第六章 鈴間屋アリスは秘密を知る(1)
鈴間屋の屋敷、白藤銀次の部屋でアリスは全ての事情をシュナイダーから聞いた。
「……そう、私だけが知らなかったのね」
シュナイダーの説明を聞いて、アリスはぽつり、と呟いた。
「申し訳ありません。銀次君が、どうしてもお嬢様には言うなと」
「……言いなさいよ、バカ」
力なく呟いて、ベッドで眠る男に視線を移す。
アリスの知らない間に、銀次はシュナイダーに行く先を伝えていたらしい。メモに残すという形で。だから、アリスが倒れ込んだ銀次を前に途方に暮れてすぐのタイミングで、シュナイダー達が廃工場に現れたのだ。
「どうしよう、シュナイダー! 白藤が、メタリッカーで、くそ親父が本当バカで、倒れて、それでっ」
見慣れた執事の姿に、泣きながら縋り付いたアリスに、シュナイダーはいつものような柔らかい微笑で応えた。
「大丈夫ですよ、お嬢様」
安心させるように微笑む。
シュナイダーと一緒にきた白衣の青年達が、銀次のようすを確認し、
「いつもの疲労ですね」
シュナイダーに一言伝えた。
「そうですか。運んであげてください」
「はい」
そうして銀次を連れて外に出て行く。
「いつものってなにっ!」
アリスはシュナイダーの腕を掴んだ。
「いつものって、いつも? いつも白藤はあんなことしていたの? シュナイダーも知っていたのっ!? なにがどうなっているのっ」
「お嬢様」
泣きながら叫ぶアリスの頭をそっとシュナイダーは撫でた。
「今はひとまず、お屋敷に戻りましょう。銀次君も休ませてあげなければいけませんし。そうして落ち着いてから、ゆっくりと説明します」
そうして戻って来た屋敷で、銀次が実験体として扱われたこと、拓郎が残した手紙のこと、全てを聞いたのだった。
「……バカは私だよね」
銀次のベッドのすぐそばで、アリスが呟く。
「お嬢様?」
「白藤、最近、具合悪いそうだなとは思ってたけど。こんなことになっているなんて、ちっとも思ってなかった」
「それはしかたありませんよ」
「だけどっ」
知っていたらなにか出来たのに。自分がしていたことといえば、銀次を気遣うそぶりをみせながら、それに素直に従わない銀次に腹を立てていたぐらいだ。
「ごめんなさい」
膝の上に置いた手を、力をこめて手を握る。
「お嬢様」
シュナイダーが気遣うように声をかけてくる。
だけれども言葉を返せない。言葉を返したら泣いてしまいそうだ。
でも、自分に泣く資格などない。のうのうと暮らしていた自分には。鈴間屋拓郎の娘である自分には。
シュナイダーもどうしていいのかわからないのか、気まずい空気が流れる。それを、
「シュナイダーさん?」
ノックのあと、そっとドアをあけて優里が断ち切った。
「研究班がお呼びです」
「ああ、はい。わかりました」
シュナイダーは頷いて、
「お嬢様。私は席を外しますが、銀次くんのこと、お願いしてもよろしいですか」
それに頷く。
「なにかあったら、すぐ呼んでくださいね」
そういうと人好きのする笑みを残して、シュナイダーが部屋を出て行く。
「アリスお嬢様」
代わりに部屋に入って来た優里が、優しく声をかけてくる。
「……ごめん、優里」
一人で居たくて、か細い声でそれだけ言うと、ずっと一緒にいた有能なメイドは全て察したらしい。柔らかく微笑み、
「廊下にいます」
そっと部屋を出て行ってくれた。
ぱたん、っと扉が閉められる。
ベッドで眠る銀次に視線を移す。顔色はまだ悪いし、表情も少し歪んでいる。
楽な服装に着替えさせられた彼の手には、今、いつもの手袋ははまっていない。メタリッカーと同じ、銀色に包まれた右手を見て、どうして銀次が最近手袋を外そうとしないのかを察した。戻らない、だなんて。
廃工場で苦しそうに蹲っていたのは、体の中のメタリッカーが暴れていたのだろう。思えば最近よく、あんな顔をしていた。
アリスがのんびりテレビを見て、ニュース速報で物騒ね、と呟いていたころ、Xを倒していたのは彼だったのだ。そうして技を使用し、力を使い過ぎたことでさっきみたいに過労で倒れる。いつもの、疲労。いつもの。
それをアリスはずっと知らなくて。
それは全部、鈴間屋拓郎の仕業で。
「……ごめんなさいごめんなさい」
眠っている顔に向けて、小さく呟くぐらいしかアリスにはできなかった。
祈るように謝罪の言葉を繰り返していると、
「……おじょう、さま?」
小さく呼ばれる。
弾かれたように顔をあげると、銀次がうっすらと目を開けていた。
