4 護る
神社の奥の社に、海雷の楽しげな声が響いていた。
広場では、竜と海雷の手合わせが続いている。
良太と竜のコンビネーションが上手くいくように、ここ数日、放課後は手合わせを続けていた。海雷は、魔術だけでなく、剣術も武術も容赦なく使ってくる。
良太は、基本竜の戦い方を邪魔はしない。手詰まりだと思ったときに、先を読んでアドバイスを送る。
おかげで、ぎりぎり引き分けになる、ということが続いているが、それがまた、海雷の意欲を煽っていた。
互いの剣が、術を絡めてぶつかり合う。術のぶつかるバチンと弾けるような音がして、力負けした竜の剣が彼女の後方へと飛んでいく。直後、海雷の剣が容赦なく降ってくる。
竜は、それを真剣に見つめたまま、ぐっと足を踏ん張った。
海雷の剣が竜に届く前に、地面から無数の蔓が天に向かって伸び、両者の間の壁になると同時に、海雷の腕や剣に絡みついた。
動きを止められた海雷が、ムスッとした顔で動きを止める。
「はい、そこまで」
樹李が、穏やかに二人の手合わせを止める。
「もう一回!いいだろ、兄ィ?!」
「だーめ。三人とも受験生なんだから、そろそろ帰してあげないと」
海雷が悔しげに口を閉ざした。
広場を囲う宙に浮いた提灯の明かりが、独特の雰囲気を作り始めている。
「俺と達也はともかく、竜は勉強も頑張らないと」
良太の表情と口調は意地悪なのに、声だけが優しい。それが伝わっているのか、いないのか、竜は、強がって言い返してくる。
「頑張ってるっつーの!兄ちゃんも教えてくれてるもん!」
「あー……望さんには勝てないわ」
帰り支度をしながら、良太がぼやく。
「それにしたって、もう少し俺のこと頼ってくれてもいいんだけどなー」
良太のぼやきを聞いて、周りは苦笑いを浮かべているが、竜だけは納得いかないという表情をしていた。
「なんだよ、頼ってるだろ?」
「そうだけど……違うんだよ。帰るぞ!」
良太が先に歩き出す。達也と竜は、樹李たちに挨拶してから慌てて良太の後を追った。
オレンジ色の明かりの中から消えていく三人を見送って、海吏の口から思案のため息が漏れた。
「何かあると思う?これから」
海吏と海雷の幻が現れてから、何も動きはない。あのときは、異世界の者の匂いもあって油断ならないと感じていたはずだった。
しかし、あれから何も起きず、以前のような異世界の者の匂いはしない。
その間に対策が打てるが、何も起きないことに違和感がある。
「そもそも、異世界の匂いを感じなくするなんてことできるのか?」
海雷の疑問を聞いて、海吏は思案の表情を深くした。
異世界に来ているという自覚はあるだろうが、自分の纏う異世界の匂いが自覚できるとは思えない。
「例えば……」
樹李が、オレンジ色の明かりの向こう、大木へ視線をやった。
「結界を作る術を応用したら、できるのかもしれない……」
それがどこまで完全なものかは、試してみなければわからないし、それが答えなのだとして、どうすれば異世界の者であることを見破れるのか見当がつかない。
「夏祭りの時と同じ術を使っている事を考えても、同じあの少年なのだろうけど」
目的が、セイリュウなのだとして、なぜ、何もしてこないのか。時期を見ているのか、それとも、命を狙う以外に目的があるというのか。
「あの少年は、一体誰なんだ……」
神社は、秋祭りの色を濃くしている。
毎年、この奥の社で秋祭りを楽しんでいる。それは、杏須が生きている頃から変わらない。むしろ、杏須が亡くなったあとは、竜を元気づける意味もあり、一層楽しく過ごせるように、海吏も海雷も盛り上げていた。
今年も、何事もなく、楽しく過ごせたら――――樹李は、ただ一人をじっと想っていた。
同居人は、相変わらず、入ってくるなという方の扉から姿を現す。
