壱ー8




 生田目偲と、イジメグループの人達が学校を去って1週間が経った。


 深沢が死んで、芋づる式にそれまでのイジメが発覚した。

 ワイドショーでは主にイジメのネット配信について焦点が当てられている。

 確か『現代のネット社会が生んだ闇。陰湿化と過激化進むイジメ』とか見出しがついていたっけ。


 現場の外に居た私と、全裸で倉庫からこっそり出た死本静樹は、警察の追及を免れることが出来た。

 運良く……ではなく死本静樹が個人的に持っているコネを使ったらしい。

 それを私が知るのはもう少し後だけれど。


 結局は「倉庫に突然投げ込まれた肉塊が全裸の男性に化け、それに慄いた深沢が飛び出してトラックに轢かれた」なんて証言は誰も信じないままである。

 薬物による幻覚を見ていたのでは、と疑いをかけられたようだ。


 非難と好奇の目から逃れる為、イジメグループのメンバーは方々へ散らばっていった。噂によれば深沢の両親も遠くへ越したらしい。

 事件の渦中に居た生田目君も、あれから一度も会わないまま、後日に担任から「転校した」と朝のHRで告げられたきり。

 橋口先生の疲れ切った表情と、目元の深いクマが印象に残っている。


 私も生田目君と仲が良かったから、職員室に呼び出されたり、クラスメイトに雑多な事を聞かれた。

 そのたびに私は決まって「何も知らない」と答えた。

 質問の内容はいちいち覚えていない。いい加減に辟易としていた。

 けれど、そろそろ目に見えて野次馬の熱も冷めてきたようだ。


 そして死本静樹は今日も自宅で首を吊っていた。

 今度はLANケーブルでやってみたのだという。

 最近は自殺道具の材質をあれこれ変えて試しているとか。

 いまさら気付いたけれど、この人ひょっとして迷走しているんじゃないか?


「死ねるための条件は未だに分からない。だからひょっとして誰かに殺される事が条件かもしれない」


 一通りの殺され方は戦時中に経験した。

 けれど現代の男子高校生に殺された経験はあまり無いのだという。

 だから生田目君のところに行った。

 後片付けをしながら語る死本静樹は、もはや生田目君や事件そのものには興味を抱いていないようだ。


 いまさら気付いたことがもう1つ。

 彼の自殺に対する執着は尋常でなく、狂気だ。


 最近は興味本位で自殺に関する本をいくつか読んでいる。

 メグに「何か悩みとかあるなら聞くよ?」と本気で心配されたっけ。

 うつ病は治りかけがもっとも危険である、と目にした。

 自殺するために必要なエネルギーも戻ってきているからだ。

 計画的な自殺には、最低限のエネルギーと行動力と衝動が要る。


 何百年も生きているから人生に飽いている、というレベルではない。

 彼はきっと明確な理由から死にたがっている。

 けれど自殺の理由について聞いても、彼はいつも決まってこう返すのだ。


「何も教えない」


 今日も彼はタバコの煙を深く吐きながら言い捨てた。

 つい癖のように「体に悪いですよ」と言ったら、死本は「そりゃありがたい」と応じる。

 むろん皮肉だ。彼の肺は汚れることがないのだから。


「そういうお前はどうなんだ。どうして俺の自殺なんか見たがる?」


 彼の部屋でテーブル越しに向き合いながら、私は少し驚いた。


「珍しいですね、死本さんが私の事について聞くなんて」

「そう?」


 死本は不思議そうに目を丸くした。

 彼が誰かに興味を持つこと自体、相当に珍しい。私に対しても例外ではない。


「……私、彼氏が居ます」

「彼氏持ちが他の男の部屋に入り浸ってて良いのかよ」

「言うほど毎日こっち来てないじゃないですか。それにお見舞いはいつも行ってます。今日だってその帰りに寄ってるんだから」

「お見舞い?」


 詠司……花津詠司ハナツエイジは心臓病でずっと入院している。

 残された人生はおそらく長くない。

 窓際で優しく微笑む彼は、きっと独りでいつも死の恐怖と向き合っている。

 それがもどかしかった。私なんかに出来る事はほとんどない。


 私の書く小説が、数少ない楽しみになっている。

 そう言ってくれる詠司の気持ちに、少しでも添いたい。

 だから知りたかった。彼に付きまとっている恐怖のひとかけらでも。


「それが理由?」


 私は何も言わずに頷く。

 死本は少しだけ目を伏せて、何か考え込む。


「それでどうよ。人の死ぬ瞬間を見てみた感想は」

「まだ分かりません。ただ見ていて気持ちの良い物ではないです」

「なら、やめれば良いのに」

「きっと目を逸らしちゃいけないような気がして」


 それに死本静樹の自殺は、今はまだ本当の自殺じゃない。

 彼の死は、まだ本当の死ではない。

 ここ最近で本当に死んだのは深沢だけだ。


「何度も言うけど、俺に付きまとうのはやめた方が良い。教育上よろしくない」

「独身男性の部屋に入り浸っている事がですか?」

「それもだ。いずれ襲うかもよ」


 思わず鼻先から笑いがこぼれてしまった。死本は怪訝そうに目を細める。


「大丈夫ですよ。きっと死本さんにそんな事は出来ない」


 だって私を犯したって、きっと、貴方自身がもっと死にたくなるだけでしょ。

 そこまでは言葉にしなかった。

 けれど死本はきっと理解している。


「……寄り添うって言うんなら本人の近くに居てやれよ、意味分からん」


 彼はタバコの火を灰皿に押し付ける。

 それから溜め息混じりに、最後の煙を窓の外へ浮かべた。


 私は生田目君に対するイジメから、目を逸らさずに居られただろうか。

 私は詠司が抱えている恐怖に、少しは近付けただろうか。

 ――私の人生は、向き合うべき事から逃げ出しては居ないだろうか。

 近頃ずっと離れない疑問が、今は煙と一緒に、薄雲が覆う水色の空へ流れた。




⇒Next. 弐章『溺死デキシ



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