源三郎江戸日記(弟五部)
源三郎江戸日記(弟五部)60 翌日は出航して相馬の牧場に寄り、疾風と春風に老後はゆっくりとこの牧場で過ごすのだというと、弥助が疾風と春風の代わりに、血筋の馬2頭を船にのせました、3才に
源三郎江戸日記(弟五部)60 翌日は出航して相馬の牧場に寄り、疾風と春風に老後はゆっくりとこの牧場で過ごすのだというと、弥助が疾風と春風の代わりに、血筋の馬2頭を船にのせました、3才に
源三郎江戸日記(弟五部)60
翌日は出航して相馬の牧場に寄り、疾風と春風に老後はゆっくりとこの牧場で過ごすのだというと、弥助が疾風と春風の代わりに、血筋の馬2頭を船にのせました、3才になる若駒ですと、
言うので、そうかそれはすまんなと言って200両を渡すと、こんなにと言うので、又何年も活躍して、貰うのじあ遠慮するなと言うと、有難う御座います、疾風の血を絶やさないように、
続けて行きますと言ったのです、
船に戻り江戸に向ったのです、蝦夷より2日で江戸に着き深川の屋敷に戻ると、お玉以下が出迎えてお戻りなされませ、長い巡察お疲れ様に御座いますと言うので、みなも元気そうで何、
よりじあと声をかけたのです、さつそく巡察の報告をまとめて馬に乗り城に登城したのです、御座所に行き吉宗に拝謁して報告書を差し出すと、ご苦労であった飛脚便の便りにて大体は、
承知しておる、
みんなにも回覧しておくと受取り、国後での出来事に松前藩は懲りたようで、松前、小樽、札幌、幌内、稚内の南部の他意外は幕府に返上したいと、江戸家老から申し出すがあったの、
で天領にする事にしたが、函館奉行所では管理しきれぬので、南部、津軽、秋田、伊達、米沢藩にそれぞれ、海防を担当してもらうことに、すると言って、室蘭、苫小牧、釧路、国後、
エトロフ、網走、稚内、カラフトと言う事じあが、
室蘭、苫小牧は千人同心に担当させる、釧路は米沢藩、国後は南部藩、エトロフは津軽藩、網走は秋田藩、稚内は伊達藩と言う事じあが、カラフトを何処に、担当させるかじあと言うので、
それは川越藩がうけ持ちましょうと言うと、やつてくれるかと言うので、その積もりなのでしょうと笑うと、千島列島に行く宗谷海峡の首根っ子じあからなと言うので、後は蝦夷地の宗谷、
に御座います、又エトロフはロシアのカムチャッカからの南下を押さえる重要な地点です、
特にラッコが沢山生息しており、ロシア人がアイヌとの交易に頻繁に訪れているようです、国後、エトロフ、宗谷、対岸のカラフトに砲台を設ける必要があります、宗谷は高鍋藩に頼みま、
しょうと言うと、それなら安心じあな、何処の藩も蝦夷地が、重要だとは思うておらんじあろう不平を言ってくるのは目に見えておると言って、とりあえずの費用じあが、最低でも10万両、
はかかり、毎年の維持費で2万石、1万両はかかるであろう、
1個所2000石じあから1000両かかる事になる勘定奉行が頭を抱えておったと言うので、今までの巡察で6万両の没収金寸が残っております、これを使い幕府から残り4万両を供出して下さい、
函館管轄の冥加金は年2万両、4万石は集まっています、これの内の1万両を当てる事にして、各藩が拠点の開発をした分はそこに入る商人から冥加金を取らせて藩の取り分とすれば、努力、
すれば藩財政を潤す事になりますので一生懸命に開発するでしょうと言うと、
なる程互いに競わせるわけじあな、幕府は苫小牧、室蘭、函館の冥加金が取り分と言う事じあな、それで良いじあろうと言うので、さつそく、勘定奉行に6万両を渡します、一藩1万両づつ、
分配して貰い、さつそくかかって貰いましょう、来月から行えば、雪が降るまでは3ヶ月あります、冬篭りの支度は出来るはずですと言うと、わかった、早速各藩を集めようと言って水野、
に話して、
各藩の江戸屋敷に使いを出して江戸家老を呼んだのです、各藩の家老が集まったので、水野が話しをして申しつけて、蝦夷地の様子を調べた書付を各藩に渡したのです、みんなが帰って行、
くと、水野が川越藩と高鍋藩は東北の藩ではないのにご苦労に御座いますなと言うので、この2藩もやるのですから東北の藩は文句を言えないでしょうと言うと、なる程文句を言わせない、
為ですかと言うので、
高鍋藩には気の毒ですが私の出身藩なので無理を聞いてもらいます、あくまでも開発の先鞭をつけるためです、入植が進めば撤収すれば良いのですと話したのです、勘定奉行が幕府の金蔵、
が減らなくて済みますと喜んでいたのです、大砲は宗谷に4門対岸のカラフトに4門、後は2門づつ20門が必用じあ、直ぐに発注してくれと言うと、勘定奉行が、総額1万両なので、総ての、
準備金10万両で間に合いますと言ったのです、
城を下がりまずは高鍋藩に行くと、さつそく現れたなと政種が御座所に来て、申し訳御座りませぬがなにとぞ宗谷の海防をお願いしますと言うと、承知した、蝦夷か中々面白いと言うので、
冬は地獄に御座いますと言うと、万全の備えの策があるのじあろうと笑うので、して誰をと聞くと、それが源一郎がまず行くと言うているのじあと言うと、御座所に入って来たので、兄上、
江戸家老自ら行くと申されるのですかと聞くと、
対岸のカラフトはそなた自ら設営に行くのであろう、わしが行くのはおかしくないではないかと言うので、ハハハ読まれましたかと言うと、他の藩に圧力をかける為じあろう、幕府の老中、
が自ら設営に行くとなれば、各藩もそれなりの人物を登用いるしかないわと言うので、さすがの見識に御座ります、初めて一緒に仕事が出来ますな、準備する物を書付にしお渡しします、
出立は一緒にいきましょうと言うと、
源三郎が頼りじあ宜しく頼むと源一郎が言ったのです、高鍋藩を辞去して米沢藩に出向くと、千坂兵部が出て来たので、宜しく頼みますと言うと、設営には私が行きますと言うのでやはり、
と言うと、ご老中が行かれるのに格をあわせねばなりませぬと笑ったのです、こんどは飛び地が釧路で御座りますな、冬は極寒の地と聞きます、米沢も寒う御座るので心配いり申さんと笑、
ったのです、
上屋敷に戻り江戸家老にカラフトの設営の事を話すと、殿自らお行きになるのですかと聞くので、その効果を話して、又留守をそなたに頼まねばならぬと言う、それは構いませぬがと言う、
ので、20人を選ばねばならぬがそなたから話しをして志願者を国元、江戸より選らんくれと頼んだのです、お玉達に話しをすると、こんどはどの位になるのですかと聞くので、12月から、
来年の5月までじあ、行くまでには後3ケ月あると言って、
6ヶ月は留守にする事になるが1、2度は戻れるであろうという、お体には、気をつけてくださりませと言うので、今回は巡察ではないので、エミも江戸で留守をさせる、だれも連れては行、
かぬというと、みんなが承知いたしましたと言ったのです、屋敷を出て料理屋に行き、七衛門をよび話しをして、さつそく宗谷、カラフトに冬篭りの為の陣屋を作ってくれと言うと、松蔵、
に言うて、11月末までには完成させるようにしますと承知したのです、
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