第3話新月


「ラーメンなのでお箸を」

と自分が言うと、今まで食べながら明るく話していた店の雰囲気が、ガラリと変わってしまった。張り詰めたような、自分の言葉はまるで罪なのだと言わんばかりに他の客は無言で食べ始めた。そうなって初めて気が付いた。


「誰も箸を使っていない・・・」


親子丼も海鮮丼も、かつ丼も、みんなフォークかスプーンで黙々と食べていた。一方店主はというとしばらく黙ったままで、高圧的に、怒っているとも見える態度で


「それじゃいかんかね」ぶっきらぼうに言った。


はいそうですかと引き下がれないのは、自分のラーメンに対するこだわりでもあった。ラーメンは大好物なのだ。自分で働くようになって、この単独の食べ物にいくらかけたのか少々怖いくらいだった。フォークで食べて美味しいはずなどない。

その思いが自分の態度に出ていたのだろう、店主はいかにもしぶしぶ、という感じで、割り箸を、コンビニの弁当についているような個包装のものを持ってきて、自分に渡すのではなくラーメンのトレーにさっと置いて戻ってしまった。

「何だ、今の」

本当に腹の立つことだったが、とにかく伸びるので食べることにした。

「あれ? 結構おいしいかも」

とあまりに想像以上の味だったので、怒りは全く消え、帰りにどうしようかな、と思いながらやはりこう言って店を出た。


「ラーメン、とっても美味しかったです」


島を歩きながら考えていた。

「そうだよな、新鮮な魚介をずっと小さな頃から食べているんだから、舌も肥えているんだろう、でもなあ」

店主の態度は自分が出るまでそのままだった。美味しかったといっても、ほんの少しだけ頭を動かした程度で、不愛想な、いや、不機嫌になった態度に変わりはいなかった。

「まあいいか、食料は多めに持ってきているから、もう行く必要もない、旨かっなあ、本当はもう一度行きたいけど」とテントを立て、火おこしの場所に流木などを持ってくる作業を始めた。

 

 島をめぐる時間はキャンプの回数を重ねるたびに増えてくる。自分としてはその成長が目に見えるのも楽しみの一つだった。そうやって島には必ずある神社に、やはり旅の安全を祈り、敬意を払うためにも必ず訪れるようにはしていた。今回の旅でももちろんそうすることにした。急な石段は、人が少ない割にはきちんと整備されていると感心しながら歩き、小さな社にやってきた。


「何だ、これ? 」


古い賽銭箱の横に同じように古い台が置いてあって、その上にバスケットボール大ぐらいの玉状のものがあった。

酒蔵の新酒ができた時の杉玉のようにも見えたが、素材はフカフカしていて、藁か何かでできていた。持ってみたがもちろん軽く、とてもきれいなまん丸で、それが飛ばないように、台に結びつけけられていた。「でっかいストラップだな」と一人で笑ったが、それなら軒にでもさげようものだが、まあ色々な独自の風習というものはあるから、写真にだけ収めて後で理由を聞こうと思った。神社を立ち去り、ブログ用の夕日も撮り、本番を迎えた。


「さすがだな! 思った以上だ! 」


 明後日が新月なので月の光にほとんど邪魔されることもなく、暗い島の中、満天の星空だった。自然のプラネタリウム、これこそが島の大きな魅力だ。海から星が昇ってくる、そして反対側では沈む。この大きな大きな悠然とした流れは、行って見たものにしかわからない、そして天候にも恵まれなければならない。

「ああ、でも」と否定的に思ってしまうのは仕方がないことだった。

「きれいすぎるな、明日は予報通り荒れるのかもしれない」自分独自の経験、というかどちらかというと雨男なのだ。


 天気の神様に好かれているのか嫌われているのかわからない。自分の予想通り、夜明け前から風が吹き始め、テントを早めに畳んで「どうしようか」としばらく悩んだが、昼過ぎに旅館へ行くことにした。

「すいません、泊めていただけますか」

「いいですよ、名前と住所と電話・・・」と簡単に済ませ、部屋に入った。急に雨が降り出し、海に面した部屋からは、荒れ狂う、色のほとんどない波が映画のように見えた。自分の判断の正しさと、久々の畳の感触で、そのまま眠ってしまった。


「お食事ですが」と起こされて驚いた。想像以上にぐっすり眠ってしまっていたのだ。昼間は火を使わないものを食べたので、とにかく温かい食べ物が欲しかった。

「ああ、鍋ですか、良かった」いかにも新鮮な魚の、においが少なく、おいしそうなものが部屋に並べられた。そして食べようとしたとき

「あの・・・」立ち去る動作をしている旅館の女主人に声をかけた。


「お箸が、ないんですが」


レンゲとフォークだけなんて、日本のどんな旅館でも犯さないような大失態だろうと思ったが、まさか、と女性の言葉は


「それだけではいけませんか? 」二日連続の同じやり取りだった。


 総てが繰り返しだった。

鍋の味は本当に良くて、これさえなければ

「自分のブログに大々的に書いていいですか? 」と興奮気味に言っていただろう。だが女主人は同じようにしぶしぶ箸を持ってきて、この美味しそうな、きれいな鍋を、袋に入った割り箸たちには大変お世話になっているのに悪いが

