くらげの夜【青春・恋愛・約6500字】
お題
・エジプト
・くらげ
・かまぼこ
「今日さ」
「うん」
「振ってやったんだ、私」
「えっと……誰だっけ? 前聞いた気がするけど」
「別に名前なんてどうでもいいの」
「冷たいなぁ、付き合ってたんだろ?」
「まあ、一応? 付き合ってたって言うより、付き合い始める前に終わったっていうか……でももう振ったもん、過去形」
「それが冷たいんだよ」
「いいの、とにかく。あれだよ、少年A」
「少年Aって……」
「うん、少年A。少年Aを振ったの」
「何で?」
「なんか、愛されてなかったから」
「ふーん……」
「もうちょっと興味持てよ」
「そう言われても、実際あんま興味ないし、俺」
「冷たいなぁ」
「うん」
「認めちゃうのかよ」
「まあ、認めちゃうな、めんどくさいし」
「……出たよ」
私が「お前にはがっかりした」とびしびしアピールするつもりで溜め息を吐いても、向かい合わせの机に突っ伏して座っているセージは、視線を落としているスマホから目の一つも上げない。私にはどうでもいいけどセージにとっては結構真剣な「イベント中」らしい。でも、コイツはもっと現実世界で起こっているイベントに目を向けた方がいいと思う。
「顔くらい上げろよ、女の子が傷心だぞ」
「今忙しい」
「嘘つけ、殺すぞ」
そう言うと、セージはさっきの私よりもちょっと大きなため息を吐いて私の方を見た。
「……で、今度は何で愛されなかったわけ?」
「間違った『愛されなかったと感じたか』だった」とセージが付け加えて、私はちっと舌打ちをしてから話し始める。
「私はね、初デートに向けて頑張ってたんだよ。告白だってこっちからしたし、場所だって私が考えたし、誘うのだって私からやったんだよ?」
「うん」
「でもね、少年Aがなんか『二人でどっか行くのはまだ早い』的な事を言うんだよ、早いって何だよって私は思ったんだよ。だって私たちはもう付き合ってたんだよ、だからさ、もう早いどころか遅いくらいだって私は思ったんだよ」
「うーん……」
これは、世間の同意を得ていいはずだ。そう私は思った。うん、私が正しい。正義は我に有り。
でもセージが妙に時間をかけて唸ったから、何か言うんだろうなって思って私は待った。しばらく経ってから、セージはかったるそうな表情でこっちを見て言った。
「……やっぱいいや」
肩すかしを喰らい、私はセージをじとりと睨んだ。
「……おいおい、気になるから言ってよ」
「いや、いい。間違ってるかもしんないし、俺少年Aと面識もないから一方的に想像で話すのはフェアじゃないし」
「間違ってるかどうかも、フェアプレーかどうかも私が判断する。だからとりあえず思ってることを吐け」
そう言うと、もう一度短く唸り声を上げてから、セージは言った。
「いや、やっぱ言わない」
セージは適当そうに見えて妙に頑固だ。だから、これはもういくら粘ったって言わないなって私は思った。
「……あっそ」
そう言って私はそっぽを向いた。もういいよって感じだ。
「ただ、何か分かるかなって気がしただけだよ。俺もツバキを『愛せなかった人』だし」
私は反射的にセージを見てしまう。無垢な表情だ、何の狙いもない、ただ、自然に言葉を落としたんだっていう、まっさらな顔。
それを言われると、いつも私の心はちくりと痛む。
セージと狭い意味で「付き合ってた」のは中学二年生の頃だった。広い意味での付き合いだと小学校からずっと一緒だから、ほとんど人生と同義って感じだ。でも私たちは結局三か月で「広い関係」に戻った。理由はまあ、細かいとこは結構違うけど概ね少年Aと同じ、愛されている気がしなかったって、そんな感じ。
「何だろうなあ、私、何か求めすぎてるのかなあ」
「……どうだろ」
セージはやっぱり興味なさそうだった。興味がなさそうなセージには私も興味がなかった。それからすぐに、昼休みの終わりを知らせる鐘が鳴った。私は無言で立ち上がると、教科書を取りにロッカーへと向かった。
誰ともすれ違わない。本当に、呆れるくらい田舎だなあと思う。
