不穏
あの夏祭りの日から、苗字呼びは変わらないものの以前よりも隆晴が親しげに接してくれるようになった気がする。そのせいか、またみんなで図書館に集まったとき、隆晴はときおり私の課題を覗き込んできたりしていた。そのたびに私は顔の近さにどぎまぎさせられると共に、あの事故未遂の日より前に戻った気がして、でもそのあと「須賀野さん」の一言で現実へと引き戻されて。
二人で遊ぶほどの仲ではなかったけれど、遊ぶ機会が少ない代わりにトークアプリに返信してくれるようになった。以前は互いに相手の予定も確認せずに電話をかけていたから、以前の私たちがどれほど
「どうしよ……」
そんなトーク画面とにらめっこしながら、夏休みも終盤にさしかかった日の午後に私は隣町にある隆晴の家の前へと来ていた。
ついさっき、昼から隆晴が熱を出したことを知った。高校で出会ってからこれまで健康そのもので、ちょっとした風邪すらひいているのを見たことがなかったため、驚いた私はお見舞いに行こうと考えたのだった。
ひとりで行くのもなぁと芳恵を誘ってみたのだけれど、やはりと言うべきか「距離を縮めるチャンスに他人を誘ってどうすんの、ひとりで行きなさい」という返信がきた。隆晴の家に行くのは初めてではないけれど、当時と今とでは状況が違う。
(でも、ここまで来たんだし)
来る途中で買ったゼリーが入ったコンビニの袋を握りしめ、もう片方の手でインターホンを押す。
「はい……あれ、陽那さん?」
「
出てきたのは隆晴の弟の昊汰くんだった。まだ中学一年生の彼は、髪が黒いことをのぞけば隆晴をそのまま小さくしたんじゃないかというくらいによく似ていた。成長期はこれからなのだろうが、最後に会った半年前よりもだいぶ背が伸びて幼さがなくなりつつあるように見える。去年はまだ小学生だったのだから、環境の変化もあってちょっとだけ大人っぽくなったのかもしれない。
隆晴の両親は仕事に行っているらしく、昊汰くんが隆晴の看病をしているようだった。
「熱といってもそんなに高熱じゃないから、すぐ治ると思います」
「そっか、よかった」
昊汰くんのあとに続いて隆晴の部屋まで行くと、隆晴は冷却シートをおでこに貼ってベッドで仰向けになってはいたものの、暇を持て余していたのか足を組んで漫画を読んでいた。
「あれ、須賀野さんだ」
「熱でたっていうから心配して来たけど、なんか元気そうだね」
「あー、ごめん。コレ読んでて返信きてたの気付かなかった」
私に気付いた隆晴が、読んでいた漫画本を枕の横に置き、体を起こす。
「陽那さん、麦茶でいいですか?」
「ありがとう。でもいいよ、すぐ帰るから」
「じゃあ僕はリビングにいますね」
昊汰くんが部屋から出て行ってから、私は持っていたコンビニの袋を隆晴へと差し出した。
「はい、ゼリー。それだけ元気ならごはん食べてるかもしれないけど」
「喉痛いから助かるよ、わざわざありがとう。うつらないといいけど」
「大丈夫だよ、私の心配するくらいなら早く治さないと」
「はは、そうだね」
「よし、元気そうだし私帰るね。お大事に」
隆晴を疲れさせては申し訳ないと、早々に会話を切り上げて帰ろうとしたときだった。荒々しく玄関を開ける音が部屋まで聞こえてきた。次いで、部屋の外から昊汰くんともうひとり男性の声。
「父さんどうしたの、早いね」
「早退してきた」
玄関の音が聞こえたときから続いていた大きな足音がこの部屋まで近づき、ほどなくして部屋のドアが開けられた。初めて会う人だが、先ほどの昊汰くんの声からしてこの人が隆晴のお父さんなのだろう。挨拶しなきゃという考えは、その表情を見た瞬間にどこかへいってしまった。
隆晴のお父さんは、怒りを隠そうともしない表情で隆晴を見ていた。
「熱を出したってどういうことだ」
まくった袖からのぞく隆晴の二の腕には、当然あの痣はない。それを見て、隆晴のお父さんは表情をさらに険しくした。
「誰に使ったんだ」
「……さあ、覚えてない。なんとなく願ったことに反応しちゃったんじゃない?」
「そんなことで使えるものではないだろう!」
いまにも胸ぐらを掴みそうな
「あ、あの……」
隆晴くんを寝かせてあげてください、そう言おうとしたが、後ろから誰かにそっと腕を掴まれて私は口を閉じた。私の腕を掴んだ昊汰くんは首を横に振り、玄関を指差す。
「……今は帰ったほうがいいです、大丈夫ですから」
小声で
申し訳なく思いながらも部屋から出ようとしたとき、初めて私の存在に気付いたかのように隆晴のお父さんがこちらを見た。
「君が受け継いだのか」
「あ……えっと」
「腕を見せなさい」
隆晴の腕を離して今度はこちらへと
「父さん、待って」
が、隆晴の父さんの動きを止めたのは昊汰くんではなかった。昊汰くんが口を開くのと同時にドンと
ゆっくりと顔をあげた彼は、初めて見るような冷たい目をしていた。
「……よその家の娘さんに、それはどうかと思うんだけど」
それとも熱が上がっているのか頬に赤みがさしているが、声は鋭かった。私に向けられたものでないとわかっていても、怖いと思ってしまうほどに。
「昊汰、須賀野さんを送ってあげて」
「……うん」
昊汰くんに腕を引かれて、私は今度こそ部屋から出た。廊下の曲がり角で一度だけ振り返ったときには隆晴はもう怖い顔はしておらず、困ったような笑顔で私を見送っていた。
きっと、ごめんと言いたかったのだろう。そう思って「気にしないで」という意味を込めて笑顔を作ったけれど、すぐに曲がり角で見えなくなってしまったから、隆晴に伝わったかどうかはわからなかった。
玄関を出て、来た道を昊汰くんと歩く。しばらく私たちの間に流れていた気まずい沈黙をやぶったのは、昊汰くんだった。
「……陽那さんが受け継いでたんですね」
「うん……昊汰くんも痣のこと知ってるんだね」
「僕の家では、みんな聞かされるんで。でも、そっか、陽那さんが……兄さんが陽那さんのことを苗字で呼んでいたから驚きましたが、そういうことだったんですね」
昊汰くんは少し考えるそぶりを見せたあと、再び口を開いた。
「今日のことは、僕があまり詳しく話していいことではないので……いつか、時期がきたら兄さんから聞いてください」
「うん、そのつもり」
たとえ隆晴がすぐに話してくれなくても、だからといって昊汰くんから聞き出そうとは思わない。話してくれるようになるまで待つつもりだ。即答すると、それまで表情が
「昊汰くん、ありがとね」
いつの間にか私の家の近くまできていて、ここまででいいよと立ち止まる。昊汰くんは一度は
「兄さんのこと、好きですか?」
「え……」
予想していなかった質問に一気に頬が熱くなる。が、これからは自分から行動すると決めたばかりだ。他の人に言えないことを、どうして本人に言えると思えるのか。
ひと呼吸おいて、私は昊汰くんを真っ直ぐに見たまま頷く。そんな私に、昊汰くんはとても嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。
振り向いて、君がいてくれたなら 岩原みお @mio_iwahara
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