「これで食べるのか! 」という顔しかできなかった。立ち去る時にまるで心のない「すいません」という言葉を置いて部屋を出て、むしろ食器を下げるときの方がとても丁寧という、訳の分からないもてなしを受けた。だがそれを気にしてはいけないと言っているほどの海の嵐だったため、部屋から出ることもできず、電話もつながらずで、即眠ることにした。

朝のメニューは想像がついた、多分、そうなのだろうと。


 パンとベーコンエッグを食べてお金を支払い、旅館を出た。港も海岸線もこれだけあるのかという流れ着いたゴミの量だった。だがそれとは裏腹に、今日の空は雲一つない快晴だった。


「今日もプラネタリウム、しかも新月、全く月の光がない。楽しみだなあ」


とても心は晴れ晴れしていた。何故なら旅館の女主人が

「今日は大潮ですから、キャンプをなさるんならここから少し上がったところに広場があります。そこなら安全ですし、時々そこで火をおこしたりもしますから、テントを張っても大丈夫ですよ」と言ってくれた。

「ありがとうございます! 」海でキャンプをするのだから、もちろん潮位表はちゃんとチェックしているし、自分の時計には月齢が出るのでわかってはいた。だが雨の後どうしたらいいかと思っていたので、彼女の昨晩の失態は見事このことで完全回復となった。


「なんだか、いやな気持にもなったけど、まあ、いいや」


最後が丸く収まればそれでよし、もう一度ラーメンとも思ったがそれは次回にしよう、フォークで食べろというんならそれでもいいかと思って夜を待った。


「少し寒いから、蚊もまだなのかな」と自分は寝袋をテントの外に出し、眠ることにした。星空の下眠れるなんていつも最高の贅沢だと思う。だがいつも蚊の猛攻で最後はテントに入ってしまう。それでも同じことを繰り返す。

最終日、帰りのため早めに夕食を済ませ、その日も星が出るや否や寝袋の中から、首の痛くなることのない星空観察をしながら自然に眠りについた。



「ああ、いやな時間に目が覚めたな」


今までこのキャンプをしていて一度だけ怖い思いをしたことがある。自分は霊感とは全く無縁の人間だ、しかし多くの日本人と同様に霊的なものを真っ向から否定するつもりもない。だから神社への参拝は必ず行うし、この建物が彼らにとって海そのもの、つまりいくら経験を積んで潮の流れや漁場を知ったところで

「わかっているから」という慢心が命取りになるということの、象徴であると考えるようになった。自然には、あの荒波には勝てはしないのだ。

 だが海と直結した場所なので、やはり水難事故は起こる。それが起こった島で同じように星を見ながら寝ていた時のことだった。ふと気配を感じ後ろを見ると、人が・・・草むらの奥、いるはずのない場所に立っているのが見えた。それがちょうどこの時間、要は丑三つ時だった。


「見間違いかもしれない」だがもう一度見る勇気がなくて星空を見上げた。


「あれが北斗七星、カシオペア、結んだ線を伸ばしていくと」と解説を始めた。それでも何となく見られているような気がしたので、さらに続け

「天上の星の輝きと、天井の星の輝きと・・・」言い続けていると、その声に寄ってきたのかブーンと蚊の羽音がした。顔に吸い付いたのが分かったので「パン」と大きめに叩いた。するとさっきまでの視線もなくなったような気がして、恐る恐る振り返ってみると

何も見えはしなかった。虫と星に助けられたなと今でも感謝をしている。


「ああ、我慢できそうにないな」


広場の周りは草むらだが、ここは島民の行事をする場所で、盆踊りからどんと焼きまでやるところであるのは明白だった。事実広場の奥から神社へと抜ける道は、人の足でしっかりと固められ、その横も草がきちんと刈られてあった。自分としては旅行者でも礼儀をわきまえた行動をとりたいと思っている。地元の人間ならば酒が入りこの横でということも許されるだろうが、自分は部外者だ。

ここから走ってゆけば漁港の公衆トイレがある。あの時に感じた妙な視線も感じられないので、歩きながらの星空観察にも丁度良いだろうと靴を履き始めた。

広場から海岸線までの百メートルほどの曲がりくねった道の途中で。「ああ」と自分はしゃがみこんだ。

「この靴紐駄目だなあ、すぐほどける、格安の新古品、ケチるからだろう? 」自分に言いながら足元だけ照らせるような、とても小さなライトの明かりの中結び始めた。すると何かの光が動いているのが分かった。とても強い明りで大きく広がり、小刻みに揺れていた。そして次第に足音も聞こえてきた。ライトは明らかに懐中電灯で、LEDではない昔の型の頑丈そうなものだろうとわかった。こんな時間にとは思ったが、漁港によっては三時過ぎに出港するところもあるので、立ち上がろうとしたときに小さな声が聞こえた。