扉についた鈴が、派手に音をさせると同時に、元気のいい声が飛んできた。
「黒樹、出かけよう!」
「ヤダ」
冷たく即答して、黒樹は、入れていたカフェオレを口にする。
「なんで?!客もいないし、外もいい感じに暗いし!」
「そんなこといいから、夕食作ってくれる?今日は、楓の当番でしょ」
黒樹の冷たい態度にも臆することなく、楓は、定位置である丸テーブルの向こうで座る彼の手を引いた。
「もー!いいから!出かけるぞ!」
「ちょっと、楓!」
抗議の声も虚しく、楓の歩みは止まらない。
楓は、時々、こうして強引に黒樹を連れ出していた。黒樹は、放っておくと必要な食材の買い物以外は外に出ない。じっと、室内にいて窓の外を眺めている。自分から、楽しさの方へは行かないのだ。
黒樹はあえてそうしているのだが、楓がそれを許してくれない。
そして、仕方なく、今日も楓に連れられて夕方の薄暗い街を歩いている。
行き先があるのかないのか、楓は余計なことばかりを喋っていて、目的を教えてはくれない。
「高校生ってのになるのもたのしいな。お前の思いつきには感謝しないと。黒樹も学校に潜り込めば?お前なら、余裕だろ?」
「お断り」
楓の目的がわからないが、この先を行けばどこに辿り着くのかは想像ができる。楓は、まっすぐにそこへと歩いていく。そして――――。
「楓、ここどこか知ってる?」
黒樹は頭を抱えた。
今、目の前に神社へ通じる階段がある。
自分たちの目的が何で、誰を狙ってきたのかを考えたら、連れてきていい場所ではない。
「わかってるって!だけどさぁ、見てみろよ、あれ」
楓は機嫌良くニコニコと祭のための明かりを見つめていた。
「はぁー……ここまで残念だとは思ってなかったよ」
「あ、黒樹、俺のこと見くびってんな?心配しなくても、俺たちはただの住人。気づかれませーん。だから、ちょっとだけ見ていこうぜ」
「却下。帰るよ」
「えー!」
「え、じゃない」
「こーくーじゅー」
ダダを捏ねる楓を、黒樹は呆れた顔で見つめた。
「こんなの、帰ったらいくらでも……」
「ここの祭はここでしか味わえないだろぉ?」
「………………気づかれる前に帰るからね」
「はーい!」
楓は嬉々として階段を登る。黒樹の手を離さないまま。
先を行く楓の背中に、黒樹は大きなため息をついた。
この先は、まだ暑いころ、セイリュウやここの守護者である精霊たちと遊んだところだ。いくらこちらを結界で護ったとしても、長居すれば、バレてしまう。あのとき、姿を晒しているのだから。
階段を登る前から見えていた。
もうすぐ、この町の秋祭りだ。神社は、提灯の明かりが広がっている。夏に来たときとは違う雰囲気を醸している。
先に行く楓が、橙色の明かりの中で笑う。眩しいほどの明かりが、楓を包んでいる。
「……好きだね、こういうところ」
「ワクワクするだろ、こういうところ。それに、」
楓は言葉を切り、橙色の明かりと薄暗い場所との境に立つ黒樹を引き寄せる。
「こういうところに、黒樹を巻き込みたい」
迷惑そうな顔を隠すことなく楓を見上げるが、まるで気にすることがない。
「ほーら、すぐそういう顔をする。黒樹はもう少し、人生を楽しめ!」
楓は黒樹を、橙の明かりの中に連れて行く。明かりは優しく降り注ぐが、黒樹はそこから目をそらした。
「…………楓は、満喫し過ぎだよ……」
楓は、黒樹の言葉を元気よく笑い飛ばした。
「だから、楽しめ!祭も来ような!」
「勘弁してよ……」
黒樹は、楓の手を振り払い、背を向けた。
「えー。もう帰るの?」
「祭は、今日じゃない」
楓の顔が、パッと輝く。
「断られたかと思った!楽しみにしてるからな?」
「……子ども……」
振り払ったはずの手は、もう楓に捕まえられていた。
「さぁ、夕飯に行こう」
「出かける気?」
