壱ー7
「何だこりゃ……」
「ドッキリ?」
「タチ悪ぃよ、誰だよこんな事すんの」
グロテスクな肉塊から生まれた全裸の青年に、少年達は慄いていた。
思い付いた端から軽口を叩く事で、どうにか平静を保とうとする。
とうに彼らの認識から、生田目の存在は失せていた。
死本だけが生田目の姿を見つけるなり頓狂な声を上げる。
「おお良かった。まだ生きてんじゃん。ギリギリで」
少年達は粗相がバレたような心持ちで目を見開く。
この場でやっている事は――ライブ放送の観客を除いてだが――決して、部外者に知られてはならなかった。ついに知られてしまった。どこの誰とも得体も知れない男が、倉庫に這入ってきてしまった。
深沢はじっとりと汗ばんだ手で木材を握り直す。
「お前誰?」
「ん……そうですねぇ」
死本はとぼけた様子で宙を眺めてから、思いついたように指を立てて言う。
「妖怪不老不死」
次の瞬間――渾身の木材が死本の頭部に叩き込まれた。
生田目に与えた仕打ちよりも必死だった。
深沢は鬼気迫る様子で何度も何度も木材を振るう。
濁った白目は血走っている。一撃ごとに唸りながら、炭鉱夫が掘り進むように死本を殴りつける。
「深沢、だからまずいって!」
「うるせぇ! 見られた! コイツも殺す! 1人増えたところで変わらねえ!」
追い詰められた野生の獣だ。
肩から息を吐く深沢の姿は、もはや理性が失せていた。
既に深沢の取り巻き達も、彼についていけなくなっている。
一方で為すがまま嬲られる死本は、深沢の足元で力なく倒れたまま――。
「だから殺すんならもっと効率的にやろうよ?」
――まるで何事も無く、ゆらりと立ち上がる。
例えば爽やかな朝、ゴミ捨て場で通りがかった時に、挨拶がてら浮かべるような。そんな笑顔さえ伴って。まるで親しい隣人をもてなすような、穏やかな声色で。
顔面のあちこちは鮮血に塗れたまま。
いよいよ深沢も絶句する。思わず木材を取り落とす。指先は震えていた。
「そこの生田目君……で合ってたっけ……は全然知らんから興味ないし、ぶっちゃけどうでも良いんだけど。俺は君らに提案があって来たんだ」
「提……案……?」
「そうさ素敵な提案だ。さっき軽く外から話が聞こえたけれど、君らにとっても得なハズだ」
死本が言うのとほぼ同時に、換気扇があった正方形の穴から黒いスポーツバッグが投げ込まれる。
どさりと重く鈍い音を立てたバッグの中を漁り、何かを取り出しつつ死本は言う。
「君らさ、人を殺してみたかったんだろ?」
それらは布に包まれていた。
布を剥ぐとナイフが、包丁が、ノコギリが、ロープが、木工用ハンマーが現れる。
それらを抱きかかえたまま、死本は口の端を吊り上げて、嗤う。
「俺で予行練習してみない?」
「――は?」
間抜けな声を上げる深沢に構わず、死本はナイフを持って歩み寄る。
凶器を持った、しかも全裸の男に正面から近付かれたので、思わず数歩後ずさる。
けれど死本は意にも介さない。蛇がするり、と這いあがるように丁寧な手つきで、持っていたナイフを深沢の手に握らせる。
「ある日、ひょっとしたら他殺じゃないとダメなのかと思ってさ」
そしてナイフを握らされた手はゆっくりと誘導される。
死本の腹を通って。死本の胸元を通り過ぎて。死本の首元に。
「でも今のご時世、自分から人を殺したがってくれる人ってあんま居なくてさ。特に君みたいな未成年ね。だから要するにまあ……俺からするとめっちゃ貴重なサンプルなんだよね」
死本の白い首筋に刃が沈む。生温かい血液が裂け目から溢れ出す。
それでも死本の顔はうっすらと上気していた。陶酔しているようにすら見える。
死本はしなだれかかる様に迫る。深沢の顔に熱い吐息が掛かる。
「首の辺りに大きな血管が浮いているだろう。そこをしっかり肩から力入れながら、ぐっと引く要領で切るんだ。大根やニンジンを切った事はあるかな。ちょうどあんな要領だ。ほら。こうやって」
「ひ、っ……」
ついに深沢はしゃくりあげるような悲鳴を漏らす。
我に返ったのだ。たっぷりの氷ごと冷水をぶっかけられたように。
自分は人を殺そうとしていた事を改めて客観的に自覚したのだ。
そして殺させられそうになっている現況の異常さを突き付けられたのだ。
「どうした? いっぺん人を殺してみたかったんだろ?」
死本の首元からの流血が先程の肉塊を想起させる。
生とは何か。死とは何か。その命題が分からなくなる。
ただ深沢は漠然と恐怖した。
――俺は今から何をさせられようとしているのだ!? と。
「さあ」
死本静樹は取り合わない。
ただただ深淵から覗いて来るような視線を深沢に差し向けたまま。
まるでその深淵へ引きずり込むように、深沢の手を握り締めて。
「やれよ」
その瞬間――ついに深沢の恐慌が臨界点を突破した。
訳の分からない絶叫を上げながら死本を払いのける。
少年達のひとりに掴みかかる。
「鍵! 鍵よこせ! 早く!!」
掴みかかられた少年も当惑して何が何だか分からない。
必死な深沢に数発殴られ、ようやく思い出したように倉庫の鍵をポケットから取り出す。
それをひったくって深沢は倉庫の出口へ飛び付く。
震える手で南京錠に鍵を差し込む。
乱暴に錠を、倉庫のシャッターを開き、深沢は野太い悲鳴を上げながら疾走する。
「深沢ぁ!」
仲間達が呼び止める声も構わずに飛び出す。
その先が、人通りは少ないものの、交通量が多い道路だという事も忘れて。
ずごっ、と。
鈍い音がした。
ほぼ同時にぱきぱきぱき、と鈍い音が鳴る。
ゴミ収集車が、ゴミ袋を磨り潰す時に立てるような音だ。
それだけで、あまり派手な音は響かなかった。
その代わりダンプに巻き込まれた深沢の身体は、アスファルトに真っすぐ赤い軌跡を描く。
取り残された下半身だけが人間の形を保っていた。
その場にいた誰もが、何も言えないでいる。
恐怖する事も忘れていたし、パニックに陥る事さえ出来ず、ただ意識を置き去りにしている。
ダンプの運転手が運転席から飛び下り青ざめる様子を、仲良く呆けて眺めていた。
「ああもう――」
死本だけが落胆してため息をつく。
すっかり普段通りの不機嫌そうな、沈鬱な表情で。
死本静樹は深沢への鎮魂歌代わりに言い捨てた。
「――つまらねえ死に方しやがって」
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