3 思い出

 楓の考えていることは読みやすい。適当な人付き合いをしているくせに、心はまっすぐだ。家系なのか、それとも、家族に影響を受けたのか。

 ともかく、楓の考えていることは読みやすい。

 今頃、おそらくは、あの北の国にいて「黒樹を探す」と必死になっているのだろう。

 EARTH界では拠点を作って暮らしていたから、今回もそうしていると信じて疑ってないはずだ。

 しかし、黒樹は、その楓の習性を理解したうえで天界の家にいた。

 捜し物屋をしている店舗で、いつものように扉を正面にして椅子に座り、コーヒーを飲んでいる。

 もうどれくらいこうしていたのだろう――――ヒトの形になり、人の親切と優しさに嬉しくなったけれど、己の力の恐ろしさに気がついて、今、ここにいる。

 誰も傷つけたくない。独りでいたい。孤独を感じたくないから。

 EARTH界での戦いは、楓をあちら側にするためだ。

 水晶板は、楓が思ったとおりに北の国の主要人物たちに捕まっていることを映している。

「(それでいい。楓はそこにいたらいいよ)」

 たとえ自分と一緒にいたのだとしても自分の計画に協力していたとしても、楓なら受け入れてもらえる。

 扉の鈴はしんと静まり返っているのに、今にもそこから楓が姿を表しそうな気がして、黒樹はため息をついた。

 リビングにいればキッチンに立つ楓がいるし、寝室にいれば、同じ部屋に勝手に寝床を作る楓が浮かぶ。

 街に出れば、楓がよく行く店が目につく。新しい店舗を見れば、楓は知っているだろうかと考える。

 頭に残る楓の残像を消すように、コーヒーを口にしてため息を一つ。

「豆、変えようかな……」

 揺らぐ。

 結末は、ずっと前から決めていた。

 黒樹の、いつもは動かない表情が、少しだけ悲しみに歪む。それは、些細な変化。しかし――――。

「(楓なら、きっと…………)」

 未練を残す、そんな自分が黒樹は嫌いだった。全部を消し去るように、黒樹は大きく息を吸い込んで吐き出した。

 全部が最高のエンディングに向かって進んでいる――――黒樹は自分に言い聞かせるように心のなかで呟いた。



 黒樹と最初に出会ったのは、街中だった。

 恨みを買った女から逃げている最中、相手を撒くのに利用した。

 あのとき、触れて分かった――――孤独を抱えていること、ヒトではない何かであること。

 それから、捜し物屋をしている黒樹の住処を見つけて――――あれは、どれくらい前のことなのだろう。

 思い出で思考を埋め尽くしていて、楓は盛大にため息をついた。

 ここは、環園。

 リビングの丸テーブルだ。いつも環とセイリュウが朝食を摂っている場所。

 環はいない。キッチンでコーヒーを入れている。

「どこにいるんだよ…………」

 テーブルに突っ伏して、もう一度ため息をついた。

 黒樹の行動も思考も、読みにくい。

 何を考えて何をしようとしているのか。今は特に見当もつかない。

 それでも、今の彼が悲しみと孤独の中にいることだけはわかる。

「かくれんぼの相手は見つかりそうなんですか?」

 コーヒーとともに届いた声に楓は顔だけを上げて兄・環を見た。

「見つかんない……」

「よほど隠れるのがうまいんですね。あなたの手にかかって、見つからないなんて」

「…………環、言ったよな。かくれんぼは見つけてもらわないとつまらないって……」

「そうですね」

「じゃあ、コレ、かくれんぼじゃないのかもな」

「かくれんぼじゃないなら、何なんですか?」

「…………鬼ごっこ?」

「なら、あなたの得意分野じゃないですか」

「……そうかな」

「楓が彼なら、どこに逃げますか?」

「俺が……黒樹なら……」

 言われて、楓はまた思い出す。黒樹と過ごした日々を。

「アイツさぁ、文句言うくせに俺のこと追い出したりしないんだよな。コーヒー淹れろとか夕飯とか、あれを買ってこいだとか、一緒にいて悪くないんだよ。それに、寂しがり屋のくせに独りでいようとするんだ。だから、一緒にいる楽しさを感じてほしくて、最終的にそばにいるのが俺じゃなくても、誰かといる居心地の良さを、俺は、味わってほしかったんだ」