「今日の夕飯は、俺の担当だろ?なら、メニューを決める権利は俺にある」
呆れたようなため息をつきつつも、黒樹は振りほどくのを諦めてついていくことにした。
町を歩き回るのは好きじゃない――――黒樹の視線は、落とし気味になっていく。人と触れ合いたくないのに、楓は、黒樹にその機会を与える。
「ハンバーガー……」
感情のこもらない声と冷たい表情で、黒樹は、目立つ色をしたファストフード店の看板を見上げた。
そこは、町の西を流れる川の近くにあるOPバーガー。近所の学校の生徒がよく利用する店舗だった。
「ここのポテトうまいんだ。味を選べてさぁ」
楓は、相変わらず手を握ったままで、店内へ入って行く。
気が乗らない様子で、それでも黒樹は素直にあとに続く。黒樹は、来たことはない。慣れた様子の楓に全て任せて、おとなしくしていた。
「楓?」
注文の品を待つ間に、後ろから声がかかって、二人は振り返った。
「望……」
竜の兄、望が、穏やかな笑みをたたえてそこにいた。
ここでは楓は同級生ということになっている。
「一人?」
店内を見回して、楓が聞いた。
「一人だよ。勘ぐらないでくれる?」
望が苦笑いを浮かべると、楓がニヤニヤと笑った。
「えー、だって、珍しいだろ。望が一人でこういう店」
「竜にお土産を持って帰ろうと思ってね。最近、色々頑張ってるから。弟?」
黒樹を見て、望が聞いた。
「いや、弟っていうか、えっと……」
楓が答えに困っていると、黒樹がそっと望を見上げた。
「……同居人です」
「同居人……。よろしく。僕は、矢沢望。楓の友だち」
「…………どうも」
「(なんだ?なんか、すげーいたたまれない……)」
黒樹の声音は、いつもと変わらないクールなものだったはずなのに、楓の耳に届いた声は、最高に機嫌が悪かった。
店員に呼ばれ、楓は注文したものを受け取る。
「じゃあな、望」
「また明日ね。サボらずに来るんだよ?」
「はーい」
望と別れて店を出て、街灯だけの暗い街を歩く。
黒樹の機嫌は直らない。
「あれ、セイリュウの関係者でしょ」
声音は、やはり、いつもと変わらない。
「まぁな。同じクラスになっちゃった」
おどけて返すと、ため息が返ってきた。
「ずいぶん、仲いいんだね」
「……はい……」
「迷惑だけはかけないでね?」
「あー……今回は、大丈夫です……」
その日は、よく晴れた心地よい日和だった。
受験生としては、勉強と成績の心配をしなければならないところだが、ゆとりある良太としては、今日催される神社の秋祭りのほうが、気がかりだった。
この町に戻ってきてから、最初の祭だ。
彼女と一緒に楽しみたい。
「竜!」
放課後、隣の教室を訪ねた。女子が何人か声をかけてくるのを適当にかわして、達也と話す竜のところへたどり着く。
「良太、祭行くよな?」
こちらから声をかける前に、彼女のほうから声をかけられ、良太は少し戸惑った。
「あ、うん……」
「じゃあ、一緒に行こぅ〜…」
竜の言葉を遮るように、良太は、彼女の両頬をグイッと引っ張った。
「なんだよー!」
頬を解放された竜は、恨めしげに良太を見上げた。達也は、なんとなく良太の行為のわけに予想がついているのだろう。苦笑いを浮かべている。
「俺から誘いたかったの!先に言いやがって」
「どっちから誘ったって同じだろ?あー、痛かった」
訳がわからないと、竜は独り言のようにつぶやいた。
「違うの。竜にはわからないだろうけど」
「行かないのかよ」
「行くに決まってる!」
「じゃあ、神社の階段の下で待ち合わせな?」
竜が明るく笑うと、良太の胸はふわりと暖かく弾んだ。良太は、優しく目を細め微笑んだ。
「楽しみにしてる」
今日は週末で、明日は休みで、放課後は秋祭り――――。
町が黄昏に包まれる頃、神社の秋祭りは賑やかさを増していく。神社までの参道もたくさんの出店が並び、見ているだけで楽しい。
