第7話 SNSの洗礼
――今日から始めてみました。よろしくお願いします!
アカウントを登録した後、画面に表示されるガイドに従って何度かクリックと入力を行うと、
とはいえ、多分隆弘の心理は他のユーザーとは全く違うのだろう。ひと言呟くだけでいちいち戸惑いを感じているようでは、誰も彼もがあんなに熱中しているはずはない。彼にはよく分からないけれど、これはとても楽しいことらしいのだから。
「うわ、何だこれ……」
思わず声に出して呟いてしまうのは、「のりこさん」のことを警戒していたから、だろうか。もしかしたら、彼がアカウントを作った瞬間にも接触してくるんじゃないか、とか? あるいは、武井法子からのメッセージだったら、という一抹の期待だっただろうか。
でも、幸か不幸か、その赤い丸は何ら警告や危険を示すものではないようだった。ベルの形に似たアイコンは、どうやら「通知」を教えてくれるものらしい。他のユーザーからのアクション、あるいはリアクションがあったということのようだ。
(でも、誰だ……? 知り合いに気付かれたとか……?)
本名そのままのアカウント名にしたのだから、彼のことを知っている者が絡みに来てくれたということなのだろうか。でも、登録したばかりの、ほとんどその瞬間に見つかる、なんてことがあるだろうか? 全世界の人と繋がろう、なんてCMを打ってるSNSなんだから、アカウントの数だって何億とあるだろうに。
「……誰?」
首を捻りながら、通知の詳細ページに遷移して――隆弘は、またひとりごちていた。その通知は、彼の最初の投稿に「いいね」がつきました、というもの。どのアカウントからのものかも通知には記載されていたけれど、当然というか何というか、彼の知り合いではないようだったのだ。
(何がしたいんだろう? 間違いとか?)
記憶にある武井法子の言動や態度からして、「いいね」というのは何か面白い発言や可愛い、見栄えの良い画像や動画にもらえるものではないのだろうか。多分、ランキングのようなものもあるのだろうし。だからこそ、彼女は――あんな風に、スマートフォンの画像上の数字に一喜一憂するようになったのだろうし。ネットで人気があるというのはそういうことだろうと、馴染みがないながらに何となく納得していたのだけど。
でも、それならどうして隆弘の投稿にいいねがつくことがあるんだろう。何の面白みもないただの定型文の投稿なのに。同姓同名の芸能人なんて心当たりはないし、もしも人違いだったとしても、アカウントを作成した瞬間に気付かれるのは怖い気がする。
ひとつだけ、ぽつんと投稿が載っているだけの自分のホーム、そこについたハートマークを眺めながら、隆弘は少し悩んだ。――その間にも、通知がまたひとつ、点る。
――○○さんにフォローされました。
先ほどとは異なる内容の通知は、隆弘の混乱を深めるばかり。のりこさんに見つかったならまだ理解はできるけど、最初の「いいね」同様、全く心当たりのない相手からのフォローだった。アニメかゲームのキャラクターと思しきアイコンも、彼にはどの作品から来たものか分からない。
(一体どういう人なんだ……?)
好奇心に駆られて、フォローしてきた相手のホームを覗いてみた隆弘は、さらに頭を抱えることになった。
――フォロバありがとうございました!
――フォロー1000人突破ありがとうございます!
