第13話 良心

 翌日、校門前にはまだ報道陣が残っていたが、随分と少なくなった。


 士郎は下駄履きで上履きに履き替えて校舎へと入ると何やら生徒の視線、それも妙な視線が注がれるのを感じた。


 士郎は自分に浴びせかけられるそんな視線を受け流しつつ教室へと向かう途中、掲示板に人だかりが出来ているのが視界に入った。士郎は人だかりに興味が湧き、掲示板に何か興味のあるポスターでも貼られているのだろうか、と思いつつその人だかりに近付いて行った。すると士郎に気付いた人だかりの中の一人が

「あっ、吉良だっ」と声を上げると一斉に士郎の方へと振り返り、そしてひと塊になっていた生徒たちは士郎の姿に気付くと一斉に後ずさりし、掲示板までの道を空けてくれた。士郎のためにわざわざ花道を作ってくれた。士郎は左右に固まっている生徒たちを見回しながら掲示板へと近付いて行った。そして掲示板に貼られていたポスター…、だとばかり思っていたのは実は校内新聞であった。士郎はその校内新聞を目の当たりにして、自分に浴びせかけられた妙な視線の意味を悟った。


 掲示板に貼られていたその校内新聞には喫煙の濡れ衣の一件が書かれていたのだ。勿論、書いたのは照雄に違いなかった。但し、掲示板に校内新聞を貼り出すには新聞部の顧問であり学年主任の進藤の許可という名の下の検閲を経なければならない。だがこんな内容の校内新聞では進藤が許可するとは思えない。だとするならば恐らくは照雄がゲリラ的に貼ったものに違いない。


 士郎の想像を裏付けるかのようにやがて進藤が掲示板に近付くと掲示板からその校内新聞を乱暴に剥がしてしまった。恐らく誰かが進藤に告げ口したに違いない。


 進藤は士郎の顔を一瞥するなり無言のまま校内新聞を抱えてその場から消え去った。やがてひと塊になっていた生徒たちも三々五々、散って行った。


 教室に入ると、またしても人だかりが出来ていた。今日は本当に良く人だかりを目にする日だな、と思いつつ、人だかりに近付くと、やはり先程の掲示板での時と同様に、クラスメイトの誰かが、


「あっ、吉良だっ」


 とこれまた先程の掲示板で自分の姿に気付いた生徒と寸分違わぬセリフを吐いた。そのお陰でクラスメイトは一斉に士郎の方を見た。こんなに注目を浴びるのは恐らく今日が最初で最後に違いない。


 人だかりが左右に分かれ、人だかりの元となった場所まで士郎のために花道を作ってくれた。その人だかりの元となった原因とも言える場所に目を凝らすとそこには冠(かん)と照雄の二人がいた。驚くべきことに冠は照雄の胸倉を掴んでいた。これには士郎も仰天させられた。これまで一度としてその手の諍いを起こしたことのなかった二人がまさかそんな場面を公衆の面前に晒すとは、少なからぬ驚きではあった。


「それが人だかりの原因か…」


 士郎はそう思いながら冠と照雄の元へとゆっくりと近付いて行った。


「これは…、一体、何事だ?事もあろうに学年1位と2位のお二人が揃ってクラスメイトの目の前で諍いを繰り広げるとは…。それも普通クラスならいざ知らず、特進クラスで皆に見せるモノじゃないだろ?」


 士郎はそう茶化しながら二人の元へと近付いて行った。士郎の軽口に照雄は露骨に嫌そうな顔を見せたのに対して、冠は特にこれといった嫌悪感を示すことはなかった。それどころか未だ興奮冷めやらず、といった様子である。


「一体、何をそんなに興奮しているんだ?」


 士郎は冠の方に声をかけた。露骨に嫌そうな顔をする人間を優先させてやる義理もなければ、ましてや校内新聞という手段でもって自分の悪事を暴露してくれるような人間に声をかけてやる義理もなかったからだ。