 テーブルに伏せたまま語る楓の話を、環は静かに聞いていた。

「アイツさ、あっさりした味のほうが好きなんだ。だから、アイスはたぶんソーダとか柑橘系とかそういうのが好きなんだと思うんだよな。実際、シャーベットのほうを好んで食べてるし。でも、たまたま俺が買った有名店のアイスがさ、チョコレート味で。たぶん、それからチョコレートのアイスを食べるんだよ。嬉しかったんだ、俺。もしかしたら、俺が買ったからなのかなとか、一緒に食べたからなのかなとか。独りでいようとするアイツが、俺のことは、受け入れてくれたのかなって」

 楓は、悲しげに笑っていた。

「運命だって思ってたのは、やっぱり、俺だけなのかな」

「運命なんて、出会ったヒトを大切にしたいと思って行動できるかどうか、じゃないですか?楓がそう思っているのなら、きっとそれは運命なんですよ。たぶん、その相手にとっても。……僕は、そう思います」

 兄の言葉を聞いて、顔を上げて目を丸くした。

「出逢ったヒト……」

 思い出すのは、初めて黒樹の捜し物屋に行ったときのやり取りだった。


―― あとはあんたが、ここで出逢った人を大切にしたいと思うかどうかだよ ――


 黒樹は、勝手に居着いた自分を追い出さなかった。

 アイスを食べてくれた。

 仕事中、水晶板の見える後ろに立つのを、黙って許してくれている。

 去る者追わず、来る者拒まずの精神が仇になったとき、ボヤきながらも助けてくれた。

「大切にしたいと思って……行動してる……」

 環は、嬉しそうに笑った。

「いい出逢いをしましたね、楓」




 父との思い出は思い出せる期間が短いにも関わらず、山のようにあって、心はいつも暖かくなる。

 怪我をしても、なにかに挑戦してもそれが失敗しても、テストの点が良くなくても、父は「大丈夫だ」と笑っていた気がする。

 セイリュウは、環園のテラスで大きなクッションを背に、日向ぼっこをして空を見上げていた。ただ、ぼんやりと。

 小さな魔術が、セイリュウの体から溢れるように出てきたときには、びっくりした顔をしたあとで、大げさなくらい誉めてくれたのを覚えている。

「(神社の縁側でも、よく日向ぼっこしたな……)」

 背中にあったのは、クッションではなく父・アンスだった。海吏と海雷が稽古しているのを眺めて、父が解説してくれるのを聞いていた。あれは、父なりに戦い方を教えてくれていたのだろうか。今は、そう感じる。

 料理を教えてくれたのも、父だった。

 小さな食堂だけれども、客は絶えなく、厨房にいる父の姿をいつも見ていた。

 時間があると、一緒に料理をさせてくれてやり方と味つけを教えてくれた。

「(そういえば、父さんは誰に教わったんだろう?学校?)」

 そこまで考えて、セイリュウは当たり前のように受け入れていた事実が、自分の持つ情報だけでは成り立たない事に気がついた。

 思わずクッションから体を起こして、宙を見つめる。

「父さんって……魔術、使ったよな?」

 ここ魔界では魔術を扱える人間とそうではない人間とがいるが、向こうの世界は違う。基本、魔術を使うなんて人間はいない。樹李や海吏、海雷は、存在が違う。彼らはあの世界を護る守護者で精霊だ。

「(あれ……?父さんって……)」

 当たり前に向こうの世界の人間なのだと思っていたが、よく考えてみれば、魔術は使うしあの神社の精霊たちと知り合いだし、どう考えてもそうではない。

 では、父・アンスは何者なのか。

 紋章と関わりのある存在なのか。

 たとえば、魔界のような異世界で普通の町の人間だとしたら、なぜ、そんなごく普通の存在で魔術もそれほど得意ではない父に、自分のような人間が、紋章を持つモノが生まれたのか。