良太は、制服から私服に着替え、出店を眺めながら待ち合わせの場所へ歩いていた。
学校が近いこともあり、顔見知りも多く見かけた。
店と人とで目移りしていた良太が、一点を見つめて立ち止まった。
待ち合わせにしている神社への階段の下に、竜と達也がいた。
他の人が見れば、どちらかといえば「かっこいい」と表現されるだろう竜の容姿。今日は、祭り独特の明かりを受けて男前に磨きがかかっている。
しかし、良太からしてみれば、「美しい」の一言だ。見惚れるくらいに美しい。祭の明かりが彼女を包み込んでいて、キラキラと輝いている。
心音が、全身で響いていた。
あちらは、まだ良太に気づいていない。
なにかに急かされるように、良太は駆け出していた。
ふと、竜が何かに気づいたような顔をして宙を見つめた。そして――――。
「止まれ、良太!」
竜の必死な声が聞こえた。
次の瞬間、祭を楽しむ人の姿が消えた。
状況が飲み込めず、良太は足を止めた。
変わらないのは、町と祭の出店と神社、それから竜と達也の姿だった。
辺りを見回しながら、良太はゆっくりと竜の方へ歩み寄った。
「ここ、何?」
戸惑いが、そのまま声に表れている。良太は、階段の上、神社を振り返った。やはり、変わらない神社の姿だ。
「あいつの、術の中だ。……たぶん」
強張った、竜の声。緊張で張り詰める空気。達也も、辺りを警戒している。
「あいつ……?」
良太が聞き返したときだった。
後ろから、階段を降りてくる音がして、三人は驚きと警戒心で振り返った。
「あ……」
階段を降りてくる人物を見つけた竜の、戸惑いと喜びと、苦しげな色をした小さな声がして、良太は、彼女を振り返った。竜の視線は、階段を降りてくる人物に釘付けになっている。
黒い髪、黒い瞳、背がスラリと高い男。
「なぁ、達也」
良太の真剣な声音に、達也も表情が強ばる。
「なに?」
「あの美形だれ?あいつとどういう関係?」
「……前にアニキが話した、夏休みの出来事のアレ」
「ふーん。お前、どっちがかっこいいと思う?」
「え?」
「だから、俺とあの美形と、どっちがかっこいいと思う?」
「(真剣な顔してると思ったら……)気になるところ、そこなの?」
「俺にとっては死活問題」
達也からの答えは返ってこない。代わりに聞こえたのは、深い溜め息だった。
相対する男の、肩にかかるストレートの黒い髪が、少しだけ揺れる。男は、右手に剣を握っていた。
良太は、階段の中程にいる男を真剣な眼差しでじっと見つめた。
男の名前は、夜叉――――竜から聞かされた話から、彼の情報を思い出す。年は知らない。この世界の住人ではなく、異世界の国の皇子だったはずだ。そして、竜を狙ってここへ来ている。
「たつ、良太……」
「俺は嫌だ」
竜が最後まで言い終わる前に、何を言われるのかを察して、良太は返した。
「嫌だからな」
ここで護られる側になっていたら、神社での手合わせはなんのためにしていたのかわからない。
「わかったよ」
諦めたようにそう言って、竜は手のひらに力を集中させる。
「……たつ、兄ィたち呼んできて」
言い終わると同時に、達也は緑の蔓に覆われた。
「良太、サポート頼んだぞ」
言いながら竜は、耳元に樹李からもらった通信具を貼り付ける。
彼女の当然のような口調に、良太は一瞬戸惑うが、すぐに意識を集中させた。竜と同じく、緑色の薄い円形の板を耳元に貼り付ける。
「任せとけ。早く済ませて、祭りに行くぞ!」
空気が張り詰めていく。
夜叉は、一言も発しないまま、剣を構えた。
竜も剣を持つ手に力が入る。
「竜、どうにか社の方に行けないか?こんな障害物だらけのとこじゃ、経験差でお前に不利だろ」
「やってみるけど……そもそも行かせないための位置取りかもな、これ」