「士郎…」


「空手部のエース様がクラスメイト…、それも文化部では悪名、いや、有名な新聞部の部員に手を出したりしたらマズいことになるんじゃないか?」


「そうかも知れねぇけど、でも…」


「でも?」


「…掲示板」


「もしかして校内新聞のことか?それで俺のために梶川の胸倉を掴む事態に陥った…、なんて言わないでくれよな?」


 士郎のその言葉に冠は俯いた。


「校内新聞のことで、俺を気遣ってくれるのは嬉しいけどさ、梶川を殴ったところで何の解決にもならないぜ?」


「そうだけどっ!でも…、こんなやり方…」


「取るべきじゃない、と?」


「ああ。もっと他の方法が…」


「なかったんだろ」


「えっ?」


「だから梶川にはこういった形で告発する以外に方法はないってことさ。梶川は新聞記者志望の新聞部員だ。校内新聞でもって俺の悪事…、と称するものを告発する以外に道はなかった、ってことだろ」


 士郎は照雄の方へと顔を向けてそう尋ねた。だが照雄からの返答を聞くことはなく、また士郎も期待していたわけではないので、冠の方へ顔を戻した。


「つまり梶川は梶川なりに己の信念に基づいて行動したってことさ。そんな信念に基づいて行動している人間を殴ったところで何の解決にもならないさ」


「それはそうかも知れねぇけど…」


「お前の気持ちは嬉しいが、梶川を殴ったところで梶川の信念を変えることは出来ないさ。それどころかお前を取り巻く状況が激変するだけだぜ」


「えっ…」


「空手部の部員、それもエース様が素人に手を出したらどうなるか…、それが分からないお前じゃないだろ?退部だけじゃ済まないかも知れない。最悪、空手部が部活動停止に追い込まれるかもしれない。そうなればお前だけじゃなく部員にも迷惑をかけることになるぜ?それがお前の本意か?」


