麗日ノ幕

序 寺子屋再び

     1


 一面の棚田にすっかり背の伸びた稲が青々としている。

 その中で五羽ほどの青鷺あおさぎが群れ、すぐそばに一人の男が佇んでいる。

 男と青鷺はまるでたわむれている様子だ。

 一羽の青鷺が道へはばたき出ると、男はその先にやって来た一行に気づき、大きく手を振った。

「ハジメー」

 それに気づいたハジメも手を振り返す。

青原あおばらさんっ」

 被っている笠の縁を押さえながらハジメは駆け寄った。

「どうしてまだ集落に?」

 青原はハジメがいない間の寺子屋の世話を任せた相手だが、平野ひらのが回復するまでという話だった。平野は心を病んで水も食料も口にできず瘦せ細り、まともに動くこともできなくなっていたが、今ではご飯をモリモリ食べ健康になっているはずだ。てっきり青原はまた書物を求める旅に発ったものと思っていたが。

「それが所帯を持つことになって、今も通いで寺子屋の手伝いをさせてもらってるんだ」

「ええっ!? それは、ど――いつ……!?」

「ははは。驚いてるなぁ。僕のことはまあ措いておいて。早く寺子屋に帰るといい。あまり嬉しくない人がいるかもしれないが」

「?」

 懐かしい寺子屋の縁側。

 そこにはすっかり肉づきが良くなったが、顔色の悪い平野――

「おかえりー」

 ――そして、それにぴったりと密着している佐島さじまがいた。

「ハジメくんえらい顔!!」

 共に帰ってきたはたがハジメの反応を見て上げた声だ。

 平野に会えた喜びより、佐島への嫌悪感がまさったらしい。

 青原は「あまり」と言っていたがとんでもない。「あまりにも」だ!


「おかえりなさいハジメ。旗さんにツギさんも」

「先生! ご無沙汰しとります。お元気そうで~」

 旗が吞気な挨拶を交わす一方、ハジメはまったく穏やかではない様子で、

「せ、せ、先生……っ。あ、あれ、あれは……っ!?」

 ハジメはくっついている平野と佐島を指差している。

「ああ、ハジメも佐島さんとは知り合いなんですよね」

 ハジメの顔がさっと青くなった。宗間そうまの口ぶりが佐島に親しみを持っているようではないか。

 ふる、ふる、と、首を横に振りながら「あ、悪夢……悪夢の女でずよ……?」

「言わんとすることは察しますが、そんな風に言ってはいけませんよ」

「先生! まさか佐島を信用したりなんてしてませんよね!? あれはいつからここに巣食っているんでず……!?」過去を思えば当然だが、ハジメは今すぐ追い出せと言わんばかりだ。

「ハジメくんひどーい」

 などと言っているが、佐島は何処吹く風である。

「まあま、とりあえず上がってください。詳しい話はそれからにしましょう」

 宗間に促され、ハジメ、旗、ツギと座敷へ上がっていく。

 続いてオワリが「お邪魔します」と会釈をして上がる。それを宗間は「いらっしゃい」とにこやかに迎え――後ろから進み出た空真そらざねが被っていた袖頭巾を脱いだ途端、表情を変えた。

「…………君は……」

「――安心しろ」

 小さな鈴が鳴っているように愛らしく、しかし、凄みのある空真の声。

「あなたの思っている者ではない」

「…………」

 宗間の顔からはすっかりにこやかさが消え、なにか、怯えているようですらあった。宗間の思っている者とは、一体、誰のことを指すのか……。

 空真は宗間の顔は見ず、「邪魔する」、と、なんてことない挨拶を言って、横をすっと通っていった。


 旅の一行と寺子屋にいた面々、それに戻ってきた青原も加え、一同が囲炉裏の周りに会している。犬のいちだけは庭先から室内を覗いている。

「――旗さん、なんだか以前より砕けた言葉遣いになりましたね。子どもの頃みたいですよ」

「えっ、嘘ん!? じいちゃんに叱られてまう……っ」

 宗間の指摘に旗は無自覚だったのか、両手を頬に衝撃をあらわにする。

 旗は生まれも育ちもこの辺りだが、先祖は西の方の人間だったらしく、旗の代まで西を発祥とする言葉遣いが受け継がれてきた。

 しかし、旗の育ての親たる祖父は行商の場で方言を使うことを良しとしなかった。

 幼い頃から行商の仕事を叩き込まれていた旗は、言葉遣いの厳しい矯正を受けていたのである。

 祖父が亡くなってからも心掛けていたが、元々性に合わず苦労していたことだ。いつのまにやら緩んでいたらしい。

「そうか? 会った当初からこんなもんだった気がするが?」

 と、旗の隣に座っているツギが言う。

「そんな。ツギさんとうた頃はまだまだ気ぃつけとった――気ぃを、つけ……てた……はずですよ?」

「手探りじゃねぇか」

「ふふっ。いいんじゃないですか、砕けていても。今はとがめる人もいませんし、おじいさんにはあとで叱られれば」

「そうですか?」

「今更お堅い喋りをされても気色悪いだけだしな」

「お二人がそう言うならそうしますわー」

 はははー、と、三人が和気藹々あいあいと話をしている間、ハジメはずっと佐島に警戒の目を向けていてそれどころではなかった。

 と、そこにみなの茶を入れていた青原が視線を遮る位置にやって来た。

「そういえば行方不明だって言っていた包丁、出てきたよ」

「えっ、何処にあったんでずか!?」

「一つは山中の樹に刺さっていて、もう一つは屋根板の下にあったよ」

(どうしてそんなところに……!??)

 ハジメは元々、獣の解体から調理、薪割りに至るまでなんでもなた包丁一本でやっていたこともあり、刃物の使い分けに関しては大雑把だ。調理後、誤って持っていった包丁で山仕事や屋根の修繕を行い、そのまま置き忘れていたのだ。

「――って、今はそんなことよりも、どうして青原さんが結婚することになったのかとか、どうして佐島がここにいて平野にべったりなのかとかを聴かせてくださいよっ……!」

「ははは、まあ落ち着きなよ。どっちも大したことじゃないから」

(大したことでずよ……??!)

 やきもきしているハジメとは裏腹に、青原は吞気なまでに落ち着き払っている。一息吐いてやっとハジメの気持ちに応えるように、青原は話し出した――。

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