徳経45 訥々と、平静に
道の成り立っていること、
いくら用いても減ることもなく、
道の満ちていること、
いくら求めても限界に至ることはない。
道の真っ直ぐさは
折れ曲がっているかのようであり、
道の精巧であることは
うすらぼんやりとしているかのよう、
道に即した言葉の数々は
訥弁であるかのように聞こえる。
慌ただしく動き回れば、
寒さを一時はしのげよう。
が、木陰で静かにたたずんでおれば、
暑さをしのぐことが叶う。
清く、澄んだ気持ちでいること。
それが天下において
正しき振る舞いである。
○徳経45
大成若缺 其用不弊
大盈若沖 其用不窮
大の成りたるは缺なるが若し
其の用は弊れず
大の盈ちたるは沖なるが若し
其の用は窮まらず
大直若屈 大巧若拙
大辯若訥
大の直なるは屈せるが若く
大の巧なるは拙なきが若く
大の辯ぜるは訥なるが若し
躁勝寒
靜勝熱
清靜為天下正
躁は寒に勝ち
靜は熱に勝つ
清靜は天下を正さんと為す
○蜂屋邦夫釈 概要
大いなる完成は欠けているようであり、大いなる充実は空虚であるかのようだが、その働きは盛んで、尽きない。大いなるものは拙いように見えるものである。激しく動けば寒さには勝てるが、平静でおれば暑さに勝てる。さっぱりと静かであれば世の規範となる。
○0516 おぼえがき
通常の解釈では「大○」句は「大いなる○」と解釈されるのだけれども、なんか自分の中で腑に落ちなかったので大を「道」と解釈することにしました。まぁ大意はまるで変わんないんですけどね。しかし相変わらず最後の一句の意味が取りづらい。上と下、個別ではまぁ、わからないでもないということが非常に多いのだけれども、それがくっついてこられると、一気に混乱のドツボに叩き落とされる。えっなんでその二句が同じ章としてまとまってんの? みたいな。うーん。
昨日きゃほきゃほネット老子を検索して回ってみたんですが、「老子なんて逐語的に理解しても仕方ない」みたいな記述があったんですよね。正しい気もするし、正しくない気もする、と言うか少なくとも王弼が逐語的な注釈を加えていることから考えてみてもいったんがっつり逐語的ではあった方がいい気もするのだ。最終的にそこから離れていくのはアリにしても。
とは言え、老子なんて好き勝手に自分の納得に合わせて解釈をしてしまっていいもののような気もする。まぁ良くわかりません。とりあえずどんな形でもいいから、自分の中における迷いだとかヘドロみたいなものをかっさらえれば、結果としてそれが正解、なのかもしれない。
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