部活を終えて、私は夕焼け空の河川敷を自転車を漕いで帰っていた。おとといまでは二人だったけど、また、一人に戻った。一人の時は二人がいいなって思うんだけど、二人から一人に戻ってみると、それもまた悪くないなって気がするな、なんて思ってギコギコママチャリのペダルを踏んだ。「隣の芝生は青く見える」って言うけど、それって多分、人間の持っている向上心と防衛本能の証だ。いつだって私たちは隣の芝生を目指して頑張ってるけど、いざ次の芝生に行けなくなった時、前に居た芝生も今思えばあれはあれで良い肌触りだったよなって、そう考えることができなかったとしたら、人生って結構しんどいよなあって思う。
いつもと同じように帰り道の途中のスーパーで夕飯の買い物をする。
共働きで両親どっちも遅いから、夕飯を作るのは昔から私の仕事だった。
小さなスーパーで、レジも三つしかない。左手の方から野菜、惣菜バイキング、魚、肉、ウィンナーとかハムとか卵とか、そんで牛乳とかって感じで外周を巡れば私の買いたいものはだいたい揃う。
かごにぽいぽいと物を投げ入れてレジに向かう。これまたいつもと同じようにあいつのレジに並ぶ。
「いらっしゃいませー」
「おう、いらっしゃってやったぞ」
「毎度、ありがとうございますー」
セージが打ってるレジだ。セージは「青春は労働」と言ってはばからない男で、部活も「郷土史研究部」なる何をやっているか分からない(もしかすると、いや、もしかしなくても何もやってないかもしれない)部活に所属し、放課後の時間の大半をアルバイトに捧げている。
「……何でいっつも俺のとこに来るんだよ」
「悪い?」
「……いや、別に。ツバキも客だし」
そんな話をしながらセージは慣れた手つきで商品のバーコードを読んでいく。それが、ある物を手に取ったとこで一瞬止まる。
「……お前、また笹かま買うの?」
「良いじゃん、好きなんだから」
セージの手にした笹かまを見ながら私は口を尖らせた。
笹かま――笹かまぼこ。笹の葉っぱの形に手延べした(私が買うのは安い奴だから機械でぎゅいいいいん! って作られているんだろうけど)かまぼこだ。仙台名産。牛タン、萩の月に比肩する有名選手だ。
「いっつもいっつも、どうやって食ってんの?」
「普通にわさび醤油でむしゃむしゃ食うけど」
「それは旨いな、他には?」
そう頷いてバーコードリーダーをセージは操る。
「基本、わさび醤油」
「……飽きるだろ、それ」
「飽きないよ、おいしいもん」
「まあ、別に良いんだけどさ」
そこから私たちの間は無言になって、ぴって音だけが三回鳴った。
なんだかなあ、って思った。特に理由は無いけど。心から、なんだかなあ……って。
「ねえ、セージ」
「……ん?」
「このスーパーってさ、くらげある?」
何故だか、私はそんなことを訊いていた。セージは困惑した表情を浮かべながら答えた。
「……確か、おつまみコーナーに1商品だけ置いてたかな」
その時、私の頭の中の回路が、ぱっと変な連結をした。
「ごめん、ちょっとくらげ取ってくるから追加して!」
「く、くらげ買うのか!?」
驚いて声を掛けるセージに振り返って、私は耳に顔を寄せた。
「それとね……」
午後八時。空には雲一つなく、都会の2倍くらい見える星の中に満月が浮かんでいる。
私は家に帰らず、近くの公園のブランコに座っていた。どっちにしてもまだ父も母も帰ってこない時間だ。私はぼーっとしながら、ずっと公園の入り口を見ていた。
「……ホントに、お前馬鹿じゃねえの」
しばらくすると、そう言って物凄く不満そうな顔をしたセージがやってきた。
「おお、お疲れ! 持ってこれた?」
軽くそう訊くと、セージはますます顔をしかめた。
「ふざけんなよ……高校生のバイトに酒持ってこいって頼む奴があるかって」
そう大きく息を吐きながらも、セージの持っているビニール袋には発泡酒と缶チューハイが二本ずつ入っていた。店の先輩に頼んで買ってもらったらしい。
「偉いぞ、よくやった」
