第11話 瞳の色


「お兄ちゃんいつ帰ってくるの?」


「分からないわ。そこまで遅くならないとは思うけど……」


「そんなぁ」


 ヨーアはしょんぼりしながら肉と野菜の炒め物を頬張った。野菜にはピーマンも含まれている。


 ホープが作ったピーマンの肉詰めを食べて以来、ヨーアはピーマンを食べられるようになった。

 ヨーアの母、ユーリはそんなヨーアを微笑ましく眺めている。


「ホープさんが頑張っているんですから、ヨーアも読み書きと計算を頑張りなさい? 宿題が出ていたはずでしょう?」


「げ……ちゃ、ちゃんとやってるもん!」


「ほんとにぃ?」


「うぅ……本当はちょっとしかやってない……」


 手がつかなかった、というのが本当のところだ。

 ヨーアはホープに教えられながら勉強をしたかったのだ。

 だからいざ机に向かっても、あまりペンは進まなかった。


「困った子ですね。ホープさんにゾッコン過ぎるのも考えものだわ」


 そうは言いつつもユーリの表情は明るい。いつもの微笑ましい笑顔である。


「ぞ、ゾッコンなんかじゃないもんっ!」


「あらそーお? ふふっ」


 顔を赤くするヨーア。

 ユーリはヨーアが可愛くて仕方がないのだ。ついついからかってしまう。


 

 ヨーアは大事なあの人と私の子。

 あの人はもう居ないけれど、絶対にこの子は不幸にはさせない。


 可愛い娘の表情を見る度に、ユーリはそう心に誓うのだ。


 ねえ、あなた?


 私は、父親がいないヨーアを一人で育てきれるか不安だった。

 けれど、ホープさんという優しい青年がヨーアの面倒をよく見てくれている。本当に助かっているわ。

 ヨーアもホープさんに懐いているようだし、ホープさんの人柄も含めて、ヨーアをホープさんのお嫁に行かせても良いかなと私は思っているのよ?


 ふふ、あなたは反対するでしょうね。だってあなた、ヨーアをすこぶる溺愛していたものね。ヨーアは誰にもやらない! って言って、あなたってほんと、親バカでしたよね。


 私も、ですけど。


「ヨーア、ご飯を食べ終わったら宿題の続きをしなさい。そしたら、ホープさんに褒められると思いますよ?」


「ほんと? それなら……頑張る!」


 ヨーアは嬉しそうに笑うと、肉と野菜の炒め物を頬張る。

 実に美味しそうに食べる子だ。


 早く宿題を済ませてホープに褒められたい。その一心でヨーアは素早い咀嚼を続けた。


「んッ……んん!?」


 あまりに勢いよく食べ進めたために、案の定喉に詰まらせた。


「はい、お水ですよ」


 ヨーアは顔を真っ青にしながらも水を受け取りすぐに飲み干した。


「ぷはぁ……死んじゃうとこだった……」


「がっついて食べるからです。ちゃんとよく噛んで食べなさい。お行儀が悪いですよ?」


「はぁーい」


 ヨーアはションボリした様子で、言われた通り食材一つ一つをしっかりとよく噛んで食べたのだった。


 

 ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎



「ふぅ……読み終わった」


 俺は『マモノの勇者』をパタンと閉じて、冒頭から最後までの物語を走馬灯のように頭の中で回想した。


「あら、読み終わったのね。どう? 面白いでしょ」


「ああ。これは面白い。色々と考えさせられたよ。この勇者の少年の考えというか思考というか、俺にも共感出来るものが多かったから余計にね」


 読み進めてなんとなく思ったことだ。なんか俺に似てるんだ、この少年。


「……そう。あまりそういう人はいないと思うけれど」


「そうかなぁ。少年は次にこうするだろうなぁ、こう言うだろうなぁって思ってたら大体その通りだったし」


「……そう。私はどちらかと言えば少年には否定的よ。おそらくこの世界の人間はみんな否定的だと思う。でも、ホープはみんなとは違う価値観があって、常識とは別のとらえ方ができるのね、きっと」