――フォローしていただけたら100%フォロバします
ずらりと並んだ投稿の意味はほとんど分からなかったけれど、フォロー数が増えることを喜んでいる気配だけは何となく分かった。実際、そのアカウントは四桁の数のフォロワーを抱えている。――でも、何ひとつ情報を発信していないように見えるアカウントに、どうしてこれだけの数の人が関心をもっているのかがさっぱり分からない。それぞれのアカウントを運用しているのは、実在する生きた人間のはずなのに、フォロー欄、フォロワー欄に表示された数字があまりに大きすぎて、その実感が持てない。SNSは交流のためのツールではなかったんだろうか。でも、よく考えてみれば――あるいは考えないでも――数百、数千の人間と繋がったら、ひとりひとりのフォロワーの趣味嗜好を把握することなんてできるはずがない。
じゃあ、それなら、どうして武井法子はあんなにSNS上の数字にこだわっていたんだろう。多分、「いいね」もフォローも手当たり次第で、送った内の何人かから反応があればラッキー、ということなんだろうに。それはつまり、詐欺やスパムメールの手口と同じ発想ということではないのか。そんなことが、
(お前、こんな
そう言いたい相手は、もういない。会える距離ではないというだけでなく、多分もうこの世にいない。彼が今さら何を思ったところで、遅すぎることでもある。隆弘は結局、武井法子のことを心から案じて手を尽くすことはしなかった。こんな異様な世界だと知っていたら、より心配したかもしれないけれど、だからこそ遠ざかったということも考えられる。
「のりこさん」の噂を追う気になったのだって、武井法子が死んだ――と、あの画像を見ては認めざるを得ない――からこそ、なのだろう。もしも彼女が今も生きていて、自分の意思でSNSの世界に入り浸っていたというなら、隆弘にはやっぱり何も言えないしできないかもしれなかった。
だから――今の隆弘にできるのは、彼女を看取ってやることだけ、なんだろう。看取るという表現が正確かどうかは分からないけれど。
少し目を離した隙にも、隆弘のアカウントにはフォロワーが増え、最初の投稿も――ほんの数件ではあったけど――拡散されていた。いったいどうやって新しいアカウントを見つけ、どんな意図で関わろうとしているのだろう。
画面の向こうにいるはずの人間は、「のりこさん」と違って生きているはずだ。なのに訳が分からなくて、怖い。急に疲れを感じた隆弘は、パソコンの前から立ち上がるとコーヒーのお代わりを求めてキッチンへと向かった。
「のりこさん、のりこさん、教えてください……」
湯を沸かしながら呟くのは、「のりこさん」の噂の類型のひとつに倣った呪文だった。学生、特に女子の間では、そうやってのりこさんに好きな人のことを聞いたりするパターンの話も出回っているのだという。こっくりさんの類は、知識として知っているだけで実践したことなんてないけど――オカルトに関わる言葉を口に出して言ってしまっているという状況に、首筋のあたりにひやりとしたものを感じるような気もした。
とはいえ、おまじないをなぞる程度のことは、隆弘がこれからやろうとしていることに比べれば子供の遊びでしかないだろう。矢野氏の恋人を、そしてあの女性自身をも襲ったという白い
湯気の立つカップを片手にパソコンの前に戻った隆弘は、コーヒーを啜ってその苦みで頭をすっきりさせた。もともと眠気なんてなかったけど、少しでも集中力を取り戻しておきたかった。
「さて、と……」
「のりこさん」のものとされるアカウントの文字列は、すでに覚えてしまっていた。noriko1005――武井法子の誕生日は十月五日だったはずだから。彼女がアカウント作成にあたって、ありふれた名前に誕生日の数字を加えるのは、とてもありそうなことだった。
SNS内部の検索ウィンドウに
とにかく。隆弘は軽く息を整えるとキーボードに指を乗せた。メッセージの送り方は、さすがに分かり易いように作られている。クリックのほんの幾つかで、メッセージ送信用の入力欄を呼び出すことができた。
――もしかして、武井法子? 俺のこと、覚えてる?
本名でアカウントを作ったのは、こう切り出すためだった。アカウント名だけで、誰が話しかけているかを察してもらえるように。「のりこさん」と武井法子には本当に、あるいはどれくらいの関係があるのか、確かめることができるように。
通知は突然来るものと学習していたから、画面に点った赤い丸にもそれほど驚かないで済んだ。返事が来るのはほとんど予想済で、問題はその中身なんだから。
マウスを握る手が微かに震えた。それを抑えて、通知の内容を確かめると――
――隆弘? マジで?
「のりこさん」は、少なくとも彼の名前の漢字を正しく変換することはできるようだった。
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