「まあ、それは良いとして……理由聞けるんだよな?」
「ん?」
「突然くらげだ酒だって、何だって理由」
そう言って、セージは私の隣のブランコにどかっと腰を下ろした。
理由、か。
私は空を見上げて考えた。綺麗にまんまるな月が、黄金色の光を降らせていた。
「昔お父さんが言ってたのを思い出したんだよね、大人はくらげをツマミに酒を飲むんだって」
「……それで?」
「私もくらげをツマミに酒を飲んだら、大人になれるのかなあって、そう思って」
私はそう言って、強くブランコを漕いだ。飛び出しちゃいそうなくらい、強く強くブランコを漕いだ。
「大人になったらさあ! 私も愛されてるとか感じちゃうのかなあって、思ってさ!」
そう言って、私はブランコから飛び降りた。ちょっとバランスを崩しながら着地して、くるりと振り返る。セージが、何を考えているかよく分からない、気だるげで、ちょっとミステリアスな雰囲気もある表情で私を見ていた。
セージは何も言わなかった。だから私が言った。
「まあ、それだけ」
そう「完」とかテロップが流れそうな感じで。そうすると、セージが「ふーん」と言って立ち上がって、こっちに歩いてきた。
「じゃあ、やってみっか。くらげ酒」
「多分チューハイの方が美味いよ、ジュースっぽいし」
セージはそう言ったけど私は首を振った。父曰く「大人の飲み会はビールに始まりビールに終わる」らしいから、チューハイじゃなんかダメな気がした。というわけで、セージも私も発泡酒を一本ずつ手に取り、プルタブを開けた。炭酸の乾いた音が、夏の夜の、冷えた空気の中に響いた。
「まあ、乾杯」
ブランコの前にある鉄製のフェンスみたいなやつに腰掛けた私とセージは、そう言って缶と缶をかつんと合わせた。
一口に含む、その瞬間思わず感想が口を突いた。
「うへぇ、まじぃ」
何とも言えない、喉の奥に流したくなくなる苦さが舌を包んだ。何だろう、これが大人の味なんだとしたら、やっぱり世間の言う通り大人になるって悲しいことなのかも。
「そうか? これは割とビールっぽくて美味い方だけどな」
そう言いながらちょっと慣れた感じで飲んでいるセージを見ると、何だか腹が立つ。
「……高校生の分際で偉そうな口を」
「冷えてないからちょっと飲みづらいかな。チューハイでもいいぞ」
「……いらん、私は大人になるんだ」
そう言って私は自分の買い物袋から、まずは笹かまを取り出した。
「あれ、くらげじゃないのか?」
「まずは子供だった頃の自分を、笹かまで噛み締めとく」
そう言って五枚入りの袋を開ける。一枚取り出してセージにも渡す。醤油は無いから素材の味を生かしたプレーンイーティングだ。
「……久々食うと美味いな、笹かま」
一口食べて、そう感心したようにセージは呟いた。そうだろうそうだろう、笹かまは美味いだろう。そうなんか変に誇らしげな気持ちになりながら私も笹かまを齧った。
「……魚の持つ自然な甘みが存分に生かされている。まるですり身の宝石箱や」
「どっかで聞いたことあるぞ、それ」
「気のせいだよ」
「あと、すり身の宝石箱ってよくよく考えるとかなりヤバいぞ」
「こういうのは勢いなんだよ、冷静になっちゃだめだ」
そう言って私はもう一口発泡酒を流し込んだ、やっぱり不味い。
今度はいよいよくらげを取り出す。梅くらげ、って書いてあるから、まず間違いなくくらげを梅で和えてあるのだろう。
「こんなちっちゃいのに、結構高くてびっくりしたな」
でも、これで大人になれるなら安いもんだ。
私はびんの蓋を開けて、指で中身を摘み上げる。白と赤が入り混じった色が、夜の木々の暗さの前に浮かび上がる。私は思い切って、くらげを口の中に放り込んだ。
こりこりとしたそいつを、私は確かめるみたいに丁寧に噛んだ。
「どうだ?」
そう聞いてきたセージに、私は頷いてアホみたいに答えた。
「うん……恐らくこれはくらげだ」
梅くらげはしっかりとした歯ごたえがあって、予想通り酸っぱくて、そして予想に反してちょっとピリっとした。くらげだって言われればくらげだって感じがしたし、そうじゃないって言われればくらげじゃないんだなっていうような食べ物だった。
