第23話 混沌のマスカレード-4 《聖姫》エメロードの視線の先は……
数分前には恐怖で仕方がなかったこの戦況。望んでいないながら、結果として《高みの見物》となってしまっていたこの状況。
今は黙って目を奪われていた。
驚きの光景、ただただショックで頭を真っ白に、黙ってそれを眺めていたのは……
「閣下! いい加減お諦めなさい! このままではっ!」
フィーンバッシュ侯爵の怒声を耳に入れながら、彼の私兵に引きずられそうになりながら、それでも手すりにしがみつくアルファリカ公爵。
「エメロード、お前は……」
火事場のバカ力とでも言えばいいのか、娘を想う気持ちが、それだけ異常な握力を可能にさせた。
エメロードを想う。
父親として、娘が死地にいるのが耐えられないといわれれば、そうなのかもしれない。
それだけではなかった。
眼下にはいくつもの色が広がっていた。王家の別邸、今日のパーティ会場として煌びやかなのだから当然。
しかし今、むせ返るのは血の赤銅色ばかり。いや、数分前まではそうだった。
アルファリカ公爵が目を奪われているのは、その中で淡く立ち上る白い光。
……正しくは光りではない。その光を生み出す存在。この襲撃での重度の怪我人の、傷の患部に手を当てることで、その白い手を真っ赤に汚し、体を震わせ、涙で顔をグシャグシャにする、それでも《治癒魔技術》を行使し、怪我人の治療に当たる娘。
《
《悪徳公爵令嬢》とすら呼ばれていた己の娘の、その儚さと、神々しさに、父親をして目を奪われた。
✛
「_}?*}_:/::ヒッ! ?//;:」
「お願いでございますっ! エメロード様‼ 私の妹をお助けくださいませっ!」
もう、無理なのはエメロードも分かっていた。
ブジュル、グジュル! と鮮血が噴き出すその場所に手を当てる。
噴き出す圧と熱を感じる一方で、噴き出す元、すなわち怪我人の体から奪われていく温度は、下がり止まる事を知らない。
「あ、あぁぁ……」
先ほどまではまだ荒かった息も大分静まり、声は薄れがかり、逃げ惑う中で仮面は取れてしまったのだろう、いまエメロードが治療に当たっている少女の目からは、光が消えかかっていた。
「[*+>ヒグッ! *?_}*{}**」
それでもエメロードは嗚咽を何とか抑え、《治癒魔技術》の詠唱はやめなかった。
「う、嘘だっ! 嘘だぁぁぁっ! あぁぁぁぁぁ!」
だが、《治癒魔技術》とはいえ万能ではない。
「間に……合わなかった……」
必死の治療も虚しく、懇願していた男が絶望に打ちひしがれた声を耳に、そして治療に当たっていた少女がカクリと、一切の力を放棄したのを認め、エメロードも呟くしかできなかった。
「私、救えなか……」
エメロードは《聖姫》であり、《治癒魔技術》を使うことが出来る。それを知っていたから、いま亡くなった少女の兄は、
「エメロード様っ! 私をお救いください」
「次はこの私を!」
「私めを!」
「私をぉぉ!」
「ヒィッ!」
だが、生存者たちは、エメロードが意気消沈する暇すら与えない。
男も女も、エメロードが《治癒魔技術》を使えるとわかった途端、前に治療を受けた者が駄目だったのが分かった瞬間、項垂れたエメロードの肩をガバリと持ち上げ、無理やりにでも顔を上げさせた。
妄執と言えばいいか、生に対する執着の凄まじさ。
パーティ開催当初はにこやかで配慮のあった者たちの目は、血走っていた。
ゴリっという音、それにエメロードは目をやって……身の毛がよだった。
たった今、救えず命を落とした少女の首を、エメロードに押し寄せる者の一人が踏みつけ折ってしまった音。
その異常な
(怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いっ!)