「方法はある。お前は運動神経いいからな」
良太が説明をしていると、夜叉がこちらに向かってくるのが見えた。
「やってみる!」
楽しげな表情が、竜の顔に浮かんでいた。竜は、剣の方へ力を込めてそこに風をまとわせ、迫ってくる夜叉へ向かって駆け出した。
二人の距離が一気に縮まり、剣と剣とがぶつかった。夜叉の剣の方が重いはずだった。しかし、彼の剣は少しだけ弾かれ、その隙をついて竜が更に風の術を地面に向けて放った。同時に思い切り跳んで、体を宙で回転させる。
向かい合っていた二人は、次の瞬間には背中合わせになっていた。
竜が階段を駆け上がるのと、夜叉が振り返るのとが同時だった。
この不思議な世界がどこまで続くのか、広い場所まで出られるだろうか。
二人を追って、良太も階段を駆け上がる。
向かう先で、金属同士がぶつかる音が響いている。
階段を上がりきると、境内で戦う二人が見えた。
「(……あいつの話だと、夜叉は剣術だけじゃなくて魔術も使うハズ……)」
今のところ、彼に魔術を使う様子はない。剣だけでも、竜に勝てるということなのか。
竜は、夜叉の重い剣を受け続けて息が上がっている。
「(時間がかかれば、竜が不利だ)……竜、魔術を絡めるなら、今しかない」
「やっぱり?仕方ないか……」
竜が、風の術を使って、夜叉から距離を取る。時間を置かず、無数の水の矢を夜叉に向かって飛ばした。
良太の視線は、夜叉ではなく竜に向いていた。魔術を使う前の彼女の言葉が、少し気になった。そして、水の術を使うとき、試すような顔をした。
竜の放った無数の水の矢は、夜叉に届く直前で消えた。
竜の舌打ちが聞こえる。相殺したわけでもないのに、水の矢は姿を消した。
双方が、睨み合っている。
「あのときもそうだった……」
竜は、意識を夜叉に向けたまま、良太に話した。
「あのときってなんだよ?」
「花火の日。海吏と海雷が夜叉に撃った術が、今みたいに直前で消えたんだよ」
「なに?その裏ワザ……」
信じられないとむくれ顔の良太は、一瞬の間の後、ニヤリと笑った。
「術は、基本真っ直ぐに飛ぶよな?」
「まぁな」
「竜が避けられれば、それ攻略できるんじゃないの?」
「え?」
「まぁ、お前の身体能力とスタミナにかかってるけど」
「あぁ……よし!それでいこう」
後は、夜叉の反応の速さが鍵になる。
夜叉が握る剣に、オレンジ色の渦が絡み始めている。竜は、先程よりも強い水の矢を放ち、同時に地を蹴り一気に距離を詰めた。
竜の放った術は、やはり夜叉に当たるより前で何かに吸い込まれるようにして消えた。消える直前、夜叉が剣を一振りしてオレンジ色の炎を放つ。竜は、地面に向かって水の渦を出して勢いをつけ、上空へと跳んで夜叉の攻撃を避ける。その時、竜の表情と動きが一瞬止まった。そして、なにもないところから、竜は横に吹き飛ばされた。すぐに、次の手をうつために体勢を立て直す。
しかし、それよりも夜叉の動きのほうが早かった。
すぐそこに、銀色の剣が迫っていた。
高い金属音が響く――――竜の剣を手にして受け止めたのは、良太だった。
「魔術を使われたら対応できないからな?!早く立て直せよ?!」
「……わかってる」
夜叉の剣を受ける良太に聞こえたのは、苦しげな声だった。一瞬、そちらに気を取られた。
次の瞬間、剣は回りながら宙を舞った。
「(ヤバい……!)」
迫りくる剣に打つ手がない――――思ったときだった。緑の渦が、夜叉との間に吹き抜けていった。その隙に、良太は夜叉と距離を取る。
「光の術は……できたら奇跡なんだよな……」
夜叉をじっと見つめたままで、竜は呟いた。
「(思い出せ……あのときの、感覚を……)良太、離れてろよ……」
良太は、夜叉との距離を取りながら、この空間とここにいる夜叉について考えていた。