 士郎は冠の一番の弱点を突いてみせた。案の定、冠はぐっと言葉に詰まった様子を見せた。


「勿論、そんな仲間に迷惑をかけるような真似をするのはお前の本意じゃない筈だ」


「…それはそうだけど、でもこのままじゃ、お前…」


「俺がどうしたと言うんだ?」


「決まってんだろっ!あんな記事が掲載されたら…、教師の耳にだって当然、届いているだろうし…」


「ああ。あの記事ね。俺が喫煙の一件で実は浅野を嵌めた、って記事だろ?」


「そうだ」


「あんな出鱈目な記事を信じる人間なんて一人もいないさ」


「でも…、このままじゃ済まないような気がするが…」


 冠の懸念は当然であった。冠の想像している通り、校内新聞ですっぱ抜かれた喫煙の一件は今頃、教師連の耳にも到達しているかも知れなかった。


「だろうな。でも大丈夫だよ」


「どうしてだ?」


「切り抜けられる自信があるからさ」


 士郎はニヤリと笑って見せると、照雄の胸倉を掴んだままの冠の手に自分の手をそえて離した。


 昼休みになり、士郎は校内放送で大会議室へと呼び出された。


 大会議室に入室した士郎を待ち受けていたのは新理事長兼学園長の保科たちであった。保科が理事長に昇格したことに伴う新人事はまだであった。


「君を呼び出した理由だが…、勿論、分かっているな?」


 新理事長の保科がまずは問い質した。すっかり尊大さを身につけたあたり、早くも理事長という職に馴染んだようだ。


「さあ、一向に」


 士郎としては尊大な相手には徹底的に刃向かうタチだったので敢えて嘘を付いた。それどころか挑発したくなる性質なので、


「ああ、もしかして理事長の椅子の座り心地について自慢の一つでもしたくなってわざわざ俺を呼び出されたんですか?」


 顎を上げて答えて見せた。保科はこめかみに血管を浮き上がらせると、


「だったら教えてやろう。これだ」


 そう言って机の上に置いてあった例の…、今はもうすっかりボロボロになった校内新聞を取り上げると士郎に見えるようにかざしてみせた。


「この校内新聞に書かれていることは事実なのかね?」


「俺が浅野を嵌めた一件、という意味ですか?」


「他に何があるんだっ!」


 保科は苛立たしげに怒鳴ってみせた。士郎は微笑を浮かべた。


「何が可笑しいんだっ!」


 士郎の微笑が余程、カンに障ったらしく保科は怒鳴り声を上げた。


「そんなに怒鳴らないで下さいよ。そんなに怒鳴ると内藤理事長の二の舞になりますよ」


「何だと?」


「人望を失い、理事長の座から追われるということですよ」


「貴様っ!」


 保科が立ち上がりかけると、隣に座っていた副学園長の奥野から、「まあまあ」と宥められ、椅子に座りなおした。


「吉良君」


 選手交代、担任の喜連川が代わりに尋問を引き受けた。


「はい」


「校内新聞に書かれていることは事実なのかな?」


「さあ、どうでしょう…」


「それは一体…」


「事実ではない…、そう答えるしかないでしょう?例え事実だったとしてもね」


 士郎がそう答えると保科は堪らずに、


「それじゃあ校内新聞に書かれていることは事実だったのかっ!?」


 またしても怒鳴った。


「はい、と俺が答えればどうなさるおつもりですか?」


「どうするもこうするも…」


 保科は言葉に詰まってしまった。


「今更、どうすることもできない。そうでしょう?何せ、肝心要の浅野は逮捕され、剣道部員にしても同様に逮捕され、皆、学園からいなくなった…。だったらもうどうする必要もないでしょう?それとも妙に騒ぎ立てて、下火になりつつあるマスメディアの注目をもう一度引きたいんですか?」


 マスメディア、という言葉を聞いた保科はゴクリと喉を鳴らした。


「ただの一生徒が教諭と部員を罠に嵌め、しかも当時の学園長であり今は理事長の座に納まった保科新理事長を始め、教師連中は誰一人としてそれを見抜けなかった…。つまりどいつもこいつもお間抜け揃いだった、ってことですよ」


「おい」


 と保科はドスを利かせた。早くも内藤を見習っている様子であった。


「これは失敬。ですがそうなれば保科理事長も当然、マスメディアから非難されるでしょうねぇ。一生徒の罠に気付けずに浅野を解任、懲戒免職に追い込んだんですから…」


「それは…、浅野はそれだけのことをしたから…」


「その通りですよ」


「なに?」


「浅野はそれだけのことを…、即ち俺に対する常軌を逸した体罰を振るい、そして逮捕された…。だったらそれで良いじゃありませんか。今更、そんな喫煙の濡れ衣が俺の罠だったなんて話は小さな問題に過ぎませんよ」


 保科はうっ、と唸った。


「それとも、そんな小さな問題を大事にして折角、手に入れた理事長の座をみすみす手放されるおつもりですか?まあ、どうしても真実を掘り起こしたい、例え居心地の良い理事長の座を失うことになったとしても…、とそこまでのお覚悟がおありならば…、教育者としての良心を優先されたいと仰るのならばどうぞご随意に。俺としてはどちらでも構いませんよ。それに例え真実が暴かれたところで俺は精々、退学処分がいいところでしょう。だがあんた方は違う。大事な家族を抱えている身だ。俺と違って失うものが多過ぎる…。そうじゃありませんか?」


 士郎は保科たち全員を見回してそう言った。


「…だが校内新聞で書かれてしまった以上…」


「そんなものは黙殺すれば良いんですよ」


「黙殺…」


「そんな校内新聞は最初から存在しなかった、そういうことですよ。恐らくは新聞部の顧問である進藤先生にも内緒でゲリラ的に梶川が掲示板に貼り付けたものですから…。それに…、校内新聞如きに何を書かれたとしても、それで何かが変わるわけでもないでしょう?所詮はただの生徒のお遊び、つまりは道楽に過ぎませんから」


