第57話56.領主の選択 18

「おい、お前、俺になんか隠してないか? ファイザル准将閣下」

 色づく荒野を一群の騎馬が行く。先頭はファイザルとオーフェンガルド。次いで彼らの従卒達。勿論ジャヌーも少し後ろからついてゆく。砦での儀式を終えたファイザルが今日、都へ出立するのだ。新しいノヴァゼムーリャ・セヴェレ砦の指揮官となるオーフェンガルド少佐は、アルエの町まで見送ることにしていた。

 そして、その前にこの地の領主から、軍功と昇進を|言祝(ことほ)ぐ言葉を受ける。そのために一行は街道を領主館に向かっていた。正装した将校や、兵士たちの軍装は雄雄しく、磨かれた金具はきらきらと陽に映え、街道で待ち受けていた村人たちは、帽子を取って行き過ぎる一隊に深々と礼をする。


「隠す? 何をだ。それにまだ正式に辞令を受けたわけでもないから准将閣下はやめろ」

 村人たちの挨拶に片手を挙げ、鷹揚おうように答えながらファイザルは答えた。

「辞令なんてただの形式だよ。膠着こうちゃくする戦況を前に、お前は最後の切り札ってわけだ。毎度毎度、芸のないことこの上ないがな。貴族出の士官達の人材不足は今に始まったことではない」

 自身も下級貴族のオーフェンガルドは、皮肉な笑みを見せた。

「お前が言うな」

「まぁな。しかし、さっきの話だが……お前、あの人に……ご領主様になんか含むところが大分あるんじゃないのか?」

「なぜだ?」

 用心深くファイザルは尋ねた。

「いや……この前の晩餐の席でも、お前達なんだか微妙な雰囲気だったし……」

「達とか同列に並べるな。それともお前、あの方を知っているのか?」

「いいや、知らんね。いったいどういう出自の人なんだ? ワルシュタールなんて名前の貴族は聞いたことがない。かと言って、俺みたいな下級貴族でもなさそうだ。第一、きれい過ぎる。まぁ、俺の家柄じゃ普通ならお目にかかれない、雲の上の人だってことぐらいは想像つくけどな。だが……お前は知っているんだろうな?」

「さぁな。しかし、お前の言うとおりだったとしたら、たとえ俺にふくむ所があったって、お前同様、いかんともしがたいじゃないか」

 ファイザルは絡むようなオーフェンガルドの視線を躱しながら応えた。

「だから、何か隠していないかって聞いている。こういうときの俺のカンは外れないんだがな」

「なるほどな。しかし、まぁとりあえずその口を塞いでおくことだな。ほら、見えてきたぞ。あの方の前で無礼な言動は許さん」

 美しく晴れ渡った荒野の向こうに古びた城壁とはね橋が見える。

 一行は砦を出発してほんの半時も掛からずに、領主館に着いた。ここで、北方国境警備指揮官ファイザルは、この地を治めるノヴァゼムーリャ領主に離任の報告をし、領主から餞の言葉をもらう。出立の式とは、ただそれだけの儀式だった。

「あ――」

「間抜けな顔をするな」

 ファイザルは馬の速度を落としはね橋を渡る。領主館の広いが殺風景な前庭が広がる。そこでファイザルは息を呑んだ。

 真正面に見える領主館の正面扉。いつもレーニエが彼を見送る十段程の階段の上に、ノヴァゼムーリャの領主が一人で立っていた。ひさしの外に出ているので遠くからでも銀髪が輝くのが見える。

「おい、あれは……誰だ?」

 隣でオーフェンガルドも瞠目どうもくする。

 秋の風が濃い色のマントとガウン、結わえていない長い髪を梳き流している。

 領主の着ている衣装は、王族の直系たる人間にのみ許される意匠を縫いとった紫紺の長衣だった。

 それは男女の区別なく、式典の折などに身に着けられるもので、詰めた襟元と袖口に刺繍があるだけの簡素な造形ながら、技術の粋を極めた裁断と縫製で、それを着る人をこの上なく優雅にすらりと見せていた。

 肩から背中を覆ったマントも同色で、緩やかに腰に巻きつけた剣帯に、優美な細身の剣を帯びている。レーニエが帯刀している姿をファイザルは初めて見た。鞘にはやはり、王家の意匠が象嵌ぞうがんされていた。

 馬を下り、橋から続く石畳の上をファイザルはゆっくりと進んだ。

 ジャヌー達、追随の者たちはその両側で敬礼をする。オーフェンガルドでさえ、階段のそばまでも行けずに途中で立ち止まり、腰を屈めて成り行きを見守った。

 ファイザルは階段の手前で立ち止まり、胸に拳をあてて頭を下げる軍隊式の深礼をとった。

「わざわざのお出迎え痛み入ります、ご領主様。本日は出立の御挨拶にまかり越しました」

「……申せ」

 整った眉はきりりと上がり、その下の赤い瞳は顔を上げた彼を静かに彼を見下ろした。凛とした立ち姿も清々しく。

 昨夜、彼の腕の中で甘い吐息をついて眠っていた少女はどこにもいなかった。

「私、ヨシュア・セス・ファイザル、元老院議長、オリビエ・ドゥー・カーン閣下より准将を賜り、エルファラン国軍、第五師団司令官を任ぜられました。直ちに同師団を率いるべしとの招聘を承り、これより師団駐屯地、南部のウルフィオーレに参ります。ご領主様にはこの一年の間、かくも至らぬ私に身に余るご厚情をいただき、このファイザル、感謝の極みでございます。厚く御礼申し上げまする」

