二章 リナリアの願い

持つべきものは

 午前中にも関わらず、容赦ようしゃなく降り注ぐ強い日差し。その熱から逃げるように自動ドアの前に立つ。開いたドアの先からは冷たい空気が流れ出てきて、その心地良さにちょっとだけほおがゆるんだ。


 夏休みに入って一週間。一緒に課題をやろうと芳恵に誘われて、私は市の図書館へと来ていた。小学生から大学生までの多くの学生が利用している勉強スペースを見回して、見慣れた顔が並ぶ机を見つける。


「芳恵」


 控えめに手を振りながら小声で呼びかけると、私に気付いた芳恵も手をひらと振った。


「おー、来た来た」

「遅くなってごめんね」

「いーよ、さっき全員そろったばかりだし」


 なるほど、机上に課題と筆記用具を出してはいるが、まだペンケースを開けている様子すらなかった。少しだけ寝坊してしまったものだから急いで来たが、そこまで遅くなったというわけではなかったらしい。


「須賀野、おはよ。よーく眠れたか?」

寛二かんじくんおはよー。めっちゃ寝た」


 芳恵の正面の位置に座っている寛二くんは芳恵と中学が一緒だったらしく、ツーブロックの髪がおしゃれな彼は芳恵と並ぶととても絵になる。芳恵と仲良くなってすぐに付き合っているのかと聞いたことがあるが、そういう感情はお互い一切ないらしい。もったいないと常々思う。


 そんな寛二くんは隆晴と仲がいい。結果として私と話すことも多く、クラスでいつも一緒にいるのがこのメンバーだ。


「おはよう、須賀野さん」


 芳恵と寛二くんがいるということは、もちろん隆晴もいるということ。芳恵が私のために提案してくれた勉強会だ。隆晴が座っているのは寛二くんの隣、私の正面。きっとこの座る位置も芳恵が配慮はいりょしてくれたのだろう。図書館のため、あまりしゃべることができないのも今は都合が良かった。


 たまに教え合ったり小声の雑談をはさみながら課題を進める合間に、こっそりと視線を上げて隆晴を盗み見る。マッシュショートの髪によく合う茶髪は地毛らしく、図書館の高窓からの日差しでより明るい色に見える。生まれつきの茶髪は柔らかい色をしているからうらやましく思ってしまう。以前それを言ったら「小さい頃はからかわれたこともあったし、入学直後は先生に注意されたりするから俺は黒髪のほうが羨ましいけどな」と返されたっけ。

 無いものねだりだよねって笑い合ったのは、もちろんあの日より前の話だ。


 とっくに気持ちを切り替えたつもりでいたけれど、それでもときおり懐かしむように胸が痛む。焦ったってしょうがないのはわかっているのに。


「……須賀野さん?」


 呼ばれてはっとする。どうやら私は無意識に隆晴の顔をまじまじと見つめていたらしい。


「あ、えーっと……髪色、ほんと羨ましいなーって、あはは」


 慌てて言い訳する私を見て苦笑していた隆晴が、ふいににやりと意地の悪そうな笑みを浮かべた。


「ほら、課題やらないと」

「あ、うん。そうだね」


 ペン先で私のプリントを指されてようやく隆晴から視線を外したけれど、すぐに集中することなんてできなかった。


 隆晴のああいう表情はこれまで何回も見てきたはずなのに、やけに久しぶりな気がして不覚にも顔が熱くなる。赤くなっているのを見られたらさらに恥ずかしいから、私は髪で顔を隠そうとうつむくようにして、全く内容が入ってこないプリントとにらめっこする羽目になった。


「そういえばさー」


 なんとか頭が働くようになって黙々もくもくと課題を進め始めたとき、芳恵が思い出したように口を開いた。


「明日お祭りの日だったよね」

「そっか、明日だっけ。去年このメンバーで行ったね」


 すっかり忘れていた。街のそこら中にポスターが貼ってあるというのに、考えることが多すぎてぼんやりとしか見れていなかったようだ。


「行きたいなー……いたっ」


 あごにペンをあてながらそうこぼした瞬間、芳恵に頭をはたかれて顎の下でペンがかちりと鳴った。


「行くに決まってるでしょ、去年も行ったんだから」

「予定聞いてから決めようよ」

「陽那は予定あるの?」

「ないけど……」


 正面の男子二人を見やる。「あ、俺も大丈夫」伸びをしていた寛二が欠伸あくび混じりに言ってから、続けて「お前は?」横で若干眠そうにしている隆晴へと問いかけた。


「俺も予定ない」

「じゃ、決定だね」


 芳恵が嬉しそうに両手を合わせ、そのまま上半身ごとこちらを向く。


「ってことで、今年は浴衣着ていこーよ」

「えっ」


 まさか芳恵が浴衣だなんて言い出すとは思わなかった。彼女は基本的に動きにくい格好が苦手で、去年も「あんな動きにくい服で人混みに突っ込むとか絶対に嫌」とか言っていた。ひとりだけ浴衣なのは嫌だったから私も去年は浴衣をあきらめたのに、今年はどういう風の吹き回しだろう。


「お前、浴衣とか持ってたんだ」


 寛二くんも同じことを考えていたらしい。目を丸くして芳恵にそう問いかけたが、直後その表情がゆがんだ。机の下で芳恵が寛二くんの足をったのだ。


「うるさいわね、浴衣くらい持ってますー」

「い……ってぇー」

「なんてね。今年は買ったの。去年誰かさんの浴衣を楽しみにしてたら、一人だけ着るのは嫌とか言って着てくれなかったんだもん」

「お前なー、冗談じょうだんで人の足を蹴んなよ」


 涙目になった寛二くんが芳恵に文句を言ったところで、隣の机で本を読んでいた大学生くらいのお兄さんがせき払いをした。四人で目配めくばせをしながら苦笑する。


「今日は終わりにしようか」


 隆晴の一言に全員で同意して、ペンケースに筆記用具を放り込んだ。

 充分すぎるほど涼んでいたはずなのに、図書館から出た途端その蒸し暑さで一気に汗がにじみ出てくる。太陽は本領発揮とばかりに真上でぎらついていた。昼食を済ませてから解散にしようと近くのファストフード店へと向かう途中、芳恵が私にそっと耳打ちしてきた。


「明日はとびっきり着飾ってくるんだよ、仲直りのチャンスなんだから」

「……そのために浴衣買ったの?」


 協力をお願いしたとはいえ、まさかそこまでやってくれるとは思わなかった。


「あんたの浴衣を見たいってのも半分本当だよ。もう半分は、やっぱり隆晴と陽那が仲良くないと私が落ち着かないからかな」


 じんわりと嬉しさがこみ上げて、でもくっつくのはさすがに暑いから軽く肩をぶつけた。同じように押し返されて、二人してくすくす笑う。


 ここまで応援してくれているのだから、結果はどうあれ頑張らなければ。

 帰りに浴衣用のアクセサリーを買おうと決めて、じゃれ合っているうちに先に行ってしまった隆晴と寛二くんを小走りで追いかけた。

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