 そして、この謎は、なにをすれば解けるのか。


 紋章を持つモノとは、一体、何なのか――――。


 足音と一緒に良い香りが届く。

「セイリュウ、お茶を入れてきましたよ」

 環の優しい声がする。

 振り返ると、トレーにポットとカップを乗せた環とその後ろに楓がいた。

「あ、たぁちゃん、聞きたいことある」

「なんですか?」

 聞き返しながら、環はセイリュウの隣りに座った。

 その向こうに楓が腰を下ろす。

「たぁちゃんは、父さんのことを知ってるよね」

「存じ上げていますよ」

「父さんは……――――」

 その出自を尋ねようとして、セイリュウは言葉を飲み込んだ。

 環園の庭からの風が運んできた懐かしい空気が、誰がここに現れたのかを、セイリュウに知らせていた。 

「あれは……」

 楓もセイリュウと同じ方向を見つめていた。

 庭の中央に一人の人物が現れては消え、また別の人物へと変わる。それは、セイリュウに関わりのある人物。

「そろそろ」

 どこからともなく聞こえた声に、全員に走る緊張。

「故郷が懐かしくなる頃かな?」

 現れては消えていた人物が、一人の姿になる。捜していた人物た。

「黒樹……!」

 楓が呼びかける。

「お前、今までどこにいた?!」

「教える必要がある?」

「あるだろ!俺は……」

「そういうの、」

 楓の言葉を遮って、黒樹が静かに続ける。

「楓のオハコじゃないか」

「……そう、だけど……」

「楓の本気も、その程度ってことだね。いつもなら楽勝だろう?」

 言われて楓は言葉に詰まる。

 そういうことなのだろうか、と楓は自問していた。本気じゃないから見つからない、本気ではないから捜せない。

「(じゃあ、なんで……こんなに必死なんだ……?)」

 黒樹の考えていることがわからない。それよりも、自分の気持ちが、今一瞬でわからなくなった。

「珍しいですね。楓が振り回されるなんて」

 いい笑顔を浮かべて、環が言う。環の周囲で空気が和んだ。

「嬉しそうに言わないでくれるかな?兄貴」

 楓が口元を引きつらせて答えた、次の瞬間だった。

 肌を刺すように張り詰めた空気が、風のように広がり、周囲を満たした。

 三人共に表情を硬くして黒樹に向き直る。

「始めよう。前回の続きを」

 冷たく、感情もなく、黒樹が告げた。

 黒樹は庭の真ん中に、そして、相対するセイリュウと環はその正面に、環園の建物を背にして立っていた。楓が、黒樹と対峙する二人の間になる位置に移動する。

「いつの間にか、環園ではなくなっていますね」

 環がそっと周りを見回す。

 景色は環園そのものだが、園庭の隅にある菜園もなければ、この時間なら歩いているであろう近所の人たちもいない。

 セイリュウは、良太と望が巻き込まれた戦いを思い出していた。

 あのとき良太は、記憶と違うところを探していた。再現は、完全ではない。だから、このおそらくは狭く見晴らしのいい場所に、間違いがある。

「(菜園、でいいのか?)」

「セイリュウ」

 考えているセイリュウの斜め後ろから、環が声をかけながらあるき出す。

 振り返ると、環はいつものほほ笑みを浮かべていた。

「セイリュウは、僕とは手合わせしたことないですよね?」

「うん、ないよ?」

 聞かれている意味がわからない。思わず、そんな状況ではないのに、問いに問いで返してしまった。

 そもそも戦うというワードと環とが結びつかない。

「では、止めようとか思わなくていいので、ひたすら防いでください」

 何を言っているのだろう、この状況で。セイリュウは眉をひそめた。

「まじで?」

 呟いたのは、楓だった。

 信じられないというような呟きと、軽い動きで跳んでくる環の蹴りが、セイリュウに何が起こったのかを知らせていた。ギリギリで避けて環から距離を取る。

 目を丸くして見つめる先の環は、いつもの様子だ。

「セイリュウ」

「わかってる、楓さん」

「ポイントどこかわかるか?」

「多分、菜園があった場所。でも、そこに黒樹がいる」

「まじかよ……」 

 楓が黒樹のいるところを見やると、不敵な笑みを浮かべる彼がいた。

「楓、王宮護衛隊が優秀なら、ここの外にいるはずです」

 環が次の攻撃のモーションに入りながら言う。

