第10話 白い薔薇の呪文
お姫様気分の百合香はゆったりとソファに腰掛けると、戸惑ったような顔の魔法使いに、優雅に微笑みかけた。
「ねぇ、シーディ、さすがは魔法使いの家! この家って見た目はボロいのに、銀の燭台とかブランドモノのティーカップとか、高級そうなものがいっぱいあるのねぇ」
シーディが入れてくれた紅茶だって、香りが良くてとても美味。それに付け加えてと、百合香は窓際にある本棚を指さした。
「あの本棚にある本の数の多いこと! 外国語のタイトルばかりで何の本だかよく分かんないけど、シーディはあれを全部読んでるの?」
ここは、弟の京志郎が、中世のイギリスをモデルに作ったからなのか。特に上段にある古めかしくて分厚い本には、優美な修飾文字の”英語”の背文字がついていた。
「まぁね、あれは、俺のじいちゃんから譲り受けた本だけど、俺はこう見えても、勉強家だからな。天文学、数学、科学、料理書から文学までも。特に難しい内容の魔術書は読みがいがあって大好きだ」
「すごいわぁ……なら、シーディはちょっとした魔法ならお手の物じゃないの?」
「……うん。実際、今、百合香が飲んでるティーカップは俺が錬金術で作り出したものだし」
「へええ……」
嘘でしょ。
”シーディ” その名の意味は― とるにたらない者 ―
雪だるまの近衛兵長ミラージュが言っていた台詞を、百合香は、つい思い出してしまっていた。そんな名前をつけられた彼には同情するけれど、百合香が見たシーディの魔法は、せいぜい、バスタブを泡を満たす程度のモノで、発動も遅く、お世辞にも立派な魔法書を熟読しているようには思えなかったからだ。
「お前、信用してないだろ。でも、俺だって、魔法書の文字が消えないうちは、色んな魔法を使うことができたんだぜ」
シーディは、一番厚みのある古そうな本を引っ張り出し、百合香にほらっと差し出す。その黄ばんだ本は、所々の文字が抜け落ちていた。
「文字が……消えてる。でも、これ、
「当たり。そこにある魔法書の呪文は、俺が使った端から消えていったのさ。だ・か・ら、俺は1度使った魔法は2度は使えない(1度も発動しなかった魔法も多いけど)。たとえ、呪文を記憶していたとしてもだ。何か、文句でもある? 仕方ないじゃないか。俺ってそういう体質なんだから」
博学の
* *
一度きりしか呪文の効果が現れないって? こんな難しそうな魔法書を読めるほど頭がいいっていうのに。
百合香はシーディに呆れたような目を向けた。
「……ってことは、そこの本棚にある文字が消えた魔法書は、全部、飾りってわけ」
「失礼だな。呪文の文字は消えてたって、ちゃんと、この俺の明晰な頭脳に刻み込まれているぞ!」
でも、実際、使えなかったら意味はないけど。シーディは痛いところを突かれて黙り込んでしまった。
百合香は焦った。しょんぼりした彼の姿を見て、とても悪いことを言ってしまった気がしたからだ。
「ねぇ、そんなに悲しい顔をしないでよ。そうだ、”魔法書のエキスパート”のシーディならこの本の”謎”が分かるかも」
と、自宅から唯一持ち出すことができた”英語教本”を彼に差し出した。
「謎?」
魔法や不思議が大好きなシーディが、身を乗り出した時だった。二人の頭上を掠めて一匹の鳥が、通りすぎていったのだ。
チチチチッチ
「あーっ、あれっ、あれがその”謎”よ! あのナイチンゲールが、本から飛び出して、このジオラマの国に入って行ったのよ。それが証拠に、本から鳥の挿絵が全部消えちゃってるんだからっ!」
普通の世界なら、戯言を言っていると笑われてしまうところだが、ここは魔法が普通に行われている国だ。
天井の梁から物珍しそうにこちらを眺めている鳥に、ちらりと目を向けてから、シーディは受け取った本のページをぱらぱらとめくってみた。
なるほど……鳥の挿絵があったらしい箇所が抜け落ち、そこだけが白紙になっている。ページの中の文字もいくつかが消えている。
この本は……。
はたと顔をあげて、シーディは、
「”ナイチンゲールと紅い薔薇”っていうのが、この本のタイトルか? すごいぞ。これって、ものすごく大きな力を帯びた魔法書だ。百合香は、この本をどこで手に入れたんだ?」
「魔法書? 京ちゃんのバイト先の図書館から借りたんだけど」
「京ちゃんって……たしか、百合香の弟だっけ? そいつ、何者? 魔法使いか」
「まっさかぁ! 京志郎はただの”不登校”の高校生。でも、すっごく頭とお顔が良くて~、性格はまあまあかな。あの子は、このジオラマの国を作ったモデラ―よ」
「……」
ジオラマの国? モデラ―? 百合香の言っている意味が、シーディにはまったく理解できない。
「あのな、黙ってたって、仕方ないから言っちまうけど、ここの国を支配しているのは、”
「ん、グレイ・マウザー? シーディ、今、そう言ったの?
