぎると思うのだが、ヨーアならきっと食べるだろう。
美味しそうに満面の笑みでクラムチャウダーを頬張るヨーアが目に浮かんだ。
——結局、ヨーアは部屋から出ることは無く、朝を迎えた。
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「それでは、行ってきます」
「はい……。くれぐれも道中お気をつけて。何かあったら、いつでも帰ってきていいんですからね?」
「はい。何かあったら、必ず。ヨーアによろしくお伝え下さい」
今朝、ヨーアに声をかけたが返事は無く、ついに家を出るこの時まで部屋に篭り続けている。
お別れがこんな形で寂しいが、今はヨーアの心の安寧を保つことの方が大事だ。不安材料である俺は早急にいなくならなければならない。
「そうだ、ホープさん。これを」
ユーリさんは俺に懐中時計を手渡した。
「これは……いいんですか? ユーリさんにとって大切な物でしょう」
「いいんです。大切な物を息子に渡すくらい何もおかしくありません。家族なんですから」
この懐中時計はガルアさんとユーリさんの結婚記念日にガルアさんからプレゼントされた物だ。今となっては形見の時計とも言える大切な物でもある。
そんな代物を受け取るのは気が引けたが、俺を息子と、家族と言ってくれたユーリさんの目を見れば、素直に受け取ろうという気持ちになった。
「っ……ありがとうございます。いつか、いつになるか分かりませんが、この懐中時計を返しに来ます。それまでは大切に使わせてもらいます」
「返さなくてもいいのですよ? これはささやかながら私からのプレゼントなのですから」
「いえ、返します。これは約束です。お母さん」
「ホープさん……」
ユーリさんは俺を優しく抱きしめた。啜り泣く声が聞こえる。
俺は幸せものだ。見ず知らずの俺を、ここまで親身に、本当の家族の様に迎え入れてくれて。
こんなにも素敵な家族の元で生活が出来たこの数ヶ月は、俺の一生の思い出だ。
「それでは、行ってきます」
「……はい。行ってらっしゃい!」
ユーリさんは目元に涙を滲ませながらも、笑顔だった。
俺も笑顔で、家を出た。
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