 それはわかっている。だから、外と内とで同じ場所を攻撃しようという作戦だったのだ。

「ただ、彼らはこの場所に詳しくありません。だから、手当り次第、やってみてください」

 環の掌底がセイリュウに当たる。後ろに飛ばされながら、セイリュウは体勢を立て直した。

「手当たり次第って……まぁ、素直にさせてくれるとは思えないけどな」

 楓は、黒樹に向き直った。

 黒樹の考えることなんてわからないと思う。楓はそう考えながらも、彼が感じていることを推測していた。

 人との触れ合いも馴れ合いも好まない黒樹が、なぜこんなにセイリュウに絡むのか。

「手も足も出ない?」

 環がセイリュウに攻撃をする、そんな術を使っていて、今ここに偽の環園を作り出して、黒樹は余裕の様子でそう言った。

「(器用っていうか……底なし……)」

 EARTH界にいたときは、望が狙われた。そのことを思い出して、楓は一つの結論を導いた。とても自分にとって都合のいい結論を。

「黒樹、なんか、怒ってる?」

「…………は?」

 ゆとりの顔が、あからさまに怒りに変わる。  

「あ、やばい、怒らせた……」

「自分が原因だと思ってるやつの言うセリフじゃないよね?」

「逃げるなよ!」

 楓が慌てて言ったそのセリフに、黒樹は更に怒りに表情を引きつらせた。

「は?」

 しかし、楓は大真面目だった。

「お前、感情がフラットじゃなくなると目をそらすし、なんなら背を向けるし、ひどいときはいなくなるだろ」

 黒樹がそっぽを向いて少しだけうつむく。表情は見えなくなった。

「……こっちの気も知らないで……」

「言わなきゃわかんねーよ!男女の駆け引きじゃねーんだぞ!」

 黒樹が楓の方を向いた。

 楓はやばいと思っていた。怒髪天を衝くとか、怒りが爆発するとか、そういうのはこういうことを言うのだと頭の端でのんきに考えながら、ただ黒樹を見つめていた。

「うるさい!!!!」

 黒樹の怒声とともに、空気が震えた。

 次の瞬間、なにかの衝撃が空間を走り、三人共に吹き飛ばされた。セイリュウも環も楓も、空中で体勢を立て直して黒樹に向き直る形で着地をする。

「誰が煽れって言いました?」

 視線は黒樹にやったまま、珍しく不機嫌な顔で環が楓に言った。

「おかげでそっちの術は解けてるじゃん」

 楓が苦笑いを浮かべる。

 確かに、かけられた術は今の衝撃に吹き飛ばされるようになくなり、セイリュウへの攻撃はなくなった。

 が、相変わらず黒樹は立ち位置を変えていないし、この空間を破る方法が他に思いつかない。

「もういい……」

 黒樹の静かな怒りが、三人に届く。

「やってみなよ、そんな紋章に守られる程度の力で、僕をなんとかできると思うなら」

 黒樹とセイリュウは互いを見据えていた。

「セイリュウ、ロックオンされた」

「楓のせいですよ。せっかくさっきまで楓に向いてたのに」

「いや、そうなんだけどさ(あいつは、何をしたいんだ)」

「それで、わかりそうですか?黒樹くんの思惑は」

「見てただろ?怒らせたからわかんねー」

 二人の視線の先、黒樹がセイリュウを見据えたままで口を開く。

「そこの二人、手を出したら外にいる連中も込みでセイリュウを叩くから」

 本気だと伝える表情が、二人の動きを封じていた。

 黒樹は、静かに笑っている。

 一瞬の間――――。

 後に続いたのは、激しい黒色の突風。

「とりあえず、僕に近づいてごらん」

 不適な表情が、セイリュウの闘争心に火をつけた。

 やむことのない風に、木の術を放つ。

「トランク・ウォール!」

 数メートル先に出現した無数の木が、二人の間に壁を作り、吹き荒れる風を遮る。

 ホッと息をついたセイリュウに、木の壁から、数本の鋭い蔓が迫っていた。

 慌てて飛び退き、炎の気をまとわせる。

「ファイヤー・シェル!」

 放たれた炎の砲弾は、迫り来る蔓の槍を黒い炭へと変えた。

 土へと消えていく木の壁の向こうに、黒樹の姿が見えてくる。

「やっぱり、力の差は歴然かな」

「魔術だけが、力じゃない!!」

 足に風の力をまとわせて、黒樹にまっすぐに向かっていく。

 が―――――。

「バカ正直って言うんだっけ?そういうの」

 セイリュウの拳が届く前に、黒樹は、彼女に向けて、指をピンッと弾く。

 額を弾いたわけでもないのに、彼女の体は、後ろへ飛ばされた。

