第一話 烏丸しぐれと、いのうりょく その③

 二戦目。しぐれは相手の得物の特性をしっかりと頭に叩き込んでいた。

 これは純粋な戦闘ではなく、『異能力バトル』であること。しぐれは、それを先ほどの戦闘で、強く思い知らされた。


 七嵐の得物は二本のナイフであるが、そのナイフだって、単なるナイフではない。

 しぐれは、七嵐のナイフの能力を『投げれば戻ってくる』ものと仮定していた。

 ナイフのリーチは短い。

 しかし、それは手で振ればの話である。

 投げれば、そのリーチは飛び道具と大差ない。投擲は一度限りで攻撃が終わり、その後は丸腰になるのが常道であるが、これはその常道からは逸脱する戦闘。

 七嵐のナイフはそれを軽く乗り越えてきている。


「……近づけば相手の得意なリーチで、離れれば飛び道具が二度飛んでくる……」

 しぐれはぶつぶつ言いながら思案する。しぐれ自身、ここまでやる気ではなかったのだが、先ほどのような不意打ちに近い負け方は、少々腹に据えかねるところがあった。

 恐らく、遠近両方、敵に分があるだろう。

 ならば、としぐれは腹を決めた。


「それじゃあ……」

 七嵐がそう言って、ナイフを構える。しぐれも棒を構えた。

「はじめっ!」

 七嵐がそう言い、しぐれに接近する。ナイフのリーチで戦うつもりであった。


 が。

 しぐれは棒を振り上げた体勢のまま、七嵐の接近を待つ。

 しぐれは大上段の構えをしていた。

「あっ、これっ、まずっ」

 七嵐がそう短く言い、舌打ちをする。そのときには、しぐれの攻撃範囲内に七嵐が入っていた。


「メエェエエエエエエエエエエエヤッ!」

 面、を大きく崩した叫びがこだまする。しぐれは渾身の一撃を振り下ろした。

 防御を捨てた、必殺の一撃。

「ぐうっ⁉」

 七嵐は両手のナイフを頭上で交差させ、その一撃を防御する。

 防御は成功……したかのように見えた。


「しまった⁉」

 しぐれの一撃は、七嵐の予想を遙かに超えた威力だった。

 七嵐は右手のナイフを取りこぼしてしまい、手には痺れと痛みが広がり、感覚を奪う。

 七嵐のナイフが落下したのを見た瞬間、しぐれは体を巻き、棒を左斜め上に振り上げる。

 第二撃、しぐれの攻撃を七嵐は左手のナイフで受ける。

 今度はナイフを取りこぼしこそしなかったものの、すさまじい衝撃で七嵐の手の感覚は消えていた。


「……すっげえ馬鹿力だな」

 七嵐が両手首をぷらぷらと振りながら、辟易した顔で言う。

「それは、どうもっ!」

 しぐれは油断せず、攻撃の予備動作に入る。


 第三撃、しぐれはまたも大上段に構え、振り下ろす。七嵐はそれを後ろに跳躍して回避するが、しぐれの攻撃もそれで終わりではなかった。

 しぐれが、地を駆け間合いを詰める。

 大上段からの切り上げという二段の備えであった。


 七嵐はもう一度後ろに跳躍しつつ、防御。しぐれの棒が七嵐のナイフを捉え、上方へと弾き飛ばす。

 七嵐は、これで両手の得物を失ったことになる。しぐれは、自身の勝ちを確信した。


 だが。


「残念でした」

 七嵐は不敵に笑っていた。何故、としぐれが疑問に思った瞬間、しぐれの肩、そして背後から、衝撃。

 何をされたのか、と思って見ると、七嵐のナイフが二本、しぐれの体に突き刺さっている。

 またも、感じないはずの痛みが、しぐれの神経を灼いた。


「……投げたら戻ってくる、能力じゃないんですね」

 しぐれは苦悶の表情を浮かべつつ、言う。

「そうだな、それだけじゃあ、ちょっと足りない。残念ながら、また君の負けだ。……もう一度するかい?」

 七嵐のその問いに、しぐれは強く首肯する。

「もちろん」


                ○


 その後もしぐれは敗北し続けた。

 あるときは真正面から敗北し、またあるときはしぐれの思いもよらない手で敗北した。

 何度も、何度も敗北したところで。


「……はあっ、はあっ」

 しぐれはついに膝を折る。棒を支えにして、なんとか上体を保っている。

 しぐれは、もう何もかもがどうでもよかった。入部とか、五万円とか、そんなことはどうでもよかった。


 ただ、勝ちたかった。

 いや、勝てなくてもいい。一太刀入れたかった。

 その一太刀が、非常に遠い。その距離が短くなっている感覚すら、つかめない。


「……ふぅっ、どうする? まだやる?」

 しぐれを何度も打ち倒した七嵐は、少し息が乱れているものの、まだ態度に余裕がある。

「……やり、ます」

 しぐれはよろけつつ立ち上がる。七嵐はその様子を見て、愉快そうに口の端をつり上げた。 


 彼我の実力差は圧倒的。しぐれはそう分析している。

 しかし、それと同時に、ここまでやられてなるものか、と思っている自分がいることも、しぐれは気づいていた。

 なんだかんだで、しぐれは小学生の頃から剣道をやり続けている。

 痛いことや争いが嫌いな性質であるしぐれは、あまり剣道のことを好きになれなかったが、しかし約六年近くの年月で流した汗は、確かなものだと思っている。


 今、しぐれは剣道の様式で戦っている。つまり、六年の歳月をかけて確立させた戦闘様式で、七嵐と相対しているということだ。

 それが、全く歯が立たない。しぐれはそれが悔しかった。


「……勝つ、勝つ……勝つ」

 しぐれはぶつぶつと、呪文のように勝利への渇望を口にする。

 でも、どうやって?