その瞬間、シーディはしまった! と、両手で口が押さえたが、もう後の祭りだった。百合香の興味津々の瞳が、きらきらと輝いている。
「 ”グレイ・マウザー”がじいちゃん? ってことは、シーディは、
* *
30分後。百合香とシーディは彼手作りのチーズを美味しく食しながら、ワインを一本を飲みほし、上機嫌で微笑みあっていた。
「あ~、だから、この魔法書”ナイチンゲールと紅の薔薇”には、有効な魔法の呪文がいくつも残ってる~ってことだ。おまけに魔法書自体が力を持ってるんで、失敗も少なく、
「ほぉぉ! さすが”グレイ・マウザーの孫っ!”だったら、私に魔法を見せてェ!」
大拍手でエールを送ってくるお姫様。
「百合香っ、お前、ワインで酔ってんな? 17歳はお前の国じゃ、酒はご法度って言ってたくせに」
「問題ない、ない。この国では、何でもアリだって、シーディも言ってたじゃないの 」
「まぁな。ここには法律なんてないようなもんだから。こら、百合香っ、はしたないっ、ドレスの裾をたくしあげんな! お姫様ならお姫様らしくしとけっ」
「だってぇ、邪魔なんだもん。それに、この掘っ立て小屋でお姫様らしくもないでしょうぅ」
もっともだと、シーディは、けたけたと笑う。
ひた隠しにしていた事実が明るみになったことで、かえって気分が楽になった。魔法が上手に使えなくたって、俺は魔法が大好きだ!たとえ、
ワインで気が大きくなってしまっていた
"My roses are white as white as the form of the sea,and whiter than the snow on the mountain"
(私のバラは海の泡のごとく、霊峰に積もる雪よりも純白の色をしている)
その中に”White”と” Rose”の
「よぉしっ! 俺が百合香をもっとお姫様っぽくしてやる!」
高揚した声で魔法の呪文を唱えた。
『” White rose!” 咲き乱れろぉ!海の泡、降る雪よりも澄んだ白き薔薇の花ぁ』
その瞬間、真珠のような眩い光が天井から降り注いできた。一つ一つの煌めきがひらりと回りながら白い花びらに姿を変える。そして、幾重もの花びらが徐々に重なり、最後にあちらこちらで、純白の花が形作られていった。
― 優美で高貴な貴婦人のような白い薔薇 ―
小さな家の小さなダイニングが、大量の白薔薇で埋め尽くされるのに、そう長い時間はかからなかった。
「うわぁ!私、まるで白薔薇の館のお姫様!」
百合香の姿は、純白の海に浮かび上がった、薔薇の国のお姫さま。その胸元の一輪の紅い薔薇が華やかな彩りを添えている。
シーディは、目を細めた。
目の前の少女は、明るい月の夜に見る夢のように綺麗だった。胸がとくとくと、鼓動を打った。ユリカはいつか、俺の恋する姫になる。これは気のせいなんかじゃない。言葉を交わすたびに、失くしていた自信が蘇ってくるのだから。
「ユリカ」
百合香の頬にそっと手を添えて、こちらに顔を近づけてくる魔法使いの青年。
漆黒の瞳の中には、晴れた夜空の流星のごとくに輝く鮮やかな光がある。眼差しは真摯で、恋に恋する乙女心を物凄く、くすぐってくる。
このままでは、百合香にとってのファーストキスになだれ込む可能性は、99.99パーセント。
「わわわっ、ダ、ダメっ。いくらワインの酔いにまかせてはといっても、まだ、会ったばかりで、そんな事は……あっ、でもっ、でもっ……」
困惑やら、驚きやら、期待?で、口をぱくぱくさせている少女。
顔を背けては、また、こちらを振り向く百合香が可愛くて、シーディはくすりと微笑んでしまう。
でも、ワインの酔いにまかせてと言われては、俺だってちょっと困る。それでも、伝えたいこの想い。
「う~ん。ダメなのか。なら、これならどうだ?」
再び”ナイチンゲールと紅の薔薇”に目を落として、シーディは、
”The prince gives a dance party tomorrow night at Castle”
(王子様は明日の夜、お城でダンスパーティを開く)
とっておきの呪文を見つけたと目を輝かした。
シーディは、今、もてる限りの魔法力を全身にこめて声をあげる。
『”Castle《キャッスル》”! 建て! この
その
― ちょっと待ったあっ! ―
その時、どこかで声がした。
― この私を忘れてるって!それをやっちゃ、ダメでしょうが ―
……もとい、あと、
第一章【ジオラマの国 】 ~終~
第二章へ続く
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