 半身を起こせば、黒い刃が、すぐそこへ迫っていた。慌てて風のシールドを張る。

 黒樹の放った力は、重くセイリュウの体に響いていた。シールドを張っていた両手が痛い。

「(これ、長期戦はムリっぽい)」

 相手は、少しも動かない。同じだけ魔術を使っているはずなのに、余裕の構えだ。

 この結界や環を操っていたことを考えれば、黒樹のほうが力を使っているのかもしれない。

 なのにこっちのほうがダメージがあるように見える。

「どうしたの?もうギブアップ?」

「冗談!まだまだ、これからだ!」

 悠長に構えてはいられない。セイリュウは、まとわせる炎の気のレベルを上げた。

「ファイヤー・シェル!」

 先ほどよりも数も大きさも上の、炎の砲弾が黒樹へと放たれる。

 黒樹は、静かに水の術を発動させた。

 同時に、セイリュウは、地を蹴って駆け出す。

 二人の間で炎と水の力がぶつかり、水蒸気が広がる。

「全く」

 黒樹は、呆れたようにため息をついた。

 水蒸気の中から現れたセイリュウに向けて、熱風を放つ。

「バカの一つ覚えだね……」

 再び後方へと吹き飛ばされたセイリュウを、挑発するように言葉を投げる。

 片膝をついた形で、セイリュウは剣を手に悔しげに黒樹を睨みつける。

「くっそぉ……まるでレベルが違う」

 直後、黒樹から放たれた無数の葉が、空を切るようにしてセイリュウへ向かってきた。

 両足を踏ん張って、セイリュウは剣を正面に突き立てる。

 勢いを増し、猛スピードで襲い来る葉のナイフが、セイリュウの周りではじけて消えていった。

 葉のナイフに反応して、黒い光を放つ、球状のシールド。

 苦しげに顔を歪めたセイリュウの左手の甲には、紫色に光る紋章が浮かび上がっていた。

「闇の力か。シールド張ったくらいでヘバってちゃ話になんないよ?ホラ、紋章に恥じない力、見せてみてよ」

 静かでゆっくりとした動きとは正反対の鋭さで、黒樹の手から、氷の刃が放たれた。

 対抗するように、セイリュウも片手を横に払うようにして闇の矢を放った。

 二人の間で氷と闇の力がぶつかり、はじけて消える。

「(基本魔術じゃ対抗できるレベルじゃない。でも、闇の術や光の術は使い慣れてないうえにばてるのも早い。やるしかねェケド……)」

 セイリュウの構える剣が、黒い光を放つ。

 地を蹴り、風の力を利用して宙へ高く跳んだセイリュウに目をくれず、黒樹は、やれやれというようなため息をついた。

 上から勢いをつけて向かってくるセイリュウへ、突風が吹き荒れる。

 しかし、彼女に届く一歩手前で黒樹の放った突風は、シュルンと小さな音を立てて消えてしまった。

 黒樹の鋭い視線が、セイリュウを捕らえる。

 セイリュウは、すぐそこへ迫っていた。

 次の瞬間、響くのは、金属のぶつかる高く耳障りな音。

「近づいてやったぜ?」

 剣を交えたまま強気に笑う。

「息が乱れてるよ?体力も、もう限界なんじゃない?」

 黒樹は、相変わらず、余裕の顔をしている。

 全く表情を変えない黒樹に、セイリュウはじりじりと圧されていく。

「ホントこんなのの、どこが怖いんだか……」

 呆れたように呟いて、黒樹は、一気にセイリュウの剣を弾き飛ばした。

「僕は、理解しかねるよ……」

 間合いを詰めて、自分の足を払うように回し蹴るセイリュウの攻撃も、ヒョイッと、身軽にかわして片足で数歩後ろへ避ける。

 休む暇を与えないように、セイリュウの攻撃は続くが、飛んで来る拳もけり技も、必要最小限の動きだけでかわしていく。

 これだけ攻撃してるのに、一撃もあたらない。

 軽い動きだけで、セイリュウの拳を避けていた黒樹が、口の端を上げて嘲笑う。

「なに?魔術はダメでも、武術なら自分に分があるとでも……」

 目の前にあった黒樹の体が、フッと消えた。

 少し下に彼を確認したときには、もう遅かった。

「ぐっ……!!」

 腹部に受ける、強い衝撃。

 土をつけた背に感じる、熱い感覚。

 黒樹は、蹴りだした形のままで、先ほどの言葉をつなぐ。

「思ってた?」

 セイリュウが起き上がるのを待つように、ゆっくりと足を戻す。

 笑みを消し、彼女を見据える黒樹の周りに黒い風、闇の力が囲う。

「本当の闇の力は、こういうのを言うんだよ」

