第六章 鈴間屋アリスは秘密を知る(2)

 一通り泣いてすっきりしたらしい。

 アリスは泣きはらした顔をぐいっと乱暴に毛布で拭うと、

「今のはなしね! 忘れないさいよっ!」

 いつもの調子で言い放った。

「はい、わかっていますよ、お嬢様」

 だから銀次もいつもの調子で答えた。それになんだかアリスは一度膨れっ面をしてから、

「シュナイダー、呼んでくる」

 それだけ言って部屋を出て行った。

 まったく可愛げがなくて、可愛らしい。ほんの少し口元が緩むのを、

「おはようございます、銀次さん。随分と楽しそうですね」

「優里さん」

 アリスの代わりに部屋に入ってきた優里が見咎めた。

 慌てて顔をひきしめる。

「本当、随分楽しそうですね。あんなに秘密にしろと優里達に強要していて、あっさりアリスお嬢様に正体がばれてしまったのに随分と楽しそうですね。優里達を出し抜いて鈴間屋拓郎に会いにいって、まんまと酷い目に遭わされたのに随分と楽しそうですね。アリスお嬢様の前で倒れて、アリスお嬢様に心配をおかけしたのに随分と楽しそうですね」

 次から次へと言葉がぽんぽん放たれる。

「あの、優里さん、何か怒ってます?」

 まあ、いつものことと言えばいつものことだけれども。

「ええ」

 優里は花の微笑で頷いた。

「なぁにが、アリス、ですか。アリスお嬢様を呼び捨てにしていいと思っていらっしゃるのですか?」

 笑ったまま呟かれた言葉に、動きが止まる。

「……聞いて、ましたか?」

 そっと尋ねると、微笑んだまま頷かれた。怖い。

「いえ、あれはですね」

 言い訳しようと口を開き、何も言えずに口ごもる。

 あれは、なんだ?