 ファイザルは錆びた声でよどみなく辞去の儀を述べる。

「……」

「これより私はこの地を去りますが、ご領主様にはいつまでもご健勝、ご盛栄であらせますよう、心よりお祈り申し上げます」

 再びファイザルの頭が下げられる。

「そうか。よくわかった」

 どこにも感情の乱れの感じられない、静謐せいひつな声。ファイザルがちらりと上げた視界の中に、きらりと光るものがあった。それは右手の中指に光る指輪。貴石ティユールカイトの金色の光が彼の眼を射る。それは彼女の母親から送られたものだとは記憶に新しい。

「ファイザル准将殿。私からも、御身おんみに申すことがある。顔を上げよ」

「は」

 ファイザルの青い瞳と、レーニエの赤い瞳が真正面からぶつかる。

 少し離れたところで見守っているオーフェンガルドは、声は届かないながらも、この二人の間の空気が奇妙な緊張を孕んだことを感じた。

「私はよく考えてみた……」

 ひた、とファイザルを見つめてレーニエは続ける。

「そして、真に理解した。私もあなたも、運命等と言う不確かなものに囚われて、明日を見誤っているという事を」

「……」

「だが、私はわかった。自分が心から望むものがなんであるか」

「レーニエ様?」

「私は……どうしてもあなたが欲しい……ヨシュア」

 静かな口調は変わらない。ただ、瞳の光が増した。

「は!」

「私は何を利用しても、どんな事をしても、必ずあなたを手に入れる」

 紅玉の瞳が冴え冴えとした光を放った。微笑みさえ浮かべた美しい顔はいっそ、雄々しくさえ見える。

「ヨシュア・セス・ファイザル准将。御身は戦をよく知る武人だ。私がいくら望んでも、生きてこの地に戻るとは決して言わないだろう」

「あなたは……」

「だから私が誓おう。あなたはこれを運命と言った。ならば」

 レーニエは腰から剣を外し、水平に持ち上げる。

「運命など変えてみせる!」

 そう言い放つとレーニエは、剣の鞘をゆっくり半ばまで抜いた。

 真昼の陽を受け、銀光が見つめる人々の眼を射たかと思うと、勢いをつけて鞘は|鍔(つば)に戻された。

 キィーーーン

 その音は秋の澄んだ空気を裂いて響き渡る。

 驚愕を滲ませながら、ファイザルは気圧されるように片膝をついた。しかし瞳はレーニエから逸らすことができない。

 涼やかな音色の木霊が大気に溶けゆき、前庭にしじまが戻った時、レーニエは再び口を開いた。

「ヨシュア・セス・ファイザル准将、我がまことの名において命じる。御身は必ず生きて戻れ。返答は求めぬ。これは我が一方的な命である」

「……」

「准将、うけたまわったか?」

 ファイザルは動けなかった。ひたと目の前の稀人まれびとを見据えたまま。

「ヨシュア?」

 小首が傾げられる。

 一瞬のうちに凛々しい戦士はかき消え、昨夜抱きしめたたおやかな娘が立っていた。

 彼は何かに突き動かされるように段を二歩で駆け上がった。愛しい姿を後ろに控える男たちから隠すように立ちはだかる。

「|酷(ひど)い方だ。あなたは……あなたと言う人は。男が言うべき言葉をすべて奪ってしまわれた」

「あなたが言えないのなら私が言うしかない……そう思って」

 あなたを信じている――その瞳はそう言っていた。

「レナ、俺の愛しいレナ……俺は戦いに行きます。俺は俺の戦場であなたを守る」

「私も……私に出来る戦いをする」

 レーニエは凛々しく眉を上げた。泣いてはいなかった。

「ふ、まるで戦乙女のようなことをおっしゃる。これではまるで、俺があなたに守られているようだ」

 ファイザルは笑った。そしていきなりレーニエを抱き寄せて口づけた。背後から声にならない驚愕が伝わるが、もうそんな事はどうでもよかった。

「愛している」

「ヨシュア……」

「先の事は分からない。だが、どんな形でも必ず、俺はもう一度お目にかかります。あなたに。それに……どうやら」

「うん?」

「俺には、し残したことができてしまったようだから。こんなに未練たらたらではどうしたって死ぬわけにいかなくなりました」

 レーニエの頬がみるみる染まる。それを眺めて彼はにやりと笑った。

「ご壮健で、そしてくれぐれも無茶はしないでください」

「あなたも」

「承知! では!」

 最後にもう一度口づけた後、ファイザルはさっと体を離した。マントを大きく翻して階段を降りると再び振り返り、最深礼をとった。それからカツンと踵を鳴らして転身すると大股で石畳を進んでゆく。

 ひらりと馬上の人となったファイザルが真正面から領主を見つめた。

 オーフェンガルドが、ジャヌーが深々と頭を下げている。こっくりと頷き返してレーニエも頭を下げた。兵士達も次々に馬に乗った。

「進め!」

 命令一過、完璧に統率された騎馬隊は粛々と進み始めた。次々にはね橋を渡ってゆく。次第に速度が上がり、街道に土埃が上がるのが庇の下からでも伺えた。

 レーニエが見つめているのはただ一人の人の後姿――。

 蹄の音が街道を遠ざかってゆく。

 ひゅるり

 この冬初めての木枯らしが広い前庭を通りぬける。銀色の髪が揺れた。

「もう、泣いても笑われないね……ヨシュア」


 真珠のような涙を散らせて、ノヴァゼムーリャの領主は立ち尽くしていた。





      *****



これにて第一章、完結。

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