「そんな大層なことじゃないと思うぞ? 世界は広いんだ、俺と同じように感じた人くらいいるだろ」


 そう言うと、アイリスは穴があくほど俺の目をじっと見つめた。

 何故見つめてくるのかは分からないが、とても澄んだ綺麗な蒼眼だな。全てを見透かしたようなそんな魅力をこの目からは感じる。


「アイリスの目は綺麗だな」


「……ホープって不思議な人ね。ほんとに不思議。この世界の人間か疑ってしまうわ」


「ははっ、なんだそれ」


 アイリスは依然俺の目を見つめながら言った。

 目の話は当然のようにスルーされた。


「悪い意味で言ってないわ。寧ろ好意的よ。ホープは本の中の人間みたい。実際にはない仮想の世界の人間のよう」


 アイリスは微笑む。

 とても嬉しそうだった。


 俺としてはそんなことを言われても複雑な心境なのだが、アイリスが喜んでくれているのならそれでいい。


 本の中の人間……か。

 つまりフィクションの世界の人間。そのように捉えるアイリスも独特な感性があるのだろう。


「目の話だけど、あなたも素敵な目を持っているじゃない」


 目の話はスルーされたのではなく後回しにされただけだった。


「俺の目か? 普通の目だと思うけどなぁ」


「ホープ、あなた鏡見たことある?」


 ん? バカにしてるのかな?


「それくらいあるよ。え、そんなに変?」


「変という訳ではないわ。魅力的……だと私は思うわよ。その相手を強引に引き込むようなは」


「大袈裟だよ」


「ほんとのことよ」


 そう言ってアイリスは俺の目をまじまじと観察するように見つめる。


 困った褒め方をされてしまったな。相手を強引に引き込むって、それってマイナスな印象ではないか? 正直全くもって嬉しくない。

 ヨーアも内心怖がっていたりして……まずいな。


「ほんとにただの目だと思うんだけどなぁ」


「それはまずないわね。黒瞳の人間なんてそもそもこの世界にはいないわ」


「え!? そうなの!?」


「この世界の人間は、『茶』『赤』『黄』『緑』そして『青』の瞳のどれかと決まっているの。そしてその中でも『青』は希少とされているわ。常識よ?」


「知らなかった……」


 そう言えばヨーアとユーリさんは琥珀色に近い茶色の瞳だったな。透き通っていてとても綺麗だった。


「そういえばアイリスの目の色ってその希少な青だよね」


「……ええ、そうね。ほんと、忌々しい色だわ」


 アイリスは苦笑いをして視線を下ろした。


「忌々しい? どうして? そんなに綺麗な色をしているのに」


「そんなこと言ってくれたのはお母さんとあなただけだわ。青瞳はね、どうしてか大昔から忌み嫌われているのよ。マモノと深く関係があるとかないとか。ほんと、根も葉もない噂でこっちは大迷惑よ」


「うーん、もしそれが真実であってもそうでなくともアイリスはアイリスだしな。少なくとも俺は気にしないというか、問題視すらしないな」


 俺は「だろ?」と言ってアイリスの頭をポンポンしてから、優しく撫でた。よくヨーアにするやつだ。

 それにしても真っ直ぐで綺麗な金髪だな。手入れがちゃんと行き届いている証拠だ。


「……もう一度言うけど、ホープってこの世界の人間?」


 そう言うアイリスの顔が赤い。怒らせてしまったか?

 アイリスはいぶかしげな表情で俺を見つめてきた。


「多分この世界の人間だと俺は自負してるけど」


「……そう。ほんと変わってるわね、ホープって」


 アイリスはニコッと微笑んだ。子どもらしい素敵な笑顔だ。


「あっ、ごめん」と俺はアイリスの頭から手を離した。


「っ……別に、謝ることはないのだけれど」


「いやでも、アイリス顔赤いし、内心では怒ってるのかと思って」


「なっ……!」


 アイリスは俺とは逆方向に顔を逸らし、両の頬を手で抑えた。

 この既視感、どこかで……。


 俺はそんなアイリスの様子に既視感を感じクスッと笑った。


「……別に……赤くないわよ」


 ——ギギギ。

 建てつけの悪いドアが開く音がした。


「ただいま。アイリス? 遅くなってごめんね。今ご飯作るからね」


 女性の声だ。透き通っていて、しかし細く弱々しい、そんな声。


「おかえりなさい、お母さん」


 アイリスはそう言うとベッドから降りて玄関口まで走っていった。


 アイリスのお母さんが帰ってきたんだ。


「俺の今日の依頼は終了かな」


 ふぅ、と一息ついて、俺はアイリスのお母さんにあいさつするためにアイリスの後に続いて玄関へ向かった。


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