「白藤っ! 大丈夫!? 待ってね、今シュナイダーをっ」
呼んでくる、と車椅子を反転させようとしたアリスの手を、銀次の左手がそっと掴んだ。少し汗ばんだ手のひら。こんなときに感じる、熱。
「白藤?」
「お嬢様……、大丈夫ですか?」
掠れた声で尋ねられる。その声の掠れ具合に泣きそうになるのを、必死で堪える。
「大丈夫だよ。白藤のおかげで、怪我してないから」
なんとか安心させるように微笑んでみせると、そうではなくて、と遮られた。
「旦那、さまの言葉」
言われた言葉に喉の奥がきゅっとしまった気がした。息ができない。
死ねばいいと言った。あの男は。
死ねばいいと言われた。実の父親に。
銀次が倒れて、そのことを意識的に考えないようにしていた。そのことまで考えたくなかった。
くしゃりと視界が揺らぐ。銀次の顔が滲んで見える。
強引に大きく息を吸い、吐いて、
「……くそ親父のことは、いいの」
なんとかそれだけを口にする。
「お嬢様」
たしなめるように、呼ばれる。
「無理、しないで」
泣いてしまうから、そんな優しく声をかけないで。自分だって苦しい想いをしているのに、そんなに優しくしないで。
「いいの、本当に。知っていたから」
あの人が自分よりも研究が好きなことも。あの人が自分よりも母親のことの方が好きなことも。世界の何よりも、母親を愛していたことも。本当はちゃんと全部知っていたから。
会社をちゃんと経営していればいつか認めてくれるだろうと思っていた。思い込んでいた。本当はそんなことあるわけないこともわかっていた。あの人にとってみれば会社が無事に経営されていれば自分は研究にだけ専念できるから、ラッキーだ、という程度のことでしかないことも、ちゃんとわかっていた。
「寧ろ清々したわ」
強引に唇の端をあげて見せる。
「あのくそ親父から正式に縁をきってもらえたのだもの」
そうやって笑ってみせるが、銀次はただ眉をひそめた。不愉快そうに。痛ましそうに。
その視線に耐えられなくなって、アリスは逃げるように、
「とにかく、今はシュナイダーを呼んでくるから」
早口で告げた。
それを、銀次は引き止めた。
「アリス」
名前を、呼ばれた。
お嬢様、ではなく。
まだ体が辛いのか、横たわったままだったが、真剣な顔で名前を呼ばれた。
「……お嬢様でしょうっ、なに呼び捨てにしてんのっ」
我ながら可愛くない。
だけれども、その真剣な顔が怖くて怒ったような口調で斬り捨てる。
そんな顔をして見ないで。泣いてしまう。
いつもならばここらで、すみませんでした、なんて謝るはずの銀次は、
「アリス」
ただもう一度名前を呼んだ。
「……泣いちゃうから、やめて」
小さく首を横にふって、懇願する。
「いいんだよ」
軽く腕をひかれた。
バランスを崩して、ベッドの横に片手をつく。頭をそっと、撫でられた。
「無理しなくて、いいから」
「だけどっ」
私は泣いてはいけない。何も知らなかった私が、泣いたりしてはいけない。
「いいから」
もう一度言われた。ただそれだけを、優しく。
ああ、もう、耐えられない。
顔をベッドに押し付ける。せめて泣いている顔を見られないように。
研究バカだけど、あんまり構ってくれなかったけど、それでも大好きだったのに。ずっとずっともっと一緒にいたいと思っていたのに。
「死ねって、言われたっ」
「聞かなくていい、忘れればいい」
「だけどっ」
「他のだれもそんなこと思っていない。俺も、シュナイダーさんも、優里さんも、鈴間屋の人はみんなアリスのこと大好きだから。それは忘れないで」
「……白藤も?」
「勿論」
だからアリス、と耳元で囁かれる。
「泣いていいんだよ。みんな、大好きなアリスがそんなこと言われたって知ったら怒るし、悲しむから。だからアリスも泣いていいんだ」
いつもより少し掠れた声だけど、はっきりそう言われる。
ぽろぽろと、あとから涙がでてくる。
しゃくりあげそうになるのを必死に堪える。せめてものプライドだ。
銀次の手がゆっくりと頭を撫でる。その手にまた、涙があふれる。
彼の手の温かさを知りたいと思っていた。でも、それはこんな場面でだなんて思ってなかった。
大体話したいことや謝りたいことは他にたくさんあったのに、なんでこんな話からはじめるのよ。白藤め。
そんなことも少し思いながら、しばらく気持ちが落ち着くまでそのままでいた。
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