 士郎の言葉に新聞部の顧問である進藤は流石に仏頂面となったが、保科は満足させられた。


「それもそうだな…」


 と保科は満足気に頷いた。


「ならもう答えは出たも同然でしょう?」


「ああ。その通りだ。こんなものは最初から存在しなかった…」


 保科は構内新聞をビリビリに破いてみせた。


「こんな事実はなかったんだ…」


 保科はビリビリに破い裂いた校内新聞の紙切れを眺めてそう呟いた。つまり教育者としての良心よりも理事長の座を守ることを優先したのだ。教育者としての良心をビリビリに破り裂いたのだ。


「…もう行っても良いですか?昼休みが終わりそうなんでね…」


「ああ。構わん。帰って良し」


 保科はしっしっとまるで野良犬を追い払うかのような仕種で大会議室から出て行くように命じた。士郎としてもこんなクソったれと同じ空間でこれ以上、時間を共有するのは耐え難い苦痛だったので一礼するなり大会議室から逃げ出した。


 放課後、士郎は部活に行く前の冠から声をかけられた。


「ちょっと二人だけで話せるか?」


 冠にそう誘われた士郎はうなずくと、二人きりになれる場所…、屋上に向かった。


「何だ?まさか俺を殴るつもりじゃないだろうな?」


 士郎は冗談めかしてそう言うと、冠もそれが冗談だと気付き、苦笑しながら頭を振った。


「違うさ。ただ、あまり気にすんなよって、そう言いたかっただけさ」


「ああ…、校内新聞のことか…」


「そうだ。それに例え、真実その通りだとしても、誰もお前を責められはしねぇからな。俺だって責めるつもりはねぇ。いや、その資格がねぇと言うべきだな」


「資格がない…」


「そうだ。俺たちは言ってみればいじめの傍観者みたいなもんだからな。士郎はそんないじめから自力で這い上がるべく罠を張った…、だとしたら責められるべきものじゃねぇ。少なくとも傍観者がそれを責める資格はねぇ」


 冠の澄んだ瞳に士郎は何だか後ろめたい気になり俯いた。


「だけど体罰の告発だけでも充分だったんじゃね?あっ、いや、これじゃあ喫煙の濡れ衣は事実なのかって聞いてるのも同じだな」


 冠は自分で自分の頭を叩いてみせた。士郎はそんな冠にならすべてを打ち明けてもいいような気になり、事実、打ち明けた。


「いいさ。その通りなんだから」


「それじゃあ…」


「校内新聞の通りさ」


「そうか…、あっ、いや、別に良いんだけどさ」


「さっきの質問だけどな、体罰問題だけじゃ浅野の野郎と子分を追いつめられないかも知れねぇ…、そう思って…」


「喫煙の濡れ衣事件をでっち上げることで、二正面作戦から追いつめようとしたわけか?」


「そういうことだ。もっとも今となってはお前の言う通り、体罰の告発だけでも充分に追いつめられたのかも知れないがな」


「そっか…、あっ、いや、別に良いんだ。それならそれで…、でも良く打ち明けてくれたな…」


「お前になら打ち明けても良いかなって思ったからさ」


「そうか。ありがとな、信頼してくれて」


「信頼だなんてそんなご大層なものじゃないさ。お前はいつも俺のことを思っていてくれてるからな。それでつい情にほだされちまった、って話さ」


「そうか。信頼じゃなかったのか」


 冠は笑って見せた。勿論、冗談である。


「勿論、信頼もしてるぜ」


 士郎も笑ってみせた。


「ああ、勿論、今のことは誰にも言わねぇから…」


「良いぜ」


「なに?」


「お前にならバラされても良い…、そう思って打ち明けたんだ」


 士郎は真顔で答えた。冠もそれが真実の言葉だと気付いたらしく、真顔になるとうなずき、そして士郎の肩を掴んだ。


「お前は自力でいじめから這い上がったんだ。誇って良いぜ」


 冠はそう言うと、士郎の肩に腕を回し、士郎と連れ立って屋上を後にした。士郎もそんな冠の肩に腕を回した。冠はとても嬉しそうな顔をした。自分はもしかして冠をも欺いてしまったのではないか…、士郎はそう思うと、胸にチクリと痛いものが走った。それは初めてのことだった。

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雪冤 ~いじめの報酬~ @oshizu0609

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