このまま、この男と戦うことに、意味があるのか――――攻撃をしてくる限り、反撃と防御をしなければ、こちらはダメージを負い、命を失う。
しかし、ここが、現実――――日常の世界と切り離されているとして、やらなければいけないのは、ここからの脱出だ。その条件は何なのだろう。
「(あの男を倒すことが……本当にその条件なのか?)」
良太は、竜が白い光の矢を放つその瞬間の夜叉と彼の周りを凝視した。
あの男が幻だとしても、彼から放たれる攻撃は本物でこちらにダメージがある。ということは、よくできた幻か、本当の敵が攻撃してきているなにかがあるはず。
白い光の矢は、夜叉に届く直前で、黒い霧のようなものに包まれて消えてしまった。
黒い霧が現れる、その瞬間だった。良太の目が捉えたのは、竜や達也と同じくらいの背丈をした透明に近い輪郭だった。それが、夜叉の斜め後ろに見えた。
「竜、夜叉の斜め後ろだ」
「え?なに?」
「こっちから見て、右斜め後ろを狙え。夜叉じゃない」
「わかった。右斜め後ろだな(もう一回だけ、さっきの……)」
竜は、深呼吸をして意識を集中させる。視線の先で、夜叉も同じように意識を集中させていた。
二人が、同時に力を放つ。
一つは竜の白い光の矢、一つは夜叉の黒い闇の矢。
夜叉の放った力はまっすぐに竜に向ってくるが、竜の光の力は、良太の助言通りに夜叉の斜め後ろへと飛んでいく。
パリン――――――――。
小さな音だったが、確実に何かが割れる高い音が、彼らを取り囲む空間から聞こえた。
その音に意識を向けたときだった。
竜が、ハッとした顔をして慌てたように良太の前に緑の蔦の壁を作り出す。
次の瞬間、黒い渦のようなものが、多数蔦の壁にぶつかり、いくつかがそれを突き抜けて良太の脇を通り過ぎていく。
良太は、腕を顔の前でクロスさせて目を閉じるしかできなかった。
やがて、ざわめきとにぎやかな音が耳に聞こえ始め、そして、焦ったような海吏、海雷の声がして、駆けつけてくる四人分の足音が聞こえてきた。
体中のヒリヒリした痛みに耐えながら、竜の姿を確認する。
竜は、大の字に寝転がり、息を整えていた。
「リュウ!」
「大丈夫?!」
駆け寄ってきた海雷と海吏の二人に笑顔を返して、彼女は、ようやく半身を起こした。大きく息をついて、良太の姿を確認して、安心したように笑う。
樹李が穏やかに声をかけた。
「立てるか?」
樹李の差し出す手を取り、竜が立ち上がる。
「場所を変えよう。今日は、秋祭りだから」
そう言ったあと、樹李は良太を振り返る。
「傷の手当もしないとな」
「……すいません」
目を伏せる良太に歩み寄り、樹李は、彼の頭を優しくなでた。労るような想いに共感しているような、やさしい手だった。
奥の社で竜と良太は、手当を受けていた。樹李が治癒の術を使っている。
竜の姿はボロボロで、肩で息をするほど体力も奪われていて、そして、その原因の一つに、自分がいるのかもしれない――――そう思うと、良太は体中が苦しくて仕方なかった。
しかし、それでも傍にいたいし、力になりたい。
好きな女を守れる男でありたい――――なのに、なにもできない。
「なぁ……」
こちらを見る彼女の顔を、まともに見れない。
「足手まといになってるか?」
「良太のアドバイスのおかげで助かったんだろ?どうした?」
「(そうだよな、お前はそう言うよな……。でも、)俺がいなきゃ、もっと思い切りできただろ」
「そうかもな。でも、良太がいなかったら、もっと時間がかかってたし、もっとひどい目に合ってたよ」
竜は、嘘を言わない。だから、これは本心だろう。
それなのに、良太の心に引っかかる苦しさ、寂しさ、焦り。
―― あの子から、離れていく。――
占いなんて信じてこなかったのに、今、良太の頭を過るのは、それだった。
思わず、彼女の腕を掴んでいた。