やっぱり、大人ってそんな簡単になれるもんじゃないんだよって語りかけてくるような、どこか切ない味がした。
「大人になれそうか?」
そう訊いたセージに私は首を振った。
「いや、やっぱり世の中はそんなに甘くはない。そうくらげが教えてくれた気がする」
そう私が真剣に言うとセージは声を上げて笑った。私はちょっとむっとした。
「スーパーで買った梅くらげに人生習ってる女子校生なんて、日本中探しても多分ツバキだけだって」
そう言ってからセージはまた堪え切れないという風に笑った。
「ほんと酷いヤツ」
そう言うと、セージはそうかな、と悪びれもせずに言った。私はそうだよと頷いた。
「私は真剣なのにさ、結構」
「俺だって真剣だったよ、結構」
セージがそう反駁して、それからこんな風に話を継いだ。
「……こんななぞなぞ知ってるか?」
「なぞなぞ?」
突然の脈絡のない話に思わず訊き返す。セージは「うん」と言って話を続けた。
「朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足、この生き物なーんだ?」
私はその答えを知っていた。答えは「人間」だ。朝は赤ん坊で四つん這い、昼は二足歩行、夕は歳を取って杖を突き、足は三本。確かそんななぞなぞだ。
でも私はしばらくの間答えなかった。何だか決まった答えを言うのはつまらないというか、しゃくだった。それで何か別解はないかなって探したんだけど、そんな簡単に良いアイデアは出てこなかった。
「……人間」
私はぼそりと言った。セージが小さく「正解」って答えた。
「スフィンクスのなぞなぞっていうんだ……でもさ、例えば杖を突いて三本足なんて、人によって違うだろ。最後まで元気に二本足で歩くじいちゃんもいるだろ」
「まあ、確かに」
「青年期は二本足だって言うけど、車いすに乗ってる人だって、松葉杖を突いてる人だっているだろ」
セージは何を言いたいんだろうって、私は考えた。結局よく分かんなかった、けど、セージが何かを伝えようとしているんだってことだけは分かった。
「多分、俺変なこと言ってるんだけど。俺は、『夕は三本足』って、誰でもそれが正解なんだって思って、あの頃ツバキに接していたのかもしれないなあって、だから、俺はお前にとって愛してなかったのかもしれないなあ、とか、そんなこと」
早口でちょっと聞き取れないとこもあったけど、概ねそんなことをセージは言った。
ぶつんと話を切ると、セージは缶の中身をあおるように飲み干した。私の缶にはまだ半分以上発泡酒が残っていた。
「ごめん、訳わかんないこと言った」
セージがそんな風に真剣に謝るから、今度は私の方が笑ってしまった。
「笑うなよ」
「ごめんごめん、ホントに何言ってるんだろうコイツって思っちゃった」
そう言ってからもう一口飲んでみる。不思議と、さっきよりもちょっと優しい味がする。もしかしたら、ほんの少しだけ大人になったのかもしれない。そう私は思う。
「あのさ」
そう言って私はセージを見て訊く。
「あの頃は、私のこと好きだった?」
そんな質問が恥ずかしげもなく出てきて、私は自分にびっくりした。セージはいきなり何だよって、面食らった顔をして、空を見ながらこう答えた。
「……まあ、好きだったと、思う」
「過去形じゃん」
「だって過去だろ」
「今は?」
「今?」
「うん、今」
「今は……どうだろ」
私は発泡酒をセージに突き出した。
「……何?」
「飲んで、やっぱ不味い。私チューハイにする」
そう言って私はチューハイの缶を開けた。ごくりと飲む。レモンのさわやかな酸味が口に広がった。セージは私から受け取った発泡酒をちびちびと飲んだ。
もう一つまみ、私はくらげを食べた。それからセージの方を見て言った。
「うん。ちゃんと食べてみると、結構いけるね、くらげ」
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