気持ちの悪さ、吐き気を催し、たまらずエメロードは口元を手で押さえるも、それでも生存者たちの勢いは止まらない。
……生存者たちの、押し寄せる波の中に、襲撃者の一人が……飛び込んでくるまでは。
「っアああ阿ああ吾あ、ギィヤャあアあ!」
……その襲撃者が、見るもおぞましく顔を歪め、苦しみを
「ちょっと待ちたまえ君! 私はっ!」
そして……エメロードに押し寄せる生存者の一人が、殴り飛ばされていなければ。
「あぁ、すんませんね。ちっとばかり、詰め寄る
だが、もうエメロードは目を向けるまでもなかった。
その声が聞こえた瞬間、体から力が抜け、ため息をつくことが出来た。
やっぱり変な男には違いない。
「完全に脱出する機会逸っしちゃったなぁ。つか、なんでったって俺が他の参加者守る形になったぁ?」なんて、こんな絶体絶命な状況に置かれているというのに、この男と来たら、いつもと変わらず真面目に受取ろうとしていない節が見えた。
「にしてもエメロード様、流石に強すぎです。普通は『キャー! 仮面の騎士様ぁ! 助けてぇ!』の悲鳴の一つも上げていいもんでしょうが。なにこの状況で、他人の治療なんて余裕をかましているのですか?」
「か……」
「か?」
「仮面のバカ様……」
「ば、バカァ⁉」
本当、エメロードにとって不思議な男だった。
「……エメロード様は治療に全力を尽くした。でしょ? だったら義理は果たされた」
ふざけているのか、真剣なのか、こんなときでもそれをエメロードには判別させようとはしなかった。
「あまり気負われませんよう。特に、『自分は救えなかった』……なんてね」
「え? だけど……」
「心の傷になる」
「うん……ありがとう……」
「エメロード様が私にお礼を? こりゃあ明日は槍が降ってきますね」
だけど、だからか……エメロードは山本・一徹・ティーチシーフがそばにいるだけで、これ程怖いのに安心できた。
彼がいれば、どういうわけだかこんな状況でも、おちょくる言葉が出てくるくらい。
「って、『こういう状況でまたふざけて!』と怒られてしまいますか?」
礼を失したなら、たとえパーティ参加者相手でも、一切の手加減を見せない一徹。
これを理解したからか、生存者たちはうかつに動けなくなった。
それを尻目に、歯を見せた一徹。また襲撃者の方へ振り返った。
「《治癒魔技術》か。《聖姫》としての責務を全うしようとしているのですか?」
「力が足りなくても、助けられるのが私だけだとするなら迷いようがないもの」
「そーですか? ご自分の命の危機に瀕していたら、自分か他人か迷うでしょう? 迷うべきだ」
「でも山本一徹、貴方は……私を守ってくれるのでしょう?」
苦々し気な口元。ボサリボサリと黒い短髪をかきむしった一徹。
「……救う価値があるとは思えない」
「え?」
重苦しそうな物言いに、一瞬言葉の詰まったエメロードは俯く。
「『守る』……ね。その言葉、苦手なんですよ」
本来この場にあって思うことじゃない……が、自分の中で思う一徹への感情と、一徹が自分に対する感情との乖離の大きさに、ショックを受けたのだ。
だが、一徹が伝えたいのはそうではなかった。
彼が続けたセリフが、そうではないことをエメロードに分からせて……
「恩をすぐに掌返しするのが人間族だ。なのにいまだ十八の女の子が、自分の死ぬリスクを負うかよ。なんでまた、俺の知ってる貴族のご令嬢ってのは、こうも心が強い……《聖なる癒し手》の上位互換、《聖姫》。称号ね、くだらねぇ」
しかし、やはり彼の言葉の真意はエメロードでは掴みかねた。
人間族に対して失望したセリフ。人間族の中でしか生きてきたことのないエメロードでは理解に至らない。
それは、エメロードにとって生きる
だけど一徹は答えを残さない。エメロードを悶々とさせた。
何か深いことをボソリと呟いて、また、猛突進してくる敵に向かって走っていった。
「エメロード様!」
時折見せる、含みある一徹。
大体その雰囲気を見せるとき、必ず何かあるのがエメロードにもわかっているから、不安になったその時、新たな声が耳に飛び込んだ。
「ルーリィ様!」
「《治癒魔技術》をご使用なされていました。爵位と能力を考えるとエメロード様は……」
「……《聖姫》です」
いたわるようにエメロードの肩を抱いたのはルーリィ。すぐ隣にアーバンクルスもいた。
「ルーリィはここでエメロード嬢を! 私はこの陣の、襲撃に弱い箇所で防衛線を張る!」
「アーヴァイン!」
「我ら四人が防衛を! エメロード嬢が治癒を! 従者たちが救援に来るまで時間を稼ぐ!」
「襲撃されてから時間はたっている。従者たちを殲滅してから、襲撃者たちはここに来たという考えもっ!」
「とは言ってもね! ほかに、やれそうな手もない!」
それだけ言い残し、たった今現れたばかりのアーバンクルスもその場から姿を消した。
離れていくアーバンクルスの背中を眺めるエメロード。
彼の案に、改めてこの状況は救いようないことを分からせたから、戦慄せざるを得なかった。
たった五人でこの数え切れないほどの襲撃者たちを何とかしようとする。絶望的でしかない。
……そうなると、エメロードは視線を巡らせてしまった。
いまのエメロードにとって、どんな状況でも安心させるほどの存在。山本・一徹・ティーチシーフの姿を探すように。
それをさせるほど、一徹は……エメロードの心の拠り所になってしまっていた。
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