 苦しげに腹をおさえて立ち上がったセイリュウに、黒樹の放った闇の力が迫る。鋭い槍のような、無数の黒い塊。

 セイリュウは、慌てて闇のシールドを張った。

「間に合わせに作ったにしては、上出来」

 黒樹の声の後、セイリュウのシールドが、闇の術で作られた槍に壊された音が響いた。

 簡単にシールドを突き破った槍を、セイリュウは、顔の前で腕をクロスさせて防ごうと試みる。

 しかし、闇の力を受けた体は、前方へと倒れていった。

「もう、ギブアップ?」

 黒樹が、腕組みをして見つめる先で、セイリュウは、地を鮮血で染めながら立ち上がる。

「立ってるだけで、精一杯?まぁ、その根性だけは、認めてあげるよ」

 苦しげに息をして、力なく腕も頭も下げたまま、足だけは、力を込めて大地を踏みしめる。

 右足を一歩踏み出して、顔を上げて、セイリュウは拳を構えた。

 まだ、やれる――――瞳に力を込めて、黒樹を見据える。

「意識のあるうちに聞いておきたいんだケドさぁ。僕らのレベルの差は、分かっただろう?なんでまだやるの?」

 そろそろ飽きたとでも言いたげに、黒樹はセイリュウを見つめた。

「それとも、まさかとは思うけど僕らの差に気づいてないの?」

「諦めたら、お前の目的がわからないままだ」

「…………あっそ」

 興味なさげに、そっけなく答えると、黒樹は、静かに一歩踏み出した。

 同時に、周りに黒い風が巻き起こる。

 突然すぐ前に移動した黒樹に、セイリュウは目を見張る。

 警戒するセイリュウを正面に見据えて、黒樹が、口の端を上げて笑う。

「もう少し、力をつけてもらわないと困るんだけど?」

 両手をズボンのポケットにつっこんで、黒樹が、目を細める。

 セイリュウが、体全体に殴られたような衝撃を受けたのは、そのすぐ後だった。

「ぐはっ……!!」

 吐血して、前のめりに膝をつく。

 倒れていく自分の体が、止められない。

 なおも起き上がろうと試みるが、体は動かない。

 声も出ず、苦しく息を吐くだけのセイリュウの耳に、上から黒樹の声が聞こえてきた。

「紋章を持つものは、破壊者だ」

 青竜の耳元に、黒樹は片膝をつく。

 その時――――。

 ―――――グラリ―――。

 結界内の景色が、揺らいだ。

 セイリュウを見下ろしていた黒樹の瞳が、探るように鋭い光を帯びて動く。

「周りにいる全員を巻き込んでもいいけれど、やめておこうか」

 呟いてから、改めて、倒れたままのセイリュウを見下ろし、黒樹は、彼女の頭へ手をかざした。

「勝者はご褒美を貰わなきゃね。キミの【希望】を、いただくとしようか。……そうすれば、あるいは……」

 最後は呟くように小さな声で黒樹がいうと、セイリュウの体が、紫の光を放ち始めた。

 光は粒子になって、かざしている黒樹の手のひらへと集まっていく。

やがてそれは、一つの小さな光の球体となり、ゆっくりと形をもち始めた。

 黒樹の手に残ったのは、青竜の手の甲に現れた紋章によく似た形の、紫色をした薄い欠片だった。

 直後――――。

 

―――――パンッ。


 ガラスの割れるような音が、結界内に響いた。

 黒樹がゆっくりと立ち上がる。

 もとの場所、元の環園。

 園を丸く囲う垣根の向こう、息を乱した要と遥が立っている。少し離れた場所には、鼓光や茜壱を始めとした王宮護衛隊が辺りを囲っていた。

「やるじゃないか、コレをやぶるなんて。でも、少し遅いよ。もう、タイムアップだ」

 勝ち誇った笑みで告げる黒樹の姿が、風に溶けて消えていく。

「だぁ!!こら、待て!!」

「お前が、少し待て」

 黒樹を追っていこうという勢いの要を、遥が、肩を掴んで引き止める。

「今、行っても無駄だ。ワケのわかんねェ結界を破るのに、ほとんど力を使ったろうが。それに問いたださなきゃなんねぇ奴が一人、残ってくれてる」

 遥のクールな視線の先には、環に動きと術を封じられて焦り顔をした楓が立っていた。

「行くぞ、要」

 





 





 

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The glitter 久下ハル @H-haru

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