 しぐれの理性は、冷静にそう尋ねてくる。

 そして、今のしぐれにその問いに対する答えはない。

 ただ、勝ちへの執着しか、今のしぐれにはなかった。

 疲労は極まっている。そんな状態では、思考もままならない。

 それでも。


「……行きます」

「…………来なよ」

 しぐれは棒を構え、何度目かの突撃を行う。しぐれは乾坤一擲の大上段の構え。対する七嵐は。

「……それじゃ何度やっても勝てないよ」


 七嵐はナイフを投擲する。しぐれの腹部に命中したそれに、しぐれの突撃の威力が鈍る。

 七嵐は投げたナイフを能力で引き戻し、キャッチした瞬間に逆の手に持っていたナイフを投げる。

 今度は、しぐれの顔にナイフの柄が命中。

 ごっ、と鈍い音と、伝わるはずのない痛みがしぐれの脳を刺激する。鼻の奥が痺れ、血が垂れる。


 それが、しぐれの意識に間隙を作る。

 その間隙を縫うようにして、七嵐はしぐれに接近。


 そして、しぐれはまたも敗北する。

 七嵐のナイフにより、腹を横一文字に切り裂かれる。伝わるはずのない痛みが、またも伝わる。今度は、より強く。

「ぐっ、うぅっ……」

 しぐれは苦悶の表情を浮かべ、苦しげな声を漏らす。


 ――勝てない。

 しぐれはそう思った。

 その思考は何の感情も伴わない、淡々とした分析にも似ていた。

 しぐれは膝から崩れ落ち、地面に倒れ込む。額が地面と衝突し、ごっ、という鈍い音がしぐれの耳を揺らす。


 勝てない。

 勝てない勝てない勝てない。

 勝てない勝てない勝てない勝てない勝てない。

 このままじゃ絶対に勝てない。


 呪詛がしぐれの思考を埋め尽くす。

 その呪詛は、しぐれの思考を自虐的なものへと塗り替えていく。


 無理なのか。勝てないのか。

 このまま五万円払って入部して、よくわからないまま続けて、でもって卒業する。

 何一つ、為すこともできず。


 これでいいのか? 本当に?

 しぐれの奥底に沈んでいた衝動が、小首を傾げてしぐれに問う。

 その答えは、すぐに出た。


 否。

 それがしぐれの答えである。ならばどうすればいいか、という問い。

 その答えも、すぐに出る。


 強くなればいい。

 しぐれが思いついたのは、単純な答え。明瞭な正解。


 強くなればいいのだ。

 しぐれは渾身の力を振り絞り、立ち上がる。

 右手に持った棒は、玉に戻っている。

 もう恥も外聞も知ったことか。全てがどうでもいい。一つを除いてどうでもいい。


 しぐれは思う。

 ――ひたすらに勝ちたい。勝ちたいじゃ駄目だ。勝つんだ。

 ――勝たねば、私の今までは無意味だ。勝たねば、私の存在は無意味だ。

 ――これが本当の戦いだとすれば、私は何度死んでいる?

 ――もう二度と、死んでたまるか。


「ああそうだ」

 しぐれはよろけながらも、膝を伸ばす。右手で鼻血を拭い取り、顔を天に向ける。

 四月の空は、抜けるような蒼だった。

「負けたら死ぬんだ」

 しぐれが歯を剥いて笑う。しぐれの小さな声は、風に吹かれて消えた。


 しぐれは右手をだらりと下げて、鈍色の玉を持っている。

 その玉に、しぐれを構成していた紅が、一筋の線を描く。

 しぐれは、自身の血を吸った玉、それを天に掲げて。


「うああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 獣の如く咆哮した。しぐれの叫びは、疲労が極まった人間のどこにそんな力が眠っていたのだろうか、と思わせるほどに強い。

 そしてその叫びと呼応するように、玉が光る。


「……そうだ、それでいい」

 七嵐は、楽しげな表情を浮かべて呟き、しぐれを見る。

 その表情に浮かぶのは、歓喜、好奇、そして少しの畏怖。


「……陽子!」

「ああ、わかっている。……めちゃくちゃ強いな、これ」

 七嵐は顔から一切の油断を消して、しぐれと対峙する。


 しぐれの玉から、炎が排出される。

 炎は燃え盛り、球状となる。

 その炎はまるで、しぐれを包み込む繭であった。

 やがて、その炎は柱となる。その柱から、しぐれが一歩、踏み出して現れる。


 しぐれの瞳に浮かぶのは、燃え盛る闘志。不退転の決意。

 しぐれは右手を炎柱えんちゅうの中に突っ込んだままである。

 炎柱は次第に細くなり、最終的に、燃え盛る棒状の物として、しぐれの手に収まった。


「……炎の剣ってか」

 七嵐がしぐれの得物を見て、そう独りごちる。

「…………これで、最後です」

 しぐれは炎の剣と呼ばれた得物を大上段に構えて、七嵐を見据える。

「……そうか、来な」

 二人の視線が交差する。それが戦闘開始の合図だった。

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