おやすみ世界、おはよう幸せ。

黒咲ましろ

プロローグ

 天から雪が舞い降りる今日は、この街の人々が崇める神様が誕生した記念日らしい。


 街はいつもに増して活気づき、人々は高揚し、建物は色とりどりの装飾品を纏っている。辺りが暗くなってくると、装飾はカラフルな光を発し、夜の街を眠らせない。


 けれど、その光が照らすのは、豊かに暮らす者たちだけだ。


 光の届かない路地裏では、寒さに凍える子供たちが身を寄せ合っている。すれ違う人々は彼らに目もくれず、貴族たちは暖かい屋敷の中で、それぞれの家族や恋人と美酒と温かい食事を味わいながら神への感謝を惜しまない。


 私は神様がどんなものか知らない。


 周りの人間は何故だか神が人間の形をしていると考え、そのを無条件に崇めている。


 私は、自分が見たものしか信じない。


「神は常に皆に平等なのよ」


 言葉を発し始めた頃の私の手を取って語っていた母の言葉を、私は今でも覚えている。


 しかし、この世界は決して平等ではなかった。


 私は、幼い頃に両親を失った。

 家もなく、家族もなく、食べるものを得るためには盗みや物乞いをするしかなかった。


 生きることは苦痛だった。


 それでも私は生きた。


 道端に捨てられた残飯を漁り、貴族の屋敷からこっそり食べ物を盗み、見つかれば棒でこれでもかと打たれた。


 それでも、生きた。


 寒さが骨の芯まで染みる日も、何も食べられない日も、私は生き延びた。


 それは、生きることを望んだからではない。


 ただ、死ぬにはまだ、と思ったから。



 そんなある日、私は彼女に出会った。


 彼女の家は、貧民街にしては立派だった。だが、そこに住む彼女は、決して幸せではなかった。


 親は裕福だったが、彼女を不要居ない者とし、世間体を気にするあまり、貧民街の外れにある小さな小屋に閉じ込めた。


 彼女は足が不自由で、身体も弱かった。


 だが、それ以上に、彼女の心は閉ざされていた。


「私は……いらない子なのかな?」


 かつて彼女がそう呟いた夜、私はただ、彼女の手を強く握った。


「私がいる。だから、そんなこと言わないで。」


 彼女は驚いたように私を見つめ、それから涙が今にも溢れそうな表情で、ぎゅっと握り返した。


 それが、二人の"絆"になった。


 そして、そんな私たちの耳に、ある噂が届いた。


 ――""がいる。


 貧しい子供たちの間で語られる、まるで奇跡のような話。


「おじさんに会えたら、何でも願いが叶うんだって……。」


「お腹いっぱいご飯を食べて、ふかふかのベッドで眠れるんだ……。」


 ある日、物乞いをしていた子がに声をかけられ、どこかへ連れていかれたまま戻らなかった。


「きっと幸せになったんだ。」


 誰もが口を揃えてそう言った。だが誰もその真相を知らない。

 だが、それは私たちにとって、希望のような妄想だった。


 そして、私たちは、その"奇跡"を信じた。


「ねぇ、私たちもいつか会えるといいね。」


「……そうね。」


 どうせ死ぬなら、幸せに死にたい。


 そう願った私は、その日彼女と手を握り合い、身を寄せながら硬いベッドで一緒に横になって寒さを紛らわした。

 そうねと言った彼女の眼に確かな覚悟が見えたような気がしたが、眠気に勝てず私はゆっくりと目を閉じた。

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おやすみ世界、おはよう幸せ。 黒咲ましろ @asahi_zen

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