「良太?」
離したくないと思った。良太は、怖くて仕方がなかった。この手を離して、物理的にも離れていったら――――そんな人物ではないとわかっている。竜は友だちや家族を大切にするのだ。突き放されることはない。
信じている。
「…………カッコ悪、俺……」
良太の顔に浮かぶのは、自嘲の笑み。
好きな子を守れないどころか、なぐさめられている。
手当の終わった樹李が、良太に向き直る。
「リュウだけじゃ、あそこからは抜け出せなかっただろう。お前がいたからだよ、良太。足手まといなんかじゃない」
「……そういうことに、しときます」
言われるだけ照れくさく、良太は、素直に礼が言えなかった。
「っていうかさぁ、」
海雷が聞く。
「一体なにがきっかけで、あの空間から出られたんだよ」
外側から何をやっても中に入ることはおろか、結界を破ることもできなかった。三人が揃っていてもだ。
まるで、5年前のあの冬の日のときのようだった。
「あー、だから、良太が気づいたところに術をぶつけたら、パリンって」
竜の大まかすぎる説明では答えにならず、4人は、良太に助けを求めて視線を向けた。
「竜が、光の術?ってのをやった後から、夜叉の後ろに、なんかのシルエットみたいなのが見えたんだよ。シルエットっていっても、影みたいな黒いやつじゃなくて、透明な人型が立体に浮かび上がってる感じで」
樹李が「なるほど」と呟く。
「それが元凶だと、考えたわけだな?」
「ってことは……」
海吏が、そこから導き出される結論を口にする。
「相手は、あの少年……」
海吏のつぶやきに、竜は夏休みの時の姿を思い出していた。小柄な少年だった。背丈は達也と同じくらいで、黒い髪と黒い目をしていた。
「よくわかったな、良太」
感心して言う竜に、良太は呆れてため息をついた。
「夜叉に見惚れ過ぎなんだよ、お前は!」
「みっ、見惚れてない!」
竜が、珍しく顔を赤らめて否定した。
驚いたのは、樹李と達也と、そして思いがけず言い当ててしまった良太だった。
「いや、キレイだけど、でも、戦ってる最中に見惚れるわけないだろ!」
言葉を重ねれば重ねるほど、見惚れていた事実を肯定していて、良太に積もったダメージは、苛立ちへと姿を変えた。
「なあ!」
すぐそばにある竜の両頬を両手でグイッと挟んで、無理やりにこちらを向かせると、良太は、じっと不思議そうな顔をしている彼女を見つめた。
「ここにもキレイな顔があるんだけど?」
「良太のキレイは、見慣れてる」
思わぬ返しに、耐えられなかったのは良太の方だった。竜を開放し、座り直す。
「そもそも、お前の良さはそこだけじゃないからな」
「……頭の良さか?」
恥ずかしさを隠すために、言われそうなことを先に言っておく。
しかし、竜の考えていることは、そこだけに収まらなかった。
「それも、そうだけど、あと、人の良さ。それから、良太と話してると元気になるんだよな。そういうところ」
真っ直ぐな言葉が、嬉しいと同時に、おそらくは友情以上のものはないのだと感じて、良太は、額に手をやりうつむいてため息をついた。
「……ホント、お前のそういうのがさぁ……」
「なんだよ、誉めてるのになんでがっかりしてるんだよー!」
良太は高鳴る胸の音と、熱い顔を隠すように竜に背を向けた。
「まぁ、ひとまず今は、食事にしよう」
そう言って、樹李が立ち上がる。海吏と海雷が手伝いについていく。
すぐに、祭のための料理が並ぶ。社の中から見える景色は、変わらないオレンジと赤の提灯。先程まで戦っていたとは思えない程に、変わらない景色だ。
「……ニセモノか……」
竜の残念そうで小さな呟きが、ため息とともに流れた。
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