「もう、あの・・・お兄さんのせいで・・・」


何処かで聞いた声だった。


「誰? ああ、旅館の」と分かった時には彼女は足早にずんずんと進み、そのあとタンタンタンという音がし出した。

「神社に上がっていったのか? 」幽霊よりも怖いと思いながら自分の用事の方を済まそうと思ったのだが、彼女の言葉が気になった。

「お兄さんって僕の事?」

この島で若い人間を二人見た。親の後を継いで漁師になるのだという、だがその人間を呼ぶのなら名前で呼ぶだろう。それに女主人は自分がいる間「お兄さん」と呼んでいたのだ。

「行こうか・・・」

気持ちは本当に半分だった。丁度我慢しきれずにその辺で用を足してしまった僕は、謝罪代わりにと広場から神社へ続く一本道を進んでいった。


抜き足差し足、と子供の頃に経験して以来のことをやりながら行ったが、神社から音が聞こえてきた。

「カン、カン」と聞こえた「ガタガタ」という小さな音もしていた。音はかなり大きく、怖いのだが、その音はどこか拍子木にも似たもののように思った。


「ここまで来たんだ、何をしているのか見て見たい」小心者にしてはその時の自分の覚悟は大したものだと思った。気が付かれないように明かりを足元だけにし、まっすぐのLEDの光は誰からも気が付かれないだろうと安心した。

社の形が見えたが、真っ暗で、女性の姿も見えなかった。大木の陰から伺うと急に小さいが声が聞えてきた。


「二十一、二十二、二十三…」


それに合わせて音が鳴っているようで、そして止まった。同時に、まぶしいほどのライトが階段に向かって伸び、女性は無言であっという間に降りて行った。

足音が全く聞こえなくなってから、社の正面まで行って見た。

「すいません」と夜中の社を照らすと、あの大きなストラップと思った円い形がかなり変形していた。でも上手く作られたものなのか、生き物のようにまた丸い形に戻ろうとしていた。

「え?」それだけを照らしていると何かが小さく突き出ているのが分かった。それにふれるとすぐに何かが判り引き出してみた。


「割り箸・・・これ僕が使ったのだ・・・」


昔から割り箸が割るのが何故か下手で、改善しようとも思わなかったため、いつも片方がかなり斜めになってしまうのだった。


「これを・・・刺していたのか・・・」


自分の使った箸を、ブスッツという音など聞こえなかった程に、ボールの下の台にあたるくらいに強く何度も刺していたのだ。

ボールをのけてみると、おびただしいほどの無数の小さな穴が、この古い台と歳月を共にしてきたことを表していた。昼間見た時も穴には気が付いていた。でも「虫でも食ったのか、台が汚いから丁度良いカクレミノ替わりなのかな」としか思わなかった。


 するとまた遠くから小さな音が響いてきた。自分は急いで社の真裏に隠れ、しゃがみこんだ。同じような強い明りが揺れてこちらに来ている。階段を上がってくる音、昨日の風雨でジャリジャリと砂をかんだ音は、幅の広い靴、その上の重そうな体を容易に連想させた。それはどんどん大きくなって、止まった。服がすれる音が二度して、しばらくしてから

「ガン! ガン! 」という大きな音が鳴り始めた。

何度か鳴ったと思ったら


「バキッ! 」という折れる音、それに止まることなく続いたが、その折れた面がいびつなためなのだろう、音は少し小さくなった。だが急に大きな声がした。


「二十一、二十二」


声とともに音は最初以上に大きくなり、その度台がガタガタと震えるような音を立てても、一向にかまわないようで


「二十三、二十四、二十五!」


裏にいる自分でさえ耳をふさぎたくなるほどの大きさになっていた。


「二十六! 」


叫ぶような声と、いかにも力いっぱい押し付けた音

そのあとハアハアと、今まで呼吸をしていなかったかのような音を出し、すぐさま息を自分で整えて、強い光とともに去っていった。


動こうという気がなかったのか、動けなかったのかわからない。とにかくしばらくずっとそこに座っていた。何十分かしてやっとのそりと立ち上がり、


「無駄だ」と、「わかっているだろう」と言いながらもやはり社の前に来てしまった。ほんのり何かの匂いがする。そう、スープだ、魚介だけではない、何か動物の骨を煮込んだもの。

わかっているのに、今度自分は急に必死になってボールの中から箸を取り出そうとしていた。

「何をしているんだ」

自分でもわからなかった、でもすぐに二本の折れていない箸、四本の小さな棒、


「そうだ、わかっているじゃないか、本当は最初から二十六で止まったことを知っていたんだ」


「そうだ二十六、僕の年だ!!! 」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る