四
解散後、私達は空き教室へ戻って――女子の更衣は教室で、男子の更衣はそこで行われることになっており、因みに夏の水泳では女子は備え付けの更衣室で着替えるのであるが、男子は何故か更衣室の使用が許されず外で着替えていた――制服に着替えた。ようやく練習から解放された周りの生徒達は俄かに明るく
「お、お前、一番上から落ちたって本当かよ」
「何故落ちた?」
「大丈夫だったのか?」
「今は何ともない」少年は照れた笑みを浮べた。「何か足が滑って、気が付いたら落ちてたわ。マジ、ビビった」
「そりゃ、ビビるだろうな」
彼は生徒達に囲まれて笑っていた。私はそれには加わらなかったが、その様子を見て安堵し、着替え終ると体操服を持って教室を出た。
安堵したといっても、私は大して彼のことを心配していた訳ではなかったかもしれない。それよりは、私が一番上でなくて良かった、という思いの方が確かに強かった。地上何メートルもの不安定な場所で、危険な演技をするよりは、ピラミッドの土台で痛みに耐える方が、幾らかましであろうと、私は考えていた。
ようやく組体操の練習が終ったという思いと疲労が私を満たしていた。しかしこれで組体操が終った訳では勿論なく、体育祭での本番の前にも、あと数度の練習はまだ残っている筈であった。そのことを思うと私は素直に今日の練習が済んだことを喜ぶ気持にもなれず、重い足取りで教室へと向って歩いていった。
廊下へ出た私は手が砂まみれであることに気付き、水道の蛇口の所へと行ったが、そこには既に先客が四人いた。見ると、その四人の女子生徒のうち一人は、野球部の少年と話していた、あの
「……そうだよね。自慢したくて仕方ないんじゃない?」
「目立ちたがってるんだよ。『私、こんなに上手く出来まあす!』って」
「集団ダンスなんだから空気読んで、皆と同じように踊れっての」
「あんた一人の舞台じゃないんだよ、ってね」
もしかして、と私は思った。これはあの、一際目立つ踊り方をしていた、あの女子生徒について話しているのではないか。私は自分の耳を疑ったが、聞くほどに、あの彼女のことを言っているのは明瞭になってくるのだった。私は黙り込んだまま、彼女達の話を聞いていた。
「本当、目障りだよね。消えて欲しい」
栗鼠のような前歯の女子生徒は、憎々しげに言い捨てた。
私は虚ろな気持ちに囚われる自分を感じ、手を洗うこともせずにその場を立ち去った。廊下を歩きながら私は、自分が今感じたのは同情だろうか、それとも出る杭は打たれる、の実例をまざまざと目にしたことによる衝撃だろうか、と考えた。その両方であるのかもしれなかった。
しかし自分は、本当は何も分ってなどいないのかもしれない、とも私は思った。他に陰口を叩かれるに値するような、あの女子生徒の行動があるのかもしれなかった。いずれにしろ、自分のどこに彼女らにとやかく言う資格があるだろうか、という思いに突然私は目覚めた。
廊下を、着替え終った生徒達が喋りながら通り過ぎていった。
組体操にしても、と私は思った。私自身はこれほど思い悩んではいるが、周りの生徒達は文句一つ言わずに、或いは渋々ながらもやっている。私とて、大いに不満を持ちながらも外部へと向って働きかけることはない。それならば何も考えず、苦痛を受け流して、淡々とこなすべきなのであろう。私は何を変えることもないのだ。
私は強い無力感を感じていた。ピラミッドの崩し方一つについても、体育教師に文句を言う勇気など自分にはないということを、私はよく知っていた。ただあの教師を懼れているからというだけでない。他の者と同じように組体操の練習に参加してはいるという事実が、辛うじてあの練習の中での私を支えており、そこに私は組体操という場に於ける、自身の意義を唯一認めていたからでもあった。
そしてそれは組体操に対する、一種の迎合に他ならなかった。私も結局は、組体操の中に組み込まれた内の一人でしかなかった。そして私の眼前にある一番無難な道も、結局のところ組体操の練習に、周りと同じように参加することでしかなかったのだ。
私は歩きながら、ふと自身の掌を見た。先程洗う機会を逃した手は、砂にまみれたままだった。砂は薄くまぶされた小麦粉のように私の
その時、一つの想像が私の中にゆっくりと立ち上った。それはあのタワーもろとも、私達全員があの砂の中に崩れ落ち、骨となって朽ちていく光景であった。まるで、あの駱駝達のように。
それこそは私達の成れの果てに相応しい姿だった。苦悩も苦痛も、何もかも全て蒸発し、ただ何の意味も成さない、乾き切った白骨のみが残された光景。最早合図を掛ける者も、演技をする者も誰もいない。静寂のみがその空間を領している。砂漠の空は青く澄んでいる。
散乱する白骨! 顧みられもせず、誰が誰なのか区別もつかず、体格も判別出来ぬ程にばらばらに朽ちた白骨。私達の間の、全ての不公平性は、水分と共に天へと蒸発し、永遠に失われていた。そこで初めて私達は平等となるのだ。その光景にこそ、真の平等があった。
私は恍惚として想像した。地に崩れ落ち、或るものは肩を組み、或るものは手を広げたまま、横たわり風化していく私達の姿を。私達の白骨は、やがて熱砂に埋れていくだろう。私の身体は、砂上に散乱する、百合の花弁のような骨片となるだろう。そして吹き荒ぶ砂塵が、私達の虚ろになった眼窩に吹き込み、そこに落ちる蒼い
その光景を想像して、誰もいない廊下で、私は笑った。
――二〇一七、一、一四――
夏の砂塵 富田敬彦 @FloralRaft
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