 さっきは起き抜けでぼーっとしていた。気にしていたことを目覚めてすぐに確認しただけで、今考えるとすごいことを口走った気がしてきた。めちゃめちゃため口もきいたし。

「あー」

 意識が冷静になれば冷静になるほど、反省しか浮かんでこない。

 しかもよく見たら、手袋をつけてなかった。アリスに触れたのは左手だけだよな、と慌てて思い直す。

 右手を見て動きをとめた銀次に、優里は少し呆れたため息をついて、ベッドサイドに置いてあった手袋を渡した。

「でもまあ、真っ先にアリスお嬢様のことを気遣ったことは、優里は評価します」

 そして、思いがけず優しい声で言った。

「え?」

 問い返そうと体を起こそうとして、やっぱりだるくてまたベッドに舞い戻る。

「大人しく寝ていらっしゃればいいんです、銀次さんは。無理をしてアリスお嬢様を悲しませたら怒りますよ」

 優里が冷たく言う。

「はい、すみません……」

「ですが、そんな状態なのに、ご自分もつらい状態なのに、アリスお嬢様のお気持ちを真っ先に気遣ったこと、それを優里は評価します」

 優里が淡々と言った。まったく笑っていないが、さきほどの怖い微笑に比べればよっぽどましだ。

「銀次さんにしては、英断だと思います」

「……ならいいですけど」

 あれで気遣ったことになればいいが。

「本当にまったく鈴間屋拓郎は、とんだ下衆野郎ですね」

 流れるように優里が続ける。

「それは、……本当にそうですね」

 昔感謝していたことなんて、さすがに今回のことで抹消したい過去になった。自分を実験体として扱うならまだしも、なんでアリスにまであんなことを言うのか。

「まったくもう」

 優里が艶やかにため息をつき、

「もうすぐシュナイダーさんがいらっしゃいます。ついでに、先日行った健康診断の結果ももっていらっしゃると思います」

「……ああ、はい」

「もうアリスお嬢様にばれてしまったんです。どうせなら全てきっちり、つまびらかにすべきだと思いますよ」

「……そうですね」

 廃工場に向かう車内での出来事を思い出す。隠し事をしていたこともばれていたようだ。さぞかし、不安な思いにさせていただろう。

「そうします」

「ええ」

 優里は頷くと、くるりとその長いスカートの裾を翻して、ドアの方を向いた。

「それでは優里は、紅茶でもいれてきますね。長いお話になるでしょうし、喉乾いていらっしゃるでしょう?」

「ああ、はい、ありがとうございます」

「銀次さんのためではなく、アリスお嬢様のためですけれどもね」

 そこで優里は妖艶な笑みを浮かべて、部屋をあとにした。

「……笑うポイントおかしいだろ」

 残された銀次は、とりあえずそうつっこんでおいた。


「シュナイダー」

 食堂の隅で、白衣の男達と話合をしていたシュナイダーを見つけると、アリスはそう声をかけた。

「お嬢様」

 シュナイダーは顔をあげると微笑み、それから少し眉をひそめた。

「大丈夫ですか?」

「なにが?」

 間髪入れず答える。泣きはらしたあとの顔のことには、触れてくれるな。

 有能な執事長は全てを察したらしく、なんでもありません、と微笑んだ。

「白藤が、起きたんだけど」

「そうですか、わかりました」

 では行きましょうか、と立ち上がるシュナイダーに、

「それ、なに?」

 彼が持つ紙を持って尋ねる。

「……先日、銀次くんに対して行った診断の結果です」

「白藤に?」

「ええ。Xがどこまで浸食しているのか、など」

「結果でたのね? 教えて」

 アリスはじっとシュナイダーを見つめる。シュナイダーは少し悩むような間のあと、

「まあ、どうせあとで銀次くんに報告するときに、お嬢様もその場にいらっしゃるでしょうしねぇ」

 誰かに言い訳するかのように呟くと、傍らの白衣の男性を促した。あまりみたことないが、研究担当なのかもしれない。

「検査結果ですね。まず、数値ですが」

「まって。医学的なことはよくわからないの。結論だけ教えて。……白藤は、元に戻るの?」

「残念ながら我々ではなんとも。努力はしますが」

「Xの浸食具合は?」

「……正直、今のままのペースですと、あの半年といったところでしょうか」

「そう」

 アリスは頷くと、

「……つまり、あの大バカくそ野郎をさっさと、とっちめなきゃいけないっていうことね」

 苦々しげに呟いた。


「そうですか」

 アリスとともに部屋を訪れた、シュナイダーや研究班の人間に検査結果を聞いた銀次は、ただ一言、それだけ呟いた。他に何を言えばわからない。

 ベッドに状態を起こして座り、となりに立つシュナイダーと白衣の男をみあげる。

 アリスはさっきから、部屋の隅で壁と同化したがるかのように、壁に密着している。

「あの、それでこれ」

 研究班は小さな箱を差し出してきた。受け取って中を開けると、小さな錠剤がいくつか入っていた。

「ようやく完成しました。Xのサンプルから生み出した、Xの活動を鈍らせる薬です」

「……ああ」

 そういえば、そんなものを研究してくれると言っていた。

「一応これで、進行は食い止められるはずです。……完璧ではありませんが」

 悔しそうに呟く彼に、

「いえ、十分です。ありがとうございます」

 微笑んで言葉を返した。

 それに嘘はない。本当に感謝している。彼らがいなければ、自分はとっくの昔にメタリッカーに体を乗っ取られていただろう。

 シュナイダーや優里にも、鈴間屋で働く全ての人に感謝している。ここまでサポートしてきてくれたことに。

 それに……。

「お嬢様」

 声をかけると、俯いて壁と化していたアリスが顔をあげた。

「少しお話、よろしいですか?」

「ん」

 シュナイダー達に退室を願って、二人きりになった部屋の中。先ほどとは違う気まずさが部屋を支配する。

 アリスはベッドの横に車椅子をつけたあとは、何も言わない。

 どうしたものだろうか。何を考えているのか。

 しばらく迷った末に、

「お嬢様」

 そっと呼ぶ。アリスがのろのろと顔をあげるから、少し微笑んでみせた。

「あの、黙っていてすみませんでした」

 そう言って頭をさげる。

「ごめんなさいっ」

 それをきっかけに、アリスは口を開き、同じように頭を下げた。深く深く。

「お嬢様っ」

 まさかの対応に少し慌てる。まさかアリスがそこまでするとは思っていなかった。

 アリスは頭を下げたまま、

「白藤、ごめんね。ごめんなさい。くそバカ親父のせいでこんなことになって。ごめんなさい。それなに私なんにも知らないで、ごめんなさい。くそバカ親父のせいなのに、その娘である私がのうのうとあなたと一緒にいてごめんなさいっ」

 矢継ぎ早に言う。

 ああ、黙っていたと思ったら、そんなことを考えていたのか。なんで彼女が謝るのか、理解ができない。

「お嬢様っ」

 慌ててそれをやめさせようとする。

「黙っていたのは私の我が侭です」

「でも、ごめんなさいっ」

「お願いだから、やめてください。お嬢様は何も悪くありません。せめて、顔をあげてください」

 言うと、アリスは顔をあげた。唇を噛み締めて、思いつめたような表情で。

「本当に、お嬢様は何も悪くないんです。悪いのは鈴間屋拓郎で、お嬢様が何も知らなかったのは私が知って欲しくなかったからです」

 化け物だと、知られたくなかった。

 それに、救われていたのだ。何も知らない彼女が居ることに。全ての人がメタリッカーの素性を知るこの家において、唯一普通に接してくれるアリスの存在に、ずっと救われていたのだ。シュナイダーや優里達と同じように、アリスにだって感謝している。

「それに、お嬢様。お嬢様が、私を化け物扱いしないことに、本当に感謝しているんです」

 拒絶されたらどうしようと、ずっと思っていた。だから怖くて言えなかった。他ならぬアリスには言えなかった。

 さっき変身したときは、咄嗟のことで何も言えなかっただけで、本当は怖がっているんじゃないかと思っていた。

「私のために怒ってくださったこと、感謝しています」

「だってっ」

 アリスの声が上擦る。

「だって、そんなの当たり前じゃない! 白藤は白藤じゃない。今までだって、さっきだって、これからだって、ずっと優しい白藤だからっ」

 感情が高ぶったかのように声が裏返る。

 アリスは一度目を閉じ、ゆっくりと深呼吸すると、

「白藤」

 真っすぐに銀次の瞳を捉えた。その顔は、銀次がよく知る、勝ち気で傲慢で我が侭で、だけど心根は優しい鈴間屋アリスのものだった。

「白藤、約束する。貴方を元に戻すために、がんばる。あの大バカくそやろうをとっちめて、貴方を元に戻すために、私がんばるから。だから、それまではここに居て。出て行ったりしないで」

 ああ、何を言うのだろうか。

「言われなくても、ずっといます、ここに」

 優しく微笑む。

「……だって、嫌じゃないの? 鈴間屋にいること」

「確かに鈴間屋拓郎のことは許せませんが、それとこれは別です。だってお嬢様、私は貴方の運転手ですよ?」

 だからどこにも行くわけないじゃないですか、と続けた。

「お嬢様が望む場所にお嬢様をお連れするのが私の仕事です」

 アリスの顔が一瞬、くしゃりと歪んだ。泣きそうに。

 けれどもアリスはそれを堪えると、

「ええ、お願いするわ」

 いつもの勝